君と夏の日




海に来ている。

足下にはさくさくと粒子の細かな砂が一面広がっていて、それもさしてきれいではない濁った土色だ。
ビーチサンダルの中の足はあっと言う間にざり、と不快な感触にまみれる。沖田は小さく眉を寄せた。
目の前に寄せて返す波の向こうは頭の中のイメージよりも沈んだ色の水面で、青というより深い緑に近い。
べたつく潮風と、思っていたよりはマシ、という程度の人混み。都内から車で二時間、
ガイドブックにいちばん小さく出ていた海水浴場まで来てもこれだ、近場じゃどうなっていたことやら。


夏休みだよ海海海海!!と平助が強引に永倉を口説き落として車を出させ、それなら浜辺でビールだろと永倉は原田も誘い、
でも二人して飲んだら帰って来られない、とそこに土方が追加された。
それだけでもう一緒に来る気なんてなかったのに、いつのまにかしっかりメンバーに入っていた斎藤をただ見送るのも癪だったのだ。
だって海って水着だし。それも一泊だっていうし。

暑いときにわざわざ外に出るって馬鹿じゃないの、と思うし今も思っている。
もうエアコンが恋しいし早く帰りたい、とあぶるような日射しの下、こめかみを伝ういまいましい汗を拭いながら、でもそれでも。
ふと顔を上げると空は澄んだ青一色で、はるか沖の水平線には綿飴みたいな入道雲がこんもり積み上がっていた。ああ夏だな、と思う。
どんなわずらわしさも、太陽と海と、空がこんなに広いというそれだけで全部帳消しにされてしまうのはなんでだろう。
 




浜辺は日除け用の折りたたみ式テントで埋まっている。
間をわけいって、永倉が用意したらしい目当てのひとつにひょいと入ると、そこでようやくふうと息をつく。

「あっつ」
「お、総司!なあ氷買えた?」
「うん買えたよ。おいしかった」
「え、なんだよそれ!」

俺のは?!と声を上げる平助に顔も上げないまま、「ねえ一くんは?」と続ける。てっきりいると思ったのに。

「まだ泳いでるの?」
「ん?いや一緒に上がったんだけど。その辺散歩してくるって」

ふうん、と生返事をしながら、やっぱりちょっと意外だったなと思い返す。
てっきり教室にいるときみたいに、おとなしく浜辺で読書でもしているんだと思っていたのに。
上着も早々に脱いで軽くストレッチをすると、ざぶざぶ海に入っていくし、平助に勝負しようぜ!と言われてすんなり受けて立っていた。
沖まで何度も泳いでいたし、それに散歩ってどこだろう。
一緒に海に来たのなんて初めてだけれど、一くん、わりとアクティブっていうか。

「なあ俺の氷―!」
「僕もちょっと散歩してくる」
「総司!」




日除け代わりに薄手のパーカを羽織ったまま、斎藤の行き先を考える。
海岸沿いの道をしばらく行けば三日月型になっている観光用のビーチは一旦終わり、その端は浅瀬の小さな岩場になっていた。
駐車場も遠くなり、辺りには人気もほぼない。せいぜいここまでかな、と足を止めたそのとき。

「あ」

海に向かって目をやると。真っ青な空に向かって立っている、濡れた黒髪と白い背中。

「一くん」

声を掛けても斎藤は顔を上げない。岩場をひょいと飛び石のように渡って、背後から近づく。
斎藤は浅瀬の中をじっとのぞき込んでいた。

「総司か」
「なにしてるの」
「魚が」
「さかな?」
「魚がいる」

やはり俯いたままの、斎藤の視線の先をたどる。
さっきはあんなに濁って見えた海は、間近に見ればアクリルでつくったみたいに透明だった。底にある砂の粒まではっきり見える。
けれど言われたような魚の姿なんてどこにも。

「いないよ?」
「いる」

じっと、獲物を狙う猫みたいな目をして水面を睨んでいる斎藤ごと眺めていると。
たしかにそのとき、ひゅっと細長い影が水の中を横切る。

「あ」
「いただろう」
「うん。はっや……!」

なんかこう、予想してた優雅な感じとちょっと違った。熱帯魚みたいなふわふわした魚じゃなくって、もっと野生っぽい。

「……でも一くん、これずっと見てたの?」
「さっき見つけた」

そう返す斎藤はまだ戻るつもりはないようだ。まさか採る気じゃないだろうけど。覗き込んだ横顔に、ああまただ、と沖田は思う。

きらきらと海を映す同じ色の瞳は外の世界を知ったばかりの子どものようで、きれいなぶんちょっと危なっかしく思える。
これだけ一緒にいるのに、まだ見たことのない斎藤の顔。
目の前にあるものに素直で貪欲で――目を離した隙にどこかへ行ってしまいそうな。

ふと、斎藤が目で追っている水の中のそれと、よく似ているような気がしてしまった。
しばらく動こうとしない背中は日射しのせいなのか、やけにまぶしい。日焼け止め塗ってあげる、と数時間前、背に這わせた手のひらの感触を思い出しながら、
潮の香りのする肌を舐めたらしょっぱいんだろうかと考える。知っているのとは違う味がきっと。なんて。
考えながら、沖田は自分のパーカを脱いで斎藤の背に着せ掛ける。

「焼けちゃうよ」
「総司」
「日焼け止め、あんなに泳いだらきっと落ちちゃってるし。一くんすぐ赤くなるでしょ」
「でもそれじゃあんたが」
「僕はいいから」

しかし、と申し訳なさそうな顔をする斎藤に笑顔で返す。

「ほんと、僕なら問題ないんだけど一くんが痛いと困るし」
「?」
「布団に擦れるでしょ、背中」
「布団?」
「夜ほら体勢的に」

そこまで言うとようやく伝わったのか、斎藤は大きく目を見開いた。
同時に頬が真っ赤に染まる。

「あんたは……っ」
「あ、べつにそうか乗ってもらえば」
「なっ」

なんの話だ!と、声を荒げる様子を見つめているのは楽しかった。ようやく知っている斎藤が戻ってきたみたいで。
まだ赤いままの顔で、はあ、と大きく斎藤はため息をつく。

「……だいたい、今晩は平助も相部屋で」
「新八さんたちと騒いで向こうできっと寝ちゃうよ」
「そんなわけが」
「ていうかわりと乗り気でいてくれるんだね」
「っ、こ、の……っ!」
「――なんて、それも半分ほんとだけど」

つくっていた笑顔を解いて、指を伸ばす。触れればまだ湿ったままの斎藤の襟足にはかすかに塩の粒が浮いていた。

「もう半分はあんまり人に見せたくないだけ」

言ってから急に恥ずかしくなって、居心地悪く視線を泳がせる。
しばらくの後、ふ、と呆れたように斎藤が笑った。

「……なんだそれは」

許してもらった。そう思った。自分にだけ。
ほらやっぱり眩しい。

とそのとき、ぴしゃ、とかすかな水音に斎藤はまた浅瀬に視線を落とす。
魚が跳ねたのか、水面には波紋がちいさく残っていた。

「総司、魚が――」
「……一くん」

また身を乗り出そうとした斎藤の、その手首を捕まえる。引き寄せて、振り返りざまの唇にキスをした。
しるしを残すように触れて、その柔らかな感触を確かめる。

「……っ」

唇を離せば、何度か瞬きをしたあと、斎藤は何事もなかったかのようにもう一度沖田に背を向け海に向かった。そのすぐ後。
斎藤の手首が探るようにわずかに動き、それからゆっくり沖田の手を握った。ふたり黙ったまま、そのまま水中をじっと眺める。


斎藤の唇は、塩の味はしなかった。間に合った、と思ってしまったのはなんでだろう。

ちゃぷん、と音を立てて足元に打ち寄せる小さな波。それにすら攫われてしまいそうだとなぜか思った。きれいなものはすぐに消えていってしまうから。
こんな絵日記に書けそうな夏の日も、すっかり海に染められた、初めて見る斎藤の顔も。


行かないでよと、言ってしまったようなキスだった。行かないで、消えないで。
忘れないように、夏の真ん中のたった一日。 
















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海になど数年行っていないのですが
沖斎に夢を託しました。夏デートっぽく。



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