こぼれた秘密は






島原入口の柳が、湿った風に揺れている。

沈みかけた陽に照らされたその向こうには、徐々に増えつつある人影が続く。
宴会の支度に向かう女や若衆、それから早々に遊ぶ先を探し歩いている男たち。その中を、
斎藤は怪し気な者はいないか、とひと通り視線を走らせる。大門の向こう、それも宵の口からはまた別世界だ。


降りそうで降らない雨の気配は今日一日中続いていて、この様子では夜が更けてもこのままだろう。
夕暮れは見えぬまま、ただ薄暗さだけが増していく空。それを眺めていると、隣を歩いていた総司が「あ」と声を上げた。
巡察中というわけではないが、常に街中の治安に気を配るのはいつしか癖になってしまった。
しかしこの男は相変わらず呑気なものだ。

返事もせぬまま足を進めていると、もう、とすぐに袖を引かれる。

「ちょっと待ってってば」
「なんだ」
「お使い頼まれてたの忘れてて。
たぶんあの店なんだけど――すぐすむから、一くん、ここで待ってて」

言い終わるやいなや、早々にこちらに背を向け歩き出す。総司が目指している暖簾はどうやら酒屋のもののようだ。
新八か、とひとつ息をついて、斎藤は緩んだ襟巻の端を掴む。

時折強く吹く風のせいだろうか。肩の向こうへ押しやったそれはすぐにするりと落ちてしまう。
何度目かの後、諦め一度全て外すことにした。
首筋を撫でる風は雨の気配を帯びていても心地良い。もう夏の盛りも近いな、と、息をついたそのときだった。

「すまぬが、少しよろしいか」

声に顔を上げると、見知らぬ男が立っていた。
年のころは近藤よりも少し上といったところだろうか。目尻の下がった顔には敵意は見られない。
考える間もなく腰元を確認するのはもう染みついた癖だったが、刀を差してはいなかった。
鍛えているというふうでもない体つきに、着物は藍色の紬。その質からしても、
とりあえず商いをしている者かとわかる程度のものだ。

「……何だ」

静かに応える。
男はやけにじっとこちらを見ているように思えたが、それよりもちらりちらりと、差した刀に目を落としていた。
珍しがられるのには慣れているが、それよりもこれは。
不審には思いながらも、用件を問い質す。

「何か用か」
「いや、道を教えていただきたい。このあたりは疎いのでね。大通りへ向かいたいのだが」
「ならばこの通りを東だ。あちらへ向かえば――」

視線で先を示しても、男はあまり聞いているようには見えなかった。
相変わらず頬にじっとりとした視線が絡みつく。
……これは。
覚えのある感覚に、ひくりと眉を寄せる。すぐに男は笑みを残した目を細めた。

「ところでそなた、旅の者か」
「……どういう意味だ」
「いや、腰のものを見たところ――その様子では、ひと所に留まることは難しいのではと思っただけでな」
「……貴様」
「ああ、気を悪くしないでくれ。……ただ、もしも宿に困っているのなら」

埃でも払うような軽い手つきで、男は斎藤の着物の袖に触れた。
けれどその手は離れないまま。

「今晩は私の所に――」

言いながらゆっくりと、男の指先が蛇のようにするりと斎藤の手首に絡んだ。
とたん、ぞわりと背筋を悪寒が走る。目を見開いたまま、強く奥歯を噛みしめた。
ぎりぎりの理性で、刀を抜こうとする左手を押し留める。――またなのか。

「っ、貴様……!!」
「僕の連れに、何か用?」

と、わざとらしい声が肩越しに振ってきて顔を上げる。
すぐに男の手は掴んでいた斎藤の手首をぱっと離した。

「い、いや」
「ふうん。そう?」

険がある、などという言葉も霞むような声音だった。こちらを見る探るような総司の目に、ため息で返す。
隙をうかがっていた男はその瞬間、なにも言わずにきびすを返して駆け出した。

「尻尾巻いて逃げるなんて、負け犬以下だね」

雑踏に紛れようとしている男の背中を見送りながら総司は言う。

「……聞こえるように言っただろう」
「当たり前でしょ。で、なんだったのあれ」
「……」
「なに」
「……なんでもない」
「見え透いた嘘つかないでよ。ねえ一くんてば」
「言う必要はない」
「ちょっと、助けてあげたでしょ」
「頼んでなどいない」
「――一くん」

への字口のまま、じっとりとこちらを睨む総司には、見逃す様子などさらさらない。
たっぷり黙ったままかわそうとしたところで、視線は頬に張り付いたままだ。
もう一度深々と息をついた後、諦めて口を開く。

「間違われた、というか――いらぬ勘違いをされただけだ」
「え?」
「場所が悪かった」
「なにそれ。どういうこと」
「……このあたりは、女を買えぬ男が陰間を探しに来ることがある。嗜好もあるが、そのほうが安上がりだからな」
「……って、ことは」

しばらく黙ったその後。総司は「それで間違われたの」といまいまし気に言った。

「言っただろう、至極勝手な勘違いをされたのだ。まったく、一体誰がそのような――……どいつもこいつも、
右差しの流れ者ならば簡単に家に連れ込めるとでも――」

と、口にしてまた胸の内で怒りの炎がちらちらと燃え上がる。馬鹿にしおって。
値踏みするようなあの視線。こいつなら、と、たかをくくっているのがまるわかりだ。
刀でなら一撃で仕留められるというのに。
――と、そのとき。

「……なに、『どいつもこいつも』って」

総司の声がとたんに冷えた。驚いて顔を上げる。

「それにやけによく知ってるけど……初めてじゃないってこと?」
「……それは」
「昔、よくあったの、こういうこと」
「…………あんたが思っているほどでは」
「あったんだ」

ふん、と、拗ねるような吐息がそれに続く。淀んだ雲が風に形を変えるより早く、
もはや総司の機嫌はとっくに斜めを越えている。
けれどその、自分よりも激しい怒りを目にしたとたん、不思議といくぶんかの冷静さが戻ってきた。

「総司。何故あんたが怒るのだ」
「だってさ。訊くのそれ」
「そんなもの……――昔の話だろう」
「…………だからだよ」

 とたん、総司は斎藤の腕を掴む。

「っ、おい、総司!」

振り返りもしなければ返事もない。ただ強い力で引かれるままに連れて行かれたその先は、ひとつ先の角を曲がった路地裏だった。
人影がなくしんと静かな、表通りから切り取られたような場所。いつしか視界は暗く、足元の影も見えない。

「なんだ、突然どうしたというのだ。総――」

言葉の先は、突然総司の胸元に吸い込まれて消えた。
腕の中に深々と抱きしめられたまま、斎藤はただ瞬きを繰り返す。

「総、」
「僕の知らない、まだ一緒にいなかった頃の話とかさ」
「……総司」
「そういうのって」

言いながら、腕の中の感触にようやく落ち着いたのか総司はふうと息をつく。それでも、不満の残る声は変わらなかった。

「……あんたが聞きたくないなら言わぬ」
「そうじゃなくて」
「では、なんなのだ」
「…………そうじゃないけどさ、でも、」

いやなんだよ、と、言葉通りの声色で総司は絞り出すように言う。
それからすぐに、拗ねた唇が頬に寄せられた。

「総、」

ちゅ、とふれるだけだったそれが。続いて斎藤の唇を甘く塞ぐ。

「……ん……っ」

そろりと侵入してきた舌先が熱い。
触れあったとたん溶けそうな熱を生むそれに、すぐに深くまで探られて
頭の奥がじんとしびれる。んん、と、こぼれるくぐもった声さえ吸い取っていく唇。
だめだ、と思うほどそれはなぜだか心地よく、
このまま、引き寄せられるままなにもかも委ねてしまえば――そんな思考が頭をよぎる。
けれど膝から力が抜けかけたところで。遠く耳についた砂を踏む足音に、斎藤はここがどこだかを思い出した。
総司の着物の背を掴んで引けば、名残惜しそうに覆いかぶさる体が遠ざかる。

「……っ、総司」

見上げれば、荒く息をつく総司の眉はまだつり上がったままだ。
これは少々こじらせたか。

「……何故、それほどまで気にするのだ」
「でも」

まだ不安の残る声に、仕方ない、と斎藤は眉をしかめる。

誰もが一目置く剣豪だと言うのに。こういったところは本当に子どものようだ。
ここにいる、と、確かめるようにきつく抱きしめてくる腕までも。

まったく、と息をつきながら、それでも憎からず思えてしまう自分もどうかしているのだろう。
そんなことを考えながら、斎藤は「いいか」と静かに口にした。
あのようなことは本当になんでもないことなのだと、自分が説明してやらなければ。
意気込んで斎藤は口を開く。

「とにかく、あんたが気にする必要はない。確かに気分の悪いことではあるが――」
「一くん」
「総司、聞け。あれは声を掛けられただけのことで、ほかにどうということも、あんたに疑われるようなことも何ひとつ――
……そもそも、気持ちをくれてやったというわけでもないだろう。
だいたいそんなことは、試衛館であんたに会うまで俺は一度も」

眉を寄せたまま。わかったか、これで伝わっただろうかと、斎藤は真剣に総司の目を見上げる。
と、薄闇の中で突然総司は目を丸くした。

「……なんだ」

ぱちぱちと、なにかを思案しているかのように総司はまばたきをするだけだ。

「総司」

 返事はない。
怪訝に思いながら斎藤は、寄せられたままの総司の頬に触れる。

「総司?」

聞いているのか、と、目を覗き込んでも総司の様子は変わらない。

「……熱いぞ。あんたまさか風邪など」
「……ううん、そうじゃなくて」
「総司」
「……なんでもない」

するりと、斎藤の体を囲い込んでいた腕がほどける。

「わかった。行こ」
「……総司?」

やけに素直な声で、総司は路地を出ようと先を行く。
その後ろに続きながら、斎藤は小首を傾げた。なんだ。もっとごねるものだと――明日まで尾を引くのだろうと、密かに思っていたというのに。
まあでも、納得したならばそれで良い。説明した甲斐もあったというものだ。
ふむ、と満足気な息をついたところで。総司の背中からはなにやら鼻歌らしきものまで聞こえてくる。

「……やけに変わり身が早いな」
「そう?」

嫌味のつもりで言ったというのに、総司は気にもしていない。なにやら足取りも軽そうだ。

「一くんさ」
「……なんだ」
「気がついてないよね」
「なんの話だ」
「一くんて僕が初こ――……ううんなんでもない。帰ろ」
「総司?」












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そんなつもりはなかったというのに書いてみたら結局
斎藤初恋宣言になってしまいました。でも異議なしなのでいいです。
初めては全部総司のものでいいです!
実っておめでとう斎藤!ということで(逃)





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