19.
今日は土曜日。会社も休み。
なのにアタシは早起きして、鏡の前で念入りに化粧していた。
(落ち着け落ち着け〜………っよし、いける…!)
ドンドンドンと自分の胸をノックすれば、気を落ち着かせて玄関を出る。
そうして下からインターホンを鳴らされるより先に、最上階から慌ただしく駆け降り………
―――ガンッ!!
『…………お、おはようイタチ……。』
「おはよう、name。」
しかしそこでは運悪く、車から降りてきたイタチとものの見事に鉢合わせ。
「大丈夫か?頭。」
『う、うんごめん。懲りずにまたやっちゃった、はは……、』
「まだ待ち合わせより15分も前だし、そんなに慌てることもなかっただろう?」
『……うん、でも………今日はイタチとデート、だから…。』
軽く出来たたんこぶを気にしていれば、イタチがパッとアタシを捉える。
そんな彼を直視できなくて、アタシはすぐさまフイッと視線を反らしていた。
―「出てみないか、name。」―
―『!?へ……な、どこに…?』―
―「明日でちょうど約束の二週間だろう?だから一度、今のままの関係で外の世界に出てみたい……嫌か?」―
アタシがイタチにすがって泣いたあの後……唐突に提案してきたのは、もちろんイタチだ。
『い…いっつも朝迎えに来てもらって、アタシばっかりイタチのこと待たせてるから!悪いなぁなんて思ってたわけで…その……、』
「…………。」
『い、やっぱ慣れないことはするもんじゃないよね!あーいや違う、そうじゃなくって、あの……つつつつまりぃ、今日くらいはちゃんと待っててあげれる女になってみたかったなぁ、ていうか?』
「…………。」
『でもさすがにイタチには、敵わなかったよね……あははは…は……。』
馬鹿やったせいで集まる熱を冷まそうと、アタシは両手で顔をパタパタ扇ぐ。
だがいつもは何かしら反応してくれるイタチが、この日は珍しく無言を貫き通していた。
『……い、イタチ…?』
「…………あぁ、すまない。何か言ったか?」
『え、いや、その……ご、ごめん!あた、アタシまた何か勘に触るようなこと、言った……?』
「いや、そんなことはない。」
『ほ、ほんとに?』
「あぁ、ただ随分張り切ってるなと思って。」
『へ……ん、まぁ…。』
「しかも張り切る理由がデートだから、か。nameはどんどん可愛くなっていくな。」
『え"!?』
アタシがピシリと固まってしまえば、そんなアタシにクスリと笑ったイタチ。
別に自分が何をしたわけでもないけど。
彼の言葉の意味と相まって、そうされたことが妙に恥ずかしい。
「……name。」
『ふ、ははははい!!』
「そろそろ時間だ。行けるか?」
アタシの熱が引いた頃を見計らえば、助手席側の扉を開けたイタチ。
その一連の動作はなんてことのない、いつもの風景。
……でも、普段は伯父さんの部屋でしか恋人をしなかったアタシたちが。
このときはじめて、外の世界へと旅立ったのだ。
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市街地に来れば車を停めて、二人で街の歩道を歩き出す。
「どうかしたか?」
『!?え…な、何か?』
「いや、またいつにも増してそわそわしていたようだから。また体調が優れないのに、無理をしているんじゃないかって。」
『!!いや!ち、違うの!!気にしないで!!』
「だがあまり無理をするようなら、今日はもう、」
『ッ!!それは駄目ぇええ!!』
その次の言葉を予期したアタシは、道行く彼を慌ててガシッと引き留める。
一方アタシがあまりにも必死に飛び付くので、しがみつかれたイタチはひどく驚いていた。
「いや……冗談だname。」
『へ……』
「急に大声になったから、驚いた。」
『え、あ……ごめん…!!』
バッと彼から離れれば、居ずまいを正して距離をとる。
あーもう……アタシってば、こんな時にまで何やってんだろう。
せっかくイタチが誘ってくれたデートなのに。
―「この部屋でオレと、恋人になってくれないか。」―
イタチは少なからず、期待している。
アタシに告白してきた、あの日のように。
―『恋人ごっこなんて、どうかしてるよ……』―
だからアタシが、今ここで。
もうイタチの期待を裏切るような、そんな馬鹿な真似を繰り返すわけにはいかなかった。
(うぅ〜…っ!あ〜もう、せめて何か一つくらいデートらしいこと、何かないか何かぁ……!)
イタチから貰った二度目のチャンス、もう棒になんて降りたくない。
そうしてキョロキョロ辺りを必死に窺っていれば……そこでふと、規則的に揺れ動くものに目が行った。
―――それは白くて細い、中性的なイタチの手。
アタシたちは付かず離れず、一定の距離を保ちつつも、お互いの手はブランと垂れ下がったままになっていた。
(……手、どうしよう………)
もちろん今この状況において、繋がないほうがおかしいのかもしれない。
アタシはようやく決心すると、ゴクリと生唾を飲み込んで。
手持ち無沙汰な手に力を込めれば、ゆっくりとそれに近づいた。
―『……これが恋人だったら、違ったのかな…。』―
どくん…どくん……っ
―『もっと気兼ねなく、イタチを呼び出せたのかな……。』―
触れそうになれば、空気をかすめ。
あと少しのところで、また遠ざかる。
そうやって伸ばしては引っ込め、また伸ばしては……
―――ギュッと一度目をつむってから、既に汗ばむ右の手首を自身の胸元に引き寄せた。
(や…やっぱり駄目か……。)
アタシからイタチに何かしてあげることは、やっぱり今でも難しい。
も、もうちょっとハードル下げよっかな、例えば服の袖を掴むとか……
「name、そっちは危ない。」
『え…ひゃあっ!?』
いつの間にか彼を追い抜いていたアタシが、横断歩道に差し掛かる。
アタシがその一歩を踏み出すより先に、イタチに後方から引き寄せられた。
「信号、赤だぞ。」
『え…あ……』
反射でぐりんと振り向けば、アタシに向けて真っ直ぐなイタチ。
―――ぐいっと引き戻されたことによって、自然と繋がれた二人の手と手。
「……nameは、覚えてるか?」
『!え……、』
「まだ幼少期……“オレが守れる範囲にいろ”って、お前に強要した日のこと。」
アタシがそればかりを見ていれば、イタチのほうでも何かを思い出したようで。
話こそ唐突だったものの、アタシは彼が言わんとしていることがすぐわかった。
―「name、そっちは危ない。」―
―『!え……、』―
―「……あまりうろちょろするな。オレが守れる範囲にいろ。」―
あのときもそう。アタシの不注意から、イタチにこの手を引かれたこと。
『……う、うん。覚えてるよ。』
「あれは、もういい。」
『え?』
アタシは咄嗟に彼を仰いだ。
でもイタチのほうは、横にいるはずのアタシを一向に捉えない。
『もう、いいって……それってどういう、こと……?』
信号が、青になった。
自分だけ歩き出してしまうイタチを、引き留めようと口を開いた。そのとき、
―――ぐいっ、
『うわっ……!』
思いがけず体がぐらつくも、何とか体勢を持ち直せば……アタシはそこで、ようやく気づいた。
彼は一人で歩き出した訳じゃないことを。
何せ今のアタシたちは、お互いの手と手が繋がっているのだから。
「これからは、いつでもオレが駆けつける。」
『!!』
「当時のオレには、nameを守ってやれるだけの力がなかったから……けどもう、大丈夫だ。」
このときアタシが更に気づけたのは……その細くて綺麗な指が、アタシの指に絡んでいること。いわば恋人繋ぎだ。
更に密着した互いの手に、アタシの汗がじんわりと滲む。
イタチの目尻が、柔らかな弧を描いた。
「な?」
『……!!う、うん…!』
そうして汗ばむアタシのほうからも、ぎこちない力でギュッ…とその手を握り返したりして。
言葉の意味より、重みより。
そうされたことで、何だか自分がイタチの恋人として認められたような。
―「明日でちょうど約束の二週間だろう?」―
ようやく彼の期待に応えてあげられたような……そんな気がした。
白昼に見る、夢心地ぐいっ、
『え?なななな何イタチ!?今度は何!?』
「手繋いでて良かったな。踏みそうだったぞ、道端のフン。」
(……アタシってムードぶち壊すことにかけては天才的だなオイ……!)
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