2.
イタチは、毎日アタシの会社に送り迎えをする。
「ねぇねぇnameさんって、あのうちはの人と付き合ってるの!?」
当然、社内でも彼の存在はバレバレだ。
『へ…?ち、ちがうよ違う!それはない!』
「え〜もったいないなぁ、じゃあ今度告白してみたら?」
『告白って……べ、別にアタシはイタチのこと、好きとかそんなんじゃないし……』
「え〜意外!あの人見た目によらず性悪とか?」
『いやいやそういう意味でもなくて、あー……』
まぁ一応は男と女。
歳も近く毎日会っていれば、そういう可能性も無いとは言い切れないのだろうが。
『ほら、彼って仕事で忙しいし、女の子に構ってる余裕ないと思うよ?』
「ふーん?いつも送り迎えしてもらってるのに?余裕ない人がそんなことする?」
『え、いやあの、だから……』
なかなか良い言い訳が見つからず、目を泳がせるアタシを早くも疑う同期の子。
だって人の良さそうな彼が、実はアタシの監視役でーす!だなんて身内のゴタゴタ、赤の他人に話せるわけもないし……。
「じゃあさ、今度合コンやる予定だからnameさんも来れば?」
『へ……ご、合コン……!?』
「そうそう!私からみんなに紹介するし、いい男呼ぶよ〜!」
『いやいや駄目!!無理無理アタシなんかそういうのホント無理!!お願い勘弁してホント無理!!』
「うっわ、すっごい全力否定。そんなに男子潔癖症だったっけ?はっ!まさかnameさん、レズとかソッチ系の人じゃ……」
『違うって!もうこの手の話はよそうよ、土下座するから……!』
「ふーん、どうしよっかな〜。ぃよしっ!じゃあお昼のカツカレーで手を打とうかな〜なぁんて、」
『わかった、確かカツカレーは480円……』
「嘘うそ!やめて嘘だから!私nameさんに奢らせたって上に知られたらクビにされちゃうから!!」
小銭を握りしめた手に飛びつかれ、あえなく財布に逆戻りする480円。
まぁこの子が焦るのも無理はない。
何を隠そうこの働き口すら、伯父さんの融資を受けている会社なのだから。
「ていうかnameさんのこと連れ回して変な男女問題とか引き起こしたらそれこそオオゴトじゃん!ってなわけで、今の話はナシねnameさん!」
『は、はぁ……。』
それが何を意味するかは、直感でわかる。
アタシが他人と仲良くなんて、この先一生できっこないんだろう。
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イタチの退勤時刻はアタシより遅い。
『んー、暇だなぁ……。』
どれくらい遅いかと言われれば、大半は夜の9時以降を回るという驚異的な過密労働だ。
普段は6時上がりのアタシを迎えに一時退勤し、それからまた会社に戻るという難儀な生活を彼はこなしている。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「いや。連れを一人待たせてある。」
『ん?あ……!』
そうしてようやく現れた彼が、店員の案内も受けずアタシの席まで直進してくる。
仕事上がりだというのに、ネクタイはちっともよれていなかった。
『イタチお疲れ〜、今日も大変だったね。』
「あぁ、お疲れ様……その様子だとまだ食べてないのか。」
『うん。ちゃんと待ってたよイタチのこと。』
「オレが遅いのはいつものことだから、先に胃に何か入れて待っててくれって、前にも言ったはずなんだが。」
『え〜、だって一人で食べたって美味しくないし……。』
「そうやって体調を崩されても、オレが困る。」
『っ……!へ、へーきへーき!!アタシ健康だけが取り柄ですから、はいこれメニュー表!!』
困る、だなんて反則だ。
アタシは言葉に詰まったのを誤魔化そうと、後半は早口でメニュー表を彼に渡す。
渡すというか、バンッとテーブルに叩きつける形になったため、それが思った以上の騒音で。
『ひっ…!あ、ごめん、うるさくして……』
「いや。あとそれともう一つ。」
『へ?な、何か……?』
「前々から思ってたんだが、食事するならもう少し上等な店でもいいんじゃないか?」
『あ、なぁんだそんなこと……って、えぇ!?イタチもファミレスを馬鹿にするの!?』
「いや、けして馬鹿にするとかじゃなく。ただお前はうちはの、仮にもあの人の娘みたいなものなんだから。本当はもっと品のある店のほうがいいだろうと思って。」
『あぁ、そういうこと……でもさイタチ。アタシは正直、自分にうちはの名前は重すぎると思うの。』
そうしてアタシは、訳もなく手元にあったナプキンをいじり、それに集中しているフリをする。
『うちはって言ったら、知らない人がいないくらい有名なエリート集団……なのにアタシはまったくの庶民の出。釣り合わなくて当然だよ。』
「…………。」
『まだアタシが小さいときなんか“やーい!うちはのはみ出しもの!”なんて言われて、いじめられたっけ。でも、イタチがそれから守ってくれたよね。』
その後注文を済ませ、オーダーを待つ。
夜中の人が限りなくまばらな時間、料理はすぐに来た。
イタチはサラダにスパゲティ、アタシは定番のオムライス。
『でもあの頃イタチが居てくれなかったら、それこそアタシはひとりぼっちだった。だからすごく感謝してるし、今でもすっごく頼りにしてるよ?なーんて言って……でも、こんな毎日くだらない送り迎えに使って、ぞんざいに扱ってちゃ、説得力ないよね。ホントごめん。』
「…………。」
でもね、イタチ……あなたが今じゃ、ただの監視役に成り下がろうとも。
アタシが抱くイタチへの感謝の気持ちだけは、昔から何一つ変わらないから。
さっきアタシがいじったナプキンは、小さな折り鶴になってチョコンとテーブルの隅にあった。
こういう遊び心も、アタシが庶民である何よりの証。
「……本当に変わらないな、お前は。」
『ん…?』
「オレがどんなに近くにいても、お前は俗世間の顔色を窺うように生きてきたから……他人に気を遣われたことを前提にして、話を進めることが往々にしてある。」
『え……ご、ごめん!そうだよね、アタシの言い方が悪かったよね!でも今のはそういったつもりじゃ、』
「お前は誰よりも、自分が世間に見離されていることを知っている。けどそのくせ、人の優しさには人一倍敏感だろう。」
『え、いや、まぁ、』
「そうやって感謝する心を忘れないnameが、オレは好きだ。」
そうやって諭すと同時に、フワリと目尻を緩ませて……その表情一つで分かるのは、イタチという人間の懐の深さ、温かさ。
なのにアタシは、みるみる気持ちが沈んでいくのを感じていた。
―「オレがどんなに近くにいても、お前は俗世間の顔色を窺うように生きてきたから……」―
そう……でも実際イタチの言う通り。
養女として世間から一目置かれてきたアタシには、一つ一つの褒め言葉がお世辞にしか思えない。
―『だからすごく感謝してるし、今でもすっごく頼りにしてるよ?』―
“頼りにしてる”“感謝してる”なんて聞こえの良いセリフ。
自分が相手に言うことはあっても、アタシには到底似合わない。
その言葉が慣れなくて、歯痒くて、逆に相手に言わせてしまうのが申し訳ないくらいだ。あと、
―――「そうやって感謝する心を忘れないnameが、オレは好きだ。」
……好きだ、なんて。そんなしょっちゅう使わないでほしい。
『い…イタチはさ!アタシ相手にそんな好きとか何とか言うの、何ていうか……も、もったいないよね!早く彼女さんとか作って、思う存分その人をオトしたらいいよねイタチは!は、ははは、』
「オトしていいのか?」
『へ……?』
カラ笑いをするアタシから、今度は間の抜けた声が出る。
だって目の前にある真剣な眼差しは、未来の彼女さんではなく。
助言をしたチャランポランなアタシに向けられていたのだから。
『……!イタ、チ………』
「name……オレは、」
『ごめん、先に言わせてイタチ。あのさ、今度二人で、居酒屋行かない?』
そんなアタシからの突然の誘いに、一瞬にして緊張を崩す彼。
……きっと疲れてるんだ。アタシなんかより、数倍ハードな仕事量こなしてるから。
『そんな難しい顔するの、仕事のときだけで充分だよ。』
「…………。」
『だから行こうよ、居酒屋!そこで仕事の愚痴とか、日頃の不満とか……アタシで良ければ、いくらでも話聞くからさ!』
ガタンッ、軽く身を乗り出したアタシに、イタチは少し戸惑った様子ではあったものの。
―――フッと緊張に張った表情が崩れ、ちょっとだけはにかむように眉を寄せる。
「……そうだな。nameが、それを望むなら。」
腹を割って話そうアタシはそう……うちはに縛られながらも、時折一緒に庶民の道に外れてくれる彼が好きだった。
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