ゆめ、うつつ 「ゆういち?」 ぱっと目を覚ませば、眠りにつく前まではいつもの様に隣で寝ていた迅がいなくてキリは慌てて体を起こす。 窓から差し込んだ柔らかな月の光がシーツを照らし、部屋は真っ暗だーー脳裏に真っ暗な部屋と部屋中を自由に泳ぎ回る、光る小さな魚が浮かんできて何故かキリは泣きたくなった。何も覚えていないが、それはとても怖い記憶だという事ははっきりわかる。 助けを求めるようにベッドの上に座り込んでぐすぐすキリは泣き出す。どうしても迅の大丈夫だ、キリはここにいる、といつもの言葉と笑顔が欲しかった。 ふと、窓の外から音がしてキリはベッドから移動すると窓の外をうかがう。暗くてよく見えないが、基地を出ていく後ろ姿は迅のそれとよく似ていた。 「ゆういち、」 窓を開けると、キリは裸足で窓から外に抜け出してその後ろ姿を追う様に駆け出した。 「納得がいかないなら、迅に代わっておれたちが気が済むまで相手になるぞ」 迅と二手に分かれたのち、激高する三輪にそう言って嵐山は笑った。 三輪の様に、近界民によって家族を殺されたことのない嵐山からすると、彼の気持ちは計り知れなかった。もしも、妹や弟がそうなってしまったら? そんな考えが一瞬でも頭をよぎるだけでゾッとする。 ただ、憎しみを軸に任務をがむしゃらにこなす三輪は、いつだって苦しそうに見えたのだ。いつかそんな負の感情が、彼を押しつぶしてしまうような気がして。 彼はどう思うのだろうか。いつもへらへらしている迅が、近界民に母親は殺されて幼馴染が壊されたと知ったのならば。 この争奪戦で、少しでも考えてみてほしかった。やり方の、違いを。 そんな事を考えていれば、慌てたような声の佐鳥から通信が入る。 「ちょちょちょ! 嵐山さん! キリちゃんじゃない!? そこにいるの!!」 「キリちゃん?」 その通信に時枝は目を凝らし、木虎は慌てたようにあたりを見渡すーーまさか。 「じゅん、あい、みつる・・!」 ちょうど三輪たちの後ろあたりにやってきた何故か裸足のキリは、嵐山達を見るなり顔をくしゃっと悲しそうに歪ませてこちらに駆けて来ようとする、が。 「あれ、なんで一般人がここに?」 嵐山達とキリの間にちょうど三輪たちがいるので、キリはひっと小さく悲鳴をあげて尻餅をついてしまう。出水がそんなキリに気付いたのか、興味津々という様にキリに近付く。隣の米屋もなんだなんだ、とキリを見つめて三輪は面食らったような顔をした。 まずい、彼女と彼らは初対面だ。木虎が慌ててそんな三人に注意する。 「キリちゃんから離れてください、通報しますよ!」 「おいこら人を犯罪者みてーに言うな」 咄嗟にでた一言だったらしく、木虎はそんな出水の言葉にちょっと顔を歪ませた。見かねた時枝が制止しようとしたが、キリがあらぬ方向に駆けだした方が、タイミングは早かった。 「なんだ、今のやつ・・」 呆然とする三輪たちに、嵐山はちょっと困ったようにつぶやいた。 「・・迅の、幼馴染だ」 「・・こいつの狙いは、俺たちをトリオン切れで撤退させることだ」 何事もなくこのままうまくいく、とは思ってはいなかったものの、頭の回転の速い風間に言い当てられて迅は思わず眉を下げた。やはり、そうなるか。 玉狛に向かいましょうよ、と言いかけた菊地原が何かに気付いて後ろを振り向く。 「・・ここ、一般市民いないんですよね?」 「そりゃそうだろ」 と言って歌川が振り返って何かに気付き、固まる。目の前ばかりに気を取られていた迅も、改めて彼らの後ろに目を凝らしてぎょっとした。 「ゆう、いち・・!」 「キリ!!?」 涙で顔をぐしょぐしょに濡らしたキリがそこにいたのだ。キリはわあっと泣き出して一気にこちらまで駆けて来る。さすがの風間でさえ、そんな光景を呆然と見ているしかなかった。 「っう、ぅ」 がばっと抱き着いてきたキリを受け止めてやると、よしよしとあやすように背中をさすってやる。キリは、安堵からか迅の胸板に顔をうずめてもっと泣き出した。 恐らく、迅が基地を出た後に目を覚ましてしまったのだろう。ここまで一人で来て無事だったことに安堵しつつ、もっときちんとキリの眠りを確認すればよかったと自分を責めた。 「ゆういちいなくて・・くらいの、ひとりやだ・・!」 「・・っ、ごめんな、こわかったな」 大丈夫、大丈夫と優しく撫でてやればいくらかキリは落ち着いてくる。 「・・キリ、ちょっとそのままにしてろよ」 優しくそう言って、キリの顔を胸に押し付けると風刃を起動させる。戦闘を、彼女に見せるわけにはいかない。 迅のその行動にいち早く気付いた風間と太刀川は構えるが、風刃の斬撃は迷うことなく菊地原に飛んでいくと襲い掛かる。 一瞬の出来事に菊地原はきょとん、とした顔をしたままベイルアウトしていった。 「ゆういち、いまのおとなあに」 不安そうに見上げてくるキリに、迅はこの上なく優しく笑うとキリに言った。 「・・キリ、ちょっとだけあそこで隠れててくれるか?」 あそこ、と小さな路地裏を指させば、キリはちょっと瞳を揺らがせた。 「でも、」 「ごめんな、おれはちょっとやることがあるから。すぐ帰ってくるから・・約束」 そういってアウターを肩にかけてやる。キリは、迅のアウターの裾をちょっと掴んで、頷いた。 「・・うん、やくそく」 響く爆発音に、キリは身を縮こませる。ぎゅっと耳に手を当てて迅のアウターの中に入り込むように体を丸めるように座った。 大丈夫、迅が迎えに来てくれる約束をしてくれたのだ。 ふと、以前もこんな風に迅を待ち続けていた記憶が脳裏をかすめる。 真っ白な部屋に、見たことのない風景。そこにぽつんと一人でキリは泣いていてーー 「キリ」 その声は、とても優しくて温かい。断片的な記憶に引きずり込まれそうな、キリを温かい場所に引っ張り上げてくれる声だった。 「・・ゆ、いち・・!」 声の方向を見れば、迅がそこにいた。キリは慌てて立ち上がるとそこまで勢いよく走って抱き着く。 「よしよし、よく待てたな」 「やく、そくしたから・・!」 ぽろぽろ泣き出すキリに、迅は優しく笑ってそうだな、と撫でた。ずっと欲しかった温かさにキリはさらに泣き出す。 「よーし、やること終わったから帰るか。今なら嵐山たちにあえるぞ」 「うー、じゅんたちにあいたい」 背を見せるようにかがむと、キリを背負う。背中のキリは、さっきあったんだよ、とちょっと鼻をすすりながら言う。首に回された手は縋るように迅にぎゅっと絡む。 とん、とんと一定のリズムで揺れる背中と安心から、キリは迅の肩に頭を乗せて微睡む。ここならとてもいい夢が見れる気がするなぁ、なんて思いながら。 キリを背負う迅が、師匠の形見を手放さなければならない、しかし形見を手放せなければ後輩とキリを守れないーーそんな葛藤に押しつぶされそうになっているのを、キリの存在で何とか耐えていたことにキリが気付くのは、もっとずっと遠い日の話。 |