こちらを振り向くあなたと慌てて沈むわたし



 ふわ、とすこし湿気が混じった風が頬を撫でてキリは目を覚ます。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。机につっぷすようにして眠っていたせいか軋む体を無理に動かしてぐぐっと伸びをする。
 下校時刻が間近に迫った少し薄暗いこの生徒会室にはキリ一人だけだった。寝ているキリを起こすのが憚られた、といった内容のメモと共に鍵が傍に置かれていてキリはなにげなくその鍵を取るとぼんやり見つめる。大きさも感触も大分違うのに、なぜかこの前の彼の小さな落とし物と似ている、と思ってしまった。

 キリの拾ったあの小さな鍵はきっと彼ーー二宮が今持っているのだろう。もうなくさないようにストラップをつけたかもしれない、そして大事に大事にしまいこんでいるかもしれない。そう考えるとなんともいえない感情が、じわじわと胸から腹にかけて広がっていった。
 拾っただけ、ただそれだけなのにそれはまるで二宮との繋がりのようで、たまらなく嬉しかったーーそう考えている自分に気付いて、キリは小さく息を吐くと部屋の鍵を制服のセーターのポケットに突っ込んだ。

 ふと、横を見れば幾重にも黄色と赤が混じった夕焼けが映る。窓枠がまるで額縁の様で絵のようだと思いつつ窓に近付く。途端に、ふわりとあの湿気交じりで夏の気配がする風と、外でまだ活動する運動部の掛け声、それから花の香が部屋に舞い込んできた。大きな、大きな窓だった。少しでも身を乗り出そうものならば、体ごとその額縁に吸い込まれてしまいそうだ。

 いっそ、死んでしまおうか。

 唐突に込み上げたその感情は、物騒な言葉であるがその実どこか穏やかなものを含んでいた。もしかしたらこの額縁のような窓枠を飛び越えれば、そのままきれいな夕日に溶けてしまえるかもしれない。ここで死んでしまったならばもしかしたら、彼の目にも止まるかもしれない。もっとも、最低なかたちではあるが。
 まず、煩わしい靴を脱ぐ。それから、ゆっくり額縁に足をかけて、それからーー

 がらり、と扉を開ける現実的な音にふとキリは我に返る。そして、そのまま緩慢な動きで振り返った。最初に自分の黒い髪、次に見えたのはこの高校の男子生徒の制服、そして二宮の顔だった。すこし見開いた目はキリを捕えて離さなかった。ハシバミ色の瞳とばちりと視線がぶつかるーー数秒前の自分ならいつものように目をそらして、俯いてしまったのだろうが、今さっきまで死に向かっていたことが自分を大胆にさせたのか、そのまま瞳を見つめ返した。

 「・・・・二宮、先輩」

 自分でも驚くほどに小さく震えた声だった。そのまま少し笑って、続ける。

 「どうされたんですか、もう教室しめますよ」

 「・・・・お前こそ、何をしていた」

 その問いに、キリは迷わず答えた。

  「死のうとしてました」

 「何故、」

 「知ったところで二宮先輩は助けてくださるんですか」

 なんたって、こんな時にくるんだろう。
 二宮はなにも答えない。はたまた、何か言おうとする前にキリが動き出したのか。真相は定かではないが、とにかくキリは窓枠から足を下ろすと上履きを履き、無造作に放り出されたカバンを肩にかけると何事もなかったかのように二宮の隣を通り過ぎようと、した。

 「・・!」

 ぐい、と腕を掴まれて思わず止まる。慌てて自分の腕を見ると、自分のものよりふたまわりくらい大きな手がキリの腕を掴んでいた。そのまま自分をつかむ手から腕、と視線を辿らせて二宮を見つめる。

 「なんですか、」

 掴んだ二宮自身も、驚いたような顔をしていた。慌てて目を逸らしゆっくり腕を振り解けばその大きな手はいとも簡単に解けて。

 「・・・・失礼、します」

 一瞬また引き止めてくれるのではと淡く期待して歩き出す。だが、再び二宮が動くことはなかった。ただ、立ち尽くしていた。そのまま扉を開けて部屋を出ると、閉めた扉に身を預ける。

 どきどきといつもより鼓動が早い。キリは胸に手を当てると深呼吸をする。掴まれた場所から広がる温かい何かにただただ戸惑っていた。

 落ち着け、きっと明日になってしまえば、こんなことはなかったかことになる。

 そう自分に言い聞かせてキリは走りたい気持ちを抑えて夕日に照らされた廊下を歩き出した。
 しかし明日になってもなかったことにはならないで、むしろキリを大きく変えていくなどということをこの時のキリは露ほども知らない。



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