Minuet
別に不変を望んだわけじゃない。
彼女に離れていくなとか、ずっと隣にいろとも押し付けない。ただ思う。奪わなくてもよかったじゃないか。
何故、彼女を。よりによって。
「いらっしゃいませ」
苦手な笑顔を張り付けて、烏丸は入店してきた客にそう言うと少し頭を下げる。年は自分とあまり変わらないくらいだろうか。休日ともあって、学校の規則から解放された彼女たちは思い思いに着飾っている。
「あ、あの・・! 四人なんですけど・・!」
「はい、今ご案内いたしますね」
そのうちの一人が、周りに押し出されるような形で烏丸にそう言う。烏丸が案内すれば、彼女たちはちょっと赤くなってひそひそ話し合っている。
「どうぞ」
席を案内すると、メニューを置く。彼女たちはそろってお礼を言うと、メニューを開いて選び出した。
緩やかな午後の喫茶店、という事もあって店内はのんびりした空気が流れていた。一杯のコーヒー片手に本を読む人も居れば、誰かと待ち合わせているのかそわそわしている人もいる。
「あの、すみません!」
先ほどの少女たちに呼ばれて、烏丸は戻った。
「はい」
「注文いいですか?」
「どうぞ」
何故もっと近くに他の店員がいるのに自分に、と少し不思議に思いながら注文票を開く。
「えーっと、イチゴパフェとカフェモカと・・」
「私はブラックコーヒーで! あ、キリは?」
三人が注文してじゃあ残りの一人は、と伺おうとすれば、ちょうどそれと同時に名前を呼ばれた最後の一人の少女が顔を上げる。
瞬間、時が止まったのでは? と思うほどに息が止まってその少女に釘付けになる。
段のあるふわふわとしたショートヘアが、彼女の動きに合わせて舞った。きらり、と光る瞳と目が合ってーーあいつにとても似ていた。烏丸は固まる。
「ストレートティーで」
形の良い唇から出てきた声に、どこかがっかりする。少し、高くておしとやかな声だった。
「・・あの、」
「・・! ・・すみません、ストレートティーですね」
固まる烏丸に、キリと呼ばれた少女は不思議そうに首を傾げた。我に返った烏丸は慌てて注文を取ると、そそくさとその場を後にする。
ちら、と少しだけ振り返った先にあったその笑顔に、とてつもなく泣きたくなった。
あの日以来、たびたびキリはこの店を訪れるようになった。最初は四人で、次第にはキリがわざわざ人が少ない時間帯に一人で来るようにもなったのだ。
「私、工業系の高校行ってて。工業系って女子が少ないから、だいたいあのメンバーで遊びに行ったりするんです」
「へえ」
すっかり冷めてしまったであろう紅茶に口を付けつつ、キリはそう言った。烏丸はちょっと気の抜けた返事をして彼女を見る。
たゆたう様な、アンバランスで不思議な時間が流れる。それは時間帯的にカフェに客が少ないことで生まれた静寂からかーーはたまた、別の事からか。
「お母さんにはやめとけって言われたんですけれど、私どうしてもやりたいことがあって」
「・・やりたいことって?」
「内緒、です」
烏丸が首を傾げれば、キリは人差し指を唇に押し当てる。目はきらりといたずらっぽく光って口の端が少し上がった。
そんなキリの仕草に思わず手を伸ばしそうになって思いとどまる。代わりにギュッとひんやりとしたトレイを握った。
その時、からりと店のドアに取り付けられたベルが鳴って、客が来たことを知らせる。
「お客さん、来たみたいですよ」
ころころ、とまるで鈴が転がるような声に我に返る。
違う、これじゃない。それでも、それでも。
「そうっすね」
彼女を横目に店の入り口を振り返るとまたあの苦手な笑顔を張り付けた。
ーーあぁ、あの声が聞きたい。