隣人の恋人







まだ早い時間であるのに太陽はもう高い。
かすかに蝉の音も聴こえようかという絵に描いたような夏の朝。
空気はまだからりとしているが、足元からからひたひたと湿った熱気が這い寄ってきている。
今日も暑くなりそうな気配にげんなりしている中では、客人が来るから出迎えを頼む、という不機嫌な副長からの指令は、この季節には地獄のような稽古の時間を少しでも減らしたい隊士たちにとって渡りに船だ。
名を呼ばれた左之助も思わず喜んで!と言いそうになるが、ぐっとこらえる。
かまわねえけど、といかにも気のないふうに言った横で、平助がいーなーと声を上げた。

「俺が行くから片付け左之さんやってよ」
「やなこった」
「今日に限って人数少ないんだよ、飯食う人数は変わんねえのにー」

ぶつぶつ言いながら頭の後ろで腕を組んで、平助は炊事場に消えていく。その後ろ姿を見送って、原田は言いつけられたとおり、屯所の門の前でしばらく待つことにする。
門に向かう途中、井戸の横で何やら話をしている総司と斎藤が目に入った。
声の抑揚は届くけれど、話の内容までは聞こえない距離。
珍しく沖田が何かについて説明しているらしい。「坊が」という言葉だけが
かすかに届いて、どうやら子どもたちと遊んだときの話でもしているようだ。
と、斎藤に何かを訊かれたらしい総司が、そんなの決まっているという顔で答えると、それを聞いた斎藤は一瞬目を見開き、眉を下げてまさに破顔という顔で声を上げて笑った。
いつものような微笑みや含み笑いでない、朝顔が咲くまでを一瞬で見せられたような、華やかな。
おいおいなんだあの顔。
共にいる期間は決して短くはない。けれどあんな顔は今まで一度も見たことがなかった。
今日は雨でも降るのか、と、思った瞬間、総司は斎藤のその顔を見て、一瞬驚いたようにへの字口のまま眉を上げて固まると、目線を逸らしてなにかもごもごとつぶやき、目元を赤くして困ったような顔をしている。
心中でなんだこりゃ、と叫んだ。
総司が、照れ……!
近藤は別だが、年上の原田や土方と話す時は特に、どこか虚勢を張っているような、隙を見せないように張りつめられたなにかをいつも感じていた。
片眉と口の端を上げるような笑い方の、あの顔しか見たことはなかったのに。
斎藤といい総司といい、今日に限ってなんだこいつら、と思いながら、なぜか見ているこちらが気恥しいような罪悪感を感じるような、そりゃあ覗き(のつもりもないが結果的にはそうであって)はよろしくないが、どうしてこんなにいけないものを見てしまった気分になるのだろうか。
と、頭の奥で一本の線が繋がる。
隠れてというわけではないにしろ、どこか湿り気のある、あのすこしだけひそやかな空気。あの場に平助や新八や自分がもしもいたら、総司も斎藤もあんな顔は絶対にしないだろう。
これはまったくもってただの勘だけれど、こちらの方面の勘に関しては、ある意味槍の腕よりも絶対の自信がある。
おいおいまさかあいつらそういう。

「――すまぬが、局長殿はおられるか」
「お、おお、待ってたぜ」

頭を抱えていたところに声を掛けられ、慌てて向き直る。
案内する、と屯所に向かい歩き出しながら横目で先程の場所を覗くと、総司たちの姿はもう消えていた。







剣で飯を食っている以上、稽古だって立派な仕事のうちだ。
正確には部下に稽古をつけるのだが、この気温では一刻もすると誰もが音を上げる。気合いが足りねえ、と言ってやりたいところだが、最近では医者の松本が「水と休息をしっかりとるように」と細かく言うので、休憩時間を長めにしろと土方からもお達しが出ていた。

「とりあえずまあ、今日はここまでにすっか」

はい、と大勢の声が響く。皆競うように井戸へ向かうが、人波が消えた後に、ひとり斎藤が残っている。

「おめえはいいのか?」
「ああ。もう少し残る」
「うっわ、暑苦しい」

割って入った、心底嫌そうなこの声は。

「井戸はしばらく使えそうにないね」

未だ熱気の籠る道場をちらりと覗き込むと、うんざり、という顔で総司はため息をついた。

「今終わったところだからな。一番隊は何してんだ」
「松本先生が来てるんだよ。体調不良の隊士はいないかって検分されてる。明日はそっちじゃない?」
「まあな、こう暑くちゃなあ。それでお前は優雅に散歩か?」
「いちばん暑い時間に稽古って効率悪すぎるでしょ。僕はもうちょっと日が暮れてから」
「総司」

じゃあね、と、向けた背中を斎藤が呼び止める。

「久しぶりにどうだ」
「えー、この暑いのに?」
「いつもそう言って道場に近づきもしないだろう、お前は」
「僕は僕のやり方でやってるだけだよ。……でも」

斎藤に差し出された木刀を見て、総司の目の色が少しずつ変わる。

「一くんがそこまで言うなら、仕方ないかな」

そう言って道場に上がると、木刀を受け取って構える。斎藤も総司も皆の前では、
なぜか手合わせすることは至極少ない。珍しいもんが見れるな、と、左之助は黙って柱に身を預けた。
この二人のことなら審判も必要ないだろうと傍観者を決め込む。
案の定、開始の合図もないままに空気が変わった。立ち込める殺気。
しばらく睨み合った後、総司の切っ先が一瞬振れると同時に斎藤が打ち込もうと前に出る。
それを払いながら後ずさる総司に、返す隙を与えないほど二撃三撃が振り下ろされるが、
総司はそれを全て受け止め、最後の一撃を返して面を狙う。寸前で避けた斎藤が一歩下がったのを機に、今度は総司が打ち込みにかかる。
必死で一撃を狙う、それを全て押さえこむという応酬が繰り返され、何度目かの後には、落ちた汗で滑る足元を踏みしめ、肩で息をするようになり、剣撃の合間も少しずつ長くなった。
しかし二人の目は時が経つほど闇の中の猫のように光を増し、そこにも剣が隠されているかのように、相手を刺そうと一瞬たりとも目を離さない。
次の一撃で決まるだろう、と左之助が思った瞬間二人は同時に踏み込み、
斎藤の突きと総司の左袈裟が交錯する。
互いの攻撃を受け止め合ったまましばらく睨み合うと、突然二人はふ、と笑い、木刀を納めた。
また何の合図もなく急速に、何事もなかったように空気が冷めていく。

「あー疲れた。やっぱ昼間は無理」
「そういうことを言っているから変わらぬのだろう」
「一くんだって稽古のし過ぎで逆効果なんじゃないの」

滴る汗を拭いながら息を切らせて横目を交わす。
憎まれ口を叩き合いながらも、力いっぱい遊んだあとの子どものような顔をしている。左之助はへえ、と心中で呟きながら今朝見た光景を思い出していた。
いかにもわかりやすいあのときの二人と、今の二人が同じ名前の感情の下にあるとはとても思えない。
まさか俺の勘違いか?いやいやいやいや。
ひとり首をひねっていると、「一くん!」と総司の叫ぶ声が響いた。








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