NOVEL | ナノ

 多分、そういうこと

目の前で、見慣れた紫色がしゅふぁりとメルヘンな擬態語と共にしぼんでいく。

その様子は、さながら作ってから時間が経ってしまったスフレのよう、とでも言おうか。

擬態語ばかりで音もなく、その場に崩れ落ちる紫原に氷室は咄嗟に駆け寄った。





多分、そういうこと





一瞬遅くその体を支えることはならなかったが、座り込んだその体勢のまま、紫原は目前の先達にぎゅっと抱き着いた。

傍から見れば飼い主に甘える猫や犬のようにも見えなくはない。
実際氷室の目から見ても非常に可愛らしく映るのだが、ああしかし。
ただでさえその体躯、バスケットゴールを破壊するほどの力なのだから、少し加減はしてほしかったかもしれない。
自分のようなガタイのそこそこの男子ならまだしも、線の細い女の子なら、きっと今頃抱き潰されてしまっていただろうな。
未だ全く状況が把握できない中、氷室は頭のどこかでそんなことを考えていた。





ともかくも、陽泉の片エースとして認識される紫原は、だが一方でワガママで、子供で、礼儀知らずで無遠慮で。これまで何かと敬遠され、厄介者扱いされることも多々あった。
基本相手に配慮をしない。
思ったことは平気で言う。先輩や監督の言うことは聞かない。
気のない応対をして返したと思えば次の瞬間にはすぐカッとなってケンカ腰になる。
団体競技の一員として実に致命的なほど付き合いにくいタイプだ。
とはいえ、それでも入学以来、じんわりとゆっくりと、彼なりのペースで陽泉チームに慣れてきた。
無遠慮で不躾なその態度も、著しい幼稚さと持ち前の負けず嫌いからくるものだと。
すぐ不機嫌になるのは、抱える不安や戸惑いの裏返しなのだと。
繊細な彼の内面が徐々にチームメイトに理解されるようになるにつれ、後輩体質であるらしい彼は、不思議と周りに可愛がられていった。
そういった経緯で、今では彼は良くも悪くも部のマスコットである。

だがそのマスコットに、いつも飄々とマイペースな彼に。
ここ数日、目に見えて元気がない。

故郷にやはり心が浮き立つと見え、少し前まではこの東京遠征をとても嬉しそうにしていたというのに。
(聞けば曰く、「別に楽しいとかじゃねーしっ!」だが。)
楽しげだったその表情もいつになく輝いていた目も今やひっそりと姿を潜めてしまい、代わりにどんよりとした空気を全身から漂わせている。
WC敗退がショックだったのではないかという声もあるが、氷室をはじめレギュラーの面々にははっきり分かっている。
紫原の性格から考えて、それはまずない。
何かを引きずるという発想自体が彼にはないのだ。
だが、かといって何故そんなにも彼が気落ちしているのかは結局誰にも分からず仕舞いで、今現在何も手の打ちようがないのもまた事実だった。





氷室は、紫原という人間をおよそチーム内では一番把握している。
幼い頃より知るタイガほどとは言えないかもしれないが、それでもいつも、何かと弟のように気にかけてきた後輩だ。
もう少しで東京から離れなければならないというのに、久しぶりの帰郷の最後が気落ちしたままでは可哀想すぎるだろう。
そして、ついには彼の中のHOTな部分とCOOLな部分の両方が共に揃って膝をつき、良心に頼み込んできた結果として。
今日、氷室は意を決して紫原の部屋の扉をノックしたのだった。
結果、今に至る。

「…アツシ、一体何があったんだ?」

しばらく、紫原は答えないでただ氷室に抱き着いていた。
もしかして泣いているのかもしれない。だとすれば状況はさらに深刻だということだろう。
柄にもなく緊張して、同時にそれを覚らせまいと精一杯の年長風を吹かせ、菫色の光沢を有した黒糸に指を這わす。
さらさらの猫っ毛が指の間を通り抜け、幾度か梳いたところで紫原は小さく、もごもごと詰まりながらその口を開いた。その答えに。

「俺、赤ちんに嫌われちゃったのかもしんない…!」

氷室は危うく崩れそうになった。





そんなことか!!??というのが、氷室の率直な感想である。
これ以上ないってほど落ち込んでたその理由が、今にも消えそうになっていたその理由が、友人とケンカしたことだって言うのか?

「何かと思えばそんなことで…(皆どれだけ心配したと思ってるんだ…)」

「そんなことって!室ちんひでー!」

お前どれだけ赤司くんなんだよ!少々感情的に声を荒らげれば、ぜんぶ!という。
嘘偽りのない声音に、返す言葉が見当たらない。

「Oh…」
「…ぃや室ちんそゆのまじやめて。キコクシジョぶんのヤメテ。おれまじめにしんじゃいそうなの。」

でんわしてもでてくんないし

めーるかえってこないし

ついったぁも、らいんも、赤ちんやってないし(おれもアカウントないけど)

ていうかさ

しつこくかけてたら…

…でんわ、ちゃっきょされたっぽい…

「…」

「…まじしねるし。おれ。」

「…アツシ、」

今度こそ、氷室はその場に膝をついた。

「ぅわ、」

紫原に抱き着かれた体勢のままだったので、自然と紫原の上に崩れる形となったが、今はそんなことに構いはしない。

(全く、この後輩は…。)

ここ数日自分を始めチームメイト達を散々杞憂させておいて、その理由が友人とのケンカなどとは全くもって拍子抜けも良いところだ(いや、勝手にそもそも杞憂し始めたのはこちらなのだがとりあえず今はそれは置いておくとして)。
本来なら今すぐ皆に謝ってほしいとすら思える。
氷室が大きくため息を吐くと、紫原の肩がびくりと震えた。

「アツシお前…。お前がそんなに落ち込んでるから、何があったんだろうって…全く!どれだけ皆が心配していたと思って…」

それがただのケンカか。赤司くんと。

全くいい加減にしろと言わんばかりに語気を強めると、だがすぐに聞こえた反論。

「心配とか頼んでねーし…てかでも、ただのけんかとかちがうの。室ちん、ひでー、し、」

おれまじでしねんの。ていうか、赤ちんおこらせるとか、ああもう、しねしおれ。

あかちんにきらわれるとか、…ああ、もー…。

「…」

またいつものように、駄々をこねる子供さながらぎゃーぎゃー喚く紫原を想像していた氷室は、そこでまた一つ面食らった。
落ち込んで、落ち込んで、今にも消えてしまいそうな紫原。
これは初対面の、氷室の知らない紫原だった。
そして、何事にも淡白で執着しようとしないその彼が、必死になって守ろうとしている牙城。
試合を見ている最中はあまりそんなことを感じさせなかったが、赤司征十郎という人物は紫原の中で相当の部分…いや本人の言う通り、全部を占めているのかもしれない。
程度は違えど、きっと、自分の中のタイガやアレックスのような。
きっと、かけがえのない存在なのだろう。

それならばこのまま放置しておくのもやはり可哀想かと、気持ちを落ち着かせた氷室はまずこの問題の解決を優先することに決めた。
他のすべては、それからで構わない。時間はある。
だが赤司と紫原の間の何かは、秋田に戻ってからではどうにもならなくなるかもしれない。



氷室自身、着信拒否などされたことはないが、したことならある。
確か選択肢として、着信拒否した相手にその事実を悟らせない手があるはずだ。
それをせず、あえてもうかけてくるなと意思表示をするあたり、それは完全な拒絶ではありえないと氷室はまず確信した。
洛山高校主将かの赤司征十郎とはいえ、氷室にかかればまだまだ幼い子供にすぎないということだ。

二つ目に。仮に彼がもし精神的に完全な大人なら。
もし本当に紫原との連絡を絶ちたいのなら。
着信を拒否しメールに関してはスパム扱いにした上で受信することすら拒否するだろう。
あるいは、多少手間はかかるが、周囲に紫原には言わないようにと念を押した上でアドレスと電話番号を変更しもしくは解約し、今後一切の連絡手段を絶つ。
容赦ない手段だが、ストーカーやストーキングという脅威がごく身近に当たり前のように存在する今にあっては、個人情報保護にやりすぎということは全くないのだ。
だが、今回彼はそうはしていない。
もちろんメールの受信自体も既に拒否されているという可能性はなくもないが、それでもアドレスの変更をしていないあたり詰めが甘いし、どう考えても赤司がそのようなミスを犯す人間には思えない。
だから、分かってやっているのだろう。
自分はイライラしているんだ、怒っているんだ、もう構ってくれるな、だから連絡するなってば!敦のバカ!
…と言いながら、実はスマートフォンを握って眠っているような状態かもしれない。
想像して思わずくすりと笑えば、目の前の紫原が不審そうな顔で見上げてきた。

「ごめんごめん、つい…」

「、室ちん…さ、」

おれさー…どーしたらいーかな…。

消えそうな声に、どうしようもなく庇護欲が湧いてくる。
氷室は最後に一つだけため息を吐くと、紫原の頭をぽんぽんと撫でた。





それから、ゆっくりと話を聞いた。
…というより、必要以上に時間がかかった。
紫原の話はこれまたどうして、全く要領を得ないのである。
普段からあまり国語の得意ではない彼がさらに今は動揺しているとあって、ヤだからヤだ、そこが痛いからそこが痛いというようにまるで小学生との会話のようになるのだ。
何があったか、どうしてそう思うのか(だってそう思ったから、じゃ分かんないんだよアツシ!)、彼の話の根拠のある部分、彼の思い込みの部分を一つ一つ頭のノートに書き込みながら整理する。
これは2コアの頭脳を持った、帰国子女の、バイリンガルの強みだ。
何かを一度母語(火神は日本語だが、氷室は英語だ)で考えてから、翻訳し会話するという行為を日常で行ってきた氷室のような人間は、頭で何かを整理することに長けている。
たっぷり30分かけて(最後にはもう、時系列を追って出来事をそのままロールプレイングさせるに至った)紫原からことの詳細を聞き出した氷室は、ようやく一つの結論を導き出した。

「もしかしてさ、アツシ。赤司くん、嫉妬したんじゃないのか?」

「ハァ?何で赤ちんが嫉妬すんの?つーか誰に?」

紫原は、それだけはないとでも言いたげに眉根を寄せた。
赤司征十郎という人間は、紫原の見る限り何事においてもほぼ完璧に出来ている。
およそ人に嫉妬するというその状況が自分には全く想像がつかないのだ。
もし仮にそんなことがあるとして、(身長以外には)自分に嫉妬する理由など見当たらないし、今更体格のことを持ち出す理由が分からない。
率直な疑問をもちろんそのまま口に乗せ、むぅと唸ると氷室は違うと否定した。
違う、アツシにじゃない。むしろ、俺たちに、じゃないの?

「だって、中学のときからすごく仲良かったんだろ?だったらアツシの新しい人間関係に嫉妬したって、おかしくないと思うよ。」

紫原の話を(というかロールプレイングを)聞いていて、赤司の機嫌を損ねたのは恐らくあの部分。

(んー、ウザいけど皆優しーかな。まさ子ちん以外ね。俺、陽泉の皆好きだよ。赤ちんも。)

本人にその自覚はないというが(それは空気を感じなさ過ぎだ)、間違いなくそれだ。
何故よりによって赤司を補足事項のように付け足したんだ?(いっそ無い方が良かった)
問えば返事の代わりの難解な表情に、これは完全に紫原の理解の範疇を超えたのだと氷室は覚った。

「だって、皆好きだし、赤ちんも大好きだし。」

「うん、だからな、それだと思うよ。その最初のところ…と、”も”。」

アツシの言いたいことも分かるけど。
でも赤司くんはさ、今でもアツシの、何だろ…一番でいたかったんじゃないかな?

それが思わぬ人間関係に足を掬われそうで、不安なのだろう。
氷室は小さくため息を吐いた。
全くもって日本のハイスクールの一年生というものは子供だ。
前々からそうは思っていたが(身近に最適の二例がある)、どうやらそれは何も紫原や火神に限ったことではないらしい。

「そうだ、この前読んだ子育てアドバイスの本に書いてあったんだけどな、」

「…室ちん、何で育児本なんて読んだの…?こどもできたの?」

「いや絵が可愛くてつい…ってそれは今は良いから!」

教育心理学の専門家曰く、こうらしい。

兄弟がいる場合、親は、その全員を平等に愛そうとする。

でも、それじゃ子供たちは嫌なんだそうだよ。

子供は、自分だけを親に愛してもらいたいんだって。

「本当はどうなのかなんて分からないけど…一理あると思わないか?」

「…」

少し、嘘を吐いた。
その気持ちは、氷室には、分かる。
痛いほど、分かる。
いつからか気付いた、自分には恵まれなかった才能。
アレックスの愛情ごと、持って行かれた気がしていたあの頃。
そしてそれは恥ずかしながら、今でも継続中なのだと気付かされた。
紫原に火神との関係について詳しく説明したことはないけれど、彼は室ちん一人っ子じゃん、と不満をこぼすことはなかった。

「でも、それおかしい、」

一呼吸置いて、紫原が返す。それが赤ちんとどう関係あんの?
少々結びつけるには無理があることは氷室にも分かってはいるのだが、他に例が浮かばないから仕方ない。
そもそも嫉妬という側面だけに関していうのなら、状況はそれほど変わらないはずだ。

「おかしくないよ。仲のいい友達なんだろう?その友達の中で、自分がどのくらいの比率で存在してるのかって、…気になるときは、なるもんなんだよ。何で、100%じゃないんだ、ってね。こういうの、独占欲って、いうけど。」

相手のより多くを占めていたいと思う、100%でありたいと願う、その気持ちを独占欲と呼ぶならね。
努めて明るく、淀みなく話す氷室の脳裏に、あの後ゆっくり話し合ったアレックスの姿が蘇った。

「どくせんよく、」

紫原は呟くと一瞬黙ったが、すぐに、伏せがちだった顔を上げ氷室をまっすぐに見つめた。
その鋭い視線と共に同居する、きょと、とした表情のあどけなさ。
そして、未だそこに存在する疑問符。

「…室ちん、…でもやっぱ、それおかしい、」

「?うーん、そうか…なら…どう言ったら良いんだろうな、例えば…」

「ん、じゃなくてさ、室ちん、」

「おれさ、おれね、」

続いた言葉に、氷室はしばらく何も言うことができなかった。

おれね、おれ、赤ちん以上に大切なのとか、ないよ。





室ちんも福ちんも劉ちんも岡ちんも、たまにすげーウザいけどチームの皆好きだし。

まさ子ちんも竹刀で殴ってこなかったら好きだし。

でも、赤ちん以上のとかって、ねーし。

だってね、室ちん、比率とかっていうけど、そんなん、100%赤ちんなんだよ。

赤ちんおれのぜんぶだもん。

だから、

「世界で一番赤ちんのことが大好きなのに、何で赤ちんが嫉妬すんの?」

その言葉にガツンと頭を殴られたような衝撃を受け、氷室はスプーンを落とした。





プラスチックのそれなのに、カランカランと大きな音を立てテーブルの上に落下していくその様子に、そういえばせめてもリラックスしながら話せるようにと、2人でプリンを食べていたんだっけとぼんやり思い出した。
視線は、きょと、としたままの後輩の表情を捉えただ見つめるばかりだ。
感覚は動いているのに思考が機能しない。左手はかろうじてプリンの容器を掴んだまま静止している。
氷室はしばらく何も考えることができず、しばらく呆然とするよりほかなかった。

あれ、今、

(何を言った、)

アツシは今

(何て言った、)

アツシは今

(それは、つまり、)

そういうことなんだろうか。

「アツシ…。」

気付けば、紫原のプリンが全く減っていない。
封すら開けられていないキセキがそこにある。
ああこんなにも繊細で、ちょっとしたことがあらゆる面に響いていく、ガラスの精神を持った自分の後輩。
彼のために、ここで頑張れるのは恐らく自分だけだ。

「分かった、それで多分、問題ないよ。」

「室ちんスプーン…ぇ、てか、ぇ、なに、俺分かんな、」

(なるほど、落ち込んでいても無理はなかったわけだ!)

「大丈夫だって言ったんだ。それともう、しぬとかしねるとか言うな。あとは、そう。…それをどう、赤司くんに分かってもらえるか、かな?」

アツシは口が下手だから。
もし、良かったら、俺に任せて。
年長風を吹かすとウザがられるのは十分分かっているけれど、ここは一肌脱がせてくれないか?赤司くんはまだ東京にいるの?いなかったら、京都往復くらいの交通費、出してあげるけど。

だから、さあアツシ、準備をしよう!

呆気にとられる紫原の前で、嬉々として何かカラフルな布のようなものを用意しだした氷室をぼんやり眺めながら。
氷室といい火神といい、やっぱり帰国子女は苦手だと紫原は思った。





「…で、これはどういう趣向なんだ敦。」

教えて、と、小さいため息とともに赤司の口から数単語。
呆れられている、不審がられているのは分かっている。
だが、それでも久々に聞こえた赤司の声に、じんわりと温かい何かが紫原の胸の奥に広がっていき、目尻が自然と熱を帯びる。
つい零れそうになった涙をぐっと堪え、目下の赤司を視界に留める。

見慣れたはずの、色素の薄い赤い髪。
中学生のときより短くなった、少し硬めのくせっ毛。
それがとても懐かしいもののように思えて、込み上げる涙を紫原はもう一度堪えた。

何かあったかと問うてきた氷室に赤ちんが赤ちんがと泣きついた数時間前。
それが今ははるかに昔のことのように思えてくる。自分の話を聞いてくれた氷室に対し、感謝こそすれ批判の気持ちなど全くない。
…はずなのだが。
趣向だとか嗜好だとかそういうことに関して、赤司よりむしろ紫原の方が、逆に氷室に問いただしたいくらいなのである。

仕方なく、室ちんが、と始めると案の定”氷室くんが、何?”と語気で迫る赤司。
未だ機嫌が悪いみたいで、少し悲しくなる。

「その、赤ちん、最近機嫌悪いっていうか、俺、怒らせちゃったって、いうか、そしたら、俺に任せてとか、なんとか…。」

そこまで言うと紫原は赤司の顔を窺い見たが、赤司はただ冷静に、鋭くこちらを睨みつけるばかりだ。
その猫目に、ホテルの部屋の中に忍び込んだは良いものの、ただ所在なさげに立ち竦んでいたこの情けない生き物は一体どのように映っているのだろう。

…あまつさえ首元に大きな赤いリボンなど巻かれた2m超の”Japanese OWABI”を。
赤司はどう思ったのだろう。

赤司の視線は、依然として厳しいままだ。だが、ここで無言で佇んでばかりもいられない。
紫原の首にリボンをきれいに結びながら、氷室は赤司を誤解させないようにと何度も念を押したが、やはり口が下手な紫原にそれは厳しい。溝は返って深まってしまいそうな予感さえする。
だが、今度こそ精確に赤司に伝えられなければ意味がないのだ。
洛山の予定は知らないが、自分たちはもう明後日にはここ東京を後にしてしまうのだから。
その前に、その前に。
君のその態度が誤解によるものなら、せめてその誤解を解いて。

「っ赤ちん!聞いて、俺、全部話す、から」
「!…うん、」

2歩前にいた赤司に1歩で詰め寄り、がばっと両腕を掴んだ。
一瞬赤司は痛そうに身を震わせたが、じっと紫原を見返した。
その目にはもう先ほどまでの辛辣さはなくて、紫原は少しだけほっとして、続けた。

「上手く表現すんのとか多分、難しくて、俺苦手で、だから、今までの、いきさつっていうかそういうの、全部話すね、」

長くなるけど、ちょっと付き合って。
自然と真剣になる口調で言うと、赤司は一度だけ頷いた。





話す、とはいっても。
結局はさっき氷室の前で見せたような、時系列を追って会話の内容を繰り返すだけだったが、それでも全て言い切るのには10分以上かかってしまった。
緊張していたのかリボンが熱いのか、冬だというのに体中が汗ばんでくる。
そして、赤司は黙ったままだ。

不意に赤司が身じろいだ。
と、次の瞬間紫原の手を振りほどき、彼は猫のように器用に紫原の横をすり抜けて部屋の奥へと進んでしまう。
一瞬の出来事、赤司の無言の行動に紫原は傷つき、あ、とだけ小さく声を上げた。
だがそれを止めることも出来ずせめてもその姿を追って部屋の中へと向き直る。
赤司は荷物を机の上に置きながら、紫原に背を向けている。

ああ、また何か自分はしてしまったのか。相変わらず至らない自分に辟易する。
ちゃんと伝えられれば大丈夫だって、氷室には言われたけれど、そもそもそれが出来ていればこうなってはいない。
電話を拒否されることもなければ、メールをスルーされるということもなかったはずだ。
紫原の目尻に一粒涙が浮かぶ。今度は抑えられそうにないそれを、素早く指で拭い取った。

そんな紫原の様子を、赤司は窓越しにちらりと窺い見ていた。

「…ありがと。でも、無駄なことをさせたね。」

「赤ちん…ごめ…、でも…ごめん、」

「違う、そうじゃない。全部はいらなかったって意味だよ。…最後のところだけで、良かった。」

最後の、と言われても、紫原にはどの部分が最後の、なのかが分からない。
氷室に受けたアドバイスか、その後のこのおふざけの格好をした経緯なのか(謝るなら、お詫びの品があると良い。それでこそJapanese OWABIだとか何とかそれはもうすごく楽しそうに室ちんが結んだ首の赤いリボン。やっぱりあの人頭おかしい。)、あるいは洛山の宿泊場所を知るために緑間に色々と人事を尽くしてもらった部分なのか?
混乱する紫原に、赤司は小さくつぶやいた。

ねえ、敦、ねえ、

それは赤司のものではないような、いつになく消えそうな声で。
自分のことは念頭から去り、今はもう赤司のことだけしか頭に残らない。
どうしてそんなに自信なさげなの、寂しそうなの、どうして?ねえ、

「赤ちん?」

敦、

さいごの、それ、ほんと?

おれのことだけって、せかいでいちばんって、ほんと?

「うんそれはそう。赤ちんだもん。他ないし。いらないし。」

だったら、うれしい。すごく///

でも、いいの?それで、いいの?ぼくは、かみさまじゃないよ。

「なっ、何で何で???俺、赤ちんのこと神さまって思ったことなんか、一回もないよ!だって、赤ちんは赤ちんじゃん。」

だって、そんなの、かみさまみたいじゃないか。

ぼくは、おれは、ねえ紫原
お前にそんなに思われているのに、それなのに、僕は弱くて。弱くて。
自信がなくて、嫉妬して、お前の視界に僕しかいなかったら良いのになってそんなことばっかり考えるんだよ?気持ち悪いだろ?
それが出来ないからって敦のこと拒絶して、ほら、今だってこんな風に傷つけて、僕、

「っ赤ちん!」

ただならぬ気配に紫原は慌てて顔を上げ、部屋の奥の赤司の顔を見据えたが。
赤司は扉の前に立ち竦む紫原の顔を見上げ、睨みつけた。
だがその目は、決して怒りに震えるそれではない。
口を真一文字に結んで、頬をひきつらせ、必死に何かを耐えている表情。
目尻が真っ赤で、零れ落ちそうな涙を抑えようと必死になって、唇が切れそうなほど強く噛んでいる。

紫原が思わず赤司へ駆け寄ろうと動くより一瞬早く、赤司が動いた。
狭い室内、振り向いて軽く2、3歩踏めば簡単に紫原の懐に飛び込んでいける。

「っ、赤ちんっ、」

半ばぶつかるようにして抱き着いた赤司に少なからず肉体的な衝撃は受けたと思うが、紫原はびくともしなかった。
大きくて、頼もしくて、温かいその体躯。
背中に回される腕に、頭を撫でられる手に、ドロドロした感情ごとすっぽり包まれるような安心感。
無条件に、甘えても良いよと許される、赤司だけの居場所。

こんな時にまで都合よく錯覚してしまう自分の弱さに、赤司はぎゅっと目を閉じて苦しげに声を震わせた。

僕は…、

「僕のことが、大嫌いだ…ッ、」

ああ何故こんなにも、赤司征十郎は弱いのだろう。





「赤ちん、」

と、赤司の頭上から声が聞こえる。
軽めのテノール、いつでも赤司を安心させる、子守唄のようなその音色。
それに何度助けられ、それに何度縋ったか。

今では週に一度くらい、電話越しにしか聞けなくなってしまったけど、いつも変わらない口調にまた、救われる。
拒否し続けていたのは自分なのに、久しぶりに聞こえた恋しい鈴の音に、伝う涙が抑えられない。
それは触れる紫原の服に吸い取られ、布地がじわり湿り気を帯びていくのが分かる。

「赤ちん。」

もう一度、紫原は彼の名を呼んだ。
彼の髪を撫でながら、彼の体をより深く包み込みながら。

「もー…赤ちんってば…俺、赤ちんのこと、せかいでいちばん大好きなのに。」

「、ぁ、」

気付けば喉がカラカラで、何とか声を出そうと赤司が喉を震わすと、無理に話さなくていいよ、と囁かれ抱きしめる腕に少しだけ力が込められた。

「俺は赤ちんのこと大好きなのにー…俺の大好きな赤ちんのこと、嫌いになんないでよね。」

「(…ぁ、つし)」

「そうだ、ね、赤ちん、こうしよう。」

赤ちん、赤ちんは、赤ちんを世界で二番目に愛せる人を目指そう。
ね?それならできそーでしょ?

(そのかわり、その一番を俺にちょーだい。)

赤ちんのことをせかいでいちばんあいしてるのがおれで、にばんめが赤ちんね。

(でもそのかわり、俺の一番もらってほしい。)

おれのことせかいでいちばんだいじーっていってくれんのがあかちんで、にばんめがおれね。

そうじゃなかったら、せかいでいちばんおれのことすきっていってくれるひといなくなっちゃうから、かなしいから。ね?

「もう…自分のことが一番大事じゃないなんて人間そういないんだよー?」

「ぁつし、」

赤司はその場で少し身じろいで2人の体に挟まれていた両の手を自由にすると、紫原の背に回す。
その間も、紫原はそれでね、それでね、と赤司を安心させるようにと声を紡ぐ。

いつもは赤司に抱きついてただそれだけだったのが、今は赤司も紫原をぎゅっと抱く形になっている。
背中に回された赤司の腕の分、いつもより温かくて少しくすぐったい。

「…そうだ、敦、…あの、」

子供みたいに、拒否ってごめん。
寂しかったけど、引くに引けなかったというかその…。

「んーん…(それでこそ赤ちんでしょー)…俺も、」

ごめんね。今までもっと色んなこと、はっきり言っておけば良かったんだね。
赤ちんが、おれのぜんぶだって。

「仲直り?」
「うん、」

多分これで。

「赤ちん、仲直りってすごいね。俺、まだ何かすげードキドキして、(…って、あれ?)」

「…」

「(コレ、俺じゃない…?俺じゃない…!ぁ、あれ???)」

「ぁぁぁぁ、つし///(多分それお前じゃないお前のじゃないだからその、それ、)」

「ぁ赤ちん、(、が、ドキドキしてん、の???うそー…)」

「///(ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!もう僕の馬鹿っ///敦のバカっ///)」





「「こっち、見て。」」

そのとき、この言葉をどっちが言ったのか。
これは2人の中で、今でも判然としない事実だ。

「ぜったい敦。」

「いーや赤ちん。」

きっと議論は平行線だろうけど、

(良いんじゃないかな、ずっと。)

(平行線で行けたら、ずっと、お隣で一緒だもんね!)

その声が聞こえて、刹那、赤司と紫原と、視線がかち合う。

紫原は赤司の目を見た。

赤司は紫原の目を見た。

ドキドキしてるのが聞こえた。

多分、ああ、多分、今、そういうことなんだと思った。





多分、そういうこと

気が付いたら、ピントが合わないくらい、すごくすごく、赤ちんが/が近かった。





end.

つまり、キスをしました///(中1から付き合ってて、初キス高1とか可愛い…)。

やっぱり今日も甘くて甘くて、な紫赤が大好き。
むっくんがぁぁあ赤ちん///ってなってる展開、赤ちんがあああぁぁあ敦!ってなってる展開がすごく好き。
後輩思いの室ちんも好き。アレックスと幸せになってほしいという氷アレ推し。

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