思い出待ち







雑踏を通り抜けると水の匂いがする。
橋のたもとで魚売りが声を張り上げている横を通り過ぎ、そのまま長く続く川沿いを歩く。
日暮れの少し前、まだ暑さも湿り気も近づく前の、皐月の昼下がりはひどく穏やかだ。

「ちょっと休憩しちゃだめかな」
「駄目に決まっている」
「……ほんとに一くんは」

はーあ、と聞えよがしなため息が聞こえるが、そんなものは気にもならない。
総司と二人で使いに出るのは月に2、3度ほどだ。
昼夜の巡察は隊服姿なのでさすがに目立ち、こちらを狙ってくる浪士たちに警戒もしているが、私服での使い(主に買い出し)では他愛ない話をしながらのことも多い。
茶屋の横を通るたびに休みたいと言うわりに、総司はだらだらと何かしら喋っていて、それだけの元気があるならもう少しほかのことに使えと言いたくなるのをぐっと堪える。
そんな斎藤の様子を気にも留めず、総司ははたと斎藤の顔を覗き込み、ねえねえ、と声を上げた。

「あの曲がり角、おぼえてる?」

大きな屋敷のある角を指して、期待に満ちた声で言う。

「……ひと月前の巡察時に不逞浪士が三人隠れていた」
「そういうんじゃなくてさ」
「知らん」
「もう。ほら上から何か降ってくると思ったら藤の花が咲いてて」
「そうだったか」
「冷たいなあ一くんは」
「人聞きの悪いことを言うな」

ちぇ、と頬を膨らませて総司はそっぽを向く。いつものことだ。
大体はここにどの花が咲いてただの、大雨に降られて雨宿りしただのという他愛もないことを「覚えてる?」と言い出しては、斎藤のすげない返事に不満そうに首をひねる。
斎藤の記憶は主に土方からの命とそれに関するもの全般、敵方の動きとその人数や流派などに割かれていて、今までほとんど総司の質問にまともに答えられたためしはない。
覚えていないということは問題ないということで、それにこしたことはないではないか。
よくそんなにくだらないことを覚えていられるものだ。自然と口に出す言葉もため息まじりになる。

「……何故そのようにいつも訊く」
「気付いてくれてたんだ?」
「毎回そうだと五月蠅くてかなわん」

総司はまた口をとがらせて、もう、とつぶやく。
少しだけ迷うように間をおいてから口を開いた。

「……覚えててほしいから」
「何故」
「思い出してほしいからさ、僕のこと」

声から笑みが消える。

「隣にいられなくなっても」

急に差した光のまぶしさに目を細めるように、斎藤はゆっくりと、隣を歩く総司を見上げた。
総司は一瞬足元を見るように俯いたが、視線に気づいて斎藤に顔を向ける。

「うん?」

何事もなかったように微笑む。普段よりもずっと優しい眼で。

「……いや――なんでもない」
「そう」

そうしてまた並んで歩き出す。
肯定も否定もしない。それが遠いのか近いのかもわからない、自分たちの先にあるもの。
ただ、ああそうか、と思う。
総司がそう思うことに。


「あ、つばめ」

顔を上げた総司の視線の先に、くるりと影が落ちてはまた上がる。空中に同じ模様を何度も描きながら、こまごまと巣になにかを運んでいる小さな鳥。

「……めんどくさそうなことしてるね」

ごく率直な感想を述べる総司を見て、斎藤はふ、と、肩を揺らして笑った。

「……何」
「いや、昨年もあの場所に巣を作っていただろう」
「そうだった?」
「昨年のお前も同じことを言っていた」

あのまめさを少しは見習え、と言ったら、「一年に一度でもめんどくさいよ」と気のない返事をして。

「……よくおぼえてるね」
「お前が忘れることはな」

言ってから、自分もくだらないことを覚えているものだ、と、不思議なような嬉しいような悔しいような、なんともいえない気持ちで斎藤は俯く。
俯いてから総司に見えないように、少しだけ笑った。
作らなくとも数えなくとも、いつしか自然と記憶には名前が付けられて、川底の砂のように溜まっていく。
さらさらとその流れを揺らすのは、思い起こさせるのは、きっと自分ではない誰かで。

ふうん、と、不満そうなそうでもないような声を上げると、総司は斎藤の方を見て安心したように笑った。
隣を歩くこの背中にも、同じ河が流れている。きっとその川底には、よく似た違う記憶を重ねて。

傾いた日が足元の影を長く伸ばす。今このときもきっと一粒の砂に変わる。
日が沈み、次の朝と夜とを繰り返して、少しでも多くの砂が互いの川底に残るのを待っている。
ただ隣を歩きながら。













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なんだか熟年夫婦のように…。たまにはこういうのも。




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