NOVEL | ナノ

 もう一度、夏祭り


一緒に宿題をやろうって、そういう設定で苦労してお家に誘ってくれた君が、

「夕飯の後、2人で少し、出かけようか、」

なんて言うから。

「デートだね〜、」

って。
そう言ったら、君は持ってるもの全部落として固まっちゃった。

(俺に用意してくれたお菓子、個包装のばっかで良かったね。冷たい麦茶はもうお部屋に用意されてたし。)

あ、余計なこと言っちゃったかなって思って見たら、君は顔を耳まで真っ赤にしてて。





…ああもう、なんてこの人可愛いんだろうって思った、そんな8月。





「でも、良いのかな?」

君がようやく落ち着いた頃聞いてみた。
だって今日の俺は、勉強が出来ない子の設定で。
夏休みの宿題が全然分からなくて、教えてもらいに来てるんだ。

“同じ部の仲間から助けを求められてるんです。それを無下にする訳にもいかないでしょう。”

俺はレギュラーだし、部活の評判にも響くからって、お父さんを何とか苦労して説得してくれたから。
なのに、外に出かけても良いのかな?

「少しくらい、大目に見てくれるさ。…外面は良いから、」

そう言った君の顔はどこか寂しそうだった。

…俺は、何だかそれがすごく悲しくて。

(そんな悲しそうな顔、君にはさせたくないんだよ。)

君のことを、ぎゅってしたくなって。

「、紫原、」

「うん、」

分かってる。

そのうち我に返った君が、宿題をやろうって言い出すまで。

今は、もう少し、このままで。





別に一人じゃ出来ない訳じゃない。
それに、部活動の盛んな帝中は、夏休みは出来る限り部活をやれるように、宿題だって元々少ない。
だけどせっかくの機会だから、お互い宿題もやり終えてしまって。
夕飯をご馳走になった後、提案通り2人で出かけることにした。
…そうそう、今日はお泊まりなんだ。
こんなにあっさり夏休みの宿題が終わるなんて、お父さんも思ってはないんだろうね。

夏とはいえ今は夜の8時、すっかり日は暮れたけど、街頭が淡く淀んだ空気を照らし出す。
薄ぼんやりした光の中で、ほんのりオレンジ色に染まった君の頬が色っぽかった。

…変な意味じゃないよ。
そのまま。
艶めいていて、すごく、魅力的なんだ。











ゆく道すがらすれ違う、浴衣姿の男女を目で追っていた。
無意識のそれは、君に気付かれたかもしれないし、そんなことには関係なく君自身が浴衣を纏った彼ら彼女らに気付いたかもしれない。
そっと右上の君の顔を窺い見たら、優美な視線と目が合った。一瞬ドキッとして俯いてしまいそうになるけれど、自分を奮い起たせて何とか堪える。

…いつだって余裕ぶった顔を作って、でも本当は君のこと見るだけでいっぱいいっぱいなんだよ、なんて、…言える日はいつか来るのだろうか。
俺はこんなに強がりで、意地っ張りで素直じゃないから。
もしかして、君がいつか気付いてくれるまで、この気持ち素直に伝えられることなんてないのかもしれない。

そう思うと少し寂しい。

溢れそうになる色んな想いをどこかの奥底に押し込めて、瞳にぴったり合った焦点を少しずらして、君の顔全部をじっと覗き込んだ。
完成されつつある骨格、初めて会ったときから比べるとややシャープになってきた輪郭。
そんな大人っぽい面立ちの君の優美さを際立たせているのは、やっぱりその切れ長の両目だ。
普段はとろんと気怠げに目蓋を上げているだけなのに、たまにこうして鋭く無邪気に光るんだ。

(俺はその光が、とても好きなんだよ。)

…やっぱりそんなことも言えない俺は、とんでもない臆病者なのかもしれない。





「赤ち〜ん、」

どしたの?何か俺の顔についてる?

蚊なら払って、と若干慌てぎみに両手で覆う子供っぽい仕草。
端正な顔が隠れてしまって、俺としては残念、少しもったいない気はしてしまうのだけれど、その仕草は正直とても可愛くて、

、好きだ。

「違うよ。…浴衣姿とよくすれ違うだろう?」

「うん?夏…だけど、そだねーこんなにいんの珍しーかも…。
近くでお祭りとかあんの?」

「…ああ、」

墓穴掘ったかな。

俺はにこりと笑って見せたけど、下唇を軽く噛んだ。
祭りがあるのは今俺たちが歩いているのとは反対方向で。だから浴衣姿とすれ違う。
ちょうど今日地域の夏祭りがあるのだけれど。

俺はそれが好きじゃなかったから。

学校の近くのそれとは違う、ここに住んでいる住民のほとんどは、俺が誰か知っている。俺が何をするのか、少なからず興味を持って。
…自意識過剰だというなら。それならどれだけ、気が楽なことか。
残念なことに、周りの目というのは確かに存在する。
そしてそれは、俺が何かやらかしたときにだけ、効いてくるから手に終えないんだ。





別に、“悪い子”にしている訳じゃない。
ただ、全てが監視されているような圧迫感から逃れたくて、それから逃げているだけ。…立ち向かわないようにしているだけだ。

小さい頃、祭りに連れ出してくれた手伝いに、くじ引きをせがんだ。その時は鈴が当たって、安物だけれどきれいな音色に、何より自分が引き当てたものだという誇らしさに心が弾んだ。
…けれど、その内、父がどこからか高価な鈴を買ってきて言った。

“どうせなら、本物を持ちなさい、”

それは確かに、今後財閥を司り頂上に立つ人間として必要なことかも知れなかった。
でも。

“そんな安物を、欲しがったと思われたくはないからな。”

それ以上は何も、言われなかったけれど。
幼心がちくりと痛んだ。
そしてその小さな痛みは、今に至るまで俺の深くに記憶されている。

最初は連れ出してくれた手伝いが話したんだろうと思っていたが(だが、彼はそんなことはしない人間だった。住み込みで手伝いをしながら苦学して大学を出た後、うちの経営する社に勤めている。有能で飾らない男だ)、どうやらご近所の会話からそれは父の耳に入ったらしかった。

それを知った時、ちくりとした痛みと共に感じた葛藤。自身を取り巻く環境の不自由さへの憤りと…結局はどうしようもないのだという諦め。
それから逃れるようにして、小学校も中学校も、地元の目には晒されないところを選んだ(どのみち父も私立へ入学させるつもりだったのだから、不都合はなかった)。





当然そんなことを君に詳細に話す気にもなれず。
ただ一つだけ気がかりなのは、祭りが好きな君のことなんだ。

…祭りというより縁日か。金魚すくいが得意で(俺はそれもやったことがない)、ヨーヨーにスーパーボール掬いに、くじだって結構狙ったものを引き当てる。
唯一不得意なのは射的だけれど、あれは背の高さゆえに、構える位置や目線が的と合わないのだろう。君もそれは承知していた。
それに出店の食べ物といえば焼きとうもろこしに焼鳥にたこ焼きに焼きそばに…わたあめ、水あめ、チョコバナナ、かき氷、全部君の好きなものばかりだし、君は選ばなくても(手持ちさえあれば)全て食べることができる。
それに、目立って嫌だと普段は煩わしく思うらしい君の身長それゆえに、人混みでも見失われることはない。

君にとって、何より君自身が生き生きと過ごせる夏祭りは何より楽しい場所なのだろう。

本当は、そちらの方に連れ出したい。
夜とはいえ夏のこんな暑い最中、無意味に外出するよりその方が君は楽しく過ごせるに違いないからだ。

だけれど、こうして俺は土地勘のない君の手を引いて(実際に手を繋いではいない。…少しでも想像してしまうそれを押し止めているのは、周囲の目を気にしてのことなのか、単に俺の気恥ずかしさなのか判別はつかない)、祭りとは違う方向に歩いていく。

君は何も言わない。

もしここの祭りに行ってみたいと言ったとしても、俺は止めない。

普段窮屈なことばかり感じる君が、せっかく生き生きと過ごせる場所を、無下に奪う気はないのだから。








目が合って、しばらく君は何も言わず俺を見てた。

夏祭りは好きだ。縁日の出店は美味しいものがいっぱい売っているし、小さい頃から兄姉たちに連れ出され様々な地域の祭りに参加していたこともあって、ゲームも得意だ。金魚すくいは兄姉の誰にも負けない。
ただ、出店で捕った金魚は寿命があまり長くなくて。死んでしまうととても悲しくなるから、いつからか育てるのを止めた。
今では、掬っても貰わずに帰る。

…もしかしたら、ここのお祭りにも金魚すくいはあるかもしれない。
俺が咄嗟に思い付く(…もしかしたら、唯一のものかもしれない)、君より得意なこと、君に誇れること。
実際にやって見せたら、きっとかっこよく決められるはずだ。

でも。

君は祭りとは違う方向に歩いていく。俺の手を引いて(実際に繋いではいないけど)。
だから、君は祭りがあまり好きじゃないんだろう。
好きでも、人酔いする君のことだ、決してあの盛り上がりは得意ではないんだろう。
勝手に当てをつけて黙っていたけど、一通りじいっと俺の方を見ていた君は意を決したように尋ねた。

「やっぱり、祭り、行くか?」

意を決したように見えるのは何故か。

何がやっぱり、なんだろう。

多分、何か葛藤してたんだと思う。俺がお祭り好きなの知ってて。

(…君をそんな風に戸惑わせたりするなんて、俺って本当に不甲斐ないね。)

やっぱり、君はお祭りには行きたくないってことなんだよね。

だったら俺も、行きたくなんかないよ。

「赤ちんは、行きたくないんでしょ〜」

冗談めかした語尾に、俺の精一杯の配慮が伝わればいい。

(…ううん、伝わらなくて、いい。)

「俺は、行かない、から、」

そう言って、君は気まずそうに笑った。

こういうとき君は、戸惑ったように、苦笑いするんだ。
俺は知ってる。って言うより、分かってる。

君は何より求めることが苦手で。
自分を崩さないようにすることが第一で。
いつだって自分を律して、じっと耐えるんだ。
だからそんな君にちょっとでも笑顔でいてもらうように、俺努力しちゃうの。頑張ることなんて嫌いだけど、君のためなら頑張っちゃえるんだよ。

(そんなこと言ったら赤ちんは、…無理するなって、きっと無理して笑うんだろうな。)

でもね、これは無理をするのとは違うんだよ。
だってそんなことしたら、聡い君は気付いて、気を使われたことに悲しくなっちゃうでしょ?
それに、俺は気を使ってる訳じゃない。

ただ、君の笑顔が見たくて。

君が抱える色んなの、少しでもなくなれば良いなって。

君が望むものに、臆せず君自身手を延ばせるように。

君のことで頭の中いっぱいになって、君のこと考えてるのがすごく幸せなの。

「じゃあ、行きたくないなぁ。」

「…それは、」

「遠慮とかじゃないよ。俺がミドチンみたいにそんな気ぃ使えるわけないでしょー?
…俺が、そうしたいの。」

(俺が、そう選んだの。)

そう言わないと、君の不安感は多分消えない。
もっと、ただ単純に求めて欲しいけど。

(…俺にだけは、気後れしたり戸惑ったりせずに求めてくれたら良いのに。)

でもそれは、まだまだ、君には苦手なことだろう。苦しいことだろう。
だから、急かさない、焦らない。
だから、こちらから手を延ばすのだ。
無い物ねだりは苦手だけどね、俺は欲しがるの超得意。

(赤ちんに横にいてほしいです、)

とか。
俺はすんなり言えちゃうから、安心してね。

君と一緒に歩く何もない夜道と、君のいない縁日。

どっちが良いかなんて、愚問だよ。





「ありがとう、」

「どういたしましてー」

よく一緒に過ごすようになって、最初の頃君はよく“すまない”と口にした。
平仮名にして4文字の謝罪の言葉は意外に耳に軽くて、でも君の中ではこういうちょっとした差異が徐々に積み重なって、どんどん負担になっていくのは目に見えた。
だから、俺はその度言った。

「俺は、俺の良いようにしてるだけだし。」

それでも戸惑いがちな、ほら、俺にしか見せないあの苦笑いで返して(いつも不敵な笑みを浮かべてる君が、それを見せるのは俺だけだって…優越感とか喜ばしいのとかは確かにある。
…でも、やっぱりそれは嫌なんだ。君には、心から笑っていてほしいから)。
だから俺は言った。何度も何度も根気強く言い続けた。

「赤ちん、そこは謝るとこじゃないよ。」

「…そーいうときは、ありがとう、だし。」

それが実を結んだのはつい最近のことだけど、…嬉しかったなー。
ありがとう、俺にそう言った君は少し恥ずかしそうに(そう、これも最近の発見なの!ありがとうって言って、赤ちんちょっと気恥ずかしそうにするんだ…超可愛い…)、俺の方を見て首を傾げて見せた。
多分それがどれだけ俺のこと煽るかとか、分かってないでそうやってる。すげーあざとい。

(そういうとこ無防備なんだからぁっていつも言うのに…分かってくれないんだからもー!)

…そんなんじゃ、ますます君を、色んな方面から防御しなきゃね。












「紫原は、浴衣を着ても似合いそうだな。」

つい、口説き文句のような台詞が出た。
ナンパ男のようだと君は笑うか訝しげに眉を寄せるか、こうなったら自分の尊厳はどうあれ見物だなと思ったが、君はどちらともなくただ不思議そうに首を傾げた。
それでも十分な高さのある身長がふと羨ましくなって、君ほど背が高かったらとふと思うのだけれど、心の中で首を振った。
長身には長身の苦労がある。ましてやそろそろ200cmに達するかというそれを、君が今まで持て余してこなかった訳はなかった。

「前着てなかったっけ?」

「ああ、甚平姿なら見たことがあるが、セパレートになっていない普通の浴衣のことだよ。」

言って、セパレートという言葉が間違っていなかっただろうかと考えるのだけれど、あまり自信はない。ただ女性ものの水着をそう呼ぶこともあったようなことを思い出して使ってしまった。
君は、難しい単語とか色々知っててすごい、と俺によく言うけれど、そんなことはない。
俺にだって、知らない言葉はたくさんあるんだぜ。

「浴衣ね〜、」

気怠げに聞こえる響き。
続く言葉を待っていると、指で頬を掻きながら君はめずらしく背筋を伸ばしてしゃんと立った。

「こんなデカいとさー、やっぱ合うのとか無いよ。」

日本人皆小っちぇーし。
特に浴衣よく来てたよーな昔の人は。

君は言う。成る程、江戸時代の成年男子の平均身長は150cmと少しほどと聞くから、それは一理あるが。

「いや、合うんじゃなく、合わせるんだよ。和服は反物と言って、元々一枚の大きな布なんだ。それを体に合うように、仕立てるんだよ。」

頭の中で、俺は君の体に反物を合わせている。





「でも〜、姉ちゃんがハタチのときさぁ、振袖レンタルするときオプション扱いだったよ?」

(うち姉ちゃんもデカくてさ〜。 )

成る程…振袖もレンタルなんてものがあるのだな。
そんなことも俺は知らなかったけれど、この場は年の離れた女兄弟のいない者には分からくても無理のないことだろう。
聞けば、身長がある一定以上だと特別仕立てでレンタルするものらしい(そのままの着物をレンタルすることも出来るらしいが)。横に少しゆとりを持たせるオプションもあるそうだ。
和服のこととは言え、まだまだ色々と知らない世界があるものらしい。

「ああ、それは着物だからだよ。」

不思議そうにもう一度、首を傾げて見せる君。成年と比べても見劣りしないその容姿と子供っぽい仕草とのギャップが、愛らしさの中に香水のように気品のある色気を香り付かせている。

「着物は、丈と身幅が合わないとダメなんだ。しっかりと左肩と、下も…そうだな、要は重なって上になる部分にぴったり柄が来なくては見映えがしないし、ずれていると不格好なんだよ。だからその人の体に合わせて仕立てたりするんだ。
でも浴衣はほら、散らしの柄だろ?どの部分に布のどの部分が来ても構わないから、その分安いし仕立ては楽だぜ。」

そう言うと、君はそっかぁ、やっぱり赤ちんて物知りーとふわりと笑う。

…結局、仕立てようか、とは言い出せなかったけれど。

浴衣姿の君を頭の中で何度も想像して、俺は密かに頬を染めた。








君の家を出てしばらく歩いて、他愛ない会話をしていくうち、遠くから祭りの音が鳴り始めた。
旧家が多く小さい子達の少ない地域だからと君は言い、その意味を祭りの開始時間と曲目で察する。
俺の地域の夏祭り…というか盆踊りは、夜の7時にはもう始まっている。
子供の夜は早く訪れそして短い。そのため、まずは小さい子が踊る人気キャラクター音頭から鳴り始めるのだ。
それに比べて、ここの祭りの開始時刻は遅く、曲も年配者向けの普通の音頭で始まった。
なるほど、子供はいないんだ。

祭りは大好きな俺だけど、俺は踊るより金魚すくいをしたりヨーヨーを取ったり、くじを引いたり出店で食べ歩いたりという方が好きで、兄達に連れ歩いてもらった。その頃には年の離れた兄達はもう櫓に上って踊るような年齢ではなかったから、ちょうど良かったのだろう。
浴衣も着たことはあるけれど、“浴衣を着た”という記憶があるのと写真を見たことがあるだけで、自分が浴衣を着ていた時のことは実は全く覚えていない。
ただ、毎年姉が盆踊りには浴衣を着ていたのは強烈に印象に残っている。
君の家のように普段から和服に袖を通すことのない家庭では、一年に一度のその経験はそれだけ非日常なことなのだし、何より花や花火やと鮮やかな模様の施された布を身に纏った姉はとても美しかった。

顔立ちで言えば、5つ離れの姉はきょうだいの中で一番自分と似ている。

(姉ちゃんが、…っつーより、俺が姉ちゃんに似てんだよね。)

他3人がダークブラウンの瞳をしている中で、変わった紫陽花色の瞳もお揃いだ。
体格がこれほど大きくなっていなければ、俺は女のような顔ともっと頻繁に言われるのだろうと思う。大きくそして切れ長の目元がきれいだと、今にしたってよく賞されるのだ。
それは、俺に…(嬉しいことに)好意を抱いてくれている君以外からも言われるのだから、"好き"というハロー効果を抜きにしてもそう映るものなのだろう。
だとすれば、女性としては身長こそやや高めだけれど、自分と同じ瞳、目元を持つ姉はいかほどか。

(…その辺の芸能人とかよりはずーっときれいだっていつも思ってたけどさー…、)

闇の中儚げに佇む姿に映える鮮やかな柄。
幼い自分にもそれははっきりと“美しい”のだと分かった。





…今、その姉を相当な勢いで凌駕しそうな存在が、俺の横を歩いている。

泊まる俺に合わせてくれたんだろう、いつも家では和服に身を包んでいるはずの君は淡い青のシャツにベージュのカーゴで。
でも、それだけでどうしてだろう、じっとりと湿度の高い霞んだ夕闇の中だというのにとても…。

そう、高貴で、雅だ。

どこも香を焚き染めたように芳しい君の家の香りをそのまま纏っているみたいに、君からの風が俺の頬を撫でる度嗅覚から俺を包んでいく。
そんな君が浴衣を着たら…いや、浴衣を着た君が俺の横にいたら。
そんなことを考えて、先月の学校近くの夏祭りを必死に思い出す。けれど、あのときは色々あって、間近にあったはずの君の浴衣姿を中々思い出せない。
残念なことをした、と今なら思うが、だがどこかで小さな期待が生まれる。
君と、また、いつか夏祭りに行こう。
君が人酔いすることは知っている。慣れるまでは無理強いしないし、…いつまでも、待とう。
年単位なんて覚悟は出来てる。
だって君としたいことも行きたいところも、無限にいっぱい、あるんだから。

「ねー赤ちん赤ちん、2人でさ、浴衣着てさー…行こうか、いつか、どっかの、」

「夏祭り?」

「そう、」

ちょっと戸惑ってるうちに、夏祭りって単語は君が引き継いだ。

…躊躇った顔とかされたくないなぁ、

(…ううん、違う、困らせたくないなぁ。)

って思った分の、一瞬だった。
でも君は意外にも満面の笑みで嬉しそうに、

「うん、」

笑った。

だから、その笑顔を見て、俺は決めたんだし。





それは、中学二年の、夏の終わりだった。





(ねえ、赤ちん、)

俺はあの時、決めたんだよ。





…最近の君は、確かにここにいるはずなのに、

(今も俺の横に君は立っているのに、)

君がどこかに行ってしまったみたいなそんな感覚がするのは、多分気のせいじゃないんだろうね。

(そのきっかけを作ったのは、引き金を引いたのは、間違いなく俺で、)

どうしよう、苦しくて苦しくて、息が出来なくなりそう。

でもね。…俺はあの時、決めたんだよ。

君をいつか、

君といつか、

浴衣着て、

(俺は多分サイズが合わなくて、君はきっと笑ってくれて、)

お香みたいな芳しい君の横で俺は、美味しそうな匂いのたこ焼きとか、君の色のかき氷とか、色々、

(そう、俺はまた買いすぎて、君は苦笑いするのかも、)

そんないつかを夢見て。

ずっと、待ってるからね。





そんで、いつか。浴衣姿の君の前で跪いて、ちゃんと「ごめん」って、言うんだ。

(…それでも結局、何も変わらないかもしれないけど、)

そうして、傅いて恭しく君の手を取ってキスをして、

(指先に、手の甲に、)

もう一度、

(初めての、)

夏祭り。


end.

20130728〜20130811完結  加筆修正20130823


prev / next


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -