あまい虚像は崩れていく



 「まるでセイレーンね」

 侮蔑を孕んだその言葉にようやく私は顔をあげる。
 もはや何も感じなかった。ただただ、言葉の続きを待つように黙り込む私に彼女は呆れたように、軽蔑するように短く息を吐く。

 「セイレーンってのはね、怪物よ怪物。声で船乗りを惑わせて船を沈めるの」

 やっぱり何も感じなくて、私は何も言わずにまた視線を下に戻す。
 今はただ、膝元においた手の首に残った痣を明日彼にどう言い訳するかを考えるーーきっと心配するんだろうな。きっと恥ずかしがって面と向かっては言わないのだろうけど。

 「・・・・まるでセイレーンね」

 追い打ちをかけるようにもう一度言われた一言から逃げるように私は目を瞑った。

 大丈夫、大丈夫。明日になってしまえばまた優しい彼の隣にいれる。だから、我慢。もう私にはそれ以外に何も残されてないじゃない。

 「・・・・・・匡貴、」

 あぁ、明日にならないかな。





 「あぁ、確かにそうかも。そういえば雨取ちゃんが人を撃つのをみたことないわ」

 出水はそう言うと思い切りストローでジュースを吸い上げる。氷がほとんど溶けたジュースはとても薄くて水の味の方が大きい。

 「・・うるさい」

 不機嫌なそんな一言に出水はそのまま後ろを振り向くと呆れたように溜息をつく。
 眉間に少しシワを作り足を組んで座る二宮の隣にいるのは、自分の一つ上の先輩であり二宮の彼女である。今は、二宮の肩にもたれかかって静かに寝ている。顔にかかる黒髪から垣間見えたその顔は随分大人びていた。

 「ランク戦の実況の音に起きなかったから平気っしょ」

 あーあ、ジャケットまでかけてあげちゃって。よっぽど大事なんスね、なんてからかいの言葉はジュースとともに飲み込む。キリの手を握る、二宮の手がとても優しいのとーー彼女に関するちょっとした噂を聞いたから。

 今日だって家に一人にしておくのが心配だったのだろう。そうじゃなければ二宮は進んで本部にキリを連れてこない。B級一位の二宮の彼女という肩書もそうだが、歳より大人びた容姿に相まってどこか影を落とした静かな表情ですっかり注目を浴びていたキリにちょっかいだす輩は多いからだーーまあ、もちろんそんな事するものは二宮が片っ端からこてんぱんにするのだが(これに関しては東も苦笑いする)。もちろん二宮がいなければ彼女の同年代たちが黙っていない。

 「・・、」

 少し瞼を震わせてキリはうっすらと目を開ける。オレのせいじゃないですよ、と出水は慌ててことわっておく。そんな出水の弁解なんか気にしないで二宮はそっとキリを見る。

 「・・終わった。いくぞ」

 「・・・・?」

 その言葉にゆっくりキリは体を離すとゆらゆらと寝ぼけ眼で二宮を見つめると首を傾げる。どうやらまだ半分寝ているらしい。短く息を吐くと二宮は慣れたようにキリを抱き上げた。睡魔に勝てなかったのか、キリは二宮に体を預けると数回こくこくと船を漕いだ後にまた眠る。
 そんな彼女に思わず惚けていればふと鋭い視線を感じた。少し目線を上に上げれば冷たい目をした二宮とばちっと目が合う。

 「あ、あー、えと、どうも」

 慌てて目をそらすと何も言わずに二宮はラウンジを去っていく。

 (・・・・でも)

 あんなに愛されて、大事にされてーー二宮の隣にいるときや同年代といるときはいつも笑顔に見えるが、ふと見せる表情はとても苦しそうで辛そうで。ふと、昼間犬飼がこぼした噂が頭をよぎる。

 『キリってさーー』

 「まさかなぁ」

 ふと時間を見ればそろそろ防衛任務の時間だ。出水は空の容器をゴミ箱に投げ捨てるとラウンジを後にした。からん、と軽快な音は静かになったラウンジに響いた。





 『キリってさ、無理して笑ってねえ?』

 そんな当真の一言はまるで鈍器だった。大きくて重い何かで後ろから殴られたようなーーとにかく衝撃的だった。ただ、そのおかげで目は覚めたと思う。
 気付いてはいた。二宮が彼女を想えば想うほど彼女は苦しいこと。嘘をつきとおせるのも時間の問題だという事。そして、嘘は長引けば長引くほど知られてしまった後が悲惨なものになるという事。

 キリの秘密を知っているのは自分と彼女自身と、あともう一人。幸いなことにその一人はこちらがキリの秘密を知っていることは知らない。

 「・・・・鋼は怒るだろうなぁ」

 彼はキリを守りたいからこそ秘密を隠すことを決めた、それなら、自分はーー

 犬飼は大きく息を吸いこむと窓の外へと視線をずらす。太陽はどんよりと思い灰色の雲に覆われていた。



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