彼女は、改造された影響なのか薬をとても嫌がる。
今もこうして机の上の薬を見て難儀している。これが最大の弱点だ。
薬の効果についてはちゃんと説明されているはずなのに、何故か懐疑して飲むのを渋る。
「レティクールさん、あれから10分が経過してるです…」
「…モレノ先生曰く、薬がとてつもなく苦手なの…」
…時間が無く渋々飲むが、苦しそうだ。
「う…っ…!」
「大丈夫か、スピカ?」
「ええ…大丈夫よ…」
だが、彼女は目の前の自分のタスクに夢中で既に3日も寝ていない。
いくら我慢して薬を飲んだところで、体調に変化が見られない訳がない。
「顔色も悪い…少しは休息を…」
「…今は大事な時、なの…」
足元をふらつかせながら食堂を出て行った。
「いくら超兵だからって、そこまでタフじゃないんでしょ…?」
「…実戦経験はあるが、体力はアレルヤはおろか、ソーマ・ピーリスにも劣る…」
「…でも、こんな大事な時に倒れたら… …!!」
何かが床に落ちる音がして、食堂を出てみれば…
先ほど食堂を出て行ったばかりの彼女が倒れていた。
「スピカ! スピカっ!!」
フェルトが呼びかけるが、意識を失っているようで応えない。
額に触れてみれば熱もあるし、顔色も青褪めるほど悪い。
「ミレイナ、先生を呼んで来て!」
「は、はいですぅ!」
…彼女は、記憶は無くとも自分は兵器であり道具だという刷り込みが有った。
故に、自分の身を顧みずに自分の役割を果たそうとしていた。
「スピカ、また無理をして…!」
ミレイナに呼ばれて来たドクターは呆れたような怒ったような複雑な表情をしている。
慣れた手付きで応急処置を済ませ、医務室に運ぶことになった。
「ティエリア、君が抱えてやってくれ。」
「あ、ああ…了解した…」
…君はどれだけ無理をすれば、自分の心を満たせるんだ。それは、君にはわからないことだろう。
だが、そんなことで心を満たそうとしても虚しいだけだ。だが君はそんな事に意味を見出そうとはしないだろう。
「フェルト、どうだ?」
「貧血に意識の混濁、発熱も… 処置が終わっても、しばらく休養が必要です…」
「無理をしすぎて、疲れが一気に来たか…」
治療カプセルの中で横たわる彼女は、どこか痩せこけたような気がする。
意識が無い筈なのにどこか悲しそうな顔をしていて、僕は心の何処かを抉られるような気分になった。
「スピカ、いつも薬を飲むの辛そうで…」
「…そうは言っても、彼女は薬で体を維持せざるを得ない状況だ。しかし、投薬を続ければ最悪の場合、依存症で廃人になりかねない…」
「どうにかならないんですか…?」
「…私もどうにか薬の量を減らしたり、飲みやすいようにしようと研究している…だが、彼女が無理をすることを止めさせなければ根本的解決にはならない…」
こんな大事な時に…と若干焦燥感を覚えたが、彼女の根を詰める癖に対処することが出来ていなかった僕にも非は有る。故に、一方的に責めることが出来ない。
「………」
「その為に、薬を飲むことと無理をしないことの説得も必要だ。 知っての通り彼女は一部の感情や人から受ける愛情が欠乏しているし、相当な朴念仁だ…よほど心に強く伝わる言葉でなければ、説得は出来ない…」
重すぎる空気が辺りを包んで、暗い沈黙がそこにはあった。
「…イアンにも、しばらく彼女が欠ける事を伝えてくる。」
…部屋を出る時に告げられたのは、僕には見当もつかないことだった。
「…ティエリア、言っておくが、人の心は人にしか治すことは出来ない。」
僕には、彼女に掛けられるような優しい言葉を思いつくことが出来ない。
あの人だったら、どうやって彼女に言葉を掛けるだろう…そう考えているうちに、朝になっていた。
「アーデさんっ、」
「ミレイナか…」
「ミレイナは思ってたです、もっとレティクールさんに優しくしてあげるべきですぅ…」
「ぼ、僕なりには…優しくしているはずだ…」
医務室に向かう途中にミレイナから、彼女に対する配慮の欠如を指摘された。
「アーデさんっ、レティクールさんは苦手な薬を、頑張ってお薬を飲んでるですぅ! だから、お薬を飲む時も側に居て励ましてあげるべきですぅ!」
「ミレイナ…」
「そもそも彼女さんが苦しんでる時に彼氏さんが側に居ないなんて、めっですぅ!」
悲しそうな顔をしているのは、自分の身体の事に関して理解を得られずに孤独感を感じてしまっているからなのかもしれない。
そう思ったら、自己嫌悪感で胸がいっぱいになった。
「…僕が、もっと彼女のことを理解してあげるべきだった…ということか?」
「そうですぅ!」
「…そうだな、すまない…そして、ありがとう。」
目が覚めたら、その事を真っ先に詫びなければならない。
それは戒めにしつつ、彼女には無理をしてはいけないという事は戒める。
目が覚めるまでは、彼女が薬を飲みやすくする事を考えなければならない。
「…それで、ガンダムの状況は?」
「それなら、パパに任せてるですぅ! だからアーデさんはレティクールさんのことだけを見てるです!」
…それから、医務室で眠る彼女の小さな手を見つめた。握ってやりたいけれど、今は我慢するしか無い。
だからまた考えていた。彼女に最も必要なことを。
「(…スピカ…君にはまだまだ人の助けが要るのは分かっている… でも、君は敢えてそれを求めない強さも分かっている…だが、周りはもっと頼って欲しいと思っている…僕だってそうだ…)」
けれど君のプライドは果てしなく高くて、それは戦いから抜け出すことを諦めているようにも見えて。
6年前、戦うために作られた存在はそれを貫き通さなければならないと言ってしまったのを今になって後悔するとは思わずに過ごしてきてしまった。
子供から大人にならなければならないように、もう君には戦い以外のことから生きる道を見出すべき時が来るのかもしれない。
そうなった時、僕にはどうやって導いてあげなくてはいけないのかわからなくなってしまうだろう。
「…人として、誰かに頼る事をしてほしい…そうでなければ、僕も不安になってしまう…」
「…意外だな、ティエリアがそこまでスピカを想っているなんて。」
「当然だ…スピカも、大事な仲間だ…」
ふと口に出した言葉を拾われ、『それ以上に恋人だから、だろう?』と図星を突かれてしまった。
「それよりも今回簡易的にメディカルチェックをしてみたが、ビタミン剤の投与も必要だ。尚更薬を飲ませなければ…」
この頃の食欲が下がっているのか、食事も満足に摂れていなかった。
栄養不足も考えられたが、相当だったようだ。
『う…』
小さく呻き声を上げて、彼女が目を覚ました。
直ぐ様カプセルを開け、起き上がったところに…
「スピカっ!!」
「…っ!!?」
「ちゃんと薬を飲んで、休養を取っているのか? 我慢して薬を飲んでいても、無理をしていたら意味が無い!」
ドクターに先に僕が言うべきところを言われてしまった。
彼女は動揺して目の焦点が合っていない。
「仲間どころか、恋人にまで心配させているんだぞ!」
「………」
「君は自覚していないだろうが、これは命に関わる重大な事なんだ!」
それから、俯いてしまった。よほど怒られたことにショックを受けているのだろう。
「…ティエリア、彼女を部屋に運んでやってくれ。まだ休養が要る状態だからな。」
「あ、ああ…」
…彼女を背負って歩く廊下で、少しだけ本音を話した。
背負ったのは、単純に今の僕の顔を見られたくなかったからだ。
「…スピカ、君は誰かに頼ろうとする事に抵抗を持っているのかもしれない。だが、そこまで自分を犠牲にして何になる?そんなことで君の心が満たされる訳がない…」
心を満たすなら、もっと別の事でだって出来る。なにも、そんな苦痛が伴うことで満たす事なんてない。
とてつもなく歪んでしまった心には、役割を果たすことだけが自分の存在意義なのだと刻まれているのかもしれない。
そう部屋のロックを解除しながら、彼女の心を解く為の言葉を探していた。
「…人はAIとは違う。そんなこと、僕にだって分かる… だから、もっと君らしく生きてほしい…それが何故分からない?」
部屋のベッドの上でこの言葉を口に出してみて、何故だか悲しくなった。
こんな問いかけをしなければならないほど、彼女は荒んでいたこと。
そして、その問いかけをしてみて、わからないといった表情をしたことに。
「すまない…まだ自分のこともちゃんと分かっていない君にこんなこと、言うべきではなかった…」
後悔と裏腹に、そっと手を握った。
「…だが、スピカ…君は自分自身を大事にしてほしい… 君は僕より、心も身体も遥かに脆い…それに、換えの利かない唯一無二の存在だ…失ってしまえば、戻りはしないんだ…」
…人間とイノベイターでは、見た目は同じでも身体の構造や寿命が違う。
そんなことに、コンプレックスを抱いてしまうこともあった。
それでも…
「…君は兵器でもなければ、誰の道具でもない。人間なんだ… 人間だからこそ、理解し合おうとすることが出来る。そして、こうして同じ温かさを共有出来るんだ…」
腕に抱くのは、存在を確かめる為でも、温もりを教えるためでもある。
「ティエ…リア…っ…」
「そんなに喋るのが辛いなら、泣けばいい…」
「ううん、私が悪いから…泣かないっ…」
彼女は人前では明るく振舞っていたつもりでも、深い心の闇に苦しんでいた。
そんな彼女の事を受け止めてやれなかった自分を恥じながら、堪えられない哀しみを吐き出す。
「僕は、君のことを分かってあげられていなかった…これは、恥ずべきことだ… すまなかった…」
「謝る必要なんて、ない…っ…」
「…強情だな、君は…」
…しばらく腕に抱いて考えていた。こうして見ると、まだ彼女は大人になるには早いとも感じられてきた。
まだ自分を制御出来ないほど未熟だから、というだけではない。もう少し人間の優しさに触れて、温かみを知るべきだと感じるからだ。
計画の為に造られた僕よりも、人間の愛や優しさを知らない。それはとても哀しいことだ。
「今、僕は何と言っていいかわからない…だが、せめて…」
「…?」
「どうか、無理をしないでくれ…君に代わる存在は、どこにも居ないんだ…」
…この小さな手を離してしまったら、僕はロックオンを失った時と同じように心細くなってしまうかもしれない。
今残っている幼さはせめて濁らないように、それが純真さとして残るように、温かく見守ってあげなければならない。
隣にいられるからこそ、そういう事を考えなければならないのだと思うのだった…
「そして…生きてくれ。"何か"の為ではなく、自分の為に…」
その数日後…
「オブラート…?」
「そうだ、第一にスピカ本人が薬を飲みやすいようにしなくてはならない。それで、地上で調達してきた。」
医務室の机に並べられたのは袋状になっている薄い膜のようなものから、パックに入ったものまで色々な種類のオブラートだった。
「…これは?」
「子どもや高齢者向けのゼリータイプらしい。」
味付けがされていて、薬を複数混ぜても問題無いと言う。
何度かに分けて飲まなければいけない手間もあって辛いのだろう、という予測もあった。
「…彼女は本当にこれで飲んでくれるのだろうか。」
「説得してみなければわからない…」
僕も一応ミレイナに対応手を教わったのだが不安だ。
効くのか以前に、18歳の彼女にこんな子供っぽい事をしたら拗ねられはしないだろうか…というのが最もだ。
「…実践投入はいつになる?」
「この後の夕食後だ。」
…その日の夕食の時間は、彼女と共にした。
「…薬、飲まなくちゃ…」
それまでは明るく話をしていたが、思い出すと憂鬱そうな顔をした。
ここで敢えて聞いてみた。
「…スピカ、何故薬が苦手なんだ?」
「だって…薬を飲むの辛いし、これに頼らなくちゃいけないの…嫌だから…」
…そっと頭を撫でた。
「え…」
「毎日飲まなければならないのは、辛いだろう…だが、君が少しでも飲みやすく出来るように考えている。」
…困り顔をした彼女を見つめている横からドクターがオブラートと薬を持ってきた。
「そ、それ…」
「健康状態を鑑みて、ビタミン剤での補給が必要になった。」
「そうじゃない、その横…」
「これか、ゼリー状のオブラートだ。これに薬を入れて飲むんだ。」
彼女は得体の知れない物の用途に如何せん想像がつかないのか、疑問符が浮かんでいるようだ。
実際にゼリーを容器に移しても、そういった表情をしている。
「え…これに、薬を入れる、の…?」
「ああ。」
疑問符を浮かべながら薬を入れていた。
「………」
そこから思考が止まった。
「…どうやって飲むの?」
「スプーンで掬えばいい。」
疑問符が更に増えていく。
「ほら、苺味で赤ハロと同じ色だぞー。」
ドクターがそう言った瞬間、場が凍りついた。
「………」
「それ、子供扱い…?」
とても嫌そうに彼女は言った。
僕も、思わず真顔になってしまった。
「…スピカにこういう冗談はもう通用しない年頃か…」
「はっはっはっ、いくらあいつが子供でも、モレノの冗談は幼稚すぎるだろ!」
「な、ん、だ、と…?」
…いつもの大人げない喧嘩が始まりそうだ。
「…ティエリア、あれ…」
「…気にするな。それよりも…」
スプーンを手に取った。ミレイナに教わった方法、それは…
「スピカ、」
薬とオブラートを掬って、彼女の口元へ。
さすがに彼女も観念したのか、渋い表情で口に入れた。
「…あれ、これ…飲みやすい、よ…?」
「それは良かった…ほら、もう少し頑張ってみてくれ。」
「う、うんっ…」
子供っぽいが、何故だか逆に可愛らしく思えてきた。
少し時間はかかったものの、ちゃんと飲み切る事ができた。
「よしよし、いい子だ…」
「あ… う…」
頭を撫でたら、照れている。
「いずれは、シートのオブラートにも慣れていこう。」
「う、うん…」
照れくさそうにしている彼女を横目にしながら、収まらない喧嘩に少し呆れたのだった。
心をオブラートに包んで
(…どうしたらいい?)
(…ハロと遊んでいればいい。)
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[ex.オブラートに包みきれなかった話]
「…それにしても、薬飲むの一つにイチャつきすぎだろ。」
「最初は薬を見るだけで拒絶反応を起こしていた、そこからすれば大きな進歩だ。」
「愛のメディスンですぅ〜。」
「…何だそりゃ。」
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お薬嫌い+健康状態に無頓着な主に雷落としつつ薬を克服出来るようにするネタでした。
子供用のオブラートゼリーは、チョコ味とか有るらしいですよ。
ちなみにミレイナ案究極の手段は口移しでしたがモレノ先生とティエリアから却下されました。
この作戦を敢行したのはある意味ニール兄さんの背中を見て影響された節もありますが。
14.03.20