タイムリミット3





 人生を、時計に例えるお話を読んだことがある。大きくてゆっくり動く時計は、その人ごとに様々な時間があって、さまざまな仕掛けが施されている。
 その例えで言うならば、私の時計は人より進むのが速い。人より何倍も速く進んで、人より何倍も速く止まる。

 ちょっと、せっかちでケチなそんな時計。





 「これでしょ」

 「ああぁぁぁ! だめ、それだめ!」

 「はい、ぼくのあがり」

 そう言って菊地原はベッドの上にトランプを二枚無造作に置く。一方、キリは残ったジョーカーを手に項垂れる。

 「キリはさ、顔に全部出てるんだよ。バカでも分かるよ、どっち取ればいいかなんて」

 「騙されるなよ、こいつサイドエフェクトで心拍聞いてるだけだから」

 「えー! ずるい士郎くんずるい!」

 「使えるものは全部使うの。まったくずるくないね」

 そう言って言い合いを始めた菊地原とキリを横目に、三上と歌川は笑って風間は黙って無造作に積み重なったトランプを整えてきった。
 あの日以来、ヒマな日はすっかり、風間隊の面々はキリの病室に居座るようになっていた。

 「それでも、やっぱりキリちゃんは分かりやすいよ」

 「はいはい、なんだっけ四番目にあがった人が皆にジュースおごるんだっけか」

 その歌川の言葉に、ええっと菊地原は嫌な顔をする。

 「何ソレ、風間さん、三上さん、歌川、ぼく、キリの順で上がったからそれぼくじゃん。嫌だよ、歌川がおごってよ」

 「俺はファンタで」

 「ちょっと、だからなんでぼくなのさ」

 ぶうぶう文句を言う菊地原に、歌川は慣れたように無視を決め込む。すると、三上もニコニコ笑って続けた。

 「私はお茶でお願いしまーす」

 「えっと、私は紅茶! 蒼也くんは?」

 そう言われてキリは風間に笑顔を向ける。風間はとんとん、とトランプを数回整えると言った。

 「・・なんでもいい」

 「・・・・うわー、それが一番めんどくさー・・」

 「はいはい、行った行った!」

 最後は三上に半ば押される感じで菊地原はジュースを買いにしぶしぶ病室を出た。

 「よし、今のうちにカード配って、士郎くんのところにジョーカー入れちゃいましょう! なんか悔しいので!」

 「キリは案外黒いよな」

 「そんなこと・・」

 そう言いかけて、途端にキリは咳き込んだ。

 「キリちゃん!?」

 「だ、大丈夫。ちょっとはしゃぎすぎたみたいです」

 あわあわする歌川と三上に、キリはそう言って笑う。風間は、少し目を細めた。





 「・・おい、平気なのか」

 騒ぐだけ騒いで三人は帰り、キリと二人きりになったところで風間はそうきり出した。
 そう問いかけられたキリは、ぱっと顔を上げ、笑ってみせた。

 「大丈夫ですよ! 次は負けません! 逆に士郎くんをカモにしちゃい・・」

 「そうじゃない」

 そう少し声を荒げれば、キリは固まる。

 気付いていた。少し前からこうやってキリが無理に軽く振る舞い始めたことも、その時から咳き込む回数はどんどん増えていっていることも。
 じっと彼女をまっすぐ見つめる。キリがいるベッドと、風間が立つ間に夕日が差し込む。

 「だい、じょうぶです」

 まだ言うか、とキリに近付いて気付く。彼女は震えていた。

 「大丈夫、大丈夫って言わないと、負けちゃうんです。タイムリミットに、負けちゃうんです」

 知っていますか、とキリは小さな声で続ける。

 「この・・最上階の病室って、もう先が長くないって言われた人がいるところなんです。とっても景色がきれいに見えるから」

 何も言えなくてただ風間は立ち尽くす。

 今、何て言った?

 「私、十八歳まで生きられればいいほうだって言われ続けてきたんです」

 まるで明日の天気の事を話すように軽くそう言うキリに風間が言い返そうと口を開けば、彼女はそっと風間の口に人差し指をあてる。

 「あ、かわいそうとか、言わないでくださいね! 私、ちゃんと戦うって決めたんです。・・蒼也くんの、おかげですよ」

 覚えてますか、と彼女は目を伏せると微笑む。

 「あの日、目の前に近界民が現れた時これで死ねるなぁって思ったんです。だから、蒼也くんが助けてくれて、私におい大丈夫かって言ったとき私・・」

 「・・なんで助けたの、か」

 「覚えててくれたんですか!?」

 「当たり前だろ、そうそうそんな事言うやつはいない」

 ぶっきらぼうにいう風間にキリはこれ以上ないくらいに幸せそうに笑った。

 「うん、そして蒼也くんはすっごい怒ったよね。そんなこと言うなって」

 そして、一息おく。

 「うれしかったなぁ。私、ずっとずっと皆にかわいそうしか言われてこなかったから・・・・ちょっと、怖かったけれど。蒼也くん、睨むんだもん」

 「・・悪かったな」

 「ううん、そのおかげで私は今もここにいるんですよ。私、自分の残り時間と戦うって決めたんです」

 ふわっと笑うキリは、今にも消えてしまいそうで、思わず手を伸ばしてぽんぽん、と頭を撫でる。

 「だから蒼也くん、」

 ふと切ない顔をするキリにどうしようもなく焦る。今の彼女は、まるでもう自分の終わりが見えているように、まっすぐな目をしているから。

 「・・弱音を吐くとタイムリミットに負けるんじゃないのか」

 そう言えば、キリはぱちぱちと瞬きをして、笑う。

 「・・そうですね。さよならはぜったい言いません」





 ずっとずっと終わりが欲しかった。

 最初から大きなハンデを背負ったレースをずっとずっと走らされているような気がして、終わりが見えないことがとてもとても怖かった。
 なのに、いざ終わりが見えた瞬間、思わず立ち尽くしちゃうんだ。

 最後の数歩ってところで君が現れたから。

 もっと早く会えてたらって思ったけれど、違う。違うね。そこに君がいたから私は笑ってゴールできるんだ。

 だから私は、あぁ、こんな道も君に会えたから悪くなかったなって思いっきり笑った。





 「おい三上、城戸さんへの報告は全部太刀川に任せたって言っておけ」

 「えぇ?」

 遠征から帰って早々、風間はあわただしく準備しながら三上にそう言った。あまりにも無責任で、らしくない風間の言葉に三上は素っ頓狂な声をあげた。

 「どこいくの? 風間さん。遠征から帰って来たばっかだってのによく動けますねー」

 「あぁ、大丈夫だ」

 「答えになってませんってー」

 ソファでぐでっと横たわっていた菊地原がふとそう声をかける。風間は半分適当にその言葉に返事して隊室を出る。後ろから、菊地原の文句が飛んできたような気がしなくもなかった。

 ここ二か月、遠征やらなんやらでキリの元へ行けてなかったのだ。一通りそのゴタゴタを片付けたのはいいが二か月かかってしまった。
 もう日は傾いていて、宵の寒さが徐々に浸食してきていた。慌ててひっつかんできたコートの端を手繰り寄せながら走る。赤い夕日は、まるであの日みたいだと思った。





 「他の病院に移った?」

 いざあの病室に来てみれば、そこはもぬけの殻だった。彼女どころか、彼女がいたという気配さえなくなっていて、通りがかった職員を捕まえて質問すればそんな答えが帰って来て風間は思わず聞き返す。

 「・・はい。その患者さんなら一か月ほど前に」

 「・・そう、ですか」

 「あの」

 そう言いかけてその職員は首をふる。

 「・・・・あ、いいえ。そろそろ病院のほうも面会時間がおわるので」

 なかば追い出される様にしてそこを後にする前に、もう一度病室を振り返る。やはり、夕日が差し込んだそこは空っぽだった。

 「・・風間」

 なんとなくすっきりしないものを胸に抱えつつ病院を出れば、なぜかそこに木崎がいた。

 「?」

 「・・ここに行けばお前にこれを渡せると思って」

 そう言って渡されたのは、もともとは風間隊の隊室の隅に放置されていたトランプだった。

 『トランプぐらいなら、あのアホそうなキリにでもできるでしょ』

 と、菊地原が珍しく引っ張り出してきたものだった。そう言えば、また来るからといつもキリの病室に置きっぱなしだった。

 箱には、かわいらしい大きめな付箋が貼ってあった。何故か濡れた後のような大小のシミがあるその付箋には、可愛らしい字で一言だけ書いてあった。


 『また、会えたら』


 「・・・・・・木崎、キリは」

 そこまで言いかけて、キリの笑顔が浮かぶ。いや、と風間は首をふった。弱音はいわない。そういう約束だった。

 「すまない。ちょうど探していた」

 そう言ってなにか言いたげな木崎に手を振ると、風間は歩き出す。ぎゅっとトランプを握り締め、コートを一番上まで閉めるとぐっと顔をうずめる。頬に当たる風が、冷たい。

 「・・また、会えたら、」

 その時は、タイムリミットがない場所で。
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