夢中






 初めて会ったのは、学校の図書室だった。たぶん、彼女はそのことを覚えてもないだろうし、むしろ知らないと思う。こちらが、一方的に見惚れていただけだから。

 楽しそうに、少し口の端をあげて本に視線を落とす横顔が、何よりもきれいだと思った。



 今日は、少しだけ防衛任務が長引いた。

 村上は乱れる呼吸も気にも留めずに、ひたすらとある場所を目指して走っていた。時計はとうに彼女との待ち合わせ時間を過ぎていて、思わず顔をしかめる。
 待ち合わせ場所について、初めて村上は一息つくとあたりを見渡す。駅前で目立つ場所ということもあって、あたりは待ち人でいっぱいだった。ーーいた。

 やっと探していた姿を見つけて安堵しつつ近付こうとして、村上は顔をしかめた。キリの周りに、見知らぬ男二人組がいたのだ。
 湧き上がる不快感を抑えつつ、つかつか彼女の元に近付くとぐっとこちらに引き寄せる。

 「・・おい」

 「あ、村上くん!」

 嬉しそうに彼女はそう言って二人組の男を指さす。

 「あのね、この人達シェイクスピアに興味があるってことで意気投合してね!」

 きらきらと輝く純粋なキリの目を見、男たちを睨む。完全に、彼らの興味はシェイクスピアより彼女に向いているのだろう。そんな、汚い目で見るな。

 村上はキリを後ろに隠すようにして、ずいっと前に出ると男達を睨んだ。

 「・・俺の連れに何か用ですか」

 思わぬ邪魔者の登場に、男達は舌打ちをすると何も言わず去っていく。

 「あれ? まだテンペストの話をしている途中だったのに」

 こてん、と首を傾げる彼女に村上は深い溜息をつく。なんにせよ、走って来てよかった。あのまま言いくるめられて連れ去られていたら、と思うとぞっとした。

 「・・キリは、もう少し物語以外にも関心を持った方がいい」


 関心、というよりは自分の魅力に気付いた方がいい、のほうが正しい気がする。

 初めて話しかけられた時からそうだった。

 『・・それ、好きなんですか?』

 その日、たまたま彼女はいつも何を読んであんなにもきれいに笑うのだろうか気になって、彼女が戻した本を取り出したのだ。すると、ちょうど戻って来たキリはそう言って微笑んで続ける。

 『いいですよ、それ。私面白くって』

 その日をきっかけに、よく二人で図書室で過ごすようになったのだった。



 「遅れて悪かった」

 「いいえ、気にしてませんよ。むしろ、今日はお忙しいのにお付き合いさせちゃって」

 「いや、それは別に」

 こっちが好きに付き合ってるんで、という言葉はしまっておく。行きましょうか、と歩き出した彼女の隣に並んで歩く。

 「どうしても、今日発売の下巻が気になって気になって! あ、村上くんも読みますか? 上巻貸しますよ!」

 「じゃあ、借してくれ」

 好きなものを話す時の彼女が、何よりも好きだった。きらきら輝く目とか、説明するときの身振り手振りだったり口調だったり。真っ直ぐ文学に熱を向ける彼女は、何よりも眩しくて綺麗だった。

 その熱が、あわよくば少しでも自分に向けば、なんて思ってしまうのだから大概自分も下心でキリを見つめてしまっている。

 「えっと・・何か?」

 不意に、キリが不思議そうにこちらをみてそう言ったので村上は慌てて目をそらす。そう言われるまで、自分がキリを見つめていることに気付かなかった。
 顔に集まる熱を誤魔化すように、村上はキリに聞く。

 「・・本当に、キリは本が好きなんだな」

 「はい! そりゃぁもう!」

 えへへ、と笑うキリが眩しくて村上は優しく目を細めた。

 「かのアインシュタインはこう言ったそうです、『想像力は知識よりも重要だ。知識には限界があるが、想像力は世界さえ包み込む』これって、本当にそうなんです」

 彼女はまた、あの好きなきらきら輝く瞳で語り始める。

 「つまり、本の中の世界って知識が囲ってしまっている柵を超えてしまうんです。常識だとか、規則を無視して自由に自由に広がれるんですよ」

 そう言って、素敵でしょう? と笑顔を向ける彼女の手を、たまらなく掴む。やっと掴めた手は、ちょっと小さくてひんやりしていた。

 「む、村上くん?」

 きょとん、とする彼女に村上はちょっと目をそらして呟く。

 「・・本屋は、こっちだ」

 「わぁ、ほんとだ」

 語り始めると周りが見えなくて、と気恥ずかしそうに笑う彼女にこうも続ける。

 「あと、鋼でいい。なんだか同い年なのに苗字呼びは、堅苦しい」

 「え、ええーっと、じゃあ・・鋼・・くん」

 名前を呼ばれただけ、それだけがただ嬉しくてキリの手を少しだけ引っ張った。

 「・・『貴方が今、夢中になっているものを大切にしなさい。それは貴方が真に求めているものだから』」

 「あ、それアメリカの思想家のエマーソンの言葉ですね! それがどうかしたんですか、鋼くん」

 「・・いいや、別に」

 ほら行こう、と手を引けば、キリはまたへらっといつもの笑顔でまったく警戒もせずに笑うのだから、村上はちょっと笑ってそっと手を握り返した。優しく、大切に。










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