忍田さんの場合





 「お前さぁ、やめたほうがいいって」

 いつもはへらっとしている兄弟子のそんな言葉に、私は首をかしげる。そんな私の視線の先には、恋人がいた。
 そんな私の視界を追って、兄弟子ーー太刀川も彼を見る。あんまり言いたくはないけどさ、なんて重っ苦しい声で太刀川は続けた。

 「お前、忍田さんに壊されちゃうよ」




 「ぃッ、」

 ガリ、と身体に直接響くような音が響いた後に首筋に痛みが鋭く走り、私は慌てて我に帰る。反射的に出た私の短い悲鳴に、慌てて彼は私の首筋に埋めていた顔を上げた。

 「ッ、すまない」

 真っ暗な天井を背景に、申し訳なさそうな真史さんの顔が視界に入る。

 「大丈夫、びっくりしただけだから」

 ね、と頬に手を添えれば真史さんは少しだけ甘えるようにして手に擦り寄った。そのまま手を滑らせて頬から唇にうつせば、恥ずかしいのか自分よりももっと大きくて逞しい指に指を絡められて、そのままシーツに縫い付けられるように手をつながれる。
もともと二人分の体重を支えるものではないベッドが、ぎしりと軋んだ。

 「血が、」

 そんな彼の言葉にようやく、何かが首筋を伝っているのに気がつくーー先ほど彼に噛まれたところだ。
 じ、と少し見つめた後に吸い寄せられるようにしてまた私の首筋に顔をうずめる。生暖かい舌が血をなめ上げて傷口まで辿った。

 「・・・・他の、事を考えていただろう」

 ぼそっと低く呟かれたこの言葉は、ぞわぞわと全身を這う。

 「真史さん、」

 怖くなって私は思わず名前を呼んで、たくましい背中に腕を回す。その体は、恐ろしいくらいに冷たくて。

 「昼間、慶と二人きりで何を話していた?」

 二人きりで、その言葉だけがやけに強調されていた。何でもないの、と言おうとすればふと合う冷たい目。私は思わず口をつぐむ。
 恋人と目が合った、だなんて字面はとても甘い物だけれど、その黒い瞳を見た私が思ったことは、「逃げられない」だった。

 「・・なにも、ないの。ただ、ちょっとした世間話ーー信じられない?」

 「っ、いや、そんなことは」

 ちょっとだけ強く言い返せば、途端にその瞳から冷たい物は消えて少し焦ったような色になった。よかった、いつもの真史さんだ。

 「ただ、不安になる」

 ぎゅう、と抱きしめられて、それが嬉しくて私も抱きしめ返す。

 「離れないでくれ、ずっと傍にいてくれ」

 旧ボーダーの面々はいつの間にか散り散りになった。死んでしまった人、別の道を歩き始めた人ーー真史さんは、疲れてしまったんだ。色んな変化につかれて、怖くなってしまったんだ。
 壊される、じゃなくて私が壊れる、のかもしれない。どろどろと愛されて、愛されて、溺れて壊れていくの。

 「大丈夫だよ、私はずっとそばにいるよ」

 ありがとう、とささやかれた声音はとても甘くて。再び体をまさぐり始めた大きな手にそっとすべてをゆだねた。

 こんなにとびきり甘い愛なのならば溺れるのも、ありかもしれない。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -