ペルセポネの心臓



 「どこへ行く?」

 ランバネインは目の前のメイドに声をかけた。声をかけたメイドが持ったトレーに乗った器には山盛りに果物が乗せられている。兄のハイレインの間食にしては多すぎるし、かといって自分が頼んだわけではない。先ほど一緒にミラと食事を済ましてきたからだ。

 「この間の遠征の折に捉えた捕虜の分です。こちらに来てからというものの、一切食事をとってなくて」
 「一切か・・」

 遠征から帰って来たのは二日前だ。大分たっているなと思うと同時にまたか、とも思う。次の神はもちろん、神の候補にならずともトリオン能力に長けて戦力になりそうな人物も攫ってくるのはハイレインのやり方だ。自分の国を壊された挙句に連れ去られてきた多くが今まで最初はこういった反応だった。

 「食べやすい果物でも与えなさいとハイレイン様が」
 「なるほどな」

 そこらの小鳥じゃあるまいし、と思わず考えたのがどうやら顔に出て居たようで目の前のメイドも苦笑した。

 「何、それでも重いだろう。ちょうど俺がその捕虜をハイレインから任されたところだ」
 「まあ、そうでしたか。ではこちらを」
 「ああ、助かる」

 葡萄やらなにやらたくさん乗っているトレーを受け取って階段を上がっていく。あまりにも脱走する件の捕虜は屋根裏部屋に移されたのだ。
 遠征から帰り、久々の本国で羽を伸ばしていればそれを見逃さなかったハイレインからちゃっかり面倒事を押し付けられてしまった。

 「俺になにかあればこの領を治めるのはお前だ」

 というのが何かとつけてハイレインがランバネインに言う言葉であった。
 小さい頃より長男としてランバネインよりも早く政治の世界を見ていた兄は何にでも「次の手」を用意している。その一つが、万が一自分に何かあった時のためにランバネインにも領主の仕事を任せることだった。
 兄に信頼されているようで悪くはないが、ああ見えて根っこはちゃっかりしているのでなんだかんだ理由をつけて自分の仕事を減らしているのではないかとも思う。天と地がひっくり返ってもないが、もしも自分が領主になりたいと言っても兄が譲る気は爪の先ほどもないだろう。
 なんだかんだ思案しているうちに屋根裏部屋へとたどり着く。ランバネインはぐっと扉を押し開けた。捕虜をここへ閉じ込める際に掃除をしたからだろうか、記憶にあったそれよりも屋根裏部屋は綺麗である。
 ぐるっと部屋を見渡す。天気がいいこともあって天井から差し込んだ日の光が部屋を照らしていた。小さく簡素なベッドはもぬけの殻、ぱっと見たところ捕虜の姿は見えない。しかし、殺した息遣いは確かに聞こえる。

 「おい、そろそろ何にも口にしないと体がもたないだろう」

 ああ、あのベッドの向こう側にいるのか。
微かな気配を頼りに部屋を進む。小さな頃はやたら高く見えた屋根裏部屋の天井も、今や中腰にならないと頭を擦りそうだ。時折ごつり、と頭をぶつけながらもベッドの前まで向かうとそのまま手をついて向こう側を覗き込むーーその瞬間だった。

 「うおっ、」

 鋭い切っ先が勢いよく目の前に迫ってきた。慌てて上体を下げた。すぐさま体勢を整えて状況を把握した。どうやらベッドの向こう側にいたのは奇襲の為だったらしい。
 先が鋭い木の棒を持った彼女は、先ほどランバネインが手をついていたあたりに飛び乗るとそのまま次の攻撃体勢に入ろうとする。なるほど、しおらしくしていたのはこちらの油断を突くためか。

 「意外とやるではないか」
 「ッ!」

 そのまま棒を持った手を掴むと勢いよく引っ張る。バランスを崩した軽い体はいとも簡単にベッドにねじ伏せることができた。場所が狭く動きにくいと言えども、所詮は男と女だ。ランバネインの力に捕虜はあっという間に押さえつけられた。抵抗するために振り上げられたもう片方の手も絡め取ると、纏めて頭上に押さえつけた。それでもまだ抵抗する足が煩わしくて、そのまま馬乗りになる。

 「そら、もう辞めたほうがいい、ぞ・・!」
 「ん、ぐ、」

 押し倒した時にあまりにも軽かったことを思い出すと申し訳ないが、ランバネインはグッと細い体に体重をかける。捕虜は苦しそうに呻くとようやく体の力を抜いた。ぐっとこちらを睨む柘榴石によく似た瞳と視線が絡む。

 「・・・・美しいな」

 つい、口からこぼれた言葉に捕虜は不愉快だとばかりに目を閉じてそっぽを向いた。彼女の行動にやっと自分がこぼした言葉に気付いてランバネインも慌てて視線をそらすと持ってきていた手錠で捕虜の手を縛り、ようやく持ってきた果物に手を伸ばす。

 「いや、すまない。今のは忘れてくれ。お前が何も口にしていないと聞いてな、ほら」

 葡萄に手を伸ばして薄い唇に押し当てる。頑なに開かないそれにランバネインは大袈裟に呆れてみせた。

 「今、口を開けたほうがいいぞ。ハイレインには会っただろう? 緑色の髪の男だよ。あれは手段を選ばんぞ、身を以て知りたいのか?」

 瞳がぐらっと揺らぐ。しばらくすると諦めたように唇が開いていくのでころんと葡萄を放り込んだ。しばらく咀嚼されてそのまま喉を通って行くーーその一連の流れをランバネインは見ていた。

 「よし、では上から退くから暴れてくれるなよ」

 捕虜は諦めたように頷く。それを見届けた後に彼女から退くと助け起こしてやる。そして片手だけ手錠を外し、今度はベッドと繋ぐ。

 「食えないものはあるか?」
 「・・・・ない」
 「そうか・・まだ小鳥のように食べさせてやったほうが良いか?」
 「ッ、ふざけないで!」

 捕虜は顔を真っ赤にさせるとランバネインから果物の皿を奪った。やはり腹が空いていたと見えて、捕虜は次々と果物を口に放り込んでいく。

 「お前、名は? これからお前は俺が預かる事になったんだよ、名も知らぬのは不便だろう?」
 「・・・・キリ」
 「そうか、キリか」

 キリと名乗った捕虜はふいと目をそらし、皿から果物が消えるまでしばらく彼女が食べる音だけが屋根裏部屋に響いていた。
 これが、キリとの出会いだった。


 その日から、領内にある自分の屋敷に連れ帰ったランバネインは出来る限りキリを自由にしてやった。

 「俺はハイレインと違って閉じ込めはしないし、縛り付けもしない。俺の屋敷内ならば自由に過ごしてくれて構わん・・ただ、良いか。お前の自由はお前次第だ。それも忘れるなよ」

 キリは何も言わなかった。ただ、あの柘榴石の瞳を瞬かせた。
 すこぶるトリガーの腕も良かったので、元来戦闘が好きなランバネインが彼女をただの捕虜から部下にするまでに時間はかからなかった。そしてあの美しい目に見つめられるたびにただの部下から何かへと変わっていく気持ちを、ランバネインは自分の中で持て余していた。

 キリが一匹の小鳥を屋敷に持って帰ってきたのは、彼女が丁度ランバネインの下についてから一年ほど経った頃である。任務から屋敷へ帰ってきたキリは自分のマントを大事に抱えて帰ってきたのだった。

 「どうした?」
 「雛が落ちてたの。まだ、生きているから放ってはおけない」
 「鳥籠なら倉庫にあったな。どれ、メイドに持ってこさせよう」

 そう言って去ろうとするランバネインの手をキリが掴んだ。赤い瞳が静かに怒りの炎を灯していた。

 「・・いらないわ、この子には、いらない。だって治りさえすれば自分で自由に飛び立っていけるもの」

 ランバネインは何も言い返さなかった。ただ、その小さな手を取り、

 「お前が言うなら、そうしようか」

 と優しく答えた。キリは瞳を少し揺るがせた後に、ランバネインから逃げるように手を軽く払いのけた。
 小鳥はしばらくキリに懐いたようで部屋で彼女とじゃれていた。あまり笑わない彼女の、その時に見せる心から笑う顔を見るのが何よりも好きだった。
 そしてある日、小鳥は忽然と消えた。

 「やっぱり大きい空が恋しくなったのね、いつも窓を開けておいてよかった」

 ね、とこちらを向いた何よりも好きなキリの笑顔にランバネインも笑い返したーーだから、言わなかった。居なくなった小鳥は飛び立ったのではなく、窓から忍び込んだ野良猫に襲われて死んだのだと。


 「不毛だな」

 近況報告を受けて返ってきた、少し哀れむような兄の言葉にランバネインは思わず目を細めた。そんな弟の反応を特に気にすることなくハイレインは続ける。

 「そんなに惚れているならいっそ娶って仕舞えばいい。周りの貴族にはいい顔をされないだろうが、お前には関係のない事だろう?」
 「そんな事、キリが喜んで受けるわけがないだろ」
 「良いか、少しでも欠けたグラスは元戻ることはない。欠けたままでも使えるだろうが・・お前も口を切るだろうな」

 ハイレインは続ける。

 「彼女が確実に欲しいなら翼を手折る以外にもう選択肢はない。どうあがいてもお前含めて我々は彼女にとって仇なのだから」

 そう、自分は彼女の国を滅ぼし無理やりこの国へ連れてきた。ハイレインよりも優しいとアピールしたとて、愛しているぞと言ってやったところで、彼女の中での事実は変わらない。
 ランバネインは尚も言葉を返す。

 「彼女を無理やりどうこうした所でそれこそ不毛だろう、心は手に入らない」

 ハイレインは笑った。

 「だからそもそも彼女に愛されたいという望みが不毛なのだ。それはもう、彼女と出会ったその時からお前が一生手に入れられない物なのだから」



 「あら、お帰りなさい」

 屋敷に帰るなり、玄関口で出くわしたキリは何やら果物がたくさん入った籠を持っている。

 「それはどうしたんだ?」
 「頂いたのですよ、今年は豊作だからって。実はまだ、籠が外にあるから運んでいるの」
 「・・・・なあ、キリ」
 「はい、なんでしょう」

 果物籠を下ろし、次の籠を取りに行こうとしたらしい彼女はランバネインの呼び掛けに足を止めてこちらを振り向いた。柘榴石の瞳と視線がかち合う。ランバネインは続けようとした言葉を呑み込み、代わりに短く息を吐くと笑った。

 「いやなんだ、美味そうだなと」
 「ええ、そうですね。全て運び終えたら少し頂きましょうか。お腹、空いたでしょう?」
 「・・そうするとしようか」

 穏やかな時間が流れているーーそれは彼女がそんな雰囲気を作っているから。逃げ帰る国もなければ宛てもない彼女がランバネインと過ごす中で見つけた生き方。
 偽りの平穏だ。彼女があの小鳥に向けていた笑顔がこちらに向く事はない。それでも、やはり、欲しいのは。
 キリは少し笑うと歩き出す。ランバネインは少し間を空けてそれに続いた。







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