拗らせたオトナは恋もそうである



 2月14日といえば何か。
 世間的にはバレンタインというやつである。
 街はピンク一色。どこ見てもピンク、ピンクの浮かれた空気に気分がげんなりする。店に入ろうものならば追加でチョコと天使の飾りがついてくる。この辺で気分はどん底である。死ぬほど甘いチョコレートをいっきに食べたみたいに胸焼けがする。

 バレンタインがきらいなわけではなかった。2月14日がきらいなのだ。

 2月14日はいつも悪いことが起こる。

 そういえば、両親が離婚したのもこの日だった気がしたし、電車の遅延とバスの遅延が重なって大事な面接が白紙になったのもこの日だった気もする。あと強いていうならば、嫌いな人の誕生日がたしかこの日だった気もするーーそして、そもそも、あれがこの日なんだ。

 大学時代、幼い頃からずっと一緒だった幼馴染と大学生になってやっと結ばれるという漫画みたいな大恋愛を果たしたキリにやってきたバレンタインはそれはもう悲惨なもので。

 前日まではそれはもう口から砂糖が出るんじゃないかというくらいの甘ったるい時間を過ごした次の日のハッピーバレンタイン。目を覚ませば幼馴染ーーもとい、恋人が忽然と姿を消していた。内緒に隠していた手作りのチョコケーキ片手にその日は呆然としていた。

 携帯は繋がらない、大学行ってもとうに単位を取り終えた彼には全く会えない。友人も知らない、部活には顔を出しているようだがキリのところには来ない。
そんな日々を一ヶ月過ごした後に来た、「すまない、もう会えない」というたった二行のメールで大恋愛はあっけなく終わりを告げた。
 バレンタインが悪いのではない。2月14日に人生の悪いことが全てしわ寄せになって、そんな日にバレンタインなんて世間が騒ぐ一大イベントが重なったものだから、嫌でも悪い記憶が失敗したクッキーのコゲみたいにバレンタインというクッキーにくっついてやってくるのだ。


 「キリ、俺はショコラが食いたいかな」

 「あ? 何ほざいてるんですか」

 語尾に音符がつきそうな一つ年上の先輩、林藤にキリはすかさずそう返す。
 西条キリ、今年で無事に29歳を迎えるも捻くれるに捻くれて大学卒業後、結婚するわけでもなくむしろ恋人というものを一切作らず、この林藤に誘われたボーダーとかいう団体に所属していた。

 「いや、今日バレンタインだし?」
 
 「あたしがバレンタイン嫌いなの、知ってますよね滅べ」

 「つめたいなー、大丈夫大丈夫、30過ぎる前に誰も貰い手ないなら俺がもらってやるから」

 「結構です。むしろ三十路超えた自分の心配の方をすれば?」

 「忍田ー、キリが冷たい」

 「あんまりキリにちょっかい出すな」

 忍田と呼ばれた男は林藤を叱り飛ばす。ちなみに彼はキリと同い年。林藤は年上であることを明言しておく。

 「だってゆりちゃんからキリがおかし作り得意らしいって聞いたし、たまに焼いてくるクッキーうまいし・・」

 「・・あたし、バレンタインはぜーったいおかし作らないって決めてるの」

 ケチケチ、と唇尖らせる林藤にキリはうるさいと一喝する。

 「城戸さん、お帰りなさい・・あれ、後ろの人は?」

 忍田のその言葉にキリは振り向き、それはもう充分冷やし終えたチョコレートみたいに固まった。

 前述の通り、西条キリはバレンタインーーというより2月14日が嫌いである。決まって悪いことはその日に起こる。そう、いつもだ。どうやら例外はないようで。
城戸の後ろに立っていた人物を、林藤と忍田は知らないがキリはよくよく知っていた。ちょっと前まで死ぬほど探し回ってた人物。

 「・・・・・・キリ?」

 「・・・・・・克己、」

 アンハッピーバレンタイン。
 今年も例に漏れずビターチョコレート以上に苦そうだ。






 「・・なんだ、知り合いか」

 城戸のその一言でキリと唐沢は我に返った。

 「いや・・まあ」

 「いいえ、人違いでした」

 そして同時に真反対の受け答えをする。
 唐沢は一瞬狼狽えて、ああ、人違いだったといい直して人当たりの良さそうな笑顔を貼り付ける。数年しか経ってないとはいえ、一目でわかってしまうのは幼馴染だったからか、一度でも彼の恋人として過ごしたからか。どちらにせよ、キリはふいとそっぽを向く。この場にいる皆が皆、二人が知らない者同士ではないことは理解したが、それ以上聞こうという物好きはいなかった。

 「今日から入ってくる唐沢くんだ。主にボーダーの資金をやりくりしてくれる」

 「・・よ、よろしくお願いします」

 不機嫌なキリと唐沢とに視線を行ったり来たりさせながら忍田がおずおずと唐沢に手を差し出す。唐沢はそんな忍田に笑顔でよろしくお願いしますと答えて手を握った。



 「やっぱり、キリ・・だよな?」

 数時間後、基地の廊下でばったり唐沢と出くわし(というよりも唐沢は恐らくキリをを待ち構えてた)、声をかけられたキリは大きく息を吐くとくい、と顎を少し上げて見下ろすように唐沢を睨む。

 「そうだけど」

 「・・すまなかった、謝ってすむとは思ってないが、」

 「いまさら謝罪なんて聞きたくない、もう話しかけないで」

 目の前に立つ唐沢にそれだけ言うと脇をすり抜けて立ち去ろうとする。

 「キリ、」

 その刹那、唐沢はキリの腕を掴む。ふわ、と漂う香りはタバコと彼の匂い。今までの記憶が走馬灯みたいに巡って、無性に泣きたくなった。
 だめだ、コイツの前でなんか絶対に甘いところを見せるものか!
 次にそんな気持ちがせり上がってキリは腕を振り解く。

 「あたしは絶対にあなたを許さないから」

 振り向かずにそう叫ぶとそのまま足早にその場を去る。走らなかったのは、あなたなんかどうともないんだからなんていう子供じみた理由だった。

 唐沢は、キリをそれ以上は追いかけてこなかった。

 「うわ、」

 「ぶっ」

 悶々と思考を巡らせ、前を向いてなかったせいで大きなものにドン、とぶつかって情けない呻き声を上げて尻餅をつく。

 「すまない、キリ、前を見てなかった」

 申し訳なさそうな同僚の声にキリは反射的にばっと顔を上げる。その時、自分がどんな表情をしてたかなんて全く考えてなかった。

 「・・どうした、キリ」

 「しのだ、」

 「・・・・こい」

 ぐっと腕をひかれて無理やり立たされるとどこかに連れていかれる。キリは母親に手を引かれる幼子のように、ただただ忍田のあとをついていった。


 「・・で、何があった?」

 つれていかれたのは忍田の自室だった。
 一見綺麗に片付かれたこの部屋が、そう見えるように実は机の裏に要らないが片付けるのが面倒な書類が詰め込まれてることだとか、そのくせ趣味であるバイク関連の雑誌だけは綺麗に整えられているのをキリは知っている。
 温かいインスタントコーヒーがなみなみに注がれたマグカップを受け取りつつ、は目をこする。いまさら泣いてないふりができないと悟ったのは忍田の刺さるような視線で、キリは諦めて斜め下を向く。いつであったか、二人でふざけていい歳して走り回って飲み物を零した時のシミがカーペットについていた。

 「唐沢さん・・とかいったな、あの人だろ」

 あー、これは言い訳できないなとキリは諦めて小さく溜息をつく。バレンタインが嫌いなことこそ言っていたが、その理由はそういえば彼に言ってなかった。

 掻い摘んで端的に話せば忍田はなんだか神妙な顔をしていた。それがもう真剣な顔なものだから、キリは少しおかしくなって吹き出した。いつもこの男はそうだ、真面目で正義感が強くて、優しいものだから、他人に関しても真剣なのだ。
 
 「まあもう仕方ないよね、あいついろんなやりくりが上手なのは知ってるから仕事は有能だろうし、あたし一個人の理由で場の雰囲気悪くしちゃいけないし、でも、」

 口に残ってるはずの安いインスタントコーヒーの味が徐々にチョコレートケーキの味に変わっていく気がする。甘くて、しょっぱいあの日のめちゃくちゃな味。
 ぐい、と涙を大きな親指に拭われてキリは鼻をすする。

 「・・それなら、しばらくキリは俺の仕事を手伝ってほしい。唐沢さんとは全く違う仕事でやる場所も違うから、気持ちを整理する時間も増えるだろ」

 「ッ、しのだ〜・・忍田のそういうとこほんっっとにすき」

 うわあぁあ〜と泣きながらそう言えば、忍田は口をもごもごさせて顔をそらす。さすがに化粧混じりのいい歳した女のぐちゃぐちゃした泣き顔は汚かったか。

 「・・・・気分は?」

 「忍田のおかげさまで」

 あぁ、この同僚には何か作って置くべきだったかな、なんてキリは鼻をすすりながら思うのだった。

 物事には何にでも因果はあるわけで、この話で言えばキリのこう言った考えの甘さが起因してだいたいしわ寄せがいく。2月14日に。

 「・・キリ、と・・・・忍田さん」

 忍田の部屋から出てきた二人にばったり出くわした唐沢は、ぴったりと横にいる男とキリとにパッパッと目線を行き来させ、人の良い笑顔になる。

 「いやはや、基地が広くて迷ってしまいまして。お邪魔だったかな」

 「いいえ。早速そうだ、キリ、城戸さんにこれを」

 元彼、同僚、の間に挟まれていたキリはこれ幸いとその資料を受け取ってそそくさとその場を去っていく。彼女がいなくなったその瞬間に空気が重くなる。

 「営業部は向こうですよ。反対側です」

 「それは、どうも」

 会話はこれだけだった。
 ただ、ぶつかった視線はそれ以外にも受け答えがあった。言葉という形としてにはならなかったが、忍田も唐沢もお互いに相手が少なくとも自分を快く思っていないことはよくよく分かった。

 この、しわ寄せが来年の2月14日に行くのだがキリはまだそれを知らない。
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