NOVEL | ナノ

 暴力はいけない

いつの頃からだったか。

気付けばいつもこの目に湛えている(らしい)、このどうしようもないどろどろした感情に、君はこう言うようになった。

「紫原、暴力はいけないよ。」

そう言う度、全く意にも介していない風を装って。
というか君のことだから、そんな些細なこと、眼中にも入れていないんだろう。
(そんな君が、俺に忠告をしてくれる。
何も出来ない俺だけど、眼中にすらないあいつらとは違って、ちゃんと赤ちんの見える範囲にいて嬉しい。
ただ単に俺が大きいからかもしれないけれど。それならそれで、持って生まれて育ってきた、自分の資質として享受しよう。バスケするときなんかより、その方がずっと役に立つ。)
そして、時々気にしてないよと付け足すこともある。



暴力はいけないよという、やさしいきみの
(その優しさに、少しだけ期待しても良いですか?)



「紫原、暴力はいけないよ。」

第一そんなことになったら、俺が一番悲しいよ。
ようやくレギュラーになれたところだろ。
もしお前が何かしたら、きっと試合にも出れなくなるよ。
下手したら、部活丸ごとで責任を負うことになるだろうし、公式戦に出れなくなるかもしれない。
そうなったら、一番悲しいのは俺だからな。

掃除用具入れの扉を閉め、紫原に向き直りながら赤司はそう言った。
普段からそれほど感情豊かに振る舞う方ではないけれど、にこっと笑うこともそんなにない。
その彼が今、紫原の前で微笑んでいる。

自分にだけ向けられたその笑顔は、偽りではないが作り笑いだ。
多分その温和な笑顔で、紫原の抱く懸念、怒り、不安、何よりの、心配…そう言ったものを全部、なかったことにしようとしている。
普段ならそれに流されたところだ。
赤司が問題ごと、悩み事を全て彼自身で抱え込んでしまうのは彼の性格というかもはや才能で、何とかしようと思うのは無駄なことだと分かっている。
もし彼にかかる負担をどうにかして軽くしようと思うなら、それなりの仕込みと状況を作りだし彼のことを半ば騙すくらいでないと上手くいかない。
ましてや、こんな風に話し合うことになど何の意味もない。
例え練習後の部室に2人きりで、真剣に向かい合い説得を試みたりしても。
それは、今までの付き合いで紫原には痛いほどよく分かっていた。
…実際、痛い思いをしているのは赤司の方なのだけれど。

いつの頃からだっただろう。
ウェアから制服から、覗く白い彼の肌に、鬱血の痕が見られるようになったのは。
それは初めうっすらと、だがだんだんと濃く、はっきりと。
赤司の肌に残されるそれは日を追うにつれその濃さと数を増し、広範囲の皮下出血と診断名が付きそうなほど目立つようになった。これがもし小学生以下なら、即刻児童相談所に通告されていそうなそれ。
だが赤司はいつでも器用に着替えるので、未だ誰にも気付かれてはいない。
自分が気付いたのも、ほんの偶然だった。忘れ物を取りに戻った夜遅くの部室、たまたま彼が無防備に着替えていた(…のではない。擦過傷となった部分に軟膏を塗っていた。痛みに眉を寄せながら、慎重に)。

(あかちん、…?…どしたの、)

こんな遅くに。
まだ練習してたの。

(…どしたの?)

中々答えない無言の同級生に心ばかりが逸り、優しい口調をと思ったのについ語気を強め。
ヒヤリ部室に広がった空気に、赤司は観念したように力なく笑った。

(この場所がお気に入りらしいな。最近ここばかり繰り返し踏まれるから、)

痣では済まなくなった。

紫原はそのとき、がくんと膝をついてしまった。
視線の少し上で、赤司が不思議そうに目をぱちぱちさせている。
元々カッとなりやすい性格の紫原だが、そのときばかりはどうやら赤司の低血圧がうつったらしい。
再び頭に血が上るようになったのは、次の日、部室でやはり器用に着替える赤司の姿を目にしてからだ。

いつの頃からだっただろう。…これは割と部が始動してすぐのことだ。
赤司が周囲の上級生、特に二年生から嫌がらせを受けるようになった。
シャーペンに始まり、筆箱、ノート、教科書、上履き、ネクタイ、生徒手帳…そういったものがちらほら消えていく。
2日後くらいに、少しだけ壊れ少しだけ汚れて返ってくる。
戻ってくるから、まだ使えるから、余計に性質が悪い。
それに気づいた緑間と紫原は、担任にあるいは顧問に(残念ながら彼はあまりあてにならないだろう。そういうヒール要素を抱えてこそ、この部を支える人材だとか何だとか言い出しかねない)訴えるよう繰り返し説得してきた。
だが、赤司は首を横に振った。

(別に、苦労しているわけじゃない。次の日の授業のものがなくなると、皆に借りに行かなくちゃいけないからな。それは少し困るけど、)

特に何か、あるわけじゃないから。

赤司は同級生の中でも裕福な家庭に育っているらしい。
教科書やノート以外ものは無くなったら無くなったで、新しいものを買えば済むのだ。
そうこうしている間に、上履きや校章やブレザーといったものは2セット揃うようになっていた。
苦労しているわけじゃない、というのはそのことを言っているのだろう。
緑間はそれにただため息を吐くばかりだったが、紫原は違い、日々その怒りを抑えることが困難になっていった。
…それは何も、緑間が鈍いからと批判しているのではない。彼にはそれと分からない部類の嫌がらせが、徐々に赤司を襲おうとしていたのだ。

返ってきた教科書に、付箋が貼ってある。開くと、おなじみの避妊具が挟んである。

返ってきた上履きの中に、ローションがなみなみと注がれている。

返ってきた生徒手帳の中に、写真が挟んである。いかがわしいポルノに、赤司の顔を合成した。

古典的な嫌がらせだ。ネット上に晒されないだけマシだと彼は言った。
だがとうとうこの間、その怒りは紫原の我慢の限界を超えた。
特定は出来ない。複数かもしれないし、一人なのかもしれない。
だがその馬鹿は、とうとうやりやがった。

返ってきたノートの表紙に、濡れ染みが出来ている(異臭がする)。
書き込んでいた最後のページを開くと、教科書のときと同じメーカーのソレが挟んである。
今度は2つ。使用前と、使用―――

(っ、ぁっ、むらさ)

そのページを開いて一瞬静止した赤司の手から、乱暴にノートを奪い一人部室を後にする。
後ろから追う赤司の声が聞こえるが、止まる気はなかった。
一言たりとも、耳を貸す気はなかった。
ただ一心不乱に夕暮れの世界を歩く。あたりはだんだん闇に染まっていく。
後から考えると、このときの紫原は、自分で自分が情けなくて仕方がなかったのだ。
彼の苦労を分かっていたのに、一番近くでその辛さを見てきたのに、結局、何一つ守れていない。
彼の持ち物、彼のプライド、彼の気丈さ(もう、大丈夫など言わせはしない。なら何故、あの一瞬ノートを手に静止した?)。
残っているのは彼だけだ。
赤司征十郎、彼そのものだけは、何としても守らなければならない。

本当は、そのまま職員室にでも向かいたかった。
いや、警察にでも乗り込みたかった。
誰でもいい、何でもいい、とにかくこの状況を知ってもらって、おおごとにして、赤司を根本から救うのだ。そのせいで、自分は赤司にどれほど嫌われようとも。
だが、それは出来なかった。
嫌われたくない、という気持ちが消えなかったのも事実だが、それ以上に、ノートを手に静止した赤司のあの表情。
今にも泣き出しそうで、崩れそうなあの顔を、誰にも晒すわけにはいかない、と子供ながらに思ったのだ。

職員室と警察の代わりに、途中寄ったコンビニで買ったマッチと食用油を手に、たどり着いた夕暮れの河川敷。
休日には、バーベキューをする家族連れでにぎわうそこ。

(むらさき、ばら、)

そこでようやく彼が追い付いた。
自分は決して走っていたわけではないが、歩幅が違うため、赤司はずっと走ってきたようだ。
息が上がって少し可哀想だったが、今はそんなことに構っていられない。

油、マッチ、穢されたノート。
この3つで何をするのか、赤司でなくても想像はついただろう。
だが、彼は止めようとはしなかった。
夕焼けのオレンジと同じ色で燃え上がったその炎が消えるまで、上がる煤が消えるまで。
ただ紫原の袖の裾をぎゅっと掴み、黙って俯いているしかできなかった。
そのきれいなアルビノの目には、何も映ってはいなかった。

誰にも見つからなかったのは、文字通り奇跡といえる。
すっかり日が暮れた、煤煙の立ち上るあの河川敷で、1ページ残らず灰になった元ノートの横で、
ああ、まだ、その人だけは無事だった赤司征十郎、その小さな体をぎゅっと覆った。

(ごめんね、誰かの、コピーさせてもらお。)

英語、先生、一緒だし、みどちんがいーんじゃ、ない?

体が大きければ、あらゆる器官も頑丈に出来るもの。
紫原は今まで、震える声を抑えるのがこんなに大変だとは思わなかった。

(うん。)

始めは潰してしまわないかと恐る恐る触れていたが、その小さな返事を聞いて赤司を抱きしめる腕に力を込めた。
意外なことにそれと同じくらいの力でぎゅっと抱き着いてきた赤司は、恐怖にか安堵にか、小さく小さく体を震わせていて、
自分は、その存在を。あまりにも小さくあまりにも強いその光を、絶対に守り抜くと心に決めた。




「紫原、暴力はいけないよ。」

それから数日、事あるごとに赤司はこう言う。
言うくせに、彼の体の痣はだがやはり日増しに増えていく。
練習試合でのボディへの接触もかなり目につくようになってきた。
そして、紫原のその殺気に支配された視線に気付いたのは、何も赤司や、緑間、青峰といった同級生だけではなかったようだ。
それからというもの、事あるごとに紫原は赤司から離された。
同じだった部室掃除の当番は分けられ(だから今日は緑間に当番を代わってもらい、赤司と2人になるタイミングを作った)、練習前には急を要しない用を言い渡され、練習の際は何かと先輩に声をかけられた。
同級生の失態を見て見ぬふりをしている者たちが、それでも何とか穏便に収めようと紫原の怒りを鎮めようとしているのかもしれない。
もちろん、彼らが当事者で、びくついているのかもしれない。赤司の口から自分の名前は漏れたのかと。
赤司はろくでなしどもの名前を決して口にはしなかったが。
どのみち、どうでもいいことだ。
誰がどんな悪事に手を染めているのか知ることなど、容易い。
そんなこと、赤司の口を無理に開かせるまでもない、誰かを捻り上げれば一瞬で事は済むのだ。

「聞いてるのか?最近、お前、」

「ねえ、赤ちん、」

最近、お前、(先輩たちを睨む目が過ぎるぞ)?(毎日殺気立ってばかりだ)?

だから、もう、そんなこと、どうでもいいんだって。

ねえ赤ちん、これから言うことが俺にとって一番重要。

それ以外のことは、ただの補足事項にしか過ぎない。

だって俺、もう限界なんだし。

「赤ちんはさ、人のこと許せる人?」

「…?それは、どういう、こと?」

「…だから、ああ、嫌なことされたなって。こいつ、嫌いって、思ったらさ。
一生、許さない人?それとも、もしかしたらそのうち、許すこともあるかもしんない人?」

訪れた沈黙を、肯定と受け取るほど間抜けには出来ていない。
だが、否定されていないのも事実。
なら、それに賭けようと思うのだ。その可能性に。

未だ怪訝そうにこちらを見上げる赤司の頭に手を乗せる。
まだあどけない顔に見上げられ、少し決心は揺らぐけれど。
ごめんね赤ちん、出来ることなら、

「っっっ!、…!!??…///」

それから、はじめて、した、ふれるだけのきす。

赤司はきっと、自分を嫌いになってしまうことだろう。
きっと、これからは彼の望まない展開。
彼がどうにか目を瞑った現実に、真っ向からに立ち向かおうとしている。勇者気取りでは全くない、むしろ物語を展開させていくために、捨てられる駒になろうと思う。

だから、もう二度と彼は自分を許してくれないかもしれない。
だが、さっき否定しなかったこと。
それだけを望みに、(いつか俺を許してくれますか?)、生きていこうと思う。
少なくともあと2年間と半年くらい。。
嫌われ続けたままは辛いかもしれないけど。
それでも君が傷つくよりはよっぽどましなの。

「っぁ、え?、」

きすして、でも、すぐに、はなれた。

離れてから、振り返らずに、部室を後にした。
訳の分かっていない赤ちんを一人置いて。
しばらくさよなら赤ちん。
出来ることならまた、お話しよーね。ぎゅってさせてね。いっしょに帰ろーね。疲れんのヤだけど、バスケもしよーね。
きすはいい。べつに。これはおぷしょん。わすれてください。



赤司がどんなに望んだところで、どうにもならない現実もある。
自分さえ耐え忍んでいればいい、何とかなるはずと彼が思っていても。
現実というやつはどうにも機械仕掛けで、精神論が通じない。
彼のその血を吐くような決意でさえ、あっさり切り捨て涼しく笑う。
だから、ここで、あの光を守れるのは自分だけだ。
精神論で通じないのだから、実力に訴え出るしかない。

赤司には、多分分からないと思う。
あの手のタイプは、力で思い知らせることが出来るのなら、言葉でも同じ効果を与えられると思っている。必ずしもそう上手くはいかないということを、まだ知らない。
それを知るのを待っている時間はないのだ。
日に日にエスカレートする嫌がらせから、彼を解放してあげられる方法は、もう一つしかない。

紫原は、赤司の姿を思い、少しだけ浮かべていた微笑みを、全感情を表情から消した。
目が殺気立っている?そんなこと、今に始まったことではない。
同じ小学校出身の緑間以外は詳細まで知らないだろうが、”こういうこと”は大得意だ。
元々痛いことは苦手でケンカも嫌いだが、それでもただその体格だけで絡まれることの多かった子供時代を過ごしてきた。切り抜けてきた。
相手を捻じ伏せる術は身につけている。
どう動けば相手を効果的に傷つけられるか。
どう殴りつければどこを踏みつければ、痛みに悶えさせ叫び声すらあげさせずに済むか。
どう脅せば、どう声を荒らげ恫喝すれば欲しい情報が手に入るか。
そして、どうすれば、相手を精神的に再起不能に出来るのか。
細部に至るまで一つ一つ紫原は心得ている。
ありがとうこの身長、体格、性格。
何度も悩まされノイローゼになったあの成長痛も、赤司を守ることが出来るのなら、無駄ではなかった。

校門をくぐる数名の2年生が見える。
さあ、手始めにあそこから。





その日を境に、赤司への嫌がらせはパタリと止んだ。
何となく事情を感じ取った緑間だけは校内ですれ違う度何か言いたげな目で紫原を見ていたが、結局何も言わなかった。
しばらく2年生数名が練習に来なかったと言うが(その者たちも、紫原が部に戻る頃には自主的に退部していた)、赤司から謹慎をくらっていた紫原はそのことを知らない。

(赤ちんが、平和なら…いーけど…)

やはりあれから口をきいてくれなくなった赤司。
それが少し…いや、大いに寂しくて、謹慎が明けた放課後も、部活に行く気が起きないでいる。
屋上に寝転がると、日の光で温められたコンクリート。
強い風の中に、感じる初夏の陽気。
このまま部もやめてしまおうか。そうして、いつも屋上に寝転んでいようか。
微睡みながらそんなことを思っていると、不意に頬にぽつり、と水滴が落ちた。

(…?)

そういえば、少し日の光も陰ってしまったようだ。
瞼越しに感じていた強い光が、雲にでも覆われてしまったのだろうか。
雨の予報ではなかったはずだが…と思い目を開けた紫原の視界に、映る赤。
自分を真上から見下ろす、普段より少し寄せられた眉根。ぎゅっと結ばれた口。
そのアルビノの目から、また一つ、ぽつりと水滴が落ちた。

「ぁ、か、ちん…な、な…」

(、んで、泣いてんの???)

「な…」

俺、赤ちんを泣かせないように、頑張ったんだけど…。

「、んでじゃない!!!今日から、午後練っ、来、」

ないから、!待っても、来ない、から。
探しに来た、んだ、このバカ!
もう、もう、

「赤ちん、」

「、もう、来ない、のかって、」

俺のこと、置いて…。

何で泣いてんの、とか。何で半ギレなの、とか。
そういうことはもうどうでも良かった。
赤ちん泣かせたくないのに…って思う、その大人な心もとりあえず今はどっか行った。

赤ちんが喋ってくれた。
こっち見てくれた。
泣いてっし、まだ前みたいに笑ってくれてないけど。
これは、期待した結果、で、良いんですか?



暴力はいけないよという、やさしいきみの
(その優しさに、少しだけ期待しても良いですか?)



「置いてくなんて、そんな」

こと、ねーし。
だって、赤ちんの傍、俺の定位置だもん。

って言ったら、自惚れるなって。
言って、赤ちんは泣きながら笑った。

end.

SSとして考えていた(えぇぇえ!!??)。
設定捏造になっても構わない。
ピュアな赤ちん大好き。
むっくんは、実は色々俗慣れしてて、強い気がする。


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