笑顔の先も知らないで







 「西条」

 ふと、聞いたことのある声に名前を呼ばれてキリは顔を上げる。目の前に知らない男が立っていたーーいや、知っている男だ。

 「え、えーっと・・四宮くん、だっけ」

 「違う。二宮。二宮匡貴」

 「あ、あ、あぁ〜、そうそう二宮くん」

 彼とは学部が違うが、ちょっとした有名人で噂だけは聞いていた。なんでも彼と同じ学部の友人は貴公子とか呼んでたっけ。
 まあ、この際呼び方云々はいいとして、彼はその容姿の良さから結構有名人なのである。加えて、三門市を守る正義の味方のボーダーに所属していると来た。
 イケメンの正義の味方とか二次元だけだろ、なんて友人に言えばとにかく見てから言え! と一喝されたのが記憶に新しいのだが、まあ、確かにカッコいいなというのが正直な感想だった。

 「えーっと・・?」

 容姿よし、スタイルよし、とか神は一人になんでも与えすぎだろとか思いつつぼんやり颯爽と現れた彼を眺めていれば、二宮はさも当たり前の様にキリの向かい側に座るなりこれまた自然に自分の荷物を広げ初め、着々とレポートを作り始めていく。
 ご丁寧にもキリの散らかしたプリントや参考図書を重ねてキリの方へ押しやった二宮を見つめればふと、目が合う。

 「なんだ。誰か来る予定なのか」

 「・・いいえ。まったく」

 ならいいだろ、と言いたげに目をそらした二宮にただただ唖然とするしかない。貴公子というより完全に暴君である。
 前言撤回、神は平等でした。目の前の彼には遠慮というものが欠けていた。

 「・・っていうか、私二宮くんと仲良いっけ? 話すのも今日が初めて・・ですよね?」

 痛いくらいに周りの視線がキリに向いているので、キリはこそこそと二宮にそう耳打ちする。昼間の大学のラウンジといういかにも人が集まるところだ。場所が、悪かった。
 二宮は、ふとキーボードを打つ手を止めてキリを見るーーというより、睨んだ。

 「初対面で話したことがないならばここに座ってはいけないのか?」

 「いやー、そんなことはない、ですねぇ・・」

 「なら、どこへ座ろうが俺の自由だろ」

 「で、デスヨネー」

 完全に眉間にシワ寄ってる。完全に不機嫌だ、これは初対面でも分かる。どうも話が通じないので、キリは一つ溜息をついて参考書に手を伸ばしたのだった。

 そして、これをきっかけに、暴君はさも当たり前のように毎週この時間はキリの向かいに座るようになったのである。

 「二宮ってさ、いっつもレポートやってるよね」

 今日は特にこれと言って差し迫った課題もないので、先ほど買った紅茶が入った容器にストローを突っ込みつつ、キリはレポートに追われる二宮を高みの見物のごとくぼんやり見ていた。

 「悪いか」

 「べっつにー。いや、ボーダーのお仕事忙しいのかなって」

 ピタッと二宮の動きが止まる。

 「お前にボーダーは関係ないだろ」

 顔を見なくても、その声音からいつものしかめっ面がぱっと浮かぶ。それも慣れたもので、キリはへいへいと適当に流した。

 「・・ほら」

 不意にぽい、とよこされたガムシロップとミルクを受け取る。ガムシロップが二つ、ミルクが一つ。キリが紅茶を飲むときにいつも使う量だった。

 「・・・・あれ、なんで分かるの?」

 「キリがいつも目の前で飲んでるからだ」

 「へー、気が利くねぇ」

 「いい加減ガムシロップの量減らせ。太る」

 「甘党だからいいの」

 「意味がわからないな」

 ガムシロップとミルクを紅茶に入れてストローでかき混ぜると一口飲んで、伸びをすると目の前の二宮を見るーーふと、ぱっと何かが頭に浮かんで、消えた。

 「・・あれ、これ前にもなかったっけ。こんな感じ」

 レポートが終わったのか、そそくさとパソコンをしまう二宮がふと片付ける手を止める。

 「・・きのせいだろ」

 「・・そうだっけ? あ、そうだ! この前ノート見せてやった時の約束覚えてるよね?」

 「覚えてる、なんでも好きなの食え。太ってこい」

 ぽい、と五百円玉を投げられたのをキャッチする。なんだか余計な事を色々言われたが、おごってもらえるのだからがっつかずにはいられない。

 「よーし! 一番高いのたべちゃお!」

 「好きにしろ」

 そう言ってふ、と笑う二宮に不覚にもどきりとしてしまったので、誤魔化すようにキリは立ち上がるとそそくさと券売機に駆けだすのだった。


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