不器用少女の場合02



 さて、どうしたものか

 沢村は自分の住むマンションの一室に入るなり、目に飛び込んだ自分のものではないヒールに小さく溜息をついた。かれこれこの流れも一か月が過ぎようとしていた。

 そう、帰ってみれば玄関先にしゃがんだキリとそばにあるスーツケースに驚いたのは一か月も前の事なのである。
 話を聞いてみれば、やはりというか唐沢と喧嘩したらしく、思わずマンションを飛び出したはいいが行く当てがないということだった。帰れということも、ましてや放りだすことなんてできないので居候させてやっている。それ自体に沢村がなにか不満があるわけではない。むしろ、一人暮らしのなかへキリが飛び込んできてから家にいるときも楽しくなったほどだ。
 ただ、そんな楽しい時間をすごしていると、ふと彼ーー唐沢が脳裏をかすめるのだ。いつもこの暮らしをしていた唐沢は今頃一人なのだ、とどうしても気にしてしまうのだ。

 「・・で、キリちゃん。そろそろはなしてもらおうかしら」

 食卓にならんだおかずをはさんで、沢村はテーブルに肘を乗せて手を組むとその上に顎を乗せる。

 「何があったの?」

 「な、なにって、」

 「唐沢さんと」

 唐沢、その二文字にキリは一瞬泣きそうな顔をして、慌てて頬を膨らましていつものしかめっ面になる。

 「もうあんなやつ知らない」

 「もう、またそんな事いっちゃって」

 こうだ、とまっすぐ自分の意志を貫けるのはキリのいいところなのだが、それがマイナス面に災いして頑固になってしまっていた。その上、いつもは折れる唐沢もここ最近仕事が立て込んでいて本部にいる時間が少ないということもさらに重なって膠着状態である。こればっかりは二人の問題であって、沢村にはどうしようにもできない。

 「とりあえず、何があったの?」

 キリが押しに弱いことはもうしっているので、今度は強めに聞いてみる。思った通り、キリはうっ・・と言葉を詰まらせた後にぼそぼそしゃべりだした。

 「・・・・克己に、ひどいこと言っちゃったんです」

 でもあいつも悪い、とキリはむくれると箸を持っておかずをつまむ。

 「二人のことだからあんまり詮索はしないし、ここにはいくらでも居ていいけど、正直にならないと絶対後悔するわよ?」

 沢村のその一言に、キリはちょっとだけうっ・・と言葉を詰まらせたのちに、やっぱりむくれた。

 「・・知らない! 克己なんてもう知らないっ」

 梃子を使ってでも動きそうにない彼女に、唐沢は一体どうやっていつも合わせているのだろう、なんて考えつつ沢村は箸を持ち上げた。



 「喧嘩したんだろー、唐沢さんと」

 少し夏が近いのか校庭に降り注ぐ日差しは暑い。
 そんな夏の気配漂う校庭で、他のクラスの男子に人数合わせのために連行されたことによって半ば強制的にサッカーをしている出水を高みの見物のごとく風の通る涼しい教室からみおろしながら、キリと米屋は窓際でだべっていた。
 なんの前触れもなくそう言った米屋に、キリは思わず啜ってたオレンジジュースを慌てて飲み込んだ。危うく、詰まるところだったし実際に変なところに入って思わずむせる。

 「なんでいきなり、」

 どうしてわかった、と言いかけて口をつぐむ。そうだ、唐沢に平手打ちを食らわせた後に米屋と出水と会ったんだった。ゴホゴホと咳き込んでオレンジジュースと格闘しつつキリは何でもない体を装う。
 そんなキリを見透かしてか、はたまたいないのか、米屋は別にーと呟いて窓枠に腕を置いた。

 「・・で? まだ口聞いてないの?」

 「・・・・だって、かつ・・唐沢が悪い」

 「そう言ってお前、謝るタイミング逃したんだろ」

 「うっ・・」

 唐沢が悪いのかキリが悪いのかはこの際置いといて、それはまったくその通りなのだ。
 ここ約一ヶ月ほど謝るか、謝らないかを悩んで終わってしまった。何度かせめて話しかけてきっかけを作るだけでもと営業部の唐沢にあてがわれた一室に近付くだけで何もせずに終わってしまった。

 「で、今はどうしてんの?」

 「・・響子ちゃん家に泊まってる」

 「違う違う、本部で唐沢さんとばったり会ったりするだろ。つかお前、実家暮らしじゃねぇの?」

 「え、あ、あー、そうね。そうだわ」

 唐沢の家に同棲(というよりも居候)していることは上層部と迅以外には言ってないのだった。うっかり掘ってしまった墓穴にキリは適当に笑って誤魔化す。
 しかもキリの部屋と化した書斎にベイルアウト用のクッションを入れたらベッドが入らなくなっただとかなんとかを口実にされて、普段はダブルベットで一緒に寝ているなんて知られたら、まずい。非常に。

 「本部でも会ってない、向こうが避けてるんじゃない?」

 とにかく話の矛先をそらしたくてそう言えば、米屋はまさか、と笑い飛ばした。

 「それはない、絶対ない」

 「・・なんでそう言い切れるの?」

 「なんとなく分かるんだよ」

 「なんとなく?」

 曖昧な米屋にキリは少し呆れて視線を窓の外へ移す。体力のない出水はもう疲れているのかのろのろサッカーボールを追いかけていた。

 悪いのは、唐沢だ。
 一人で寝るには広すぎるあのベッドで寝た寂しさを全くわかってない。

 だいたいあの時だってきちんと説明してくれさえすれば、キリだってあそこまでカッとならなかった。彼が忙しいのはそれなりに分かっているし、きっとあの香水だって接待か何かでついてしまったに違いないーーと、考えて自分の矛盾に気付く。
 忙しいのが分かっているのなら、あそこで問い詰める必要はなかったのでは?先に、喧嘩のきっかけを作ったのはキリだったのでは?
 それに、ここ一ヶ月はあの広すぎるベッドで彼は一人で寝てるのだと気づく。それは、とても、

 「・・・・寂しい、かも」

 机に突っ伏してそう呟いたキリに米屋は特に何も言わず、少し笑ってキリの頭にぽん、と大きな手を乗せた。
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