器用な営業部長の場合03



 目覚ましアプリが起動したのか、携帯からこれまた大きめに設定された音楽が鳴り響き始めた。うつぶせに寝たまま、目も開かないまま、唐沢はうーんだとか、あーだとか唸って右手だけで携帯を探す。きっちり、左手は枕を抱えたままだ。
 何度も空を掴んだ右手がようやく携帯を掴む。のろのろとそれを体の傍まで持ってくるとようやく顔を上げた。やかましい音楽を止めようと、片目だけ開けると携帯の画面を見た。

 (なんだ、7時か・・)

 ロックを解除して携帯を半ば放り投げるように枕元に置くと、また枕に顔を埋めたーーここで、唐沢はあることに気付く。

 「7時・・・・? 7時?!」

 遅刻、の二文字が瞬時に脳裏を掠めた。いつもならばとうに家を出ている時間だ。
 慌てて跳ね起きると掛けていたタオルケットを放り投げーーようとして足と絡まって鈍い音と共にベッドから落ちた。
 舌打ちしながら部屋着を脱いでまた床に放り投げた後にクローゼットを開ける。
 不幸中の幸いというかなんというか、今日は営業絡みの仕事がこれといってない日だったはずなので、適当に選んでワイシャツとスーツ、ネクタイ、と引っ掴むと寝室を飛び出した。
 リビングに入って、散らかるゴミや洗濯物から目をそらしつつソファの背に着るもの一式を掛けると、身支度を整えるために洗面所へ向かった。
 ふと見た顔はいつもより疲れているような気がしたが、決してそれは音沙汰がない恋人のせいではない、たぶんないはずだ。



 「遅れてすみません」

 本部の会議室にほとんど滑り込むようにして入る。まだ会議は始まったばかりのようだ。唐沢は短く息をつくと自分にあてがわれた席に座った。

 いつもならこの場にあともう一人いたりするが、もちろんその姿はない。城戸の話をぼんやり聞きながら、自分の隣にある空いた椅子を見た。急遽あてがわれたこの椅子には、いつもあの気まぐれで我儘な秘書がいたりするのだった。
 そんな秘書は唐沢に一発叩き込んだ後に家から出ていき、かれこれ二ヶ月になろうとしていた。
 彼女の父親から家に帰っていないとは聞いたが、基地でたまに米屋や出水と騒いでいる姿は見るのだから、きっと親しい友人の所へ泊まり込んでいるんだろう、が。

 (泊まりにいけるほど親しい人物、か・・)

 そう考えて浮かぶのは米屋と出水なのだ。流石の彼女だって異性の家に二ヶ月も泊まり込むなんてしないだろうと思いたいのだが、この二人に関しては言えないのだ。誰よりも、キリと長く過ごして距離が近いのはこの二人だった。
 恋人、という立場であるから誰よりも彼女に近い自信はある。ただ、思ってしまうのだ、もう少し自分が若かったら、なんて。考えても仕方がない事が、彼女と付き合えば付き合うほど大きくなってゆくのだ。

 「唐沢くん」

 不意に城戸が自分を呼ぶ声に、泥沼化した思考回路から我を戻す。慌ててはい、と言って顔を上げて初めて、自分が注目されているのに気付いた。

 「だから、唐沢くんの意見を聞きたいのだが」

 淡々と抑揚のある声と、じ、と見つめてくる瞳に姿勢を正す。もちろん、話なんか聞いてやしなかった。変に取り繕うよりは、早く白状して謝ったほうがいい。特にこの男には。

 「・・すみません、もう一度お願いします」



 「キリちゃんは預かってます、返して欲しければ甘栗ください」

 会議が終わった後、ふとこちらへ来た沢村はそう言うや否やぐいと携帯の画面を唐沢の眼前に押し付けた。そこには、キリが知らないベッドで熟睡する姿が映っていた。久々に見る恋人の、ましてや無防備な姿に思わず唐沢は目をみはるーーと同時に響くシャッター音。

 「ッ、!?」

 「はい、唐沢さんの驚いた顔ゲットです」

 「ッ、君ね、」

 沢村は携帯を取られまいと後ろへひょいと飛びき、そこからまた二、三歩下がった。

 「キリちゃん、寂しがっていますよ」

 「・・・・べつにそれは貴女には関係ないでしょう」

 ただでさえイライラしていた唐沢は、ムッとしながらそう言った。そんな彼に沢村はふう、とため息つくと、特に何も言わず去って行くーーただ、少し歩いた後に振り返り、

 「・・唐沢さん、ワイシャツのボタン、掛け間違えてますよ」

 と言うのだから、直すために慌てて唐沢もその場から去るのだった。前はすんなり出来たはずのことが、いつの間にか出来なくなっているーー彼女がいない事は、やはり唐沢の中では大きいのだった。



 一通り今日の業務を終えてマンションの自室につく。いつもなら玄関を開ければ電気が付いていて、なんなら美味しそうな料理の匂いと一緒に人の気配が漂うのに、代わりに見えてきたものといえば、暗い玄関とかろうじて廊下に見える朝に蹴散らした服とゴミだった。
 職業柄人が見るであろう範囲はそれこそ細心の注意を払って気を使うことからの反動か、自分しか見ないであろう範囲はかなり汚い。
 一息ついて、革靴を適当に脱ぎながら今日出そう、と思って忘れてしまったゴミを恨めしげに睨んだ後に隅に寄せた。もちろんゴミは悪くない。唐沢が忘れただけである。
 もう一度、ため息をつくと唐沢は風呂場へて直行するのだった。



 上気した体をバスタオルで拭いてから気付く。部屋着から下着までまるっと脱衣所に持ってくるのを忘れたのだ。
 そういえばいつもはキリが用意してたっけーーそう気付いて無性に腹が立った。離れると彼女が困るんじゃない、自分が困るのだ。
 いつの間にかキリはそれ程までに、唐沢の中心だったのだ。

 「ったく、なんでこうも」

 バスタオルを腰に巻くとガッと乱暴に脱衣所の扉を開ける。明るい廊下に拭えなかった体についた水が落ちた。

 「だいたい、こっちの説明をちっとも、」

 一歩踏み出して気付く。風呂場へ行く前に廊下の電気は付けてない。

 「・・・・・・かつみ、」

 その声に油が足りない機械のように唐沢は玄関の方を向いた。そこにいたのは、ずっと焦がれていた恋人だった。
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