32/1.
『ねぇねぇ、イタチはどう思う……?』
それは、まだ彼への好きを自覚していない幼少期。
アタシは数少ない持ち物の一つであるその絵本を、彼にパッと広げてみせた。
「何だname、まだこんな絵本に興味があるのか。」
『え、あ……そうだよね。イタチからしてみれば下らないよね……でっでもね!すっごく素敵なお話なんだよ!シンデレラも白雪姫も、お姫様はね。最初はすっごく苦労するんだけど、最後の最後には王子様が来て、ずっとずっと幸せに暮らすの。』
「ふうん。」
『それってすごいことじゃない?だって……アタシのパパとママは居なくなっちゃうし、ずっと一緒に居てくれるって言った伯父さんだってすぐ約束破っちゃうし……あっ、でっでも今は、イタチが側に居てくれてるからすっごく幸せだよ!?すっごく安心する……!』
「けどこの人たちは、ただずっと側に居るってだけじゃなさそうだけど。」
『?それって、どういう……』
アタシが彼の言うことに首を傾げていれば、イタチはそのページをパラパラとめくり。
とあるページをアタシの眼前に突きつける、それは……、
『き、キスシーン……?』
「そう。互いが一緒に居るために、キスをしてそれを証明しているんだ。」
『ふ、ふぅん……たっ確かにそうなのかも……』
アタシがその言葉に納得してみれば、イタチはアタシの前から絵本をパッと避け。
その代わりと言わんばかりに、今度はジッとアタシを見下ろしてきた。
『……?な、なに?』
「オレは違う。お前の両親でも、その無責任な伯父でも。」
『う、うん。そうだけど……』
「オレは決して破らない。オレはこの先もずっと、nameの側に居続ける。だから、」
するとイタチが、突然アタシの手首をギュッと強く握ってきた。
突然のことにアタシは、その手に持っていた絵本をパサリと落としてしまう。
それを拾おうと気を取られるアタシだが、それを再度力強い手が阻んだ。
『いっ痛い……!痛いよイタチ、』
「キスしてみるか。」
『!?ふぇ……』
「オレは決して裏切らない、その何よりの証明になる。」
『……!!いっ、いいよ、アタシ……!』
アタシは突然迫る彼を眼前に、顔をブンブンと振って断った。
慌てて彼から離れると、アタシは絵本をサッと拾う。
どき、どき、どき、
(び、ビックリしたなぁもう……!)
だがこの時はまだ、急な彼の発言にビックリなのが勝り。
その行為自体を恥ずかしいとか、異性に対してドキドキしたとは思わなかった。
『そ、それにねイタチ。多分それをするのは、相手を“好き”って気持ちがないと出来ないんだよ。』
「……nameは嫌いか、オレのこと。」
『ち、違うよ!そういうことじゃなくて……そ、そう!運命だよ!』
「運命……?」
『そう!この人じゃなきゃ駄目っていう運命の人が居るんだよ、アタシにも、イタチにも。だから未来のその人のために、キスはお互い取っておかなきゃ!』
アタシがそんなことを子供ながらに力説していれば、彼は何を思ったのか。
「……nameにはその時が分かるのか?未来の顔も知らない相手と出会ったときに、その誰かを運命だと。」
『え?あ、うーん……大きくなったら、きっと分かるよ。きっと。』
なぁんて、自分でもわからないことを漠然と彼に決定づけたりして。
ただこの頃は、それこそキスは魔法みたいなもので。
運命の人に出会えたときに初めてキスをする、そう思ってた。けど実際は違う。
それは運命の人でなくても、ましてや好きな相手でなくても構わない。
ー『怖いよ伯父さん、だから…………忘れさせて……?』ー
ーーー欲情があれば、キスはできる。
大人って、そういう汚い生き物だから。
『汚い大人に、なっちゃったなぁ……。』
「それは独り言ですか?それとも私に何かコメントして欲しいと?」
『……スミマセン、スルーしてください……。』
あれからまた、数日後。
気持ちの整理がついた、今日この頃。アタシは職場に復帰していた。
そして以前までのあの威圧的な送り迎えは、今日からこの信頼たる部下に任せられたようで。
「それにしても、すっかりご無沙汰でしたねぇ。てっきり私のことなどお忘れになったのではと思っていましたが。」
『はは……忘れませんって、あんなに毎日送ってもらってたのに。』
はにかむアタシはたわいのない会話で、そつなく鬼鮫さんを相手しようとするのだが、
「ですが最後にお会いしたのは確か、貴女がマダラさんに連れられて、会社にいらしたときでしたかねぇ。」
『…………。』
その触れたくない話題を、彼は無遠慮なくらいに持ちかけてくる。
アタシは咄嗟にどうとも返せず、ぎこちなく窓の方へと首を回した。
『み……見てました、よね…?』
「そりゃあ視界に入ったものは、くまなく拝見しています。当然貴女とあのお方との“親密な”そのご様子も。」
“親密な”。その言葉を意味ありげに説いてくる彼は、果たしてどれだけのことを知っているのか。
ー「感ずかれてしまったものは仕方あるまい。だが鬼鮫は、その関係をわざわざ問いただしてくるほど野暮なことはしない。そういうところが、俺の気に入りの部下でな……。」ー
いや……きっと全てお見通しなんだろう。
だからアタシは俯き、片袖の衣服を握り込んでその視線に耐えていた。
「いやしかし、まさかこうもあっさりイタチさんと貴女の密な関係が露見するとは思いませんでしたよ。そこはやはりマダラさんも流石といいますか、」
『……あの……。』
「ですが不思議なことに、その件に関しましては私もあなた方の偽装工作に一役買っていたというのに、マダラさん一向に私の悪事には気づかれていないようでしてねぇ。」
『あの、鬼鮫さん、』
「まぁあの一心不乱なご様子では、他の協力者の存在など追求する余裕もなかったのでしょうが……ククッ、いやぁ。まだまだ私も捨てたものではありませんねぇ、はははは。」
『やめてください!!』
遂には声を荒げて彼の言葉を制止したアタシ。
ようやく鬼鮫さんが口を閉じ、その視線が横目がちにアタシへと向けられる。
アタシは、膝の拳が怒りで震えるのを禁じ得なかった。
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