マリエちゃん | ナノ
マリエちゃんとひみつのアルバイト

 放課後の帰り道、マリエちゃんはご機嫌ななめでした。なぜなら、生理2日目だからです。

 頭も腰もお腹も痛いし、チョコレートが食べたくて仕方ありません。お財布に入れていたロキソニンは底をついてしまいました。さっさと帰ってお家で休みたいところですが、すこぶる体調が悪いので、歩調は重く、ゆっくりとしています。

 マリエちゃんの通学路は、わい雑なラブホ街でした。最寄駅の西口方面に高校があり、そちら側はすこやかな住宅街なのですが、マリエちゃんが住む東口方面にはオトナのセカイが広がっているのです。マリエちゃんの家はそこからすこし離れた地域にありますが、学校へ行くにはどうしてもラブホ街を避けて通れません。

 時間は水曜日の午後3時過ぎ。通りは閑散としていますが、手をつないだカップルがホテルの品定めをしています。マリエちゃんには、それが不愉快でたまりませんでした。ものすごく端的に言ってしまえば「リア充爆発しろ」という気持ちです。ジュースとお菓子と、紙袋に包まれたコンドームが入ったコンビニ袋を手に、セックスをするためのベッドを求めて練り歩く恋人たち。マリエちゃんと目が合えば、どことなく敵意のあるような表情を見せたり、迷惑そうにじろりと睨んでから目を反らします。「あの子、制服姿でこんなところ歩いて、売春かな?」なんてひそひそ話をされた時には、にっこりと微笑んで両手でファックサインをおくるのがマリエちゃんの流儀です。

 生理痛に苛まれながら、ラブホ街を進むマリエちゃん。ふと、あるホテルの前で立ち止まっているカップルが目に入りました。その2人は、どうにも不自然なのです。白髪まじりの黒髪をビシッとオールバックにした男性と、パステルカラーのゆるふわワンピースから白い太股を露出させている女性は、どう見てもかなりの年齢差があります。これは絶対に愛人関係だわ、とマリエちゃんは直感しました。男性には妻がいるに違いない、そしてアタシと同年代の子供もいるかもしれない……と想像したマリエちゃんは、無性にイライラしてきました。平日ド真ん中の昼下がり、若い女と一発キメようとしている浮気男なんて成敗してやるわ!

 マリエちゃんはブレザーの懐に手をつっこみ、スワロフスキーでデコられた、ピストル型のスタンガンを引き抜きます。

 それからの映像はスローモーション。眼光のするどい女子高生が突きつけるソレに気づき、男性は女性の盾になるように正面へと踊り出ます。マリエちゃんは容赦なく彼の腹部に向かってスタンガンを撃ち込みました。苦痛に顔を歪め、膝から崩れ落ちていく男性を見おろし、女性が悲鳴を上げます。マリエちゃんは彼女の右肩にも強力な電流をお見舞い。2人は折り重なるように倒れ、気を失いました。

「急所は外したわ」

 言ってみたかっただけのセリフを吐き捨て、マリエちゃんはスタンガンを懐におさめました。気が済んだので帰ろうとすると、どこからともなく現れた女性に引き止められました。

「待ってちょうだい! 私はその男の妻よ。最近様子がおかしいから、尾行していたの。そうしたら、よくわからないけどあなたが撃ってくれたわ。どうもありがとう」
「お安い御用よ」

 妻を名乗る女性は、なかなか貫禄があり、恐そうな人でした。彼女がスマートフォンで電話をかけると、ピカピカの高級車が到着しました。パンチパーマでスカジャンのコワモテな男たちが、気絶した2人を車に担ぎこみます。なんだかそういう映画みたいだわ、とマリエちゃんは思いました。

「これはほんのお礼よ。アンタ、良いスナイパーになれるわ」

 そう言って、ヤバイ組織の長っぽい女性はマリエちゃんに3万円を握らせました。舎弟たちもマリエちゃんに深々とお辞儀をします。

 そうして、不倫カップルを乗せた車は走り去って行きました。マリエちゃんは車を見送りながら、行き先は東京湾かしら、とぼんやり思いました。マリエちゃんはドラッグストアに立ち寄り、女性から貰ったお金でロキソニンと夜用ナプキンと板チョコレートを買いました。

「ボニー、ただいま」
「おかえりマリー」

 マリエちゃんは帰宅すると、お父さんのドクター・ボニファティウスに先ほどの出来事をお話しました。マリエちゃんのスタンガンを作ったのはドクターです。

「なるほど、それは金儲けのニオイがするね」

 ドクターは紫色の液体が入ったフラスコに、試験管に入った黄緑色のゼリー状の何かをどろどろ注ぎながら言いました。白衣を肘まで捲り上げて、風呂場のカビを掃除する時とかに使う薄桃色のゴム手袋を両手につけて、無駄にスチームパンクっぽいゴーグルを装着しており、まさに胡散臭さの玉手箱おじさんといった出で立ちです。

 ドクター・ボニファティウスは、泣く子も黙るマッドサイエンティストです。世にも恐ろしいあんなことやこんなことをやらかしているので、ご近所のみなさんはこの男にビビっているのです。蛙の子は蛙と言いますし、まあ親がヤバイなら娘もヤバイだろうということで、マリエちゃんも敬遠されています。なので、マリエちゃんにはひとりも友達がいません。

 ドクターはマリエちゃんのために新しいスタンガンを作りました。市販されているバトン型のスタンガンをほんのちょっといじり、命に別状はない程度に長時間気絶できる電圧・電流に改良。マリエちゃんが大好きなショッキングピンクに塗装し、持ち手にはシフォンのリボンを飾りました。

 そんなスタンガンのためにマリエちゃんがクローゼットの奥から引っ張り出したのは、乙女のロマンが爆発四散した桃色のワンピースでした。しぼり袖、背面のシャーリング、スカラップの裾、これでもかと寄せたギャザーから広がる、甘やかなシルエット。そして言うまでもない少女趣味三種の神器、リボンとレースとフリルの盛り合わせ。いつか特別な時に着ようと、大切にしまいこんでいたお洋服です。

 頭にはゴールドのティアラをのせ、大きなリボンが配されたチョーカーをつけて、特別なお洋服を纏います。チュールパニエは怒涛の2枚履き。足元は白いオーバーニーソックスと、トゥシューズのようなデザインのパンプスでキメています。

 そして、ドクターお手製のマジカルドーリーなスタンガンを手にしたマリエちゃんの姿は、どこからどう見ても魔法少女なのでした。ドクターはマリエちゃんの肩を抱き寄せ、壁に浮き出ている謎の茶色いシミを指差し、こう説き伏せました。

「マリー、君はこの世に蔓延る悪しき性欲を断つべく現れた魔法少女だ。人々の悲痛な叫び声に耳を傾け、愛と平和のために闘うのだ」
「それがアタシの運命なら……どんなに残酷な世界にも立ち向かって見せるわ!」

 そうして、魔法少女マリーと、世界に蔓延る悪しき性欲の、戦いの幕が切って落とされたのです。

 善良な市民から助けを求める声が上がったのは、それから約3時間後のことでした。ロキソニンですらお手上げの生理痛に襲われ、布団の中でうずくまっているマリエちゃんに、ドクターが言います。

「マリー、出動依頼だ。クライアントは47歳のサラリーマン男性。最近クラスメイトと交際をはじめた高校生の娘の鞄に盗聴器をしかけたところ、どうやら今夜ラブホテルに向かうらしい。娘の処女を死守してほしいそうだ」
「なんですって! 今すぐ向かうわ!」

 腰に鈍痛を感じながらも、マリエちゃんは布団を剥がして立ち上がりました。もう3時間も経っていたのでユニクロで買った部屋着に着替えていましたが、急いで魔法少女に変身します。さすがにボニーの科学力でも、魔法の言葉を唱えるだけで一瞬にして変身するのはムリね……とマリエちゃんは思いました。ワンピースのわき腹のジッパーが布をかんでしまい、直すのに手間取りました。

 白衣からブラックスーツに着替えたドクターが運転する黒塗りの車は、風を切ってラブホ街に向かいます。助手席に座ったマリエちゃんはサイドウィンドウをおろし、車体の屋根にパトランプを設置しました。ふたりはお揃いの黒いサングラスをかけています。魔法少女というよりも、メン・イン・ブラックか西部警察のようです。

「ああ、魔法少女マリー! 早くどうにかしてくれ!」

 待ち合わせ場所にふたりがたどり着くやいなや、依頼主の男性はヒステリックにそう叫びました。電柱の影に身を潜めた彼が指した先には、ホテルを品定めするカップルの姿があります。どんなカップルでもそうするように、指を絡ませ合い視線を絡ませ合い、どことなく気だるい空気を振り撒きながら、燦然と輝くルーム料金の案内を眺めながら歩いています。

 サングラスをアスファルトに放り投げたマリエちゃんの瞳は、魔法少女というよりも必殺仕事人のような殺気を湛えていました。パンプスをガツガツ鳴らしながら走り、ターゲットの前に踊り出ます。

「お待ちなさい!」

 マリエちゃんは声を張り上げ、魔法のスタンガンを2人に突きつけました。突如目の前に現れた、ファンシーな出で立ちの少女にカップルはドン引きです。

「悪しき欲望に囚われた愚かな恋人たち……お仕置きが必要ね」

 マリエちゃんがスタンガンを握った手を天高く掲げると、あたりはパステルカラーのグラデーションの光に包まれ、エネルギッシュかつガーリーな曲がどこからともなく流れ出し、それに合わせてマリエちゃんは星屑を散らしながらバレエダンサーのように華麗な回転を見せ、必殺技の名前を叫ぶと……というようなことは起こりませんでした。2人の身体にスタンガンを近付け、ほんのちょっと電流を放つと、ばたっと倒れて気を失いました。

「エリコ! お前の純潔は父さんが守ってやったからな。もう大丈夫だぞ」

 すぐさま依頼主の男性が駆け寄ってきて、愛娘のエリコちゃんを抱き上げます。無様にも地面とキスをしている彼氏の背中を踏みつけ、勝利を噛み締める男性の横顔は、オレンジ色の夕陽に照らされていました。

そのまぶしさに目を細めながら、マリエちゃんが言います。

「魔法少女マリーの使命はここまでよ。エリコちゃんに悪い虫がつかないように、あなたがしっかりと見守ってあげなさい。けれど、アタシの助けが必要な時はまた呼んでちょうだい。それじゃあアタシは行くわ。

アデュー」
「ああ、魔法少女マリー! ありがとう、ありがとう……!」

 そうして颯爽と立ち去りたいものですが、ドクターが男性からお金を受け取って領収書を切るまで、マリエちゃんは助手席で爪をいじりながらぼんやりしていました。出動1回につき、料金はきっかり5万円です。ぼったくり感が否めませんが、ドクターの取り分も欲しいので、ちょっと高めに設定しました。

 カタギの商売とは言えませんが、それでも魔法少女マリーに助けを求める人々の悲鳴は絶えませんでした。わが子の貞操を守りたい人、浮気した恋人や配偶者をこらしめたい人、はたまたそんな人たちのために協力を申し込んでくる弁護士や探偵、片思い中のあの人が他人とセックスをするのが耐えられない人、一度は別れてしまったあの人とヨリを戻したい人……さまざまな理由でカップルの悪しき性欲に悩まされている人々を、魔法少女マリーは次々に救っていきました。

 お金をもらえるのも嬉しかったのですが、何よりもマリエちゃんは感謝されることにやりがいを感じていました。みんな清々しい顔をして、マリエちゃんに「ありがとう」と言ってくれるのです。

 マリエちゃんのパパ、ドクター・ボニファティウスはヤバい兵器とかヤバい拷問器具とかヤバいお薬の開発、ヤバい生体実験とかヤバい科学研究とかヤバい国家陰謀に加担することを生業としているマッドサイエンティストです。平和を愛する善良な人々にとっては、排除されるべき悪の存在です。とち狂った科学者たちのおかげで文化や文明が進歩するのもまた事実ですが、まず感謝されるようなことはありません。世の中は理不尽なもので、ドクターの娘であるマリエちゃんは何もしていないにも関わらず、とばっちりを受けながら生きてきました。存在しているだけで疎まれ、恐れられ、蔑まれてしまいます。

 そんなわけで、マリエちゃんが誰かから感謝されるという経験は無いに等しいものでした。こんなにも自分が必要とされるのは初めてでしたので、とても良い気分になりました。可愛いお洋服を着て、ちょっとスタンガンをいじればよろこんでもらえるのです。マリエちゃんにとって、こんなにすてきなことが他にあるでしょうか。

 しかし、一般市民のみなさんが救いを求め、感謝をしているのはほんとうのマリエちゃんではありません。みんなの頼れる味方は、生理痛に呻きながらチョコレートを過剰摂取している女子高生ではなく、魔法少女マリーなのです。誰も彼女の正体を知りません。周辺住民及び全人類を恐怖のどん底に突き落とす、邪知暴虐なマッドサイエンティストとその娘によるお小遣い稼ぎのためのビジネスだなんて。

 万札を数えながらそのことを考えていると、マリエちゃんはどんよりとした気持ちになりました。正体を隠しているということは、善良な人々を裏切っているようにも思えましたし、正体を暴いたら暴いたで、善良な人々に裏切られてしまうことは明白でした。また、ショウタイ、ショウタイと悩んではみるものの、魔法少女マリーといつものマリエちゃんのどちらが世を忍ぶ仮の姿なのか、イマイチ分からなくなってしまいました。アタシとはいったい誰なのかしら、という哲学じみた葛藤のせいで、マリエちゃんの脳みそはどろどろに溶けてしまいそうです。

 いよいよ頭が爆発してしまいそうだったので、マリエちゃんはドクターに悩みを打ち明けました。ドクターは魔法少女マリーが稼いだお金で買ったプレジデントチェアに足を組んで座り、マリエちゃんの話を聞き

ます。一通り聞き終えると、足を組み替えて肘掛けに頬杖を付き、にやにや笑いを浮かべながらありがたいお話をはじめました。

「マリー、それはたいていの魔法少女が経験する悩みだよ。考えてごらん、ひみつのアッコちゃん、おジャ魔女どれみ、バットマン……みんな自分の正体を隠して活動しているじゃあないか。罪悪感なんて持つ必要は無い。正義の味方はねえ、いくら輝かしい名声を得ても、何処のどんな時代でも、孤独な生き物なのさ。その孤独に打ち勝ってこそ、一人前の魔法少女になれるというものだよ。魔法少女マリーもいつものマリーも君自身だ。自分のすべてを受け入れるとともに、君を悩ませる身勝手で無責任で都合のいい大衆のことも許してあげるんだ。できるね?」
「わかったわ、アタシ頑張る!」

 前回に続き、的を射ているのか射ていないのかよく分からない助言でしたが、従順なマリエちゃんはドクターの手をしっかりと握って誓いました。何故マッドサイエンティストのおっさんが魔法少女の事情を知っているのかとか、バットマンは魔法少女ではないだろうとか気になるところはありますが、友達がいないマリエちゃんにとってドクターは唯一の理解者なので、彼の言うことは何よりも正しいと信じているのです。

 そんなこんなで、魔法少女マリーはラブホ街での活躍を続けました。謎の光に包まれながらの変身シーンや、見せ場となる必殺技もありませんが、ファンシー大爆発なワンピースを纏い、セックスをしようとしているカップル達をスタンガンによって制裁していきました。

 謎のフリフリスタンガン少女と黒服男の存在は知る人ぞ知る存在となり、インターネットではちょっとした話題になりました。魔法少女マリーの行為は傷害や威力業務妨害に当たるのではないかということで、ラブホ業界と警察が警戒していましたが、ドクターのセコいあの手やこの手によって、すべてのミッションは華麗にコンプリートされました。スタンガンの電流を解き放つ魔法少女マリーの顔つきはどんどん精悍になり、万札をはじく手つきはもはや女子高生のそれではありませんでした。

 そんなある日のこと、再びエリコちゃんのお父さんから出動依頼がありました。また同じ過ちを繰り返すとは、なんて愚かな子なのかしら……もう1度お仕置きが必要ね……などと思いながら、マリエちゃんは魔法少女マリーにメイクアップします。だいぶ使い込んでいるので、2枚履きのパニエはちょっとしおれています。

 ドクターが車をかっ飛ばし、ふたりはすぐさま現場へ駆けつけました。1度目の出動依頼と同じ場所に、エリコちゃんのお父さんが身を潜めています。

「ああ、魔法少女マリー! 昨日盗聴したエリコの発言によると、この時間に2人が現れるはずなんだが、まだ」

 姿を見せていないんだ。そう続くはずだったエリコちゃんのお父さんの言葉は、何者かが放った吹き矢が彼の眉間に命中した瞬間に途切れました。エリコちゃんのお父さんは、電柱に寄り掛かって気を失い、泡をふいています。あまりにも突然すぎる展開にぽかんとするマリエちゃん。すると、どこからともなく声が聞こえてきました。

「覚悟しなさい、魔法少女マリー! あなたを倒すのはこの私よ!」

 萌え萌えのアニメ声にマリエちゃんがあたりを見回すと、ホテル・オーギュストの屋上に飾られている、ロダン作『考える人』のレプリカの頭の上に、キレイな姿勢で立つ少女が目に入りました。その少女は、なんとあのエリコちゃんではありませんか。

「ハッ!」

 気合いを入れるようにそう叫ぶと、エリコちゃんは『考える人』の頭を蹴って空中へと舞い上がります。辺りはまばゆい光に満ち、花びらが吹き乱れ、エリコちゃんは華麗に回転しながら衣装をチェンジしてゆきます。シュタッとコンクリートの地面に降り立った彼女は、そのへんにいる茶髪の女子高生ではなく、キラキラのシフォンドレスを身に纏い、身の丈ほどあるデコラティブなステッキを手にしたマジもんの魔法少女でした。

「私は世界中の人々の愛を祝福する、魔法少女エリーよ!」

 大輪のバラの花を背景に、集中線に囲まれた魔法少女エリーが高らかに名乗りを上げました。マリエちゃんは開いた口が塞がりません。

「幸せな恋愛を夢見るすべての人たちの願いを叶え、見守るのが私の役目よ。私の愛と魔法の力によってほんの少しの奇跡を与えて、前途多難な2人の恋をハッピーエンドへと導いてあげるわ。切なさで死んでしまいそうなほどの片思いを乗り越え、晴れて結ばれた恋人たち……ひとつになった心は、片思いのソレよりも激しく燃え上がるわ。そう、心の次は、身体がひとつになることを望むの。それは人間として至極当たり前の欲求よ。そんな恋人たちの情熱を、マリー、あなたは理不尽な暴力で台無しにしているわ。そんなの、私が許さない! ここで会ったが100年目よ、覚悟しなさい」

 そう言うと、エリーは銀色に輝くステッキを振りかざし、マリエちゃんを睨みつけました。スタンガンではどうにもならない魔法でぶっ飛ばされると思ったマリエちゃんは、ビビりながらも毅然とした態度を装い、腰に手を当てて仁王立ちで怒鳴ります。

「黙って聞いてりゃいけしゃあしゃあととんでもないことを言うお嬢さんね!? アタシとたいして歳が変わらないでしょうに、よほどのおマセさんとお見受けするわ。よっぽど恋や性欲を美化したいようね。まあ、百歩譲ってあなたの言い分も一理ありとしましょう。だけどね、あなたみたいな少女マンガ脳には分からないでしょうけど、世の中にはそんな恋愛だとかセックスだとかに迷惑して苦しんでる人たちがいるのよ。そんな可哀想な人たちを助けてあげるのがアタシの役目だわ。ていうかあなたねえ、高校生そこらの分際でラブホなんか行くんじゃないわよ! お父さんがどれだけ心配してると思ってんのよ!」

 言ってやったわ、とばかりにドヤ顔を浮かべるマリエちゃん。エリーに言い返す余地はあるまいと思われましたが、彼女は「ハァ?」と言って眉間にしわを寄せ、マリエちゃんにガンを飛ばしました。

「どうして私の貞操を他人にとやかく言われなきゃなんないの? 高校生でバージンを喪失する子なんてゴマンと存在するでしょ。援助交際をしてるわけでもなし、私は純粋な恋愛におけるセックスを望んだまでよ!」
「それを不純異性交遊って呼ぶのよ! 学校に通報されようものならどうなることかしら? 肉体関係を持った瞬間に恋愛感情は下劣なものに成り下がるわ。だってセックスなんて汚らわしいもの、破廉恥よ! 美しくないわ!」
「セックスが汚い? あのねえ、私もあなたも、全人類も、この世に存在する生きとし生けるものすべてはセックスによって誕生したのよ。陰茎も膣もおしべもめしべも生命の神秘よ! あなたのお父さんも私のお父さんも、お母さんと熱い一夜を」
「やめなさいやめなさい! みなまで言うな! 性交は本来子作りの手段なんだからそんなのは当たり前だわ。快楽を目的にした行為がはしたないのよ! 高校生の男の子なんてセックスのことしか頭に無いでしょう、身体目当てで付き合ってるのかもしれないわ。どうせヤりたいってせがまれて恋人だから引けに引けずみたいなかんじじゃないの!? いいのあんたそんなんで!?」
「うっさいわね、よく知りもしないで人の彼氏ディスってんじゃねえわよ! まともな恋愛をしたことが無いからそんな清純気取りのお姫様みたいなこと言えるのよ、あなたこそ少女マンガ脳なんじゃないの? ずけずけとデリカシーの無いことも言っちゃうんだから、きっとあなたモテないわね。態度とおっぱいだけデカい子によくいるのよね、私のこといやらしい目で見てくるぅ、男の子は敵だわぁ、みたいなこと言っちゃう勘違いブス」
「お主ぬかしおったな」
「お? やるか、やんのかコラ」

 ふたりの魔法少女は、すぐそばにお父さんがいるというのに過激な口喧嘩を繰り広げました。暮れなずむラブホ街の道端で、メルヘンな出で立ちの少女が言い争うのはなんとも不思議な光景です。

「ええい、埒が明かないわ! 実力で勝負よ! マジカルファナティックモード!」

 魔法少女エリーが叫ぶと、彼女の足元には光り輝く魔方陣が現れました。見開かれた魔法少女エリーの瞳は、青く燃えさかる炎のように強いエネルギーを放っています。あたりには風が吹きすさび、どう見てもこれからとんでもない魔法が披露される雰囲気です。

 大ピンチのマリエちゃんはスタンガンを両手で握りしめ、エリーを目がけて突っ込んでいきました。一発打ち込みさえすればマリエちゃんの勝利ですが、巨大なステッキにそれを阻まれます。ぶつかり合った魔法のスタンガンと魔法のステッキは、激しく火花を散らしました。マリエちゃんは歯軋りをしながら果敢にエリーを睨みますが、マジもんの魔法少女は嘲るようにマリエちゃんを見おろします。

「さあ魔法少女マリー、お遊びはこれで終わりよ」

 エリーはマリエちゃんを突き飛ばし、彼女の目と鼻の先に魔法のステッキを突きつけます。マリエちゃんも負けを覚悟し、一貫の終わりかと思われたその時でした。

 短く低いうめき声を上げ、エリーはその場に崩れ落ちました。彼女の手を離れた魔法のステッキは、重厚な鉄パイプが落下するような音を立ててマリエちゃんの足元に転がります。

 首筋を手でおさえ、エリーがおそるおそる背後を振り返ると、そこにはドクターが立っていました。サイケデリックな色の液体が入った注射器をサイケデリックなホテルのネオンの光に透かし、サングラスごしにまじまじと見つめています。

「これは2つの女性ホルモン、エストロゲンとプロゲステロンに働きかけて即座に鎮痛・沈静の効果をもたらす薬だよ。生理前症候群及び生理痛、その他女性特有のヒステリーを抑えることができる。もっとも、投薬したのは君がはじめてなのだけれど」

 ドクターはわざとらしく靴音を響かせ、ゆっくりとエリーの周りを歩きながらくどくどと説明しました。その間にもエリーの顔色はどんどん悪くなり、激しく痙攣し、呼吸が乱れていきます。先ほどまでの勇敢な魔法少女の姿はどこかへ消えてしまいました。かつん、かつん、と響くドクターの足音のひとつひとつを合図にしているかのように、魔法少女エリーの変身が解かれます。魔法少女のアクセサリーが、魔法少女のドレスが、魔法少女のステッキが、消えていきます。気付けば、魔法少女エリーはただのエリコちゃんの姿に戻っていました。

 もはや虫の息のエリコちゃんを、ドクターは割れ物を扱うかのようにそっと抱き起こします。それから、おもむろにサングラスを外し、ドイツ人の血を引く水色の瞳でエリコちゃんをじっと見つめました。エリコちゃんの意識は朦朧としていましたが、ドクターの顔を見た途端に、一瞬で冴え渡りました。だってその正体は残酷非道なマッドサイエンティスト、ドクター・ボニファティウスなのですから。

 ドクターは柔和な笑みを湛えていましたが、エリコちゃんは心臓が凍る思いでした。何を企んでいるのか測ることを絶対に許さないような、強い眼光で威嚇されているような心地です。しかしながら、彼女に抵抗する力は残っていません。ドクターはそんなエリコちゃんの耳元に顔を寄せ、薄く唇を開きました。

「気分はどうかな、魔法少女エリー。いや、橘エリコさん」

 その言葉を聞いたのを最後に、エリコちゃんの意識はぷっつりと途絶えました。

「全身の痙攣と過呼吸、それに強烈な眠気が副作用となると厳しいな、拷問の類にしか使えそうにない。マフィアかスパイ組織にでも売りつけよう」

 爆睡しているエリコちゃんの脈拍と呼吸を確認しながらそう言うと、ドクターは近くにあったゴミ袋の山に彼女の身体を放り投げました。いまだ気絶しているエリコちゃんのお父さんもゴミ捨て場に運び、彼の財布から5万円を抜き取ります。いまだに泡を吹き続けている口に領収書を捻じ込むと、ドクターは地面にへたり込んでいたマリエちゃんの手を引きました。

「ボニーが正体を明かしたからには、もうこの商売は終わりね。魔法少女マリーは死んだわ」

 ラブホ街を走り抜けていく車の助手席にどっかりと座って腕を組んだマリエちゃんは、そっけない調子で言いました。

「そんなことはないさ、需要はいくらでもあるよ。まあ、マリーがもう嫌だって言うなら終わりにしよう」
「引き際は大事だわ。お金だってたくさん稼いだもの」

 マリエちゃんはサイドウィンドウに頭を押し付けて外を眺めます。魔法の洗礼は受けずに済みましたが、マリエちゃんはすっかり魔法少女エリーに完敗した気分でした。信念を貫き、自分に正直に生き、その愛情でもって人々を幸福へと導く……彼女こそ正真正銘の魔法少女であると感じ、ニセモノの魔法少女である自分が恥ずかしくなってしまったのです。きっと魔法少女エリーは、パチもんのアタシよりも深い孤独を感じているに違いないわ。そう思ったマリエちゃんは潔く身を引き、ひっそりと彼女の活動を応援することにしました。ひとりよがりだけれど、これが友情の念というものかしら、とマリエちゃんはぼんやりと思いました。

 ドクターがカーラジオの電源を入れると、車内にはヤプーズの『ロリータ108号』が流れ出しました。

「ねえボニー。もしアタシにボーイフレンドができたら、あなたはどうするの?」
「そんなの決まってるじゃないかマリー、生皮を剥いで八つ裂きにするよ」
「ボニー、愛してるわ」
「私もだよ、マリー」

 ボニファティウス親子には知る由もありませんでしたが、ゴミ捨て場で目を覚ましたエリコちゃんは、魔法少女マリーとドクターに心から感謝しました。何故なら、バージンの喪失は魔法の能力を失うことを意味していたからです。魔法少女マリーが言ったとおり、エリコちゃんは恋人にそそのかされていました。魔法少女としての孤独に耐えられなくなっていた彼女は、男の子の言うままに処女を捨て、自由になろうとしていたのです。しかし、魔法少女マリーと対峙することで、魔法少女エリーは見失っていた自分を取り戻すことができました。

 エリコちゃんは魔法少女マリーにもう一度会えたら彼女にお礼を言いたいと思いましたが、きっともう会うことはないだろうと、はっきりと感じました。魔法少女の直感が、エリコちゃんにそう告げています。

「ありがとう、魔法少女マリー。あなたと私はライバルだったけれど、大切な友人だわ」

 夜のラブホ街に輝く『考える人』のレプリカを見上げながら、エリコちゃんはそっと呟いたのでした。おしまい。


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