宣戦布告 「え・・?」 目の前のキリはまるで林檎の様に真っ赤になって、パクパクと口を動かす。 あぁ可愛いなぁ、だなんて呑気な感想が浮かぶ自分と、そんなキリの後方に立つ男を警戒する自分がいた。 時は遡ること数週間前。 米屋は自分の師でもあるキリと久々に手合わせをしてもらい、もちろんぼっこぼこにされた後にラウンジのソファに寝転がる。 「あー、クソ。相変わらずキリちゃんはつえーな」 「まぁね〜。でも、陽介だって強くなったじゃない」 二人分の飲み物を買ってきたらしいキリは、そう言って米屋にジュースパックを投げた。 「キリちゃんがそう言うと嫌味にしか聞こえねー」 「ひっどいなぁ」 くすくす笑うキリが眩しくて、ちょっと目を細めた。 「あ、そうだ。陽介、私戦闘員やめるんだ」 「あっそう・・・・・・って、はぁ?」 まるで明日の天気の事でも話すような、いたって軽い口調でキリは重要な事をさらっと言ってのけた。 あまりにも軽く言うのだから、米屋はそんな言葉を一瞬右から左に流してジュースパックにさしたストローをくわえたーーところで、言葉の意味に気付いて危うくジュースパックを落としかける。 今、なんて? 一度さらりと流した言葉を引き戻して、ぐるぐる回り出した思考回路で考えた。 「あ、うん。だからね、私、裏方に回ろうかなぁって」 「はぁ!?」 今度はきちんと意味を理解した米屋は、慌てて隣に座るキリに体を向けた。あまりにも俊敏なその行動に、キリはちょっと面食らったような顔をした後に苦笑いする。 「なんかね、自分の限界感じちゃって・・・・隊も、解散しちゃったし」 そう言ってちょっと寂しそうにキリは笑う。 この間の大規模侵攻の後に、三雲の記者会見を経てボーダー隊員に立候補する者が、どんと増えたのは事実。 しかし、立候補する者よりも些か少ないが、この三門市から離れていく者がいるのもまた事実だった。 三人構成のガールズチームだったキリの隊の隊員もその中の一人で、親に連れられて三門市から遠く離れた場所に引っ越したのだという。 やはり、弟子よりも隊員の方が繋がりが深いのだろうか。どんなに努力しても、米屋にはそんなキリの気持ちを埋めるなど、できなかった。 「・・でも、裏方ってなにやんの? 技術開発とか?」 「まさかぁ。というか、私がそんな頭使うのできると思う?」 「思わない」 「即答すんな、バカ」 このやろ、とキリがぐりぐりと米屋の頭に拳を押し付ける。いつもならそんなキリに自然と笑ってしまうのに、彼女が遠くへ行ってしまう不安が拭えなくて頬が引きつってしまう。 「西条さん」 ふと、和やかな雰囲気に終止符を打つように、キリの名前を呼ぶ声が響く。キリはちょっと背筋を伸ばして、声の主に振り返った。 「唐沢さん」 「どうも。こちらでしたか」 唐沢、と呼ばれたその男はそう言ってゆっくりこちらへ歩いて来る。貼り付けたような笑顔に、米屋はふつふつと腹の中で不快感が湧き上がるのを感じた。 確か、ボーダーの資金調達や交渉などを担う人物だったはず。どす黒い感情が渦巻く頭をフル回転させて、会議室で幾度となく見たよな、なんて考えていた。 そんな米屋の視線に気付いたのか、唐沢はにこりと笑う。 「おや、そちらが例の?」 「はい、営業部いっても手合わせぐらいはしようかなと」 「構いませんよ、むしろ貴女の強い一面が見れるのならいくらでも」 「それ、褒めてます?」 「えぇ、とても」 米屋そっちのけでそんな二人の会話は続き、米屋は一瞬だけ顔を歪ませた。 「あ、そうそう。私ね、営業部行くんだ」 「あ・・そう」 それならキリちゃんにもできるじゃん、とその時は笑ってみせた。 そして数分前、すっかりボーダーのスーツを着こなしたキリが唐沢と笑いながら話しているのに遭遇してしまったのだ。 お、陽介!なんて前と変わらない笑顔でこちらに来るキリのとなりに、まるで我が物顔でいる唐沢が嫌だった。 ここ最近気付いたのは、きっと彼も自分と同じなのだということ。純粋なキリの前ではいい面ひっつけて、奥にある欲を隠しているのだ。 「なぁ、キリちゃん」 だからこそ、米屋は無防備に近付いて来たキリをぐっと引き寄せると、赤い唇にそっと自分のを押し当てた。 そして、話は冒頭に戻る。 真っ赤になって慌てふためくキリの後方にいる、唐沢はちょっと嫌そうな顔をして、すぐにいつもの顔に戻す。一瞬だったが、化けの皮を剥がした瞬間を、米屋は見逃さなかった。 「よ・・陽介、いったい・・!」 「あー、なんだろ。宣戦布告、かな」 「は・・?」 訳がわからない、ともにょもにょ呟くキリを引き寄せて抱きしめる。そして、ずっと隠していた欲をそっと囁いた。 「好きだよ、キリちゃん」 これだけは、譲らない。 そういった意味を込めて唐沢を見やれば、彼は米屋の宣戦布告に、唇を楽しそうに歪ませたのだった。 |