虎視眈々



※勝手に前職場を捏造してます。黒い。


「華がないからね」

眼前に座る男の言い分を唐沢は、貼り付けた笑顔と共に「まあそうですね」とあしらった。男は肘掛に手を乗せて人差し指でトントンと叩く。これは彼がいつも考え事をする時の癖だ。どうせロクなことを考えちゃいないんだろうなと、指が動くたびに袖から見える趣味の悪い派手な時計を視界に入れつつ思った。その後にスーツ、鞄、靴とさりげなく目を向けてから顔を見る。
やることはやったし、この男との商談も上手く済んだのであの人差し指が止まる前になんとか帰らせようとしていたが、一歩遅かった。

「そうだ、あの子。ほらこの前、案内してくれた子。あの子はどうだろう」

唐沢が言い返す前に軽いノックが部屋に響いた。にや、と男の唇が弧を描く。

「どうぞ」
「困ります勝手に、」

唐沢の制止も虚しく渦中のあの子ーーキリがひょっこり顔をのぞかせた。

「失礼します唐沢部長、城戸さんが…」
「やあ、また会ったねこんにちは」

珍しく妙な顔をする上司に上機嫌な商談客。キリは丸くした目をパッパッとその二人の間で視線を泳がせ、萎縮する。商談客が上機嫌な分にはいいが、上司がどちらかといえば不機嫌な時は決まってダメな時なのだ。

「いやね、たった今きみの話をしていたんだよ」
「わ、わたしの…?」

ちょいちょいと男に手招きをされた後にちらりと上司を見る。諦めたような唐沢からやっと「来なさい」と許しの言葉を得たのでキリは会議室に入った。誘われるままに男へ近付いたが、唐沢の視線に慌ててキリは男と唐沢の間にある椅子に座る。首のあたりに視線がささるのは気のせいではない…と、思う。

「新人なんだって?」
「えっと、はい。まあ、ボーダーには前からいました、戦闘員として在籍してたんです。けど、最近営業部へ移動して」
「そうかそうか、じゃあ丁度いいんじゃないかな。実はね、今度の商談に是非きみもって話が…ねぇ?唐沢さん」

そろ、と唐沢を見る。刺さるような視線を感じていたからてっきり怖い顔をしていたと思ったら唐沢は、人の良さそうな顔で困ったような笑みを浮かべている。キリはそっと胸をなでおろす。なんだ、彼は怒ってないらしい。商談について行くくらいならなんてことはない。返事をしようと思えば遮るように声が重なった。

「私はそんな話をした覚えはありませんけどねぇ…おや、時間はいいんですか?」
「あぁ、そうだ。いかなくては…是非前向きに検討しておいてくれ、キリくん」

男は去り際にトントン、とキリの肩を叩いた。

「ちなみにこのスーツは変えた方がいいな、垢抜けない」

去って行く男の背に「はあ」と気の抜けた返事をした後に自分のスーツを見る。そういえば就活の時に買ったスーツをそのまま使い回していたっけ。同じ大学だった林藤に誘われてボーダーに来たので営業に移った時はこれ幸いとこの出番のなかったスーツを引っ張り出してきたのだ。
裾を引っ張りながら後ろで書類をまとめる上司を見た。

「唐沢部長、わたし、そんなに学生に見えます?」
「いいや?新卒さんって感じかな」
「か、からかわないでください」

眉を顰めれば唐沢は楽しそうにくつくつ笑う。

「でも部長、ボーダーのスーツはダメって」
「そうだね。なんなら私が見立ててあげようか?手取り足取り」
「えっ!本当ですか!?」

唐沢は書類をまとめる手を止めるとじっとキリを見つめる。いろんな感情が混ざったようなその瞳にキリは思わず背を伸ばした。しかし、すぐにからかうような色に変わる。

「…そういうところですよ。でも貴女の一番素敵なところでもある」
「…はい?」

何のことか分からなくてキリは聞き返そうとする、前に唐沢が口を開いた。

「さっきの商談の話だけど、私からまた連絡するよ。あとその前にスーツかな、君は特に心配しなくていい」

ね、と微笑んだきり彼は何も言わなくなったのでキリは口をつぐんだ。

キリに件の商談が知らされたのはその一週間後だった。
上品に笑う店員に見送られながら、真新しいスーツを着たキリは唐沢と一緒に店を出た。抱えている袋には店へ入る前に着ていたスーツが入っている。これからあの客との商談だ。

「す、スーツがこんなにするなんて…」
「お勉強になりました?」
「唐沢部長はこういうのいっぱい持ってるんですか?」
「そうですね、会う人に合わせますが」
「合わせる?」

車の助手席に乗りながらキリは聞き返した。唐沢はシートベルトを締める前にトン、と自分の胸元を叩く。

「いいですか、人はまず第一印象。装飾品、衣服、仕草でだいたいのことが分かる。女性なら化粧も」
「な、なるほど…?」

いまいちピンとこないのか少し首を傾げるキリに唐沢はそうですねぇ、と椅子に深く腰掛けながら思案する。

「貴女は戦闘員だった時、どう戦いました?」
「どうって…次はどう仕掛けてくるかなぁって常に考えてました」
「敵の手を読む時は?」
「構え方とか予備動作とか、目線で…あぁ、」

腑に落ちたらしいキリは頷いたので唐沢はにこりと笑う。

「そう、これも一緒。相手をみてどう崩すか判断したり、仕掛けたりする。今度は言葉でね。営業なんて堅苦しい肩書きですがやることは一つ、できるだけこちらが主導権を握れるような会話をすること」

分かったような分からないような、難しい顔をしてれば唐沢は言葉を続けた。

「まぁ、大丈夫。その辺は私が教えて差し上げますから」
「はい、お願いします!」

興奮気味で前のめりになるキリに唐沢は思わず笑う。
年を重ね、数年前からトリオンの成長が止まったキリはずっと考えていた。もとからずば抜けたトリオン能力があるわけじゃない。かといって忍田のように戦闘センスがあるわけでもない。ましてや、若いうちから戦闘を重ねてこれからもっと伸び代のある今の若い世代なんかにはすぐに追い越されるだろう。そんな現実を目の当たりにした時、キリは他の道を探すしかなかった。そんな時にふと、城戸を通して唐沢から提案を受けたのだ。

「…西条、営業には興味あるか」
「営業?城戸さん、わたしにそんな頭使いそうなことできると思います?」
「君が戦闘員を辞めるかもしれない話をしたら、営業を任せている唐沢くんから是非と。ちなみにそれなりの頭でもできる。なんでも交渉の時に戦闘員を経験した人が欲しいそうだ」
「へぇ、唐沢さんから……ってアレ?今わたし、さらっとばかにされました!?」

まあいっか、事務よりは楽しそうだし、と二つ返事で引き受け唐沢の下について半月。それなりにこの新しい道はなかなかに楽しい。

「唐沢部長、そういえばなんで営業部はボーダーのスーツを着ないんですか?」
「そうだね、みんなの平和を守るヒーローが金集めしてるなんて、知りたくないだろう?あのスーツはヒーロー達にふさわしいんだよ」

赤信号に変わったので車が止まる。ちょうど交差点の向かい側のビルにある広告看板には、広報の嵐山隊の面々が赤い隊服に身を包んで写っていた。あれはそうだ、たしか飲料メーカーとコラボした時の広告だ。その隣の大きな電光掲示板には、この前の記者会見の様子が映っている。分かりやすい、ヒーロー達だ。それを見つつキリは口を開く。

「そうですか?わたしはいつも、営業してる時の唐沢部長もヒーローだと思ってますけど」

手持ち無沙汰にハンドルを叩いていた隣の唐沢の指がはた、止まる。

「わたし、いつも唐沢部長はすごいなって思ってるんです。だってあなたがいないとボーダーは間違いなく回りませんもん。だから、営業部のこのスーツだってヒーロースーツじゃないですかねっておも…部長?」

ふ、と視線を感じてキリはつられるように隣を向く。まっすぐ唐沢がこちらを見ている。あれ、なんだろうこの表情ーーただ、それは一瞬の間だった。そう思う頃には唐沢は「おや、信号が変わりましたね」と何事もなかったように前を向いてハンドルを握り、車が動き出す。なんとなく気まずい雰囲気にキリは慌てて話をそらした。

「そ、そういえば!これから商談で会うあの人はどんな人ですか?」

唐沢は軽く笑った。先程までの雰囲気がパッと散る。

「さあ?忘れました」


取引先の会議室に唐沢と共に通され、やってきた人物にキリは思わず「あれっ」と声を出してしまった。あの時に会った男ではない。新しい男はキリ達を見るなり慌てて立ち上がり、頭を下げた。

「誠に申し訳ございません、身内の見苦しい事情をみせてしまいましたね」
「頭を上げてください。こちらはなにも被っていませんし、むしろ大変だったでしょう。お疲れ様です」

全く付いていけない会話にキリが首を傾げていれば男がなにかを察したように唐沢を伺い見る。唐沢はそんな彼を横目にキリへ説明をした。

「ちょっと諸事情でね、今度からこの方が担当してくださるそうだよ」

ほら第一印象、と耳打ちされたキリ
は慌てて背筋を伸ばすと挨拶をするのだった。



「お疲れ様、よかったよ」
「はぁあぁ、疲れました…」

商談後、戻ってきた本部のラウンジでキリは席に座るなり突っ伏した。唐沢はその正面に座り、そんなキリに苦笑いするとコーヒーが入ったカップをキリの横に置いた。キリは顔を横に向けると目線だけ、唐沢にやる。ぱちっと目があって少し驚いた、見られていたのか。キリは慌てて姿勢を直して小さく礼を言いながら慌ててカップを手に取った。

「なんか注意点あったらいくらでも言ってください」
「そうだね、あとは慣れていくしかないからなんとも。強いて言うなら…ひとのよさかな」

唐沢は頬杖をついた。

「新しい人も君を気に入っていたみたいだし、そういうところが貴女の強みだろうし、いいところだ。でも気を付けて、世の中はたしかに多くの善人で溢れているけれど同じくらいに悪人も潜んでいるものだよ」
「はあ、」
「見極めなさい。貴女の目の前にいる人も善人の皮を被った悪人かもしれない」
「…唐沢さんが?まさかあ」

唐沢はにっこりと笑った。

「だって私は根が欲張りですから欲しくなったら手段は選びません。どんな悪い手だって使う…かもしれないよ」
「うわぁ、なんか似合うなぁ」
「おや、それはお褒めの言葉として有り難くいただくよ。西条さんはもう帰りかな?」
「あ、いいえ。城戸司令にも今日ちゃんとできましたって報告しなくちゃいけないので!」

キリはぐっとコーヒーを飲み干すと立ち上がった。

「ご馳走さまでした!お先に失礼します!」
「ええ、また明日」




自宅に着いた唐沢は深くため息をつくとソファに座り込む。ふと、聞こえた音を頼りに無造作に投げていたカバンからボーダーから支給されたスマートフォンではなく、黒い折り畳み携帯を取り出した。

「…もしもし」
「久し振りに連絡よこしてきたかと思ったらまた面倒くせぇの押し付けやがって」
「でもそちらに損はなかったでしょう?」
「そりゃまあ…何しろあいつ、横領だけじゃなくうちの組織のやばい連中からも金がらみでなんかあったみたいだからな。組織も喜んでたよ」

あいつ、と言われて唐沢は数日前の男を思い出しながらハッと短く笑う。役職の割には金回りが良さそうに見えてたあれらは全て他人の金で作っていたのか。

「そんなことだろうと思いましたよ。あとは煮るなり焼くなり文字通りお好きにどうぞ。彼の自業自得、こちらは関係ありませんので」
「…なあ、やっぱりこっちに戻ってくる気はないのか?お前、ヒーローって柄じゃないだろ」
「いや、これが私も案外なってるらしいんですよ、ヒーローに」

ネクタイを解きながらなんとなく返したこの言葉に、電話の向こうから呆れたような声が帰ってくる。

「…へぇ、嬉しそうじゃん」
「…嬉しそう?」

はた、とネクタイを緩める手を止めて代わりに思考回路を動かすと思い出したのはキリの顔だった。周りに恵まれたのか、彼女自身の性格なのかどこまでも純粋な彼女らしい言葉。捻くれてものを考えてしまう自分の感想としては物は言い様だな、等と思うが言われてみればまあ確かに悪くない。

「嬉しい、そうですね。嬉しいのかも」

返事はすぐに帰ってこなかった。
おおよそ、声音も取り繕わないで年甲斐もなく喜ぶ電話相手にほとほと呆れているに違いない。

「ま、楽しそうなら何より。じゃあな」
「ええ、また何かあれば」

電話を切り、そんなにも楽しそうな声音だったかなと思案を巡らせながら携帯を折りたたんで机に置いたーーと、同時に今度はボーダーから支給されたスマートフォンが震える。
どうやらキリかららしい。城戸にきちんと営業ができたか念入りに聞かれたことへ拗ねたようなメッセージと、忍田にスーツが似合わないとからかわれたらしいことにこれまた拗ねたようなメッセージが立て続けに来た後に、見返してやりたいから教え込んでくれというメッセージが届いていた。
彼女を始めて見たのはトリオンやらネイバーやら現実離れした城戸の話を信じられない唐沢へ、城戸がなら見せてやると戦闘を見せられた時だった。
薄い灰色のロングコートを靡かせた小さな彼女は、鋭い眼差しで自分よりも大きな白い怪物と堂々と対峙していた。あのワンシーンが、あの横顔が、ずっと頭から離れない。

だからこそ、彼女が戦闘員を辞めると聞いたときはこれ幸いと手元に引き寄せた。蓋を開ければ凛々しい一面は戦闘の時だけ。人の言葉にすぐ笑い、怒り、喜ぶ単純な女だった。ただ、そこにたまらなく引き寄せられる不思議な人でもあった。
そしてそれは、あの男もきっとそうだったんだろう。バカだな、欲しいものを手に入れるときはまず自分の手の内を隠さなきゃならないのに。人間関係はカードゲームと同じ、自分の手札は常に隠さなければならない。そしてそれは、彼女もそうなのに。

「…見極めなさいと、忠告をしたのに」

黒い携帯を折りたたみながら、ディスプレイに表示されている名前に、唐沢は口元を歪めながら呟いた。
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