NOVEL | ナノ

 春雷夜

元より朝から雨空だった一日、曇天の空から涙のように降り注ぐ雨が、部室の外でさああさああと止まることなく音を立てる。
音は聞こえないけれど、曇った空が時折ぼんやり光るのだ。





春雷夜

禍々しい光の下に、頼りなさげに揺れる影が一つ。





がちゃ…

生徒も教師もとうに帰ったこの時間。
突然部室の扉が開き、人影の肩と心臓が思わず跳ねる。
足音は雨の音にかき消され気付くことが出来なかったのだろう。

赤司は扉に背を向けて、中央の長椅子に座り込んでいた。両足は降ろさず長椅子の上に乗せて抱え、頭はその膝頭に押し付ける。
何度か体が痛くなって体勢を変えたり長椅子から腰を上げるのだけれど、その体は家へは向かわず、部室で数分立ち歩くばかり。
痛みが引けば再び、長椅子に腰を落ち着ける。

いつの頃からか、夜な夜な精神的な切迫感に襲われている。
慢性的な不眠に倒れる寸前の体と、既に陥落しつつあるボロボロの精神。
体をしゃんとさせようと叱咤すればするほど、精神が代わりに混沌に落ちていく。
混乱した内心は、何事かと家の者に不審に思われる、早く家に帰ろうという選択肢をすっぽり欠落させたまま、赤司の体ごと部室に縛り付け離さない。

(そこにお前の居場所はないだろう?)

ならばここが俺の居場所か?と問えば返答を寄越さない不公平な押し問答。

膝頭に押し付けた顔と、押し付けられた先のジャージが湿っぽい。
それは春の雨による湿気のせいだとか吐息に含まれる水蒸気のせいだとか、…つい緩んだ涙腺のせいだとか。
とにかくそんなことすら考えられずにもう数時間この状態で佇んでいる。
どうしよう、傍から見て今の自分はどう映るのだろう。
この状態で振り返っても良いものだろうかと思案するうち、聞こえてきたその声に安堵。

「赤ちん」

「…」

紫原…、とは声に出さず、顔も上げずに黙っていると、パタパタと近寄ってくる幼子が。
赤司の座る長椅子に腰を下ろすと、振動が伝わるより早くその背が赤司にぴたり寄り添う。
座高が違うことを考慮して、背中を丸め猫の子のように縮こまる赤司の背中に、上体を反らし凭れこむようにぴたりと体をつける紫原。
赤司の肩と紫原の肩がちょうどくっついて、頭が同じ高さになる。

どーしたの、とは聞かれていない。

ただ、その背を肩をくっつけただけ。

「何だかね、紫原…」

「うん、」

「気を張るのに疲れてしまった。」

何が、何に、とは聞かれていない。

ただそれだけでも、触れた肩から移動する体温が温かい。





「うんうん、だよね−俺もねー、気ー張られるのに疲れちゃったよー。」

揶揄して返せば、赤司の口から「そうか、」と一言。

「だからそんな赤ちんの気をゆるめよーと思って、」

あつしくんははーぶてぃーをいれてきたぞう。

ラベンダーとカモミールのブレンド仕様です。

背中合わせの赤司には見えないが、その手には確かに水筒が握られている。
ラベンダーとカモミール、どちらもリラックスや鎮静の効果をもたらすことは知っている。
だがそれらがブレンドされたハーブティーはあまり聞いたことがないので(ということは、香りや味に難があるのではないだろうか?それか、効果が逆に薄まるとか)、恐らく自家製なのだろう。
紫原の母がいつかハーブに傾倒したことがあるというのは聞いた。その名残だろうか。

「効くのか、それ。」

「んー…さーぁ。…ハーブティーなんて多分、プラセボでしょ。」

じゃあ何でそんなものを持って来た、と笑おうとしてはたと気付く。そもそもどうして、

(そんな赤ちんの気をゆるめよーと)

思った?そんなデタラメなブレンドを作ってきた?

「最近の赤ちんは辛そうで、」

紫原は言う。
それは赤司に語りかけているようで、それでいて独り言のようでもある。
彼の口から語られるのが赤司にどれほど都合が悪くとも、独り言なら何ともないだろう。
幼子よろしい拙い配慮が、じんわりじんわり赤司に染み入った。





紫原とて、何も気まぐれにここに戻ってきたわけではない。
征十郎君がまだ帰ってこないのですが、何か心当たりはございませんか?お宅にお邪魔してはおりませんでしょうか?と電話を受けたのは21時を少し回った頃。
(とは言っても、この程度の時間なら彼の準家出行為は珍しくはない。
紫原にとってあるいは電話をまず受ける彼の母にとって、不思議なのはその電話の主がいつも赤司の親でもきょうだいでもなく、彼の家の使用人あるいは彼の父親の秘書だということだ。
彼らにとってもこの時間かけている電話は形式的なもののようで、結果として赤司がどこにいるか把握さえできれば感知しないというような事務的な冷たさがにじみ出る電話口なのである。
…と、母はいつか言った。)
紫原に具体的な心当たりはなかったものの(無駄だと思いつつ連絡を試みるも、やはり赤司のスマホは首尾良く電源が切られていた)赤司がまだ部室にいると感じたのは、その日彼が皆と共に帰ろうとしなかったからで、あるいは仕上げなければならない仕事があると言いながらそれを手伝うと言う緑間の申し出を断ったからだ。

そして、この雨降る曇り空の中。
音もしないのに閃光も見えないのに、時折空全体が明るく染まる、そんな禍々しい曇り空の中。
そんな雷夜に赤司を探しに来たのは、最近の彼がとても不安定で脆い状態が続いていたからだ。
明らかにパフォーマンスの低下した体、時折ぼーっとする猫目。
それでいて振る舞いはいつものように完璧にしているのだから、周りは気付かないのだ。
一見すると見落としてしまいそうなその変化に、気付けた今日の自分の幸運に感謝している。
その幸運に敬意を示して、明日はおは朝の占いを聞こう。
同級生がこなしているそれは実はとても無理難題に思えるのだが、可能な限りでてんびん座のラッキーアイテムを持とうと思う。





昼休み、たまたま通りかかった部室の中で、赤司が粗い粉末を水で喉奥に流し込むのを見た。
(扉も窓も抜かりなく占められていたが、紫原の視点は高い位置の天窓に容易に達する。)
その粉末は錠剤を無理やり砕いたような外観をしていて、そんな風に、そんな量を飲むのは異常と思えるくらいのそれだったことに思わずぎょっとした。
その薬が元々入っていたらしい傍らの箱には、CMなどでよく見る睡眠導入剤の商品名。
…頭も良くてバスケも上手くて、チートよろしく色々と常人を超えていく彼だけれど、そこまで常人外であるなんてことはない。
いくら身長が高くても中学生である自分たち、極端なことを言えば既に2 m(ここまで来るとm単位でくくられがちなことに自分は少しもやもやしている)を超えた紫原自身でさえ大人の薬は飲んではいけない。
成分にも因るだろうが、内臓やその他の発展途上の体ではまだ、子供用に配慮された薬を服用すべきなのだ。
ましてや増量し錠剤を砕いて服用するのは明らかに異常だ。
それが睡眠導入剤だというのなら、死ぬことはないだろうが理由は気を失いたいから以外に考えられない。
止めなくちゃ、と思った時には彼は既にそれを嚥下していて、それ以前に垣間見える赤司の切迫した表情に、どうにも部室には踏み入れなかった。

5限は無理だったが、6限体育だった彼を窓越しに眺めた。
同級生と混じってハンドボールに興じる彼は、眠そうにはとても見えなかった。
今一つハンドボールを把握していない紫原には試合運びがよく分からなかったが、同級生とハイタッチをする赤司の姿に彼がやはり勝利したのだと悟る。

「…」

そんな時でも、赤司は赤司であり続けるのだ。
本当は、きっと、眠くて寝たくてしょうがないのだろう。
人間ぎりぎりの状態では市販薬は効かないものだ。人の体は、実は意外なほど頑丈に出来ているのである。
眠すぎて仕方ないときにカフェインを摂取したところで眠ってしまうときは眠ってしまうし、仮に精神が高ぶっているときに睡眠導入剤を服用してもそれは気休め程度の効果しか与えてくれない。
ならばそれほど追い詰められた赤司のことを心配に思うのは紫原でなくても当然と言うもの。
彼の家から電話がかかってきたときに、ああ何故一人残ると言った赤司を置いてきたのかと自分を叱咤した。
もしかしたら一人になって眠りたいのかもしれない、そんなことを頭のどこかで考えていて、ああ、そうの2言で流してしまった自分が嫌で仕方ない。

ごそごそと適当にハーブをブレンドして煮出し始めた彼に何も言わず、挙げ句この雷夜に学校に戻ると言い始める息子に、止めるどころかその背中を押すほどに彼の両親は理解が良い。
何でも相談できるし開け広げに殴り合いのケンカもするし(一週間連日というときもある)、とにかく何かと全力で向かい合うことのできる両親だからこそ、紫原はここまで生きてこれたのだと思う。
賞賛されることより批判されることの多い身長をこれまで抱えてきながら、卑屈にならずにいられたのは偏に全身全霊の愛情を与えてくれたこの両親と、そして友人たちのおかげだ。
その友人のこととなると後先考えなくなることに彼の親は喜ばしいと思いこそすれ批判などしない。嫌な顔一つせず2つ返事で玄関まで見送りに来てくれる母にハグ。
今日はまだ帰宅していない父親に後で”こんな雷の日に母さんを一人置いていくなんて。”と一度は怒られるかもしれないが、それには後で説明しよう。
とにかく今は、崩れてしまいそうな赤司を見つける方が最優先だ。





「リラックスした方がいーよ。」

昼間のことには露も触れず。

「…って、思って作ってきたんだけど、さ」

「…」

「やっぱ予定変更ー。赤ちん、あつしくんのおうちにおいでー?」

「え…、」

面食らった表情を浮かべているであろう赤司の体が、一瞬びくりと揺れる。
ずっと彼に凭れていた上体を起こし覗き込むと、そこにはやはり猫目を大きくした赤司の顔。
予想通り過ぎて予想以上に愛らしくて、思わず笑顔になる。

赤ちんお家遠いもんね、この時間だと帰宅ラッシュ巻き込まれるじゃん。
そんな状態じゃ満員電車なんかとっても乗せらんないしー。
うちなら歩いて帰れるし。ね?

「…せーじゅーろーくん、おへんじは−?」

「…子ども扱いするな。」

まだまだ普段の彼には及ばないけれど、言に籠った特有の威圧感に少しほっとする。

「2か月くらいは年上だよー?」

「分かった分かったおにーさま、」

「んーなーにー?」

「…邪魔、する…」

邪魔じゃなければ。

「…」

「…」

何だそれ。
自分の発言に先につっこんだのは赤司で、先に笑ったのは紫原だった。
ただの選んだ言葉の矛盾なのだけれど、今はそれがおかしくて仕方ない。
笑い過ぎて赤司の目尻に滲んだ涙を紫原は指で拭いながら覗きこむ。

この端整な表情の下にアルビノの目の奥に、色素の薄い髪に守られたこの頭の中に、一体どれほどのものを抱えているというのだろう。
恐らく人に頼るということが元々出来ない無理体質。99%万能であるくせに、1%だけ不器用な彼のこと。
きっと彼の背負うものは自分には代わってあげることは出来ないのだろうけれど。

「うん、おいでー。」

代わってあげられないのなら、代わりに、こうして、傍にいよう。
そうしたらきっと、

(眠いよ、)
眠れないよ、
(辛いよ、)
別に大丈夫だよ、
(助けて、)
何て、俺はそんなに弱くないよ。

そうしたらきっと、色んな君に、気付くことだって出来ると思うから。





帰り道、紫原に手を引かれながらうつらうつらしていた赤司は、日付が変わるのを待たずに眠りに落ちた。
後で聞いたところによると、まともに寝たのは何と5日ぶりだとか。
時間差で睡眠導入剤が効いてきたのかそもそも体が限界だったのか、繋いだ彼の手が温かかったからなのか、理由は分からず仕舞いだが。

その寝顔を見ながら、明日はどうやって起こそうか。紫原はそんなことばかりを考えていた。

(おうじさまみたいに?)

…いや。いっそ起きるまで待とう。きっとそれが良い。

今の自分に出来ること。紫原のすべきこと。

それは、少なくとも6時前に彼が起きてきた場合、その身をベッドに押し戻すことである。





春雷夜

禍々しい光の下に、頼りなさげに揺れる影が一つ。
そうしていつしか、影は二つ。





end.

SSにと考えていた…。
書き始めるとどうしてこうなる…!


prev / next


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -