オフィーリアは秘密を抱えて沈む



 キリと出会ったきっかけは、高校最後の年の事だった。

 「書記になりました、西条キリです。よろしくお願いします」

 ぺこりと下げられた小さい頭に二宮はああ、とだけ答えて机に散らばった書類に目をおとした。最初の印象はどこかくらい奴、とだけ。下げられる前に垣間見えた瞳の暗さがその印象を強めたのかもしれない。
 大学の推薦権獲得のための一環として当時二宮は生徒会の会長だった。推薦権をもらうための成績も十分とってはいた上に、所属していたボーダーの後押しもあって受験に焦り始める周りよりはゆったりとした高校三年を迎えようとしていた、そんな時だった。
 
 二つ年が違う西条キリはとにかく表情がないやつだった。周りの和気あいあいとした生徒会の面々の中で一切表情を崩すことがない。容姿こそは整っていたこともあって密かに学年関わらず彼女の人気はあったものの、人形のようにずっとおなじその表情はどこか人を遠ざけるものだった。

 「西条さんってさ、笑わないよね」

 いつも通りにもくもくと仕事をこなしてさっさと生徒会室を退散していった彼女の後姿を見ながらふと、ひとりが呟いた。

 「えー、でも苗字変わる前はすっごい笑う子だったよー。それで男子からすっごい人気あったんだから」

 「苗字変わったって絶対それじゃん、変わっちゃった理由」

 「かわいそー」

 そんな会話を二宮は右から左へと流して自分も帰り支度を始める。
 この三門市には一般の人よりもずっと重い過去を背負う人なんてざらにいた。近界民に家を壊されたもの、大事な人を殺されたものーーだから、特別西条キリが可哀想だなんて思いはしない。口ではああ言ってた周りの奴らもそうなんだろう。
 ましてや、いまだって突然開くゲートから現れる近界民にいつ日常を壊されるかわからないこの状況で、わざわざ他人の不幸を一緒に背負い込んでやろうなんて物好きは、いなかった。





 そんな西条キリとの関係はたまたま二宮が忘れ物に気付いて、誰もいなくなった生徒会室へ戻ったことで変わっていくことになる。

 ガラリと扉を開ければふわっと舞い込んできたのは、どことなく夏の訪れを感じる風だった。ふわふわとまうカーテンに混じって夕日に照らされる長い黒髪が舞う。はた、とその人物ーー西条キリは動きを止めたかと思えばこちらを振り返る。

 西条キリがこちらを向くまでにかかった時間はほんの数秒。
 ただ、そんなほんの数秒の間にこちらを向いた伏し目がちな瞳が、重力から解放されたように舞う髪が、彼女の全てがまるで一枚の絵のように見えた。いつだか目にしたオフィーリアの絵が、ふと頭をよぎった。

 「・・・・二宮、先輩」

 いつもの平坦な声は震えていた。そういえば、まともに彼女の声を聞いたのは初めてかもしれない。とても、美しいと思った。

 「どうされたんですか、もう教室しめますよ」

 「・・・・お前こそ、何をしていた」

 西条キリはそっと窓際の手すりから手を離したーーここで、二宮はキリが窓枠に足をかけていたことに気付く。足元にはきれいにそろえられた上履きが丁寧においてある。

 「死のうとしてました」

 そう言って笑うキリに気付く、とても美しいと思ったのは、彼女が死に向かおうとしていたからかもしれないーー全てに打ちひしがれ絶望に溺れていくオフィーリアの最期に魅了された画家のように。

 「何故、」

 「知ったところで二宮先輩は助けてくださるんですか」

 その問いに、そうだと即答することもしないと否定することもできないまま二宮はじっと西条キリを見つめる。先に視線をそらしたのは西条キリだった。

 「・・・・冗談です。すみません、お先に失礼します」

 何事もなかったかのように西条キリは上履きを履き直すとカバンを手にして二宮の横を通り過ぎて部屋を後にしようとするーー思わず、二宮は西条キリの腕を掴んだ。

どこまでも細く、冷たい腕だった。





 ふと課題をしている手を止めて顔をあげると時計を見た。壁に掛けてあるその時計はもうすぐ昼と呼べる時間を指していた。一向に起きてこないキリを起こすかと立ち上がるとキリの部屋に入る。
 必要最低限のものしかない殺風景な部屋の中央にぽつんと置かれたベッドまで近付く。すうすうと静かな寝息と共に眠るキリを見るとなんだか起こす事が憚られてしまって、二宮はベッド脇に腰掛けるとその頬を撫でた。

 あの時と違って随分色んな表情をするようになった、笑うようにもなった、甘えるようになった。
 それと同時に、キリは以前より二宮の行動や仕草を異常なほど気にするようになったし、声もだせなくなってしまった。時折見せる暗い表情は初めて見たあの時を思わせる。
 二宮の知らないキリの秘密があって、それが彼女を苦しめていることはなんとなく気付いていて。でも、二宮がそれを知ろうと一歩踏み出せばキリは何歩も離れていく。その、繰り返しだった。

 「・・・・もう一度お前の声が、聞きたい」

 抱えているものが知りたい、助けたいーー

 そのちいさな言葉はキリに届くことなく、静寂な部屋に溶けていった。



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