愛と恋の行方 [1/2]
あなたは恋の対象、カレは愛の対象。
そうして今日もまた、私はあなたを遠ざけた。
愛と恋の行方---------------
『ハァ、ハァ……!お待たせサソリっ…!』
約束の15分オーバー。
私が息も切れぎれにその場所に着いた頃、赤い髪の待ち人は涼しい顔でスマホの画面に向き合っている。
ピロン、ピロロン♪
その効果音と、指がせわしないことから、彼は今ゲームアプリに熱心であることが窺えた。
『本当にごめんなさい。ちょっと朝から、えーっと……カレに捕まっちゃってて……』
「別に構わねぇよ、今に始まったことじゃねぇし。」
あなたは依然としてゲームを本命のまま“ついで”のように会話を済ませる、と。
そのうちパタリとケースを閉じ……今日来て初めて、ようやく振り乱した私に目配せだけをした。
「じゃ行くぞ。」
『あ、ちょっと待って、さっき走って転んじゃったから、痛ッ……』
「……馬鹿かお前、どうせ遅れるんならもっと堂々と遅れろ。わざわざ走って無茶してまで厄介事増やしてんじゃねぇよ。」
そう言って呆れてる間にも、あなたは既にズンズンと元の位置まで歩み寄ってはしゃがみ込む。
ガシッ、
『えっ、ちょ…!』
すると途端に足首を掴んでは、ぐいっと。
スカートから覗く擦り切った膝小僧を、惜し気もないくらいにガン見される。
更に私は私でふらついたため、安定を求めて咄嗟に彼の肩に両手を預けていた。
ヒソヒソ…
(……!あっ……、)
道行く人が、その光景を興味ありげに眺めている。
時折女子高生の浮わついた喚声も聞こえる。
『やだ……サソリ、ねぇサソリ…!』
「うるせぇ。」
そんな周囲からの目に耐えられなくて下を向いても、あなたはそれを気にも留めていないかのように事を済ませ終えた。
「ほらよ、あくまで応急処置だ。帰ったら傷口よく洗え。」
『ご、ごめんなさいサソリ……また時間ロスしちゃって、』
「礼の一つも言えねぇのかその口は。」
『え、あっ……ありが、』
「別に言わせても気持ちよくねぇから、今は要らねぇ。言う必要ねぇ。わかったら返事。」
『……!ご、ごめんなさい……』
「……何回も謝ってんじゃねぇよ、そこは素直に“はい”とでも言っときゃいいんだよ。せっかく人が返事っつってレクチャーしてやってんのに、毎度毎度テメーは……あーもうどうでもいい。いいから行くぞ、腹へった。」
そう言ってあくびの一つを残した彼は、呑気な素振りで目の前の私から遠ざかっていく。
……ここで私が追いかけなければ、あなたは私を置いて行ってしまう。そんな足取り。
だから私は、いま自分が出来うる限りの速さで、その後をついて回ることしか出来なかった。
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ランチタイムの混み合う時間に入ったのは、当初行く予定のなかったファミリーレストラン。
『ほ、本当にごめんなさい。しょっぱなから待ち合わせの時間も破って、サソリの厄介事も増やして……お昼の場所も、先に予約してれば良かったのにね。行きつけのパスタ屋さん、もうお客さんいっぱいで入れなくて……』
「テメーは本当にグチグチ引きずるのが好きだな。そうやってさっきから妥協してやってるオレの気持ちを無下にして楽しいかよ。」
彼の時間厳守に対する気の短さは、自他共に認めるほどのもの。
なのに今の私は、彼からそれを批判されなくなってしまっていた。
「ま、オレとの待ち合わせ時間よりカレシとの時間を優先したくらいだしな。当然うまくいってんだろ、そっちは。」
『え、えぇ。まぁそれなりに……』
「へー。」
……既に苛立ちとさえ、思われなくなったのだ。
サソリという男はもう、私を時間で縛ることを諦めていたから。
『そうだ、お土産……これ、はい。』
「あぁ、そういや行ったんだったな。旅行。」
『えぇそう。お天気にも恵まれて、すっごく景色が良かったの。海に沿って映る町並みが本当に綺麗で……私あそこに住みたくなっちゃった。』
「“カレシと一緒に”か。」
カチリ……旅行先で買ったお饅頭を差し出す手前、私が固まる。
『え、あの、その……』
「なに動揺してんだよ。くれんじゃねぇの?それ。」
『ど、どうぞ……。』
「あーここの饅頭有名だよな、開けるぞ。」
『ちょ、ちょっとここお店の中、』
「まだ料理来ねぇし、店員だってせわしねぇから何も言わねぇだろ。誰かさんのおかげで昼のラッシュにモロ被りしてるしな。」
なんて、さりげなく痛いところを突いてくるもんだから、私は何も言えず押し黙る他ない。
そんな私に構わず、あなたは包装紙を破り箱を開け、中の一つをポイと放った。
―――その顔が満足げに緩むのを見届ければ、ホッ…と。
私の気持ちさえ、あなた一人に満たされていくのを感じる。
「あーうま。お前は食ってきたのかよ、饅頭。」
『え?あ、その……カレが隣に居たから、えーっと……』
「つまり自分用の土産っつう口実で、オレへの土産を買ってきた、と?」
『はい……。』
見事当てられてしまい白状した私が、次に何を言われるかと怯えるように構えていれば。
少し間が空いてから、クスッ…と。私はパッと顔を上げる。
「ははっ……お前ってほんと鈍くさい奴。」
『っ……!!』
あぁ、駄目よサソリ……未だにそんな目で私を見て。
出会ったときから、ずっとそう。
あなたはとても魅力的だから。
―「オイそこのアンタ、さっきっから撮られてるぞ。」―
―『え……ひゃっ…!?』―
―「ったく、警戒心ゆるゆる。あー見てらんねぇ、ついでだから送ってってやる。」―
―『えっ、あ……やめてください…!ひっ、一人で大丈夫ですから、』―
―「んなカッコじゃ襲われるのがオチだっつってんだよ、馬鹿かアンタ。」―
そう言われてタクシーに無理矢理押し込まれてしまえば、行き先を案じて縮こまる私。
そんな私を感じ取ったのか、隣のあなたはチラリとこちらを横目に見る。
―「……安心しろ。このままお持ち帰りなんつー野暮な真似はしねぇ。」―
―『……!』―
―「おんちゃんオレここで降り。勘定コイツの分も置いてくわ。つーわけで、後はテメーで帰れよ。じゃあな。」―
―『え、あっ……待って、行かないで…!』―
当時の私を助けておいてまるで尾を引かない。
このまま別れてしまえば、きっと私たちはまた他人同士に戻ってしまう。
私はね、それをすごく勿体ないと思えたの。
―『こ……今晩ご一緒しませんか…?』―
あなたと何かが始まる予感がして、私はあなたを繋ぎ止めたかった。でも………
―――あの後すぐ、私は別の“カレ”と恋人になったことを告げた。
―『付き合うことに決めました。以前の同窓会で知り合った、カレと……。』―
―「ふーん……まぁおめでとさん。」―
だって気づいてしまったんだもの。
一度抱かれた、あのときだけで……あの日の夜は所詮“恋”だったってこと。
あなたと私とじゃ“愛”にはなれないってことに。
「じゃホラ。一個はやるから食え。」
『え……?そ、それはサソリ用に買ったんだから、』
「いーから食え。中クリームのやつやるよ、特別な。」
そうしてフォークでずぶりと刺された焼き菓子のお饅頭を、何故か目元にズイッと差し出される。
『な、何で目元……?』
「んじゃどこに欲しいか言ってみろ。」
『へ、変な言い方しないで……、』
「いいから開けろ、詰め込んでやるから。」
『詰め込むって、そんなことしたらお化粧落ちちゃ……んぅ!』
それでもあなたは強引に、私の唇にそれを押し当てた。
それなりに大きさのあるお饅頭が、ズブズブと口の中へと浸入する。
私が自身の化粧崩れを覚悟して、それを全て包み込もうと唇を前に滑らせた、直後。
(……!んう……、)
あなたは押し込もうとするのをやめ、逆にスルリとフォークを後戻りさせてしまう。
そのまま自然と端のほうをかじり取れば、程よい大きさの程よい甘さが、口の中にじんわりと広がった。
「……ジョーダン。旨いだろ、それ。」
『っ……!』
あぁ駄目、また………
「はは、何てツラしてんだよ。ほら水飲め水、のど詰まるからそいつ。」
あなたはね、カレにはないものをたくさん持ってる。
それらは全て私の理想としていたもの、私が異性に求めていたもの。
―――むしろあなたは、私の抱く“理想の異性”そのものだった。
―「引き返すなら今のうちだぞ。」―
―『っ……!いいの、きて……!!』―
だけど今後あなたとの関係が進めば、私はあなたの持つ“嫌いな側面”を嫌というほど見ることになる。
そうなればきっと、私は“理想”から遠のいていくあなたを直視できなくなってしまうだろうから。
―『あっあ、やぁ…!』―
―「っ…いい顔するな、お前……」―
……だから私は、そんなあなたが恐くなって。
あの日の夜を境に、すぐ逃げるように別の“カレ”と付き合うようになってた。
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