きよみとめるこ


「はあーい皆さん、お待たせしました! やばいです、ベリーも腰を抜かしています! 緊張しすぎて泡噴きそうです! なんと、帰国会見から直でラジオ局に駆けつけてくれました、本日の特別ゲスト……舞台俳優の針山きよみさんです、どうぞ!!」

「こんにちは、針山きよみです。よろしくお願いします」

「こんにちは、こちらこそよろしくお願いします! めっちゃイケメンです、顔ちっさ! 私の方が顔でかいよ!」

「そんな、大袈裟ですよ。ラズベリーさんも可愛いですよ」

「ホメられちゃいました! 嬉しい! のっけからうるさくてすみません……針山さんは名作ミュージカル『ルメルシエ』の海外凱旋公演のために、長期間に渡り世界各地を飛び回っておられました。各国で大好評だったそうですね!」

「ええ、お陰様で。僕自身、子供の頃からずっとこの作品のファンでして、俳優を目指すきっかけになったんです。だからこそ主演をさせていただいて、皆さんに受け入れられたっていうのは本当に幸せです」

「とってもステキですね! セドリック役を演じられてますが、針山きよみと言えばこの役というイメージが強いですね」

「皆さんそう仰られます。ありがたくもあり、重圧でもあるかな。ルメルシエとともに困難を乗り越えていく姿にずっと憧れていました、いや、今も憧れです。でも、どうしたって僕は針山きよみなんですよ。他の作品の役にセドリックを介在させることは出来ないじゃないですか。僕は俳優ですからね。でも、やっぱりセドリックになりたいんです……すみません、意味分かんないですよね。とにかく、セドリック役への思い入れは強いです」

「いやいやー、深いですね。ベリーも自分の理想と現実の狭間で悩んだモンですよ。こんなアホみたいな髪の色して変なサングラスかけてますけど」

「ははは、まあ、誰でも抱える悩みですね。僕は少し度が過ぎるみたいです」

「その思慮深さこそが皆さんに好感を与えてるんだと思いますよ。その辺の顔だけキレイなアイドルとは違うぜ! みたいな」

「いえいえそんな。そうなのかは分かりませんが、応援してくださるファンの方々にはいつも感謝していますよ」

「んもう! カッコイイ!! ところで、すごい疑問なんですけど、どうして針山さんみたいな方がこんなラジオ番組のオファーに答えてくださったんですか」

「ああ、妹がライオットラジオのファンなんです」




 きよ兄が帰ってくる。その一報に、市松町はお祭り騒ぎだった。駅前スーパーの「きよみ君おかえりセール」には激安食品を求めて主婦が殺到。大通りに並ぶ商店も、負けじときよ兄への横断幕をあちこちに掲げ、きよ兄にちなんだメニューやグッズを開発したりと何か町興しのようだ。遊園地のしょぼいステージで、そっくりさんコンテストが開催されたらしいと小耳に挟んだけれど、詳しいことを聞く気にはなれなかった。
 
 いいなあずるいなあ私もベリーちゃんに会いたいなあ、とソファーを転げまわる私に目もくれず、ファニー氏は殺菌消臭剤を全身に吹き付けている。もちろん無香科のやつである。
 
 お茶を淹れて煎餅をかじり、食べかすをこぼす度に、ファニー氏がそれを拾って捨てた。足を組みかえたりソファーの上で三角座りをしたり寝転んでみたりした。ファニー氏にくすぐったいという感覚はあるのかと突然気になりはじめ、膝をくすぐったら無言で手をはたかれた。
 
 つまり、それぐらい暇だったし退屈だった。「マンションに着いた。もう少し待ってて」というメールが届いてから、結構な時間が経つ。きっとマンションの住民達がきよ兄を囲み、映画のプレミアイベントみたいなことになっているんだろう。きよ兄のことだから、SPを押し退けて、丁寧にファンサービスをしているに違いない。

「様子を見に行こうよ」

 執拗に膝をくすぐる私に、ファニー氏が提案した。

「行かなくていいよ。待ってれば来てくれるんだし」
「早く会いたいとか思わない?」

 べつに、とか、降りるのが面倒くさいとか、そんなふうに答えれば済むはずだ。なのに、どんな言葉が適切なのかなと生真面目に考えてしまう。私は何をしているんだろうと思いながら、正解に近い言葉をひねり出そうと必死になる。

「不自然じゃないかなって思うの」

 しばしの沈黙。じゅうたんについているシミを見つめながら、不正解かな、と思う。

「しゃくぜんとしないー」
「私もしゃくぜんとしない」
「しっかりしろー」
「おー」

 何枚目かわからない煎餅に手をのばそうとしたところで、インターホンが鳴った。先に立ち上がったのはファニー氏だったけれど、久々に訪れた妹の部屋から2メートルのうさぎが現れたらびっくりだろう。いや、私が扉を開けても対面するから、どうしたってびっくりなんだけど。

「おかえり」
「めるこ様ですね。はじめまして」

 玄関先に立っていたのは、絵に描いたようなゴリマッチョのSPだった。もちろん黒服で、サングラスとインカムを装備している。

「はあ、はじめまして。兄がお世話になっております」

 彼の背後では、ココアちゃんがきよ兄ときゃいきゃい喋っていた。ココアちゃんはなぜか仕事用のドレスを着て、髪の毛を盛りに盛っている。ふたりのそばには仏頂面のSPがついていて、その横では右隣のサラリーマンが色紙を持ってわくわくしていた。

「めるこ様、お待たせして申し訳ありません……彼はどうもファンに甘くて。本日はこの後も取材や撮影の予定が押してるんです。その合間をさいてめるこ様にお会いしたいという、きよみ様のご希望に沿って、スタッフ一同は綿密なスケジュールを立てて行動してるんです。それなのにファンサービスにファンサービスを重ねてもうこんな時間に……大変申し訳無いのですが、15分後には出発しなければなりません。せっかくめるこさんのお暇をいただけたというのに」

 このマッチョよく喋るなあ。いろいろ大丈夫なのかなあ。

「いえいえ、今日じゃなくても会えますし。こちらこそ兄がご迷惑をおかけしてすみません」
「やだなあ、僕の悪口?」

 マッチョの肩に手を置き、ひょっこりときよ兄が現れた。数年ぶりに再会する兄妹なんかじゃなくて、つい昨日一緒に食事をした友達にでも会ったような調子だった。ちょっとむかついたけど、変にしめっぽいよりはいい。

「うん。きよ兄がわがままで疲れるってSPさんが」
「はい。疲れます」
「山田は素直だなあ」

 山田さんっていう名前なんだ。ゴンザレスとかウラジーミルとか強そうな名前を想像してた。

 さわやかスマイルを浮かべながらも、きよ兄はちらちらと私の背後を気にしていた。そりゃあ、めちゃくちゃ気になるよな。

「めるこ、聞いていいかな。そのうさぎは何かな」
「はじめまして」
「うわあしゃべった!」



 舞台俳優、針山きよみ。歌って踊れて演技もできるイケメン御曹司として大人気である。甘いマスクで乙女たちのハートをブチ抜き、ハイスペックでありながら決して驕らない姿勢が同性からも支持されている。らしい。どっかの雑誌にそう書いてあった。

 私と同じ髪の色で、似たような顔立ちをした、すこしだけ年上の兄。なのに私は「眠そうな顔」と言われるのだから世の中不平等である。甘いマスクって何だよ。

 帰国したきよ兄は、なんか高そうなシャツになんか高そうなジャケットを着て、なんか高そうなスラックスを履いている。有名ブランドの腕時計も、やたらとぴかぴかに磨かれたローファーも、フローラルなにおいがする香水も、何もかもが馴染んでいた。紛れもなく、スターというやつだった。

 そんなシャレオツ人気俳優の針山きよみは、煎餅をばりばり食べながら変な顔でファニー氏をガン見している。

 ファニー氏に出会ってから抱きまくらに採用するまでのエピソードを、きよ兄に洗いざらい語った。気の利いた作り話をすることも考えたし、ファニー氏をクローゼットに押し込んで隠してしまうことだって考えた。でもそんなの、私が気にすることじゃあない。

「嘘じゃないよ」
「わかってるよ」

 お互いに険があった。ちょっとだけ目が合った。たぶん、私のほうが喧嘩腰だった。なんでもないふりをする。

「あの、ステファニーさん」
「ティファニー・ローレン・ターニャ小池です」
「失礼。君はその、めるこが、うさぎを」
「しってます」
「理由は」
「しりません」
「そう」

 海苔が巻かれた煎餅を、ばりばりと大きな音を立てて食べる。きよ兄は苦笑いを浮かべてこっちを見た。この話題はもう止めだ。名状しがたいシリアスな空気がきもちわるい。都合よく場面転換したい。

 ファニー氏には訳がわからないだろうな。ちょっと申し訳ない。でも、しばらくは訳がわからないままでいてほしい。わがままだなあ。

「そうだ、ラズベリーさんからめるこにポートレートを貰ったんだ。サインも入ってる」
「えっまじで」
「セクシー背徳感ストラップももらった。いらないからあげるよ」
「やだあお兄ちゃんやさしーありがとーだいすきー」
「いやしいなお前」

 きよ兄はおもむろにジャケットの懐から戦利品を取り出す(もっと丁寧に扱ってよ)。ギャグボールをくわえた人形が亀甲縛りにされ、ぶらぶら揺れる姿が変態的なセクシー背徳感ストラップ。出演ゲストしかゲットできないレアグッズである。どうしようこのストラップどこにつけよう。キッチンの蛍光灯つける紐かな。ポートレート入れる額縁買わなきゃ。えへへ。

「名前をもう一度教えてもらってもいいかな」
「ティファニー・ローレン・ターニャ小池です」
「ずいぶんと多国籍だね。なんて呼んだらいいの」
「めるこちゃんはファニー氏って呼びます。お隣のお姉さんは小池さんって呼びます」
「じゃあローレンさんって呼ぶね。よろしく。めるこは寝相が悪いから、いやになったらいつでも退職していいよ」
「締め技にもバックドロップにもなれました」
「それは頼もしいよ。めるこは夢の中で何とバトルしてるんだろうな」
「やだなあ、私の悪口?」

 えくぼをきゅっと作って、だらしない顔できよ兄が笑う。私のなかに蟠っていたどうしようもないものが、するするとほどける。

 外国に旅立つと世界観が変わって精神的に成長する、だなんて文句は嘘っぱちだと思っているけれど、きよ兄はなんだか垢抜けたように見える。出国する時は意味わかんないぐらい髪の毛をピシッと整えて、スリーピーススーツを着て、政府の要人が一大プロジェクトを発表するみたいな慇懃な態度で会見をしていた。親に頼めば当時の録画ビデオが見られるはずだ。今度こっそり見よ。

「ルメルシエって、お芝居の題名だったんだね」
「うん。主人公の女の子の名前でね、めるこって名前はルメルシエをもじったんだって。お父さんとお母さんがこのお話大好きでね、きよ兄が生まれた時はセドリックをもじった名前にしようとしたんだって。役所の人に止められてなかったら針山どりおになってたんだよ」
「役所の人には感謝してもしきれないよ」

 ちらりと時計を見る。あまり時間がない。玄関の外では、山田さんが腕時計を睨んでいるに違いない。

「ねえ、僕、邪魔じゃなかった?」

 出し抜けにファニー氏が言う。ぎこちなく見えてるんだろう。不自然にならないように、いつも一緒だった兄妹であろうと、張りつめた空気をつくっていたのは私だ。そんなろくでもないことをするのは、きよ兄の悪い癖だったはずだ。私にうつったのかな。だめだな今日。みっともない。

「そうだね、邪魔だったかもしれない」
「へこむー」
「めるこはひどいなあ。僕はローレンさんに会えて嬉しいよ。良いひとだ」

 インターホンが鳴る。ジャケットの袖を捲って腕時計を確認すると(片方の手で裾をつまみ上げるやつじゃなくて、時計を巻いてる方の腕をシュッて振るやつ)、きよ兄はため息を吐いた。

「ねえローレンさん、舞台を観たことはある?」
「ないです」
「じゃあ、今度3人で行こう。僕がいれば関係者席がとれるよ」

 きよ兄は勝手に私のドレッサーの引き出しを漁り、ネックレスとブローチを取り出す。鏡を覗き込んで、自分のもののように身に着けると、こっちを振り向いてドヤ顔をした。

「似合うでしょ。借りるよ。出版社に写真を撮られるんだ」
「セドリックは、そんな目立ちたがり屋じゃあないよ」

 驚くほどさらりと口にしてしまったけど、渾身の皮肉だった。きよ兄はきょとんとして、ちょっと自嘲っぽく笑った。

「そうだね。僕は僕になるよ」

 きよ兄が持つ軸みたいなものはずっと変わらないのだろうけど、すこし脱出してほしかった。本人がそれを望んでいても、そうでなくても。けどやっぱり、私がそれを口にするのは筋違いな気がした。 私は大ヒットミュージカルに出てくる、愛と希望がすべてのピュアなヒロインじゃない。いやな妹でもゆるしてほしい。

 センチメンタルな気分になっている私をよそに、きよ兄はファニー氏にせがまれて「ルメルシエ」の一場面を再現させられていた。いちいち身のこなしがキレッキレでむかつく。早く出発しないと山田さんに悪口言われるぞ。



 きれいでこざっぱりした気持ちでいられなくても、たぶんだいじょうぶなんだろう。どんなにくだらなくて胡散臭くて、わたしたちのなかのわたしたちにぴったりおさまることができなくても、わたしたちはわたしたちになれる。

 わたしたちには名前がある。


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