器用な営業部長の場合02
「唐沢さん、大丈夫ですか?」
「・・ひゃい、きちんと契約しましたよ」
開始早々、滅多に自分から手を伸ばさない酒に手をつけて自滅した唐沢にそう忍田が問いかければ、んふふと笑いながら唐沢が答える。支離滅裂な会話に忍田が困ったように林藤を見たが、林藤だってこればかりはどうにもできない。
「ダメだな、こりゃ」
早々に会計を済ませるともはや死にかけた唐沢を林藤と忍田でなんとか運び出し、タクシーを拾った。こちらから誘った、というひけめもあってこのまま一人にするのもあれなので自宅まできっちり送り届けるつもりだ。
後部座席に男三人はなかなかきついものがあるので、忍田に助手席へ回ってもらうと林藤は唐沢(死にかけ)を半ば押し込んで後部座席へとまわった。
どちらまで、という運転手の問いかけに林藤は彼の住むマンションの住所を代わりに答えた。
「なんで知っているんだ?」
「あぁ、ちょっと前に城戸さんと俺と唐沢さんで飲んだことあってさ。っつっても仕事だけどな」
「なるほど」
そういえば、その日はメッセージアプリにメッセージが届いたことを知らせる通知で点滅しっぱなしだった唐沢の携帯は、うんともすんとも言わないーーもちろん、そんなに死ぬほどメッセージを送っていた人物は彼女だろう。現に唐沢は始終携帯をきにしていたからだ。
(まさか・・なぁ)
一瞬頭によぎった可能性を頭の隅に押しやって林藤は座席に座り直したーーしかし、その可能性が、みごと的中していたことを知ったのは次の日であった。
人生は選択の積み重ねだと思う。いつもは一歩後ろから見るようにしてその選択肢をゆっくり吟味してから、自分に一番有効な選択肢を選んできた。一ヶ月程前の朝までは。
「・・ちょっと、なんかいう事はないの?」
その日の朝、家につくなり仁王立ちしていた恋人のこの言葉に、なぜかイラッとしてしまった。こっちは嵌められそうになったのをなんとか逃げた上に、二日酔いで頭が痛いのを必死にこらえてお前の帰ってきたのに、と。
キリがいつもこういう言い方をするのは知っている。この誤解されやすいトゲトゲしい言葉の中に、彼女の本当の気持ちが隠れているのも知っている。そんなところもたまらなく愛おしいと思っている。いるのに、だ。
営業部にあてがわれた一室にある、自分のデスクの椅子に深く腰掛けて唐沢は大きくため息をついた。
その日は虫の居所が悪かった、と言い訳じみた言葉を腹の底に押し込む。違う、自分が選択肢を間違えたのだ。
あの時こそ、年上の自分が譲歩すればよかったのだ。キリにきちんと説明をしてすまなかった、と謝ればよかったのだ。そんな簡単な選択肢を、見落としてしまったのだ。
「あんたなんか、大嫌い!」
会議の直前に、廊下で言われたキリの一言が蘇る。
城戸からボーダーへの誘いが来る前、お世辞にも人様に自慢はできない職場にいた時。
それこそ人様に言えないようなやり方をして、これ以上の捨て文句、罵詈雑言を浴びせられたことがある。その時は何も思わなかったのに、この大嫌い、の幼稚な一言に何よりも凹む自分がいたーー彼女の口から飛び出たことということと、おまけでもらったビンタがかなり影響していることにも気付いて、唐沢はもう一つため息をついた。左頬が、思い出したように痛んだ。
「部長」
不意にそう呼ばれて唐沢は我に帰る。
「うん?」
「あの、お客様がいらっしゃったんですが・・」
そういう部下の後ろにいた人物に、唐沢は思わずあっけにとられた。
「モンブランはそんなに好きではないんだがここのは美味しいんだ。あぁ、そうだ、よかったら君も食べればいい」
「・・・・それはそれはどうも」
突然の来客ーーキリの父親は半ば無理矢理接待室までくると自分で持ってきたモンブランをもしゃもしゃと貪っている。
もうお互いに礼儀を挟む必要はなしと判断しているので、思い出したように唐沢にモンブランを差し出すキリの父親に、唐沢はソファに深く腰掛けると呆れ気味に見つめ返した。
「困りますよ、きちんとアポを取ってくださらないと」
「スポンサーのわがままは聞いておけ、私が資金を出さないと困るのは君だろう?今は私が、有利な立場だ」
「そういうところ、つくづく彼女と親子だなと思いますよ・・今日は何しに?」
「君を嘲笑いにきた」
「は?」
目の前の男は至って真顔である。
唐沢はふと、初めてこの男と取引した日を思い出したーー彼女と、初めてあった、あの日だ。
そんな唐沢の考えを露ほども知らない男はモンブランに手をつけつつ(唐沢の分だ)続けた。
「自慢じゃないが、私は娘に好かれていない」
「本当になんの自慢にもなりませんね」
「そんな娘からめずらしくメールが来た。なんでも家に帰ってくるかもしれないらしい」
まぁ、帰ってきてないんだが。とこれまた真顔で続けるーー目が少し悲しげなのは気のせいではないと思う。
「まぁそれはいい。問題は、何故あの頑固が帰ってくるなんて急に言いだしたか、だ。どうせ君と派手に喧嘩したんだろう?」
何も言わない、というよりは言えない唐沢に男は図星か、とだけ呟いてモンブランが入っていた箱からこれまた可愛らしいケーキを取り出す。いるか? とジェスチャーされるが丁寧に断っておく。どうやらこういうあたりも彼女は父親似だったらしい。
「分かっているなら尚更何故来たんです?」
「だから言っただろう、君を嘲笑いにきた。ざまあみろといいに来たんだ」
「・・それはまた、随分なご趣味で」
唐沢の嫌味もさして気にする素振りも見せず、男はケーキを頬張りながら続けた。
「嘲笑いついでに一つ言っておくが、あいつは折れないぞ。そういうところは妻に似ている」
そこで、少し間を置く。
「第三者にはどちらがきっかけを作ったのかは知らないが、もしも君が謝る側ならば早い方がいい」
「・・アドバイスどうも、嘲笑いに来たんじゃないんですか?」
「あぁそうだ、心底ざまあみろと思っているが、君たちが喧嘩をするのを見て楽しむ悪趣味は生憎、持ち合わせてない」
やっぱり彼女は貴方に似てる、その言葉は思わず飲み込んだ。わがままで素直じゃない彼女が家を飛び出してから一ヶ月。いい加減、寂しくなったのだという気持ちに気づいてしまったからだ。
「・・ひゃい、きちんと契約しましたよ」
開始早々、滅多に自分から手を伸ばさない酒に手をつけて自滅した唐沢にそう忍田が問いかければ、んふふと笑いながら唐沢が答える。支離滅裂な会話に忍田が困ったように林藤を見たが、林藤だってこればかりはどうにもできない。
「ダメだな、こりゃ」
早々に会計を済ませるともはや死にかけた唐沢を林藤と忍田でなんとか運び出し、タクシーを拾った。こちらから誘った、というひけめもあってこのまま一人にするのもあれなので自宅まできっちり送り届けるつもりだ。
後部座席に男三人はなかなかきついものがあるので、忍田に助手席へ回ってもらうと林藤は唐沢(死にかけ)を半ば押し込んで後部座席へとまわった。
どちらまで、という運転手の問いかけに林藤は彼の住むマンションの住所を代わりに答えた。
「なんで知っているんだ?」
「あぁ、ちょっと前に城戸さんと俺と唐沢さんで飲んだことあってさ。っつっても仕事だけどな」
「なるほど」
そういえば、その日はメッセージアプリにメッセージが届いたことを知らせる通知で点滅しっぱなしだった唐沢の携帯は、うんともすんとも言わないーーもちろん、そんなに死ぬほどメッセージを送っていた人物は彼女だろう。現に唐沢は始終携帯をきにしていたからだ。
(まさか・・なぁ)
一瞬頭によぎった可能性を頭の隅に押しやって林藤は座席に座り直したーーしかし、その可能性が、みごと的中していたことを知ったのは次の日であった。
人生は選択の積み重ねだと思う。いつもは一歩後ろから見るようにしてその選択肢をゆっくり吟味してから、自分に一番有効な選択肢を選んできた。一ヶ月程前の朝までは。
「・・ちょっと、なんかいう事はないの?」
その日の朝、家につくなり仁王立ちしていた恋人のこの言葉に、なぜかイラッとしてしまった。こっちは嵌められそうになったのをなんとか逃げた上に、二日酔いで頭が痛いのを必死にこらえてお前の帰ってきたのに、と。
キリがいつもこういう言い方をするのは知っている。この誤解されやすいトゲトゲしい言葉の中に、彼女の本当の気持ちが隠れているのも知っている。そんなところもたまらなく愛おしいと思っている。いるのに、だ。
営業部にあてがわれた一室にある、自分のデスクの椅子に深く腰掛けて唐沢は大きくため息をついた。
その日は虫の居所が悪かった、と言い訳じみた言葉を腹の底に押し込む。違う、自分が選択肢を間違えたのだ。
あの時こそ、年上の自分が譲歩すればよかったのだ。キリにきちんと説明をしてすまなかった、と謝ればよかったのだ。そんな簡単な選択肢を、見落としてしまったのだ。
「あんたなんか、大嫌い!」
会議の直前に、廊下で言われたキリの一言が蘇る。
城戸からボーダーへの誘いが来る前、お世辞にも人様に自慢はできない職場にいた時。
それこそ人様に言えないようなやり方をして、これ以上の捨て文句、罵詈雑言を浴びせられたことがある。その時は何も思わなかったのに、この大嫌い、の幼稚な一言に何よりも凹む自分がいたーー彼女の口から飛び出たことということと、おまけでもらったビンタがかなり影響していることにも気付いて、唐沢はもう一つため息をついた。左頬が、思い出したように痛んだ。
「部長」
不意にそう呼ばれて唐沢は我に帰る。
「うん?」
「あの、お客様がいらっしゃったんですが・・」
そういう部下の後ろにいた人物に、唐沢は思わずあっけにとられた。
「モンブランはそんなに好きではないんだがここのは美味しいんだ。あぁ、そうだ、よかったら君も食べればいい」
「・・・・それはそれはどうも」
突然の来客ーーキリの父親は半ば無理矢理接待室までくると自分で持ってきたモンブランをもしゃもしゃと貪っている。
もうお互いに礼儀を挟む必要はなしと判断しているので、思い出したように唐沢にモンブランを差し出すキリの父親に、唐沢はソファに深く腰掛けると呆れ気味に見つめ返した。
「困りますよ、きちんとアポを取ってくださらないと」
「スポンサーのわがままは聞いておけ、私が資金を出さないと困るのは君だろう?今は私が、有利な立場だ」
「そういうところ、つくづく彼女と親子だなと思いますよ・・今日は何しに?」
「君を嘲笑いにきた」
「は?」
目の前の男は至って真顔である。
唐沢はふと、初めてこの男と取引した日を思い出したーー彼女と、初めてあった、あの日だ。
そんな唐沢の考えを露ほども知らない男はモンブランに手をつけつつ(唐沢の分だ)続けた。
「自慢じゃないが、私は娘に好かれていない」
「本当になんの自慢にもなりませんね」
「そんな娘からめずらしくメールが来た。なんでも家に帰ってくるかもしれないらしい」
まぁ、帰ってきてないんだが。とこれまた真顔で続けるーー目が少し悲しげなのは気のせいではないと思う。
「まぁそれはいい。問題は、何故あの頑固が帰ってくるなんて急に言いだしたか、だ。どうせ君と派手に喧嘩したんだろう?」
何も言わない、というよりは言えない唐沢に男は図星か、とだけ呟いてモンブランが入っていた箱からこれまた可愛らしいケーキを取り出す。いるか? とジェスチャーされるが丁寧に断っておく。どうやらこういうあたりも彼女は父親似だったらしい。
「分かっているなら尚更何故来たんです?」
「だから言っただろう、君を嘲笑いにきた。ざまあみろといいに来たんだ」
「・・それはまた、随分なご趣味で」
唐沢の嫌味もさして気にする素振りも見せず、男はケーキを頬張りながら続けた。
「嘲笑いついでに一つ言っておくが、あいつは折れないぞ。そういうところは妻に似ている」
そこで、少し間を置く。
「第三者にはどちらがきっかけを作ったのかは知らないが、もしも君が謝る側ならば早い方がいい」
「・・アドバイスどうも、嘲笑いに来たんじゃないんですか?」
「あぁそうだ、心底ざまあみろと思っているが、君たちが喧嘩をするのを見て楽しむ悪趣味は生憎、持ち合わせてない」
やっぱり彼女は貴方に似てる、その言葉は思わず飲み込んだ。わがままで素直じゃない彼女が家を飛び出してから一ヶ月。いい加減、寂しくなったのだという気持ちに気づいてしまったからだ。