葡萄








 初めて会った時から頭のどこかで警鐘はなっていた。

 「初めまして」

 なんて、あの男とよく似た顔したそいつは、人の良さそうな笑みをただ張り付けて手を差し出してきた。



 キリは、ゲートの向こうからやってきたいわゆる近界民だった。こちらに攻め入るにあたって、この世界の技術や戦力の詮索をするためにスパイとしてこちらへやってきた。ただ、それだけだった。

 ボーダーという組織がどれだけ力を持っているのか知るために嵐山という、いかにも純粋そうな男を利用しようと近付いたのが、狂い始めるきっかけになってしまったーーいや、嵐山というより彼に近付くうちに出会ってしまった嵐山によく似たあの男のせいだろうか。



 「・・ん」

 肌寒い風が素肌を撫でる。ぞわりと鳥肌が立つと同時に目が覚める。瞬間、無機質なコンクリートの天井が薄暗い視界に映った。ぱちぱち、と何度か目を瞬かせるとゆっくり体を起こす。ぎしぎしと大分無理をさせられた体が悲鳴を上げてキリは思わず舌打ちをした。
 そのままベッドの周りを見る。脱ぎ捨ててあったキャミソールを着ようとして、手首が重いのに気付く。

 「おはよう。目、覚めた?」

 「・・・・鎖とか、大分悪趣味ね、アンタ」

 ベッドの足に鎖で繋がった手錠を見せ、入り口に立つ男ーー迅を睨む。

 「お腹すいた? 葡萄持ってきたんだけど」

 食う? と口元にあてがわれた果実ごと迅の手をたたきはらう。その拍子にがらん、と葡萄が皿ごと落ちる。

 「ふざけないで。今すぐ解いて、さもないとーー」

 ばっと顔を上げれば、これ以上ないくらいに冷たい迅の瞳と視線がかち合う。ぞわっと腹の底から冷たい何かが込み上げて来てキリは思わず口をつぐむ。

 「ゲートがさ、最近めっきり開かなくなったんだよね」

 落ちた葡萄を拾いながら迅は淡々と話し始めた。

 「そのゲートから来た近界民に言われたよ、キリはどこだとーーおまえ、スパイだったんだって? おれがとっくにそんなの知ってたから捕まえたよっていったらあいつらどうしたと思う?」

 「・・・・あたしを見捨てて帰っていった、でしょ。あたしの国じゃ普通よ」

 そう言いながらも声は震えていた。国に見捨てられた自分は今、帰る場所はもうない。しかも現状は迅に捕えられている。自分の末路がふと頭をよぎり、次に思い浮かべたのは、屈託のない嵐山の笑顔だった。

 「そこでそんなキリに提案。このままずっとここにいるか、おれに本部に突き出されるか。本部は近界民に厳しいから、キリ、拷問されちゃうかもね」

 そう言ってキリの頬を撫でる迅の手つきはこの上なく、甘くて優しい。

 「本部とやらにに突き出してちょうだい。このせまっくるしい部屋で、昨日の晩みたいにあんたに無理やりされんのよりはそっちの方がマシ」

 「へえ。じゃあ、実はあなたを利用してましたってまだ何も知らない嵐山に告白できるんだ?」

 「っ、」

 「嵐山、心配してたぞ。キリが急に連絡つかなくなった、電話にもでない、家にもいないーー」

 「黙って!」

 「・・泣いてるの?」

 ぐいと顔を上げさせられて、迅に親指で涙を拭われるまで自分が泣いていることに気付かなかった。


 嵐山、嵐山。


 その二文字はまるで魔法みたいに胸に温かい物を広げる。

 初めこそ、情報を引き出すためだけに利用していただけだった。

 「ほらキリ、たまには少し笑ってみろ」

 ほらこうやって、とにっと口角をあげたあの屈託のない笑顔に惹かれてしまった。どんな時もバカみたいに全力で、キリが息をするのと同じように吐き出す嘘に笑ったり、怒ったり、同情したり。うらやましいと思った。自分も、彼みたいに光だけを見て生きられれば、なんて思ったのだ。

 彼は、どんな顔をするんだろうか。

 今までの話は嘘でした。あなたが一番騙しやすそうだったから取り入って情報を盗もうとしていましたーー彼はどこまでもまっすぐだから、でもよくそれを告白してくれたよくやったと褒めてくれるんだろうか、はたまた軽蔑するような瞳でキリを見つめ返すのだろうか。

 「・・・・できない、それは、できない」

 思わずそう吐露すれば、嵐山によく似た顔は笑顔になる。でもあの太陽みたいな笑顔じゃなくて、もっともっと狂気じみた笑顔。

 「・・おかしいでしょ。さんざん利用して騙してやった男に惚れちゃってたってオチ。いままでもこんな事普通にしてきたのにね」

 キリ、と呼ぶ声が耳に入るたびに胸が高鳴った。視線がぶつかるだけで体が強張って、なんども本当の事を言いそうになったーー好きだ、と言われるたびに泣きたくなった。

 色んなことが頭の中を巡りにめぐって、キリは自嘲気味に笑う。

 「・・じゃあ、このままこの部屋にいる、だな。大丈夫。キリが近界民ってことを知っているのはおれだけだから」

 おれだけだから、がやけに強調されていた。
ぐいとそのまま押し倒されて、視界に天井ではなく迅の顔がうつる。

 「・・・・どうして、こんなことを」

 「どうして? うーん、そうだな、好きだから、かな」

 そういって迅はキリの首元に顔を寄せて甘く噛んだ。びく、と強張るキリをなだめるように迅の手が何度も体を撫でる。その手がどこまでも冷たくて、こわくてキリは目をつむるときゅっと口を閉じた。口を開いたら最後、助けて准、なんて助けを乞う言葉が漏れてしまいそうでーーそして散々騙して利用してきた男にまだ図々しく助けを乞う自分が嫌で。

 「・・ねぇキリ、好きだよ」

 次に迅の顔が視界に映れば、その顔は苦しそうに歪んでいた。知っているんだ。自分の好意が、行為もすべて一方通行な事に。

 そうか。とその顔みて合点がいった。

 嵐山に紹介されて初めて会ったあの日、あの時。迅もキリと同じ顔をしていたのだ。自分が、嵐山を見つめるその顔と同じ、好意を寄せる表情。だから、警鐘がなったのだ。

 こいつは、どう動くか分からないぞと。自分が嵐山へ好意を持ってしまって、利用することへの後ろめたさを感じてしまう変化をもたらしたように、その好意がきっと迅にも何か変化をもたらすぞ、と。

 好きだよ、とまた縋るような声が耳に届いてキリは顔をそらしたまま瞼を開けた。迅が拾い損ねた葡萄が一粒、皿の破片に混じって床に転がっていた。











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