秘密を知られたならば、あなたは泡になり消えてしまうでしょう
ふう、と抱えていた大きな袋を下ろすとキリは大きく溜息をついて額の汗をぬぐう。制服では汚れるからと着替えたジャージのズボンの裾さえも煩わしくて、キリはしゃがんでまくる。その拍子に、ズボンのポケットに突っ込んでいた携帯が落ちて、鈍い音を立てる。
キリはそれを慌てて拾うと傷がついてないか確認するーー恐竜のストラップが教室の窓から差し込む光に照らされる。それを目の高さまで持ってくるとキリは少しだけ笑った。体の内側に光がともったみたいに温かくなる。
あれから二宮とはよく話すようになった。最初こそは生徒会の中で、それもぎこちない物だったが最近は廊下ですれ違った時やたまたま出くわした時にも話すようになった。
「ねぇねぇ西条ちゃん、旗を纏めてつっこんでた袋見なかった?」
ふいにそう背後から声をかけられてキリは慌てて立ち上がる。
「あ、はい、これです!」
「ありがとー! 悪いんだけどさ、これ屋上まで運んでくれない?」
「わかりました」
よろしくね、とだけ言ってキリと同じようにジャージ姿の先輩はあわただしく教室を去っていく。
明後日の体育祭のために数日前から生徒会は準備でばたばたしていた。明日にはもう準備日として体育祭の一連の流れを確認するので、実質今日中には装飾やら準備を終わらせなければならなかった。
キリは今度こそ落とさないように携帯を上着のポケットに入れるとまた袋を抱えて屋上へと歩き出した。
屋上につくなり、見慣れた背中を見つけてキリは思わず息をのむ。
「二宮先輩、」
くるり、と二宮がこちらを振り向く。そして大きな袋を抱えたキリをみるなり慌てて駆け寄ってくる。
「西条、貸せ」
「え、でも、これ重いですよ」
「だから言ってるんだ。貸せ」
「は、はい」
半ば奪われるような形で装飾に使う旗が入った大きな袋を二宮が持つ。手の空いたキリは慌ててその高い背を追いかけた。
「これ、どうするんですか?」
「これにつけていって上から垂らすらしい」
「へえ」
大きなロープの傍に袋を無造作に置くと二宮はその場に座り込んで作業を始める。キリも慌てて続くような形で、もう一本のロープを持ってくると座って作業を始めた。黙々と作業をすることで訪れた沈黙は、気まずい物ではなかった。
「二宮先輩は高校最後の体育祭、なんの競技に出るんですか?」
「・・・・借り物競争。気付いたら勝手にそうなってた」
よほど不満なのかぶすっとした声と二宮が借り物競争をする姿を思い浮かべてしまって思わずキリは吹き出した。しかし、じろり、と細められた瞳に見つめられて慌てて作業をする手に視線を落とす。
「私は綱引きです。友人と一緒に」
「引けるのかそんな細い腕して」
「あー、言いましたね? 先輩のチームには負けませんよ」
「好きなだけ言ってろ」
そう言ってふ、と笑いをこぼす口元にキリはどきりとした。
体育祭が終わってしまえば、もう次の新しい生徒会の会長が決まる。つまり、二宮にとっては生徒会長としてーーそしてキリにとっては二宮と一緒にすごせる最後の行事なのだ。
同じ生徒会の役員、というだけの繋がりの二宮とはもうこれ以降はこうして一緒に過ごすことはなくなってしまうんだろう。本格的に受験モードに入る三学年は他の学年とカリキュラムも変わる。ますます会えるタイミングは減っていっていくのだろう。
それでも、とキリはちらりと二宮をそっと見つめる。黙々と長い指を動かして作業する憧れの人ーー二宮に思わず目を細めた。
思えばほんの短い間だった。それでもその短い間は、いままで生きてきた十何年と比べられないくらいにキリの中では大切なものだった。
人を好きになる温かい感情を知った。好きになっても手が届かない悲しみを知った。二宮との些細な事が、ちょっとした会話が、全てが、キリにとってかけがえのないものだった。
出来上がったロープをキリは抱える。
「二宮先輩」
思い切って想いを伝えようか、そう思ってしまう考えをを頭の隅に一生懸命押しやってキリは立ち上がって二宮を見つめた。秘密は秘密のままで。これから歩む道を進むために、支えにするためにこの気持ちは綺麗にしまっておいて、綺麗な片思いのまま、ずっと抱きしめていこうと思ったのだ。
「短い間でしたが、ありがとうございました。とっても楽しかったですーーあとちょっとだけ、頑張りましょう」
そう、ちょっとだけ。あと少しだけ。あなたと一緒に過ごしてもいいですか。
二宮はキリを見つめ、少しだけ目も見開いた。綺麗なハシバミ色の瞳は夕日で少しだけ煌めいた。
キリはロープを二宮の隣に置く。
「まだ何か、やることはありますか?」
「・・・・西条」
「はい」
目線を合わせようと隣に座る。少し前ならこんなこと、できなかったなぁなんて思っていると、ふと腰の傍においた手が温かい何かに包まれる。慌てて横を向けば、自分のものよりも二回りくらいに大きな二宮の手がキリの手を包み込んでいた。
「先輩、」
乾いた喉でそう呟く。ようやく絞り出せた声はからからしていた。
隣の二宮は相変らず下を向いたままーー思えば、少しだけ茶髪から除いた耳は赤い。
「・・・・好きだ」
え、今なんとおっしゃりました?
慌てて聞き返そうとした言葉は、ようやくこちらを向いた二宮の顔で声になることなく萎んで言った。
いつものクールな表情はどこへやら、真っ赤になった顔と少しだけ泳ぐ目。
「お前が、好きだ。西条」
先ほどよりしっかりした声で、きちんと目を合わされて言われたその一言にキリは絶句する。
「わ、私は、」
断れ。断ってしまえ。
こんなに綺麗な人と、自分は釣り合わない。それに、あの男との行為の話はどうする? ずっと隠すつもりか? また、汚い秘密を増やすつもりか?
色んな疑問も警告も、頭の中を駆け巡ったが慌てて顔を下に向けた瞬間に、繋がれた手が視界に入ってしまった。
欲しいと、思ってしまった。この温もりが、二宮がどうしても欲しいと、思ってしまった。自分のものになるかもしれないと思うだけで、鼓動が早くなった。
キリはぎゅっと目を瞑ると重ねられた手を、そっと握り返した。
「・・・・です。私も、好き、です」
たまらなく好きです。あなたを初めてみた、あの日からずっと。
顔を上げると少しだけ驚いたような二宮と目が合う。しかし、その顔はすぐに表情を変えて、安堵したように少しだけ微笑んだ。その表情にたまらなく胸が締め付けられた。嬉しくて痛いのか、それとも罪悪感から痛いのか、キリにはもう分からなかった。
繋いでいない方の二宮の手がゆっくり頬に触れてきて、キリはびくりと体を震わせた。そのままそっと包み込まれる。ぎゅっと目を閉じ、握った手をさらに握り締める。顔にさしていた夕日が少しかげったかと思えば唇に押し当てられる温かいもの。
ほんの数秒後にゆっくり離れる温もりに魅かれるようにゆっくり目を開けた。
「・・・・好きだ」
もう一度呟かれた言葉にキリは少しだけ笑った。
その言葉がなによりも嬉しかった、同時に、その言葉が何よりも苦しかった。