春の日の
昼の巡察からの帰り道。
「どうしよっか、これ」
ぽかぽかとあたたかい日射しの中、並んで歩きながら、手の中の丸い橙を回転させて沖田は言う。
「あとこれも」
反対の左手には、小さな紙の包みがある。
問いかけるような視線を向ければ、斎藤はひとつため息をついた。
「……どうするも、なにも」
「どっちも生ものだし、二つだけって」
「……」
「ふたつ」
しばらくの沈黙のあと、仕方ないな、と斎藤はつぶやいた。
沖田は待ってましたと言わんばかりににこりと笑う。
特にこれといって、怪しい者も見当たらない巡察中の平和な午後。
酒屋の大店の前を通りかかったときだった。
「あ」と浅葱の羽織に目をとめたひとりの若者が、こちらにたた、と駆け寄って来た。
ひとの良さそうな、もっと言えば気弱そうなその目には、人目を忍ぶ気配があった。
斎藤は沖田に目配せして、道の端に移動する。
「……っ、あの」
「どうした。何か用か」
「突然、お声を掛けてすみません。……その羽織は」
あまり店を空けられないのだろう。ちらちらと店先に目をやりながら、焦った様子でその男は袂を探る。
「昨日妹が、浪人に絡まれたところを浅葱の羽織の方に助けていただいたと……こんなものしかないのですが、せめてお礼を」
そういえば昨日、そんなことがあったような――と沖田が思い返している間にも、
男は袂から取り出したものを押し付けるように手渡してきた。
深々と頭を下げるとまた、すぐに店先に戻っていく。
いや、と、固辞する暇もない、あまりに短時間のできごとに、しばらくぽかんとふたりは顔を見合わせる。
その手の中に残されたもの。
開いてみれば、薄紙の包みの中には桜餅がひとつ。
そして反対の手には、やけに大きな一つの蜜柑。
普段見掛けるものよりもひと回りほど大きいこれは、季節としては少し早いが、珍しい夏橙だろうか。
「……なかなかの、早業の使い手だったね」
沖田のつぶやきに、斎藤は黙りこむ。
戻った屯所の縁側に、沖田と斎藤は並んで腰を下ろす。
他に隊士は見当たらなかった。全員に配るようなものでもないし、こう暖かくては日持ちもしない。
淹れたばかりの茶を啜っている斎藤に、沖田は「はい」と蜜柑を手渡した。
「一くんにはこっちあげる」
「……」
別に不満を言うつもりはないようだ。そうなると思っていた、と言いたげな顔で、斎藤は黙ってその厚ぼったい皮に爪を立てる。
すぐに柚子よりもやや甘い、爆ぜるような柑橘の香りが立った。
細い指が皮を剥いていくその光景を眺めていると、大ぶりなひとふさを口に含んだ、斎藤の眉根がきゅうと寄る。
「酸っぱい?」
いかにもなその顔ににやりと笑う。
「…………」
「すっぱいでしょ」
だからといって斎藤が、食べ物を粗末にするはずがない。おまけに蜜柑なんてなかなかお目にかかれない物。
下唇をぎゅうと噛みしめてしばらく動きを止めたそのあと、斎藤は呻くように言った。
「……………………うまいぞ」
「あのね、一くんは自分で思ってるよりわかりやすいから」
言いながら、隣で沖田は桜餅を頬張る。
「うんおいしい」
「……そうか」
「一くんも食べる?」
「結構だ」
「まあそう言わずに」
「いらん」
「やだなあ遠慮しないでよ」
口元にぐい、と桜餅を押し付ける。
「聞いているのか」と、きっと言おうとしたんだろうな。
そう思いながら、開きかけた口に桜餅を押し込んだ。
「――っ」
「僕がわけてあげるなんて珍しいんだから」
無理やりひと口かじらされた斎藤は、沖田を睨みつけながらもぐもぐと口だけを動かす。
「おいしいでしょ」
けれども尋ねれば、寄せられていた眉がゆるんだ。そのままこく、と小さく頷く。
ほんと、わかりやすい。
ふ、とこちらの頬も勝手に緩む。
手ずから食べさせるのがこんなに楽しいとは思わなかった。小鳥を餌づけしたらこんな感じなんだろうか。
もうひと口食べるかな。思ってそのまま見つめていると、斎藤は今度こそ遠慮するような顔でこちらをちらと見る。
ひとつ息をついて、そういうことなら、と沖田は最後のかけらを自分の口に放り込んだ。
満足そうにそれを眺めていた斎藤は、次のひと房に手を付ける。
「!」
口にして、一瞬大きく目を見開いたあと。
先程よりも大きな皺が斎藤の眉間に浮かぶ。
「わーおいしそうー」
「……っ」
にやにやとその様子を眺めていると。
ぎゅ、と閉じた目をようやく開いて、斎藤は沖田を横目で見上げる。
「あんたも食うか」
「え」
「食うだろう」
「え、いらない」
「遠慮するな」
「ちがうって」
「総司」
「絶対やだ」
口元に寄せられたひと房から逃げるように、沖田は体をのけぞらせる。
もういいかげんにしてよ、と、横目で見やった斎藤の顔。じっと見つめたその口元には。
あ。
「……それはいらないけど」
「?」
「こっちもらうね」
蜜柑を掴んだままこちらに向けられている、白い手首を引き寄せる。
倒れ込むように近づいた肩。
そのまま、斎藤の口の端をぺろりと舐めた。
「餡子」
「……っ」
「ごちそうさま」
にっこり笑う。斎藤の頬が桜餅と同じ色に染まる。
舌の先がしびれるくらいのその甘さ。
惜しむように確かめて、もうひと口、と沖田はこっそりそう思う。
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ゆきさくら第九章で無料配布したこばなしです。
斎藤にはやせがまんが、総司にはニヤニヤ笑いがよく似合うなあと。
あとはきゃっきゃしてくれていればそれで!
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