ぱきりと枝を踏む音がした。しまった、と思ったときには遅く誰だ、と怒号が飛んだ。一本松まで下がろう、と勘ちゃんが矢羽音で伝える。自分のうかつさに顔を歪めていると勘ちゃんは大丈夫とばかりに笑って闇に紛れた。俺も別の方向に姿をくらませる。 この峠道は港へと続く要所であるのだが、困ったことに最近このあたりを拠点として山賊が暴れ始めた。峠に打ち捨てられた死体はこれまでで片手で足りぬ、これじゃ安心して峠を越えられない、ということで忍術学園に討伐の依頼がきたのだ。白羽の矢がたったのは山に詳しい俺とそのとき手が空いていた勘ちゃんだった。頼まれごとなんてそんなもんだ。ちょっと通りかかったら団子でも買ってきてくれ、という調子で山賊を退治してきてくれと言われてしまった。 そして今夜山賊がねぐらとしている洞穴にまで近寄って、俺がヘマをした。これじゃ警戒されて退治しにくくなってしまったじゃないか、俺の馬鹿、と心中で叫んでいると後ろから足音が迫ってくる。向こうも二手にわかれたのか、それとも俺のほうにだけきているのか。地面を蹴りながらそんなことを考えつつ耳を澄ます。足音からだと5人いるかいないかというところだろうか。勘ちゃんとの待ち合わせ場所の一本松は峠の要所として知られている。そこまで駆けていく間に、と俺は懐から袋を取り出して中身をばっと地面に撒く。そのまま手近な木の幹を蹴って上に。 「っうわ!」 向こうは撒かれた菱に足をとられて一瞬立ち止まる。今だ。枝から飛び降りて忍刀でまずは目の前の驚いて口をあけている男を一突き。ずぶりといやな感触に顔をしかめる間もなく刀を引き抜いて周囲に目をやる。どうと倒れこんだ男を除いて残り3人。倒れた男がもう起き上がることはないだろう。 不意をつかれた男たちが刃物をもってじりじりと間合いを詰めてくる。どくりどくりとこめかみで体内をめぐる血の音がうるさい。相手の足がざりと土を擦る音をたてたとき、俺は地面を思い切り蹴って飛びあがる。俺の下で刀で受けようとしている男が構える前に上から竹を割るように刀を振り下ろせば、ぐぇと蛙がつぶれるような声をあげて血しぶきをあげた。あと2人。 「このやろぉ!」 返り血を浴びるなんて初心者もいいところだ、と思いながら激昂して駆けてきた男に足払いをかけ、倒れたところを背中から刺す。びくびくと震えているところで刀を抜くと、ぶしゅと鯨の噴く潮のように血が顔面に降りかかる。 「っく…!」 目の前が真っ暗になる。やられた、自分のせいだけど目をつぶされるなんて。くそ、ここでも失敗しちまった。視界を失って混乱する俺にひゅと空気を切る音が聞こえる。もう、終わるかも。そう思ったとき、きぃんと金物を打ち合うような音が響く。次いでぎゃっと声がしてどさりという音がした。 「はっちゃん!」 なじみのある声に大きくはない音量で呼ばれてほっとして座り込む。駆け寄ってきた匂いにあぁ勘ちゃんだ、と安堵する。 「怪我は?!」 「ない。ほんと、助かった…」 しゅるりと衣が擦れる音がして目をごしごしと拭われる。 「って!」 「もー…こっちきてよかったよ…」 俺先に着いたのにはっちゃん全然こないからさー、とぶつぶつ言う勘ちゃんに向こうには誰もいかなかったんだ、とほっとして自分の運の悪さというか失態にははっと笑った。 はい、おしまい、と最後にぐいと拭かれてようやく視界が戻る。目の前の勘ちゃんが心配そうにこちらを見ていて、その手には赤黒く染まった頭巾が握られている。俺は立ち上がって大丈夫、と笑った。そうすると勘ちゃんもやっと笑顔になった。 と、じわりと頭巾のシミが一回り大きくなっているのに気付いた。もしかして。がっと勘ちゃんの手首をつかんで立ちあがらせるとぐにゃりとその表情が歪んだ。ぽとりと指先が震えて頭巾が落ち、肌色と不釣り合いな赤色が現れる。手の甲には一筋の傷がついていた。 「勘ちゃん!」 「…まぁ俺もはっちゃんのこと言えないかな」 おどける勘ちゃんをぎっと睨むと勘ちゃんは首をすくめた。手を引き寄せて近くで見るとと裂け目に細かい土や砂が入りこんでいる。帰ったら伊作先輩に怒られるだろうけど、その前に土や砂だけでもどうにかしないと。俺は唾液を十分に溜めてから唇を近づけた。 「はっ…つぅ…!」 何も言わずに舌で裂傷をなぞると勘ちゃんから苦痛の声が上がる。そりゃ痛いに決まってるけど。一回舐めてぷっと土まじりの唾液を吐きだすともう一度細かい砂が入りこんでないか注意して舌先で探る。さっきのであらかた取れていたらしく、ざらざらとした感触は少なかった。じゅっと滲みだした血を唇で吸うようにして俺は鉄臭い唾液をもう一度ぷっと吐きだした。 これでとりあえず大丈夫、と言おうと顔をあげた。 「…あー…」 空いている手で勘ちゃんは顔を隠すようにしていたが、隠しきれていない頬や耳は真っ赤だ。いや、俺だって別にそんな意図はなくてただ最低限の治療だけでもしようと思ってですね。意識するとぼぼぼと顔が熱くなる。なんで死体に囲まれながら俺たち赤面しなくちゃいけないんだよ、と思ってごほんと咳払いをする。俺は勘ちゃんの頭巾を勝手に拝借し手早く傷口に巻きつけると手を離してくるりと背を向けた。 「帰りますか」 「…はい」 とんでもない山賊退治になってしまった、とこれからのお小言を思い浮かべながら俺たちは帰路についた。夜風がほてった頬を冷ましてくれることを願いながら。 手の上なら尊敬のキス |