NOVEL | ナノ

 肩を並べて

週末の雑多な喧噪になんて、慣れる必要はないと思う。

ただし、君がそれを望むのなら、僕は君の傍にいよう。

それまでも、それからも。





肩を並べて





対外試合の帰り道。
今日のそれは1軍での公式戦ではなくて、2軍の試合への同席だった。
部員数100名を優に超し2軍はおろか3軍まで幅広く存在する帝光中においては、その勝利への理念はどの立場においても同じである。
2軍とはいえ決して負けを許されないその試合、1軍レギュラーが1人ないし2人練習試合に駆り出されるのは慣例だったが、紫原が赤司と組んで遠征に赴くのは珍しかった。

普段、紫原と赤司は決して相性が悪い訳ではない。むしろ赤司のことについて事細かに、深く広く察しがつき、理解出来るのは紫原だったし、何より誰よりよく懐いていた。また、赤司の方からもそれなりの信用を置き、さら彼自身、一番の心許せる人間というのもまた紫原だった。
しかし、向き不向きとまでは言わないまでも、選ばれるメンバーにもゲームスタイルによって適した組合せがある。
紫原は基本ディフェンスの陣形から動くことが少なく、攻戦に出たところで単独で攻めに行く(そして単独で速攻からシュートまで難なく持っていける)。
そのため、例えばパスの中継を主とする黒子と組むことは少なく、全体を把握し駒の配置や的確な采配を得意とする赤司ともそれは同じだった。紫原と相性が良いのはあらゆる種のプレーが可能な黄瀬や型にはまらない自由なプレースタイルの青峰だったし、赤司の方はどちらかと言うと最終的にボールを回せば確実にシュートを決めることのできる緑間や中継の要所となる黒子。
いつも2軍の対外試合という状況に関してはバラバラで、これまで同席することのなかった2人だが、今回は果たして相共することとなった。

偶然なのか何か意図があったのか紫原には分からなかったが、どちらにせよ赤司と組み彼と同じ試合に出るというのなら不満など全くあるわけもない(むしろ大歓迎だ)。当然今回紫原にとっては彼得の遠征となったわけだが、果たしてその移動距離の遠さ、あるいは乗り換えの不便さには閉口した。
ものぐさな彼にとって自宅から近い帝中以外での試合はそもそもが面倒なものであり、試合会場が遠ければ遠いほどテンションは下がる。…と、もちろんそういった理由もなくはないが、今日は何より、赤司の存在があるからだ。
今回の会場となる学校は、赤司の家からは遠く離れた位置にある。
ただでさえ遠い道のりに加え、厄介なことにそこに存在する、繋がらないどころか場所の大きく離れたJRと私鉄の乗り換えルート。
元々通学には時間のかかる赤司だが、今回は人一倍のその不自由さに見舞われることとなった。





赤司征十郎は人に酔う。

それは対人的に問題を抱えているのではなく(それを言うなら自分本位の紫原の方が分が悪い)、ただ単に酔うのだ。
天帝の眼という特殊能力とも呼ぶべきそれを持ち、見えなくても良いものまで具に見えてしまう彼は、まだそれを制御する方法を完全に体得してはいない。
副作用ともいうべき人酔いに、彼が煩わされているということに気付いている者は少なかったが、幸い共に遠征することの多い緑間も黒子もそれに関しては把握しており配慮してくれる。
もちろんそれは紫原とて変わりはないものの、今回の状況では、…乗り換えの距離を縮めるなどということは、彼にもさすがに出来そうにない。
帝中近くを走る路線沿線に住んでいる自分たちはさほど歩かずに済んだ帰り道JRへの乗り換えだが、赤司はさらに離れた別の私鉄の乗り換え口へ向かう必要があった。
しかもその乗り換え口の間は繁華街を突っ切っていくしかなく、挙げ句今日は連休の初日。
帰宅時間を迎えた面々を待っているのは、誰より人に酔う赤司への嫌がらせともいうべき週末夜半の喧噪だった。
カラオケ、飲み屋から風俗店まであらゆる業種の容赦ない客引き、相手が中高生と見るや(身長のそれなりに高いバスケ部の面々であれば、高校生と見られるのが常だ)いかがわしい業種の引きには合わないけれど、チラシやティッシュは配られカラオケ店の前では必ず呼び止められる。
そして顧問は大多数の引率に忙しく、一人帰宅ルートを異にする赤司にまで手が回らない。
(それじゃあ、くれぐれも怪しげな勧誘に気を付けるんだぞ。…まあ、お前なら心配はないと思うが。)
彼の大人びた態度もそうさせる一因なのか。
結果二度目の乗り換えで一人別れ繁華へ繰り出すこととなった赤司を、紫原は引き留めた。

「赤ちん、一緒帰ろーよ。ていうか、うち来よー?」

ていうか赤ちんなら、いつだって大歓迎だし。昨日お客さん来たばっかでお家きれーだし、ママちんも気にしないし。

だがそれに、赤司は首を横に振った。

「心配するな。大丈夫だ。それに、連日の客ともなればご迷惑になるだろう。」

赤司の態度は決して強がりには見えなかったし、もちろんそうではないのだろうのだけれど、一人人ごみに消えていく赤司の頼りなげな後姿を、その赤が見えなくなる寸前まで紫原は目で追った。





赤司征十郎は、やはり今日も人に酔う。

眼を使わずとも知らずのうちに人の呼吸・筋肉の動きあるいは視線そういったものを追ってしまう。目を閉じたところで耳は声を息遣いを拾うし、第一それでは帰ることができない。

…赤司は、そもそもが人に慣れて育ってはいないのだ。

辛い幼少期などと自身の過去偽るつもりもないが、それでも他の家庭よりは大いに接触の少ない家族関係だった。ただそれだけで乳児期幼児期から既に淡白な関係だったと結びつけるのは若干短絡的かもしれないが、その見立てで恐らく間違ってはいないと思う。
決まりに厳しく、滅多に姿を見せない父、粛々と従う、良き妻である母は果たして赤司を自身の子として認識しているのか。
そして、それに加えて彼らの住む広い敷地の日本家屋…それらが揃えば、結論は容易に見えてくる。
征十郎は、気付いた頃から”離れ”に一人で暮らしていた。

色々な人間を窓から観察してきた。使用人たち、父の秘書、友人、恭しく挨拶をする母、誠実そうに振る舞う父。なぜなら、部屋の中には彼以外誰一人としていなかったのだ。
知らずのうちに身につけた人を見るスキル。
それが今役に立っているのだから何とも言えない心持ちになるけれど、当時はやはり寂しかったのかもしれない。

自身の置かれている状況が他とは違うと気付いたのは小学生になった辺りだったが、誰にも進んで言うことはなかった。
芽生え始めた自己他己という認識、自身と違うという感覚は、幼稚な思考をすぐに”排除”へと向けがちだ。幼児の頃であっても広く浅くしか人と付き合っていない(既に、そう意識して心がけていた)赤司だったが、排除され疎まれ奇異の目で見られ、暮らしづらくなるのは面倒だった。
だからこそ、自分と他人の置かれている”若干”の環境の差に対して気付かないふりをして目を瞑ってきた。
それで問題もなかった。
それなのに、ここへきて。
人混みが苦手という不得手を作り上げてしまった。そのことでこれ程の煩わしさが生じようとは思ってもみなかったのだ。

しかし。仮にそうと認識したところで当然この人混みアレルギーが改善されるはずもなく、赤司はともすれば折れそうな心を半分ほど奮い立たせ(半分はスイッチを切り、意気込んで向かう。人酔いで過呼吸になりそうだ)夜の繁華街へと繰り出した。
別れ際に背中に感じた、よく心得よく知った紫原の視線。
それだけが温かく、今の赤司の支えだった。





それから50m位を進んだ辺りで、予想より早く赤司は立ち止まってしまった。
普段この人たちはどこで暮らしているのだろうと思わせるほどの想像以上の人混みと、ひっきりなしのいかがわしい勧誘。
マッサージ、が意図するところは言うまでもなく、この分だと居酒屋カラオケ漫画喫茶、全て本来の用途の店か疑問である。
なまじ高校生に見える赤司に露骨な勧誘は来ないが、たまにすれ違う男たちの好戦的な視線が心臓に悪い。
布面積の明らかに不足しすぎの女の子たちに紛れると、赤司はまだまだ背が高く見える上に色素の薄い赤い髪が目立つし、あるいはアルビノの赤い目がカラコンを思わせ、危険な雰囲気に見えてしまうのだ。もし喧嘩にでも巻き込まれた場合、相手が格闘技の有段者であったり凶器でも持ち歩いていない限り負ける気はさらさらないが、今後の大会など主にバスケの方で色々問題が生じてくるだろう。
それを避けるために出来るだけ早くこの繁華を潜り抜けたいのだけれど、気付くともう足が動かない。
疲れもそれほどないはずの両足がぴたりと地面に張り付いたように、その場を動いてくれないのだ。
その事実に気付いた赤司は初めて本格的に焦りだし辺りを見渡した。
未だ赤司だけが喧噪の中動けずにいると気付いた者はいないようだ。…が、それがいけなかった。…不自然な赤司の様子に気付いた者がいない、というところではなく(それは大いにありがたかった)、辺りを見渡したことで、さらに厄介な状況に追いやられたのだ。

(見ては、いけない…)。

彼の、過敏すぎる眼では。

実際のアレルギー反応ではないけれど、かみ殺すのも限界に近づく浅い過呼吸、流れる冷や汗低下する体温、瞳孔が開いてしまえばもうまともに物が考えられない。
目を見開いて、ひゅ、と鳴った喉を手で押さえようとするのだけれど、まともに機能しなくなった空間把握能力がそれを許さない。
すっと首の横をすり抜けた右手を、





後ろから伸びてきた大きな手が掴んだ。





「っ、」

一瞬遅れて姿を見せた彼の名を。そう、紫原、と、そう言おうとしたのだけれど、呂律の回らない赤司の舌は「む」の発音すらさせてくれない。

「ぁ、」

仕方なくほとんどがア行で出来ている彼の名字を「ぁ」という一文字に込めた。
そんな言葉を紡がずとも、目の前の紫原は赤司の手を引きさっさと人混みをかき分ける。
つい先日200 cmを超えたばかりの長躯は奇異好奇あらゆるさまざまな余計な目を引く代わりに、好戦的な眼差しを浴びることがない。
何より相手の方が思わず身構えてしまう恵まれた体格、向かう相手が自動的に避けてくれるとあってある程度辺りには構わず力強く進んでいくことが可能で、ついでに赤司をテリトリに入れておきさえすれば彼のことを守ることもなど造作もない。

(ああ、初めからこうしておけば、)

良かったなどと赤司は思わないが(また面倒をかけてしまった…)、

(ああ、初めからこうしておけば、)

良かったと紫原は思う。
半ば強引に手を引かれる赤司を気付かれないようそっと窺うと、潤んだ瞳と対照的に血の気の引いた蒼白な顔、自分の選択は間違っていなかったとの思いを強くする。

(強がりばっか、)

だが、それでこそ赤司。
今はその強がりに気付き引き返すことの出来た自分の幸運に感謝するしかないとして(創痍の彼を糾弾するような真似はしたくない)。
紫原と共に進むにつれ、だんだん落ち着きを取り戻した赤司をぎゅっと抱きよせた残りの繁華200m。喧噪のおかげでいつもよりはるかに遠く見える距離を、一息に進む。

わ、とか、高、とか、でか、とか。言いたければ言えばいい。どうぞご自由に。
そんなもの、気にする境地はとうに過ぎたのだ。
自分に目を奪われたまま、赤司にどうかその注意を傾けないでくれ。





「紫原、」

ようやくついた駅の入り口。馴染みはないが見知った私鉄、赤司の家の最寄駅へと、しっかり運んでくれる四角いボディ。
改札から内部が窺える構造の駅の、その少し手前の空いたスペースに収まり、赤司の呼吸の整うのを待つ。その間も、

(やっぱり無理だったじゃん、)

なんて、無意味に揶揄して彼を傷つけたりしない。

「…」

「ありがとう、」

助かった。

響く言葉はまだまだ弱々しいが、「ん、別にいーし、」と素直に受け取った。





実は、赤司がこうなったことはこれが初めてではない。
ここの乗り換えはいつも似たり寄ったりの喧噪で、赤司が難なく通り抜けようとするなら人混みもまばらな早朝しかない。練習試合や大会などで乗り換えが必要になった場合、やはりこのようになるのが常だった。そして、それが分かっているからこそ、それとは言わずいつも紫原は赤司をこの私鉄まで迎えに来てくれた。あるいはこの改札まで送り届けてくれていた。

“間違って、早く来すぎたし、”

“俺は家近いからいーし。ギリまで赤ちんと一緒にいたいの!”

そんな見え透いた嘘を振りまいて(後者は本心かもしれない)。

だが、いつまでも、紫原に守ってもらう訳には行かないだろう。赤司だって、人混みを克服しようとはしている。今では全校集会など、同窓への抵抗はほとんどなくなった。
今回も途中で止まってしまったけれど、これだって実はすごい進歩だと紫原は知っている。
前は、繁華の喧噪を前にまるで足が地面に固定されてしまったように、1mも進めなかったからだ。
それを思うと実際、今日の進行距離約50mは大したものなのだ。






「後、少しじゃん、」

気にすんなしー。

軽めに呟けば、少し戸惑って下を向く赤司。

「うん、」

その言葉に、納得していない様子がありありと伝わってくる。
早く早く、慣れなければ。紫原に迷惑をかけてばかりはいられない。
だが同時に、未だ繋いだままの手の温もり、自分をどうしようもなく安心させてくれるそれを、離す勇気がない。
感触を温度を彼の存在を確認するように握り直すと、握り返してくる大きな掌。
人の体温なんて1℃前後でしか違わないはずなのに、どうしてか赤司を安心させて止まないその温度に、目元が熱くなっていく。

潤む赤司の目元を繋いでいない方の指で拭った紫原は、ふわり笑った。

(ねえねえ赤ちん、)

「焦らなくていーよー。」

そりゃあ赤ちんも、自由に人混み歩けないんじゃ辛いだろうけどさ。
出来るようになるまで、ずっと、俺いるし。
それに、だんだん進めるようになったじゃん。

「それに、ちょっと悔しいんだよー。俺焦っちゃうんだよー?」

赤ちん、俺のこと頼らなくてもよくなっちゃうって。
俺が、赤ちん守んなくてもよくなっちゃうって。
笑わないでね?…俺、赤ちんの騎士さんなんだって。そんな気してたし。
だからお役御免って、嫌かなーって。

…赤ちんにとっては、その方がずっといいのにね。

戸惑いがちな声でそう紡いだ紫原の様子は、だが迷いのない笑顔を浮かべていた。





(でもねー、赤ちん、)





もし、そうなったら。
赤ちんが、人混みすいすい歩けるようになったら。





(その時はさ、)





「肩並べて、一緒に歩こーよ。」





いつか、来るだろう。彼が人混みをかき分けることができる、そんな瞬間。
それを自分は、寂しくもあれ、しかし歓喜し祝うだろう。彼を取り巻く懸念が一つ解消されたのだと、心から安心するだろう。
良かった、そう思うだろう。
ただし。

ただし、颯爽と歩き凛と立ち向かうその姿。

その、どうか君のその横は、自分のためにとっておいてほしい。

そう願うのだ。





肩を並べて





「うん、」

ぎゅっと握った手の先、肩の上彼の口元。

形のいい唇がそう呟いたのを確認して、紫原はニコリと笑った。





end.

2013.04.27



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