▼ 夢みてはじめて
さぁおいで。
今夜も妖精さんたちに連れられて、夜のお空をふわふわ、ふわふわ。
眠気なんかなくなって、きっと朝まで夢の中。
夢みてはじめてみえること・夢をみないとみえないこと「…アツシのそれはさ、望んだものじゃないんだろうけど、」
「んー、」
「俺にとっては、羨ましくて仕方のないものだよ。」
それは暗に、誇るべきだと言っている。
そして、そんなことは言われ慣れている。
育ちすぎたこの身長を忌まれることにも慣れているが、羨ましがられることにも慣れているのだ。
今日も飽きることなく自身の身長に羨望の念を込め呟くのを、紫原は聞き流していた。
そうしてもらって構わないと彼は言ったし、俺の独り善がりだから、不快に思わないでくれとも。
だから、今日も半分だけ耳を傾ける。
大人な氷室の、子供な羨望。
半分だけ聞き流して、あとは咀嚼もせず嚥下して知らん振りをする。
「室ちんさぁ、俺ねー」
「うん?」
ぼんやり空を眺めて呟けば、氷室は紫原の顔をじっと見る。
恐らく話をするとき人の顔をしっかりと見るのが癖なのだろう。
実は紫原も人と対するとき全く同じことをするが(だから、氷室に対する親近感は他の誰よりも強い)、その方法は異なっている。
紫原は人の感情を読んだ。有体に言えば顔色を窺った。
それは何かと誤解されがちで、すぐに批判の対象になってしまうその身を心を守るための防衛手段。
この人は信用していい、あの人はすぐに紫原を悪者にする(悪いときも少なくないが)といったように。
それゆえ相手を正面から凝視することはないが、視界の端にその人を捉え常にじっくり観察している。
対して氷室は気持ちを読んだ。
コミュニケーションを円滑にするためにだよ、と彼は言ったが、そんな心持ちで人を両目で見つめるなんて正直紫原には理解できない。
きっとそんなことをするために、彼の左目は覆われているに違いない。
そんな歯がゆい視線にももう大分慣れた。
いつも人を見る紫原だが、氷室を見つめ返すことはしない。
彼は自分を誤解しないし理由なく責め立てたりもしない。
それを肌で分かっているから、その必要はもうないのだ。
「小っちゃくなった夢を見たことがあんの。」
すごくない?
「アツシ…」
だって、小っちゃかった人がいきなり大きくなることはあっても、大きかった人が小っちゃくなることは絶対ないじゃん。
だから、すごくない?
ふわふわ、ふわふわ夢の中。
敦くんは小さく小さくなりました。
身長は160 cmに少し足らないくらい。
本当に小っちゃくなったねって、俺より大きくなったママちんは驚いてました。
「あ、思い出したー。そん時、赤ちんに殴られちゃったんだよね(思いっきし!)」
痛かったなー…。
言って左頬をさする紫原は本当に痛そうに見えて、氷室は少し驚いていた。
話を聞く限り紫原と赤司の仲はとても良いはずで、少なくとも彼は赤司には牙を向かわせなかったのだろうから、常にずっと仲が良いものだと思い込んでいた。
少し見開いた右の目に、氷室の驚きを、詳しく知りたいという気持ちを紫原が感じ取ったかは不明だ。
目の前でひらひらと手を振り、んーでもやっぱもう忘れたーと会話を終わらせようとする後輩を。
氷室はしばし言葉も忘れ、まるで初対面のようにじっと見つめていた。
「っていうことがあってね、」
所用でタイガの携帯にかけると、何故か黒子が出た。
どこか抜けている彼の弟はどうやら今日は部室に携帯を置いていったらしい。それに気が付いた黒子が携帯を手にしたとき、ちょうど氷室がかけてきたのだという。
ディスプレイに浮かぶ”タツヤ”の名前に、急ぎの用なら大変だ、と出てくれたのだ。
折り目正しい上に気配りまでできる、こんなよく出来た高校生はそういない(彼自身の後輩が良い例だ)。タイガは良い友人を持ったな、と氷室は心からそう思うし黒子に深く感謝している。
特別急ぎの用という訳ではなかったので、二言三言挨拶を交わすうち(タイガをいつも子守してくれてありがとう)ふと先日の紫原とのやり取りを思い出した氷室は、黒子ならあるいはと事の詳細について聞いてみた。
思い出してもらうのに時間がかかるかな、もしかしたらアツシと赤司くん2人しか知らないのかも、という氷室の杞憂をよそに、黒子の記憶は意外にも鮮明だった。
「ああ、ありましたね、そんなこと。」
否定されなかった過去の出来事に、聞いた本人であるにもかかわらず氷室はやはり今回も驚いた。
(本当だったんだ…。)
あの赤司くんが。…アツシが。
電話の向こうから”もし委細お聞きになりたいのであれば話しますけど…、”と続ける黒子。
こっちの練習時間が終わっているのだから(タイガは帰ったと言うし)誠凛の練習時間も終わっているのだろうが、黒子の時間を拘束してしまうことに若干の罪悪感があり、氷室は遠慮がちに”もし良ければ…。”と呟くようにして言った。
黒子はと言えば意にも介していない様でそれじゃあと話し始めようとするが、あ、その前にとその落ち着いた声が止まる。
「氷室さん、紫原くんに…、」
「…え、アツシに、何…?」
中々続かない言葉にこちらから尋ねやんわり急かすと、黒子はいえ、やっぱり何でもないです、と言葉を濁した。
(紫原くん…君はまた、)
電話の向こうでは氷室がきっと怪訝そうな顔をしているだろうが、画面越し、表情が見えないのを良いことに黒子は先を続けた。
「あれは、」
(あれは、紫原くんの見た夢の話から始まりました。)
黒子の話を待ちながら、氷室は先日の紫原の姿を思い出していた。
表情から相手の気持ちを察するのは氷室の得意とするところだけれど、最後まで読めなかった表情、彼の複雑な心持ち。
それを解き明かす方法として第三者の証言を借りることに若干の背徳感があるが、そうでもしなければ紫原はきっと二度とその話題を口にしないだろうと氷室は感じていた。
彼はある部分では飽きやすく諦めの良すぎる方だけれど、譲らない部分は本当に譲らないのだ。
それが分かっているからこそ。
そしてそれ以上に、浮かべた複雑な表情その中に、少しの悲しさが垣間見えた後輩を案じる気持ちが氷室の背中を押す。
「…紫原くんは、夢を見たんだそうです。」
自分には絶対起こりえない、そんな夢を。
“でねー、夢の中の俺すっごく小っちゃくてさー、黒ちんよりも小さいんだもん。あんな背低かった頃って随分前だし、その時の視点とか忘れてたし。何か周りの景色とか聞こえる音とかいつもと全然違くて、すげーって思った。”
黒ちんあんな世界で生きてんだね。
言えば必ず怒らせると分かっていながら、紫原はどこまでも無邪気だ。
その日の練習で疲れ切っていた黒子は言い返せず苦々しくそれを黙殺していたが(部室中央の長椅子に座って机に上半身を突っ伏したまま動けずにいた)、そうなると中々反論が返ってこない黒子を逆に心配し、…黒ちんだいじょーぶ?と隣に座ってすり寄って来ては逆に何かと甲斐甲斐しい。
そんな紫原のことを黒子は決して嫌いではなかったと言い(一日一回は衝突していたと思うが、と黒子は付け足した)、彼の残酷な面も無邪気さの裏返しだと理解しているということも知って、氷室は少し胸が熱くなった。
誤解されがちなあの幼子が、ここ陽泉に受け入れられるまでどんな環境でいたのかと自分が少なからず心配していたことに氷室はそのとき初めて気付いた。
「で、言うんです、」
“でもさー当然バスケとか今までみたくは出来ないじゃん。”
俺、体つきだけでやってきたよーなもんだし。
みどちんみたいに何か極めよーとかねーし、
峰ちんとかみたいに天才的な何かがあるわけじゃねーし、
黒ちんみたいに頑張ってバスケしよーとか、バスケ楽しいとかもないわけじゃん。
“だから、小っちゃくなって、どうしよーかなーって、そればっか考えてたんだよね。”
どうしたら、まだここに、皆のとこにいられんのかなって。
小っちゃくなっただけで別に黒ちんのミスディレクションとか出来るわけじゃねーし、ほんと俺役立たずでね。
“そりゃあ、テツみたいに頑張ればいーんじゃねーの?諦めずによ。こーんなに小さくなっちまったんだから、もうそれっきゃねーだろ。”
“…褒められているんだとは思いますが…青峰くん、僕何かイラッときました。”
“そうなのだよ、失礼なのだよ。大体紫原、そんな夢みたいな話、本当にあるわけがないだろう。”
“いや、だからみどちん、昨日見た夢の話だってば…。”
「だって人間、縮めないでしょー。とも、彼は言いました。」
その時の表情が…何というんでしょう、悲しげですごく複雑で。よく覚えてるんです。
黒子の言葉に、この前見たアツシの表情だ、と氷室は思った。
悲しそうとも、苦笑いとも言えない複雑な表情の下で彼が何を考えていたのか。
黒子の口からその真相は明らかにされるのだろうか。
「その時でした。」
“…それにさー、やっぱ赤ちんとか急によそよそしくなっちゃうし。”
もう俺って役立たずじゃん?
だから当然って分かってるんだけどさー悲しくてさー。
“ハッ、んなとこまで考えてんのかよ夢のねー夢だなそれ。ま、あいつは勝つことしか考えてな”
青峰が、勝つことしか考えてないからな、と言い切る前だった。
それまで何も言わなかった赤司が突如、紫原の頬を殴りつけたのだ。
「突如…本当にその言葉通り突如でした。喚くことも文句を言うことも…掴みかかることもなくて。いきなり殴りつけたんです。」
倒れ込んだ紫原くんにさらにもう一発。
「そこで初めて青峰くんが動いて、赤司くんを後ろから羽交い絞めにして、止めました。緑間くんは紫原くんを庇うように2人の間に割って入りました。」
そんなことになる理由は全く分からなかったんです。
それに、赤司くんが人のことを殴るなんて想像もつきませんでしたし。
僕と他のメンバーは皆面食らってしまって動くことすらできませんでした。
そこで、ふと、それまでの内容を淡々と語っていた電話越しの黒子がくすっと笑ったように感じた。
耳を澄ますと事実そのようで、ここがこの過去話の一番深刻なところと思っていた氷室には疑問符が浮かぶ。
そんな氷室の態度にも黒子は予想がついていたらしく、小さくすみません、と続けた。
「あの後、本当大変だったんですよ。2人とも大泣きしてしまうし、もう収拾つかなくて。」
「へぇ…アツシは前から涙脆いんだね…。…………赤司くんも!!??」
「…あの、氷室さん、赤司くんだって中学生でしたから…。」
泣いたくらいでそんなに驚かないでください…。
呆れたというより残念だと言わんばかりの黒子の口調に、氷室はついごめんとつぶやいた。
それに黒子もいえ、と返す。赤司くんをあまり知らない人は皆、そうですから、と。
「彼は能力高いですしバスケをしているときははっきり言って反則的なくらい強いです。でも、決して皆が恐れているような人じゃないです。本人いつか言ってましたけど…神さまでも何でもないんです。
バスケにかかわらず何でも天才的に強い…そんな中学生で、そんな高校生なんです。」
それは、氷室にも思い当たる節がある。
紫原から聞く普段の赤司のイメージは噂に聞くそれ、あるいはWCで垣間見えたそれとは全く異なっていて、どちらが本当の赤司なのだろうと疑問に思っていたのだ。
紫原の話は若干客観性に欠けるかもしれないと思っていたが黒子の口から改めてそう聞くと、さらにその念が増す。
自分の中の赤司征十郎という人物像は、少し修正した方が良いのかもしれない。
「きっと、」
促しも制止もしなかったが、黒子は続ける。
氷室は耳を澄ます。
今の黒子はもうオルゴールになっていて、例え氷室がこの通話を止めても過去について語り続けるのだろう。
「きっと、紫原くんは、不安だったんだと思います。」
その頃、赤司くんはことあるごとに紫原くんの体格を羨ましい、と言っていました。
紫原くんはあの身長ですから日常生活で不便なことも多いですけど、…そういうことを愚痴ったりすると必ず。
それはある人にだけ選ばれて与えられた神からの贈り物なのだから、大事にしろ、と。
「…不安だったんです。」
そう言われる度思ってしまう。
赤司くんに見出されているのは、彼自身ではなく彼の生まれ持ったその贈り物だけなのではないかと。
そして、それがなくなったら、彼という存在すら見捨てられてしまうのではないかと。
「赤司くんと一番の仲良しですからね。紫原くんは赤司くんのことが大好きなんです。見てると分かります。…よね。」
表情を窺うことは出来ないが、きっと黒子は電話越しに柔らかく微笑んでいることだろう。
氷室もつられて笑顔になり、”赤ちんが赤ちんが、”と母を呼ぶ幼子のような後輩の姿を思い出した。
「それに、」
贈り物が”機能”しなくなるのは、何も背が縮むことだけじゃないですから。
ケガをしたら、それが原因で例えばバスケが出来なくなったら。
自分の中の優位な部分がなくなったら、赤司くんに見限られてしまうのではないかと。
それが怖くて怖くてたまらなくなって。
そんな不安な気持ちを抑えるために、精一杯強がってしまったんだと思います。
「そしてそれが、赤司くんにはとても悲しかったんです。」
氷室さん。黒子は呼びかける。
「…確かに、赤司くんが紫原くんのことを一軍レギュラーとして重宝することに、紫原くんの体格があったことは否めません。」
「…うん。」
「…僕の目から見てですが、当時より、今の紫原くんは格段にバスケが上手になっていると思います。
対戦したからこそ分かるんです。高校に行ってさらに…力強さもそうですが、何より洗練されていました。
だから、今ならもしかするとそうではないのかもしれません…でも、」
その当時の彼の”一番の”強みはやはり身長でしたし、恵まれた体つきとパワーでした。
だからこそ…不安で仕方がなかった。
「…うん、」
聞きながら頷きながら、氷室は日頃の自分の発言を反芻していた。
それは才能なんだよ、アツシ、もっと大事にしてほしいな、アツシ、俺には、無いものだから…。
自分の言葉は、”お前の体格だけが有用なんだよ。”と聞こえてはいなかっただろうか。
だからこそ、彼のあの時の表情は、これまでにないほど複雑だったのではないだろうか。
「でもね、赤司くんだって、何もバスケが上手だから、自分たちの勝利のために必要だからっていうそんな理由で、紫原くんと一緒にいたわけじゃないんです。僕たち…というかキセキの皆が一緒にいると、確かに周りからそう思われることもありました。でも…そうじゃなかった。」
僕が、結果としてその輪を壊してしまったけれど。
氷室が聞いているのをしばし忘れているように、黒子がぽつりと漏らす。
その響きは、自戒のそれの様だった。
「だから、ただただ悲しかったんです。紫原くんと仲良しなのは彼にバスケの才があるからで、赤司くんがそれを求めているからで…って。…他でもない、紫原くんに思われたのが。」
だって、世界で一番の仲良しさん同士なんですから。
“っ、…〜〜〜っっっ!!!”
“なんっ、待、いい加減っォラ落ち着けよ赤司っ!!!…って、おま、”
何で泣いてんだよ!!!
後ろから羽交い絞めにする青峰の、必死の叫びも届かない。
“なに、なにす、いきな、なん、し赤ちん!!!ひっでーの!!!ふざけっ”
“お前も突っかかるんじゃない紫原!!!お前が赤司に全力でかかってどうする!とにかく二人とも落ち着くのだよ!!!”
緑間が珍しく声を張り上げ嗜めても、どちらも収まりそうにない。
やがてその体格差を意地で振り切って青峰の制止を振り切った赤司が一瞬気を緩めた緑間をすり抜け紫原に乗りかかる。
これがドラマでよくあるシーンなら、何度も何度も殴り続けられるシーンだ。
紫原の胸倉を掴んだ赤司に周りは一瞬息を呑んだが、そのまま何も起こらず数秒が経過する。
「…っ、…、っ、〜…」
見ると、赤司ははらはらと涙を落としながら、声にならない声を上げ続けている。
そのただならぬ様子に最初に気付いたのは、他ならぬ紫原だった。
初めは怒りに満ち満ちていた紫原は徐々に怪訝そうに、だんだんと心配そうな表情へと変わり、周りが全く動けずにいる中一人倒れ込んでいた上体を起こし、ゆっくり赤司の口元に耳を寄せる。
赤ちん、なぁに、もういっかい、
優しく、宥めるように。
彼独特の長閑な口調に、いつしか凍りついた空気も溶けはじめ、再び青峰と緑間、今度は黒子も動こうとした頃。
“あ…ぁ、…っ、”
今度は紫原が声をあげて泣き始めたから、その場がまた一気に大混乱した。
“何でお前まで泣くんだよ!空気読めよ堪えろよ!”
“そうなのだよ、とにかく二人とも離れて落ちつ…。…って…おい…貴様ら本当に訳が分からないのだよ!!!(何でそうなる!!!)”
泣くな、というのは理不尽だが、緑間の叫びの方はもっともだと黒子は思った。
何故なら、ものの1、2分前には一触即発(というか爆発したが)の状況だった2人が、今は泣きながらぎゅっと抱き合っているのだから。
それも、ただ泣いているというか。幼児のように大泣きしながら。
周りには赤司が何を言っていたのか聞き取れないし、何故それを聞いて大泣きしだしたはずの紫原が赤司のことをぎゅっと抱いて離さないのか分からないし、大体何故殴った本人の赤司が先に泣き出したのかも、そもそもなぜ赤司が紫原に殴りかかったのかも分からない。
そうまさにこの事件こそが当時の帝中バスケ部最大のカオス。
ちなみにこの件は騒がしいと様子を見に来た教師に見つかり、割と…そう割と大事になった(結局何度問われてもケンカの原因を話さなかった2人は、仲良く部活停止3日間をくらった)。
その3日間の間にすっかり元の調子を取り戻した紫原と赤司に誰も先日の件を持ち出す気にもならず、実は結局理由は分からず仕舞いなのだ。
事実の描写の部分に誤りはないが、紫原や赤司の心情や衝動の理由は黒子の想像にすぎない。
だが、あながち間違いでもないと思う。
結局、ハッピーエンドなのだ。
そう告げると、黒子は再度「氷室さん、」と呼びかけた。
「彼はとても繊細に出来てるんです。周りから誤解もされやすいですけど、誤解もしやすいんです。なので、紫原くんに、あんまり…その…。…いえ、…いえ。ただ…。」
「…そうだね。少し、俺は…羨み過ぎていたのかも。」
いつだって無意識に、いつだって意識的に、彼の身長を羨んだ。そう口にした。
羨望の眼差しで見つめ、愚痴を零す彼を叱咤した。
だが、それは自分だけの感覚だ。分かっているつもりになって、実は紫原の気持ちを少しも推し量れていなかったのではないか。
そんな自戒の意味も込めて、氷室はふぅと長く息を吐いた。
「ありがとう、聞けて助かった。長いこと拘束してごめんね。」
「いえ。…僕も、懐かしいことを思い出しました。」
それからまた二言三言交わすと、じゃあ、タイガによろしくと通話を終わる。
もの言わなくなったスマートフォンを手にしばらく眺めていた氷室は、ゆっくり立ち上がるとそのまま、紫原の部屋へと向かった。
言うべき言葉は見つからないけど、とにかく今日は、彼の話をそのまま聞こう。
意地っ張りだが、嘘を吐くような子じゃないじゃないか。
フィルターを外そう。彼の気持ちを鵜呑みにして、彼の気持ちに謝るのだ。
「アツシ、」
呼べば逸る心音がもどかしいが、会えばそれは治まるだろう。
ごめんね、今まで、配慮がなさ過ぎた。
そう謝れば、聞かせてくれるだろうか。彼と、彼の想い人とのいつかのエピソード。
もしそれが聞けたとしたら、きっとアツシと、今よりもっと分かりあえるはず。
「月曜日に電話なんて珍しいな、敦。」
秋田と京都。互いの環境が別々になってからこれまで、一週間に一度のペースで電話をしている。
定期試験だったり忙しかったりする場合はその限りではないが暗黙の了解となった週一のそれは、週末の夜に週交替で交互にかける、とこれまた暗黙のうちに決まっていた。
都合、彼の声を聞いてからまだ2日と経っていない。そんな中、着信があるのは極めて珍しい。
「うん〜赤ちんの声、聞きたくなって。」
「…何かあったのか?」
「…あのね、夢を見たんだよー。」
久しぶりに、敦くんが小っちゃくなっちゃう夢。
電話越しに、赤司が身をこわばらせるのがその息遣いで分かる。
「夢の中でねー、俺赤ちんにすげー怒られてんの。」
「敦、」
電話越しに、赤司の切迫した声が聞こえる。
それ以上言わないでくれ、まるでそう言っているような。
だが、紫原の言いたいことはそうではないのだ。
今は赤司の憂慮とは全く別のことを意図しているのだから、その制止はスルーせざるを得ない。
「やっぱり、バスケじゃ皆に歯が立たなくてさぁ、それがすっげー悔しいんだよね、」
聞こえる、切羽詰まった声で、「敦、」。
ううん大丈夫赤ちん、そうじゃないから。
「敦、お願い、止めて、」
「ちげーの。ちげーの、赤ちん。そうじゃないんだよー。」
だから、そんな泣きそうな声をしないで。
「俺が何で怒られてるかってゆーとね、試合に出ようとするからなんだよね。そんな小っちゃくなったのに。」
「敦、なあ、」
「だーかーら、最後まで聞いてってば。…で、赤ちんは言う訳。そんな小っちゃいのにコートに入ったら、周りの選手にたくさんぶつかられちゃうよ!って。敦は背が低いことに慣れてないんだから、危ないよ!って。もう本気でさ。」
俺、赤ちんにすっげー愛されてるんだな−って、思って。思ったら、嬉しくて。
「でも、やっぱ試合には出たいんだよ。…なんて―の、これ。たぶん。俺、」
バスケ好きみたい。
東北の電波塔から戸惑いがちに伝えた言葉に、西日本の赤司が息をのむ。
「だから、今はちょっと嬉しい。俺が。デカくて。ちょっと、良かったし。力もあっし。」
「敦…、」
「バスケが出来ること。」
京都の赤司の声はまだ戸惑いがちで。
だがそれでもいいと思った。あれほど嫌いだったバスケが好きだと思えるようになったのは、つい最近のことだから。
それに、今はもっと伝えなくちゃいけないことがある。
「でもねでもね、もっと嬉しー夢だったんだよー?赤ちん分かる?」
「?」
「あのね、小っちゃくなった俺をね、赤ちんがぎゅーってしてくれんの。いきなり小っちゃくなって、不安だよね、怖いよね、でも、へーきだよって。」
俺、いつでも敦が大好きだからねって(あ、今は僕だっけ?)。
大丈夫だよって。
「もー赤ちんてばデレ7割増しなんだもん!俺から見たら赤ちんおっきかったけど、すげー可愛かったよっ。」
「っっっ…///(バカかお前は///)」
「はいはい、赤ちん関係ではバカでーす。色ぼけしてまーす。」
鈴のように笑う紫原の、長閑な声が上気した体に真っ赤になった耳に心地よい。
電話越しにまだ何事か呟き不満げな赤司に、紫原はねえ、赤ちんお願い、と強請った。
「あの時の、もっかい言って?俺、聞きたい。」
「〜〜〜!!!こ、断るっ///」
「えー?いーじゃんー…んじゃあ、最後のとこだけ!」
「断る!///」
「えー、赤ちんのケチー!」
「こーとーわーる!///しつこいと切るぞ!」
「あっヤだヤだそれはヤだ。えーでもー、ねえねえお願い一回だけ−!最後のとこだけで良いの!」
「〜っ!」
電話越しにだろうが京都の音声をこちらですまーとふぉんなる文明の利器が復元しているからだろうが、聞こえる赤司の息遣い。
小さな呟きも戸惑った声音も、呼吸の音すら拾ってくれるようになった機器の進化に感謝している。
そのお陰で、赤司が今どういった表情なのかも手に取るように分かるのだ。
きっと真っ赤になって、目を閉じて眉根を寄せて。
あの時、泣きながら胸倉を掴んだ赤司の口から、啜り泣きと共に聞こえてきた言葉。
君の声はあまりにも小さくて消えてしまいそうで、しかも泣きながらだったから全部は聞き取れなかったけれど。
でも必死に”バスケが上手だから、お前と一緒にいるんじゃない、バスケが上手いからお前のことが好き、なんじゃない絶対違う、何で分かってくれないんだ、俺は、”と、察しの悪い俺にも分かるように、ちゃんと言葉で必死に必死に伝えようとしてくれていた。
それは、伝わった。
そして、最後にこう言ったんだ。
「俺は、こんなにもお前のことが好きなのに…っ!」
ね、赤ちん。聞かせてよ。
いつかのそれを。
恥ずかしがりの君の口から出た、多分人生で初めての告白。
そのお初をもらっちゃった俺の、好きって言ってもらった俺の、どれだけ嬉しかったことか!
告白されて泣いちゃうとか、俺まじで情けなかったけどさ、だって嬉しかったんだし。
「赤ちん、」
まあ良いか。
「っ///何だ、」
「大好き。」
今日は、俺からで。
夢みてはじめてみえること・夢をみないとみえないこときみがぼくを(ぼくがきみを)だいすきなのだと!
end.
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