不器用な少女の場合03



 いままで、誰かを好きになった試しはなかった。ましてや、大人は大嫌いだった。
誰かに騙されて酷いことにあっただとか、欺かれたなんて大層なことは経験したわけでもない。そうなりたくないから、いつも表情を読んで当たり障りない道に逃げてきた。そして、逃げていくうちに、とうとう見ることもしなくなってしまった。

 「キリ、言葉は魔法だからね」

 小さいころ、たしかそんな事を母が言っていたのをふと思い出した。

 昔から、大人と話すのは嫌いだった。誰だっていつもキリの前ではニコニコ都合のいい表情をしていたからだ。その表情から出てくる、薄っぺらい中身のない言葉が嫌いだった。誰だってキリの目をきちんと見て会話する大人はいなかった。いつも、キリを通して大きな野望を見ていた。
 そんなことに嫌になって逃げだしたのは高校受験の時だった。勉強を言い訳に、父親の会社絡みの行事も、お見合いだっていやだと拒否をするようになった。拒否を覚えて、相手を遠ざける方法も、見つけた。それが、言葉だった。

 「ばっかじゃないの」

 そう言えば相手は気分を悪くして向こうからキリへすり寄ることはなくなった。

 「私に構わないで」

 そう言えば父親はもうキリにああしろだのこうしろだの言う事はなくなった。

 自分を守るためにーーではなく嫌なことから逃げ出すために、とげのついた言葉を使えば使うほどに、どんどんひとりになっていき、とうとう周りには誰もいなくなってしまった。ますます本当に言いたいことが言えなくて、相手を傷つける言葉しかつかえなくなってしまったのだ。
 違うの、そうじゃないの、そう言いたくても口をつく言葉は相手を遠ざけるものだった。言葉を使えば使うほどに、キリは一人になっていった。

 そんな時、おかしなやつが現れた。

 最初は今まで見てきた大人と同じ奴だった。キリを通して、契約だけをみている奴だった。だからいつもの通りにとげのついた言葉を吐いた。それなのに、そいつは遠くなるどころか近付いてきた。

 「ばっかじゃないの」

 そう言えばおかしなやつはからから笑ってからかってくる。

 「私に構わないで」

 そう言えばむしろ構ってきた。まったく変なやつだった。
 
 いつの間にか、そいつと会話をするのが楽しくなっている自分がいた。それが、違う感情に変わるのにさして時間はいらなかった。

 「好きですよ」

 そう言った瞳はただキリだけを映していて、泣きたくなった。この人にだけは、どうかこの人だけはずっと傍にいたい。そう、思ったのに、

 「あんたなんか、大嫌い!」

 そう言ってしまったあとの、そいつの顔は今までに見たことのない顔をしていた。しまった、と思うころには逃げ出していた。いつも通りに。




 「いっつもいい顔しやがってむかつく」

 そう言いながらがしゃがしゃがしゃ、と卵をとくキリを沢村は呆れたように見つめた。そんな沢村の視線に気付かないキリは、頬を膨らませてしかめっ面のまま卵をとき続ける。

 「ほんっっとに頭にくる、あいつ相手に気があるのわかると表情変えるの、その気にさせんの」

 がしゃがしゃがしゃ、箸とボウルはいまだ音を立てている。

 「今日だってなんか知らない女に腕とられててバカじゃないの、反省しろばか」

 「キリちゃん、見てたならそれを言いに行けばよかったじゃない」

 「・・・・やだ」
 
 「キリちゃん、」

 少し強めに言えばキリはうっ、と言葉に詰まったのちーーボウルを抱えてわっと大泣きし始めた。

 「・・一度、落ち着きましょ」

 ぽんぽんとソファを叩けばキリはボウルを抱えたまま来て座る。沢村はよしよしとキリを撫でてやる。ここ数日、キリは少し情緒不安定だった。なんとなく、その原因は分かる。女なら。

 「・・だって、めんどくさい女って思われたくない」

 ぐずぐずと鼻をすすりながらキリはそんな言葉をこぼした。ぎゅ、と引き寄せてあやすようにしてやる。

 「謝りたいけどわかんない、どう言えばいいか知らない」

 「んー、わたしは二人の喧嘩を全部見てた訳じゃないからなんとも言えないけど、謝るなら早い方がいいわよー?どんどん言えなくなっちゃうわよ」

 「・・・・・・嫌われてたらどうしよう」

 「それはない。絶対、ない」

 キリが唐沢の手元から離れてはや一か月半。
 その間、唐沢が無意識にキリを見かけるたびに視線で追っていることは内緒にしておくことにする。




 久々に視界に入ったマンションの扉に、キリは無意識に手にした合鍵を強く握りしめた。
 ふう、と息を吐いて鍵を挿し込む。少し捻れば軽快な音と共に鍵は開いた。逃げてしまいたい、そう思った自分に喝を入れるように頬を軽く叩き、勢いよくドアノブを掴んで中へ入った。

 真っ暗な廊下の電気をつけてまず目に入ったのは大きなゴミ袋。そして点々と洗濯したのか怪しい衣服が落ちている。

 「・・きったな、」

 私がいないとこんなこともできないの、と言おうとして靴を脱いであがればふと脱衣所の戸が開いて彼は出てきた。

 「だいたい、こっちの説明をちっとも、」

 久々に鼓膜が受け止めた声に自然と体温と心拍数があがる。たった少し前、数秒前は聞くのもおそろしいと思ってた声を実際に聞くと、込み上げた気持ちは恐怖ではなくて。
 はた、と彼がこちらに気付いて振り向く。風呂上りなのか、こげ茶の髪が頬にこびりついていた。

 「・・・・・・かつみ、」

 水分がなくてからからした口を動かして二ヶ月ぶりにその名を呼ぶ。ここまでくる道のり、ずっと脳内で練習していた謝る言葉も、用意していた言葉も全て吹っ飛んだーー唐沢の表情が一瞬、優しいものだったから。

 「ッ、ごめん、なさい・・!」

 涙は自然とあふれてきた。
 言わなければ、あの言葉は本心じゃないこと違うこと。言わなければならないのに、出てくるものといえば涙と嗚咽だった。

 「・・・・キリ、」

 弱ったような唐沢の声に、キリは回らない脳内を回転させて言葉を紡ぐ。練習したセリフはどこかへ吹き飛んでしまった。 

 「っ、私が、意地・・張ってたからっ・・」

 まず自分の非を認めて、それから、それから。

 「違うよキリ、俺の言葉が足りなかった」

 「っ、大嫌いなんかじゃ、ないの、ちがうの、」

 それから一番言いたいこと。

 あのね、ずっと言えてないことが一つあるの。
 ずっと一人だった世界から連れ出されてから色んな人に出会って、大切な場所ができて、それは全部あなたのおかげなんだよ。

 「知っているよ、はじめから」

 そう言った茶色い瞳にはキリだけが映っていた。

 「・・ずっと私だけ見てて」

 また口から飛び出す可愛げのないわがままに唐沢はやっぱり優しく笑った。

 






 ぱちり、と目を開ければ久々に見える慣れた白い天井。何度か瞬きをして瞳だけを下に動かせば見えるこげ茶の髪。部屋に静かに響く寝息と共に胸のあたりに吐息がかかってくすぐったい。

 「・・ちょっと、」

 「・・・・ん、」

 ぎゅうとキリの体に腕を回し、胸に顔を埋めるようにして眠る唐沢の肩を押すがビクともしない。
 むしろ唐沢は小さく唸ってキリの体に回す腕の力を強めたのでキリは諦めのため息を吐いた。久々に吐く、幸福からでるため息。

 「・・また寝たふりしてからかってるんでしょ、分かってんだからね、ばか」
 
 じとり、と目下のこげ茶の頭を睨む。
 いつもそうだ、キリが起きると寝たふりをしてキリの反応をからかうのだ。
 今日はそうはいかないぞと睨んでもやはりこげ茶の頭は動かないーーどうやら今日ばかりは本当に寝ているらしい。

 力をいれてもビクともしない、身じろぎできない、ないないづくしのキリは諦めて目の前でふわふわしたこげ茶の髪に少し顔を埋める。ちょっとかたいその髪は嗅ぎ慣れたシャンプーの匂いがしたーー後で自分も風呂に入れば、この匂いになる。
 ふと、こげ茶の髪がゆらゆら動いた。

 「・・・・ん、やっぱり、いい」

 「は?」

 「・・枕より、断然ぷにぷにでいい」

 「・・・・喧嘩売ってんの、あんた」

 あげられた顔の頬を抓ってやろうと思えば、寝起きのとろっとした瞳と視線が混ざってやめた。かわりにわしわしと前髪をかき乱して目を隠してやる。

 「とっとと起きてどきなさい」

 「・・・・・・いやだ」

 「ちょっと、んっ、ん」

 ぎゅうと抱きしめられてキリは抗議の声と一緒に肩を押す。そのうち抗議の声もキスで消えかかるーーこのままではまた、流される。
 キリはぐっと唐沢を今度こそ押し返す。

 「そもそも、昨日こそはなんとなくの流れで、その・・その、」

 「えっちしたけど、んぐ、」

 「う、ううう煩い、勝手に人の言葉繋げるな! 黙れ、」

 「・・こんな感じもひさびさんぐぐ」

 ぐっと両手で唐沢の口をふさぐ。ダメだ、ただでさえ寝起きの唐沢はネジが外れかかってて締めるのに時間がかかるのに、今日はさらに外れてる。人の目が届く範囲は完璧なのに、こういうところは凄まじいのだ。

 「・・・・だから・・わ、わたしも悪かったけど、その、どうして、帰ってこなかったの」

 「・・・・逃げてた」

 「・・は?」

 「・・・・死ぬほどめんどくさい取引先の女から、逃げてた」

 「なにそれ」

 死ぬほどめんどくさい、と言った唐沢の表情が本当に嫌そうだったから、その女とどうにかなったわけではなさそうだ。こういう時だけは役立つ副作用だった。

 「・・キリに、雰囲気が似てて・・少し、手こずった」

 「・・・・は? ばっかじゃないの」
 
 思わずそう言葉を漏らせば唐沢はうっと言葉を詰まらせる。キリはぐっと唐沢の両ほほをつまんで睨んでやる。

 「・・目移りしたら許さないんだから」

 「それはない、絶対にない。なんなら証明する」

 キリは体を起こして覆いかぶさる唐沢にノー、の意思表示のために胸板を押した。

 「そ、それはいいの! 分かったから!!」

 「あいにく、ばかだから証明の仕方が1つしか浮かばないんだが・・はて」

 「嘘つけ!あんたがしたいだけでしょ!」

 「まぁそうだな」

 「ひ、ひひ、開き直るなー!!!」

 胸板をポカポカ殴るキリの手を半ば無理に掴んで、唐沢は指先にキスをする。

 「・・・・冗談。キリ、愛してますよ。君が一番だ」

 そう言う茶色い瞳は、表情は、本部のあの一室に迎えに来てくれたあの日と変わらなくて、それが嬉しいのに真っ直ぐな愛の受け止め方が分からないキリは目をそらして、信じてあげなくもない、なんて相も変わらず嘘を零す。

 彼なら、こんな言葉だって拾ってくれるとわかっているから。
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