無邪気な番犬



 「いいか、絶対先に帰るな。俺が迎えに来るまで待て」

 キリはまっすぐ二宮を見るとこくこくうなずく。あと、と二宮は続けた。

 「あんまりべたべたさせるな、しつこい奴はあとで名前教えろ」

 この問いに、キリは首をかしげる。ちょこん、と小首をかしげるこの姿がすでに可愛らしいことに本人は気付いていない。
 いやもっとも、気付いていてわざとそうするような人物ではないがーーともかく、そういういちいち動作が可愛らしい小動物を連想させるせいで彼女には虫がつきやすいのだ。ましてや、いまから預ける所なんて。
 だんだん眉間に皺を寄せる二宮に気付いたキリは慌ててがくがくと首を縦にふった。

 「・・・・あと、」

 「二宮さん、防衛任務の時間ですよ」

 まだまだ言いたいことはあったが、辻にそう遮られてしまった。
 これから二宮隊は防衛任務が入っており、決まってその時はキリをエンジニアの所ーーというよりも同い年の当真がいる冬島隊に預けていた。
 渋る二宮に見兼ねたキリが、

 『大丈夫』

 と二宮の手のひらに指で文字を描く。ふと、キリを見ればふわっとした笑顔と視線がぶつかったーー全く、分かってない。

 「お、キリ」

 キリを迎えに来たらしい当真に、キリはぱっと笑う。それが気に食わなくて、別れ際に無理やりキリを引き寄せると唇を押し当てた。

 「・・行ってくる」

 びっくりしたように二、三回瞳をぱちくり瞬かせた後にキリはにこりと笑って、

 『いってらっしゃい』

 と口を動かした。





 「お熱いねぇ」

 去っていく二宮の背中を見送ってから振り向けば、にやにやする当真と視線が絡む。すっかりあの場に第三者がいたことを忘れていたキリは真っ赤になった。
 そんなキリにからから笑って当真はキリに手を差し出す。

 「ほら、いくぞ」

 その手を掴むとキリはにっこり笑った。





 ぼぅっとする自身が所属する隊の長の横顔にまただ、と辻は思った。隣の犬飼も同じことに気付いたらしく、思わず二人は顔を合わせたーーが、犬飼の顔は新しい玩具を見つけた子供のような顔をしていて辻はこれはまずい、と反射的に思った。

 「キリ、今頃何してるんでしょーね?」

 キリ、の一言にようやく二宮が少したじろいだ。先程まではほとんど棒立ちだった(その姿で近界民へ攻撃する光景はなかなかだった)のに、だ。
 予想通りに余計なことを始めた先輩に、辻は深くため息を吐く。通信機越しの氷見も呆れたようなため息をついた。

 「・・・・知るか」

 「そうだ、この前勝手に二宮さん電話ブチ切ったでしょ」

 「そもそも何でお前が毎朝キリにモーニングコールをする」

 イライラ、と寄せられた眉間のシワを見てこれ以上余計な事を喋るなとばかりに辻は犬飼を睨んだ。が、当の本人はどこ吹く風で笑顔だ。

 「えー、知らないんですか二宮さん。ちょっと前にキリ、学校に来る途中で変な奴に絡まれてたんですよ。キリが話せないのいいことにしたいようにしててーー」

 瞬間、ヒュンッと二宮の放ったアステロイドが犬飼の顔のすぐ真横を横切る。微かに弾が触れた頬に小さな傷ができ、そこから少しずつトリオンが漏れ出す。

 『・・・・トリオン兵、撃破確認しました』

 犬飼のすぐ背後で被弾したトリオン兵が軽い爆破音と共に砕け散る。

 「・・無駄口叩く暇があるなら仕事をしろ」

 ふい、と顔をそらしてそのままカツカツ歩いていく。ちょうど、任務が終わる時間だった。逸らしたその刹那垣間見えた瞳は、どこまでも冷たかった。

 「・・怒らせてどうするんですか」

 ほらみろ、と言わんばかりに辻は犬飼を見るが対する犬飼は心底楽しそうに笑うのだった。

 「見てなよ辻ちゃん。明日から二宮さん何が何でもキリの送り迎え始めるよ、絶対」

 楽しいねぇ、と笑う犬飼にもはや怒る気力もなくて辻はそうですか、と適当に相槌をうつとベイルアウトした。

 「ねぇでも本当なんですか、キリ先輩がって」

 ベイルアウト用のクッションから体を起こすなり、ひょこっと顔をのぞかせた氷見が訊ねる。とうに二宮は隊室にはいないのだろう。いつも、任務が終わるなり真っ先にキリを迎えに行くのだから。

 「本当だよ、まぁもう大丈夫じゃないかな。あれだけやりゃもう手を出さないでしょ。それにこれからは二宮さんがべったりだろうし」

 あれだけ、とはどれだけなのかは聞かないでおいた。

 「・・それにさ、あぁやって弱い人見てちょっかい出すの見るの、すっげぇ腹立つ」

 ちょっと前の自分みたいだ、なんて呟いた犬飼に氷見と辻は顔を見合わせて思わず笑った。そんな二人に犬飼は頬を膨らませる。

 「なんだよ」

 「いいえ、原因は知りませんけど犬飼先輩も成長したなって」

 「ね」

 「はぁー? なんじゃそりゃ」





 次の日の朝、キリは思わず目をぱちくり瞬かせた。

 「聞こえなかったのか?」

 いや、聞こえなかったのかというよりーーなんとも言えないキリに二宮は繰り返した。

 「だから、これからは送り迎えするから一人で登下校するな」

 でも、そうとなると二宮の負担も増えるわけで。キリはぶんぶん首を横に振ったが二宮はキリの意向を無視して通学カバンを持ち上げるなり玄関へ向かう。

 「早く用意しろ。車で待っている」

 わけが分からなかったが、こうなってしまった二宮にはもう梃子でも動かない。キリは慌てて準備をするなりその背中を追いかけるのだった。
 その後、結局二宮に車で送ってもらった後に事の経緯を犬飼に説明すれば、やっぱりね、なんて大笑いするのだからキリは余計にわけが分からなかった。



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