21.
手を繋いだ。“ありがとう”も伝えた。
今日一日だけで、アタシは随分といろんな壁を克服してるように思う。
『ほ、ホントに似合ってるのコレ……?』
「あぁ問題ない。けどnameは嫌だったか?」
『う、ううん全然!ただ、アタシこういう服装は初めてで……どれがいいとか似合うとか、さっぱり分かんなくてさ……。』
さっき彼が選んでくれたのは、柔らかい生地のチュニックに、ショートパンツ。
それでも全身が動かしやすく、体も軽くなった気さえした。
(で、でもイタチがわざわざ選んでくれたくらいだから、この後また何かしらのイベントがあるんじゃ……、)
次はどうしよう、何したらもっと恋人らしくなれるんだろう。
と、とりあえずまた手でも繋いでみたら……って、あれれ?肝心のイタチが見当たらない。
『って、いたいた。イタチ、そんなとこで何して……』
「name、足は大丈夫か?」
『え?あ、えーっとぉ、痛みはもう退いたみたい。イタチがヒールのないブーツ、選んでくれたし……、』
「そうか、なら予定変更だな。」
『へ、変更……?』
唐突に告げると彼の体は、クルリとこちらに反転する。
そうして先程まで覗き込んでいた路地裏を、クイッと親指で指し示した。
「今から行きたいところが出来たんだ。歩きでいいか?」
『う、うん平気……って、ここから行くの!?』
「あぁ。多分知ってる道に繋がってる。」
そう言うが早いか、イタチは密林に挑むトレジャーハンターさながら、ずんずん先を行ってしまう。
アタシも慌てて後を追うが、これが間違いだったとすぐに気づいた。
『い、イタ〜チぃ……や、やっぱり引き返そうよ、危ないって。』
歩いて10分もしないうちに、そこにたどり着いた。
道もなければ足場もない、ビルディングの渓谷。
一応5メートルほど下にコンクリートの小さなスペースがあって、その先はまだ道が続いているようだった。
するとイタチは何を思ったのか、「よっ」と壁伝いにある点検用の梯子、タラップに飛び移った。
『わ、わわっイタチ、危ないって!』
「そこから下に飛ぶより、こっちのほうが下の地面に近づける。ほら、」
『いやいや、アタシはそんなの無理だって!引き返そうよ、』
「あぁ、道に迷う心配はいらない。わりと勘はいいほうだ。」
『か、勘て……!いや、でもそういう意味でもないから!アタシそんな身軽じゃないし、イタチにだって付いていけないの!!わかって!?』
「オレがその都度手を貸せば問題ない。ほら、掴まって。」
それでも彼が手を伸ばしてくるので、アタシはやむなくそれを握った。
そうしてグイッと引かれれば、片手で難なくタラップまで持ち上げられる。
『ひゃ、た、高い……!』
渓谷により作り出される、下から吹き抜ける強い風。
アタシは鉄のタラップをギュッと握り込んだ。
……と、それを確認するや否や、イタチがトンッと一人先の地面に着地してしまう。
『え、えぇええ無理イタチやだ、置いてかないで!!』
「ほら、飛んで。」
『いやいや無理無理無理無理!!高い無理、飛べないって!!』
「大丈夫だ、案外やればできる。」
『無茶ぶり言うなぁ!!』
だが既に、離れてしまった元の足場には戻れない。
『………〜〜!!あーもーイタチの馬鹿ぁ!!』
体が宙に浮く、風が吹き付ける。
アタシはもう骨折覚悟で、タラップから勢いよく飛び降りた。
―――だが、体はストンと落ち着いた。
「ほら出来た。」
『……あ、うん…』
まるでバレリーナを受け止める男優さながらに、イタチが腰を上手く支えてくれたから。
「今のが出来たんなら、次もいけるな。」
『え、あ……!まっまま待ってよイタチぃ!』
だがこのとき、アタシは気づいた。
自分の顔が、みるみるほころんでいることに。
―「冗談だ、name。」―
―『へ……』―
―「急に大声になったから、驚いた。」―
―『え、あ……ごめん…!!』―
イタチと恋人だと意識してしまえば、途端に全てがぎこちなくなってしまっていたのに。
彼に体を支えてもらえたあの一瞬は、肌の触れ合いを一切意識しなかった。
(なんか、アタシ……自然だ……。 )
彼に対するアタシの意識が、またここで変わろうとしている。
そうしてアタシは次なる難関へ向けて、さっきよりも軽快な足取りで彼の後を追っていた。
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そんなこんなで始まった、路地裏の探検。
障害を越える一つ一つがイタチとの共同作業で……アタシはそれだけで、この時間がひどく楽しかった。
『すごい……いいところだね、ここ。』
アタシが今立っている場所は、ほんの柵がある程度の石畳。
すぐ後ろには、さっきまでさ迷っていた狭い路地裏がある。
人二人がようやく立てるスペースから見る眼下には、いつもの街並みが覗けていた。
『すごいねイタチ!なんか小さな箱の中から、外の世界を覗いてるみたい!』
「あぁ。オレも見つけたときは、秘密基地みたいだなって思って。」
『うん、ほんと、秘密基地みたい……でもどうして突然、こんなところに?予定変更ってことは、他にも水族館とか遊園地とか、もっと行けるような場所はあったんでしょ?』
せいぜい彼と行くのは外食くらいで、今までそういうデートスポットに行った試しもない。
だから当然浮かんだ疑問だが、イタチはどうしてか視線を逸らして遠くを見ていた。
「はじめはな、オレもそう考えてた。けど……あんまり人の居る場所には、やっぱり正直居たくないんだ。」
と、ようやくこぼしたイタチの本音。
そこでアタシが思い出したのは、いつかに彼が話してくれた旅行の話。
―「無人島が、いい。」―
『…………。』
―「誰の目にも干渉されない場所で、二人きりになれる世界で、」―
そこでゆっくり、過ごしたい……と。
今ある彼の横顔も、あのときみたいに遠くを見据えていた。
『……そっか。なら良かった。』
「行きたかったか、遊園地。」
『ううん。アタシだって、イタチに無理して一緒にいてほしいわけじゃないもん。だからやっぱりイタチの判断は、正しかったんだよ。』
「…………。」
『イタチって頭がいいから、どうしてもあれこれ考えてから行動しちゃうんだろうけど……案外咄嗟の判断のほうが、イタチは正解に近いのかもしれないね。』
アタシがそんなことを告げれば、妙に黙りこくってしまったイタチ。
再びチラリと伺えば……まるで異国に思いを馳せているかのように、景色のはるか先を見ている。
良かった……どうやら気分を害したわけではなさそうだ。
『イタチ……それともう一つ。』
「ん……」
『いつかにほら、話してたよね?無人島に行きたいって話。あれも、そうなの?誰にも会わないで済むようにって……、』
するとイタチが、ゆっくりとこちらを向いた。
彼の白い肌には、夕日の燃えるような赤が綺麗に染み込んでいる。
アタシが押し黙ってしまえば、イタチがその腕をスゥッと伸ばしてきた。
―「nameの髪は綺麗だな。」―
とくん、とくん……
―『やめて、イタチっ!!!』―
彼のほうでも慎重なようで、触れる手前で一度その手を制止させる。
でもアタシから、何の拒絶もないことを悟ると……ほんの指先で、すくように触れた。
―――あの日、拒絶した彼の手を。
アタシはこの日、受け入れた。
「……今日の最後でも、いいか?」
『……!』
「お前にひとつ、断っておきたいことがある。だから、そのときに。」
お客さん、今日はどんな感じで?『……で…イタチ、何やってるの?』
「ずっといじりたかったんだ、nameの髪。ほら出来た、三つ編み。次は夜会巻きだな。」
『そ、そなの。ていうかイタチ、女子力どうこう已然に器用すぎる……!』
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