できあがったらさめないうちに







とんとん、と、続いていた包丁の音がようやく止んだ。


部屋にはなにかを煮ているような、湯気とほの甘い匂いがまざった空気が満ちている。
ソファに座ったまま、背中越しに聞いていた規則的な音がまた始まったりしないかどうか、
沖田は手元の雑誌に目を落としてまたしばらく待つことにする。今週公開の映画は、どれもいまいちぱっとしない。
並んだ写真つきのリストはシリーズもののアニメやファミリー向けの冬休み映画がほとんどで、
別にそれが、悪いわけではないんだけれど。
特にアクションとかラブストーリーとか、ジャンルを決めてるわけでもない。
でもこれだな、と、決まるときは不思議と即座に決まるので、
誌面を何度も目が往復している時点でやめといたほうがいいんだろう。
これじゃあきっと映画館もかなり混んでいるんだろうし、
これはやっぱり、家でじっとしてるほうがいいってことなのかな。
――いつもと同じ週末みたいに。

そこまで考えて、もはや自分の家のように、というかそれ以上に、
勝手知ったる整えられたリビングを沖田は見渡す。斎藤のマンションに
金曜の夜に帰ってきて、一緒に週末を過ごして日曜の夜に自宅に戻る。
そのいつも通りの過ごし方になんの不満もないのだけれど(たぶん互いに)、
――とりあえず、今週はクリスマス直前の最後の土日。
久しぶりにどこかに出かけようかと思ってたんだけど。



と、思いながら顔を上げれば、なにかを刻んでいたらしい
さっきからの音は止んだままだ。そろそろいいかな。沖田は立ち上がる。
キッチンに向かうと、斎藤は相変わらずシンクに向かったままだった。
最近はあんまり時間が合わなくて、
一緒にいても外で食べたり、会いに来たらもう簡単に
食事の用意がされていたり。
だからなんだか久しぶりの、黒いエプロンの肩紐を見て小さく笑いながら
背後に立って、斎藤の肩に顎を載せる。
腰に腕を回せば、腕の中で斎藤が
ほんの一瞬身を固くしたのがわかった。気づかれないように、
きっとしてるんだろうけどそんなのすぐにわかる。
口の端を上げながら、白い首筋に頬を寄せる。


「もう終わった?」
「……まだだ」
「探してみたけど、あんまりいい映画なかったよ」
「そうか」
「代わりに、イルミネーションとか見に行く?混んでるけど。
それともDVD借りてこようか」
「……あんたの好きなようにすればいい」


そっけない返事は多分、手元に集中しているせいだ。斎藤はせっせと手を動かしながら、
湯気を上げるボウルの中でじゃがいもの皮を剥いている。真剣なのは結構なことで、
一くんの作るポテトサラダは僕も好きだし。……でもなー、もう。
「話聞いてないでしょ」と、よくテレビで世の奥さま方が怒ってるパターンのやつなのにな、これ。
でも。


こちらに背中を向けて、自分でないものに向かっている後ろ姿が
やけに色っぽく見えるのはなんでなんだろう、とふと思えば、いつしか自然と頬も緩む。
こちらを向かせたいわけじゃない。むしろ片手間にあしらわれるのがやけに楽しくて、
邪険にされるとちょっと燃える。それはこんなに一生懸命になって作ってるものが
自分のための食事だと、わかっているからなんだろうか。なんだか二重に贅沢してる気分。
回した腕で細い腰をさらに抱きしめると、
「総司」とまた、迷惑そうな声が上がった。そこで気がつく。
なにかに集中してるときって、抵抗されないからなんだな。
口ではいろいろ言うくせに、振り払ったりはしてこないのがその証拠で。


「……邪魔をするな」
「邪魔してないよ。見てるだけ」


仕組みを理解してからは、その不機嫌な声がますます楽しい。
とぼけた声で口にすると斎藤はため息で返した。


「……まったく」
「あとは、なにするの」
「あれが煮えたらもう」


斎藤が目をやった先には、コンロにかけられた鍋がふつふつ湯気を立てている。


「中身、何?」
「ミネストローネだ」
「ふうん」


部屋に漂っていた、なにかのスープみたいな匂いはここからのようだ。けれど。
目の前のうなじのほうがよっぽどおいしそうな気がするのはなんでだろう。
かぶりつきたいのをぎりぎりで我慢する。頬越しに伝わる体温は、なぜかいつもよりも
高い気がした。動いてるからかな。
思えば我慢できなくなって、確かめるように唇を押しつける。


「……っん、こ、ら……っ」
「ねえ、なんか熱くない?風邪?」
「平気だ!」
「そう?ならいいけど」
「それよりも、いいから離れろ」
「えー、そういうもったいないことはちょっと」
「……なんだそれは……!」


不満そうな声を聞き流しながら、でもちょっと、と眉を寄せて宙を見上げる。おかしいな。
一くん、こんな性格だから自覚がないとか――
――ここのところ特に寒いし、ほら外では、今あれこれ流行ってるって言うし。
考え始めると急に胸がざわつきだした。
斎藤は、咳がひどいとき以外でマスクをつけたりはほとんどしないし、
だからどこかで拾っていてもおかしくない。
うがい手洗いはまめにしてても、でも駅とか電車とか買い物とか。

もう一度、手元に包丁がないのを確かめて、わざと思いきり斎藤の腰を引き寄せる。
仰向けにバランスを崩した体を胸元で受け止めた。


「っ、あんた、何を」
「熱、ない?ほんとに?」


顔を覗き込むのと同時に、白い額に手を当てる。そうして確かめればまあ、
特別熱が高いわけじゃないような気もしてくるけど――と、
少しだけ安心したところで、額の手を外して斎藤の顔をまじまじと見下ろす。

と、目が合った顔はやけに赤い。顔っていうか、頬が特に。

ぱちぱちと何度か瞬きをして、目の前の現象から導かれる結果を考える。
慌てて顔を背けた斎藤の耳の端までものの見事に染まっていて。

ああ、そういうこと。


「……ごめんなさいまちがえました」
「……総司……!!」
「僕のせいならそう言ってくれればさぁ」
「うるさい……!」


だから、離れろと、あれほど、と、
ぶつぶつ言いながら背を向ける体にもう一度巻きつく。


「聞いているのか!」
「風邪じゃないって、安心したら力抜けちゃった」
「この……」
「あ、でも、手伝った方がいいなら僕も」
「結構だ」
「えー。なんで」
「あんたがいると料理が進まん」


こぼした言葉に、あーうん、さっきのでよくわかったよ反省してる、と笑顔で返せば
脇腹にどすりと肘が突き刺さった。


「……っつ!」
「そういう意味ではない」
「……口で言ってよ……」


それでも意地で腕を離したりはしない。もちろん。
斎藤はそのしぶとさになのかなんなのか、ふん、とまた息をついて作業を再開しながら、
「あんたの好き嫌いに合わせていては」とつぶやいた。


「野菜を入れようとするたび、あれは嫌だこれはやめろと言われては飯が作れん」
「べつに、そんな多くないって」
「自覚がないから困るのだ。だいたいあんたはいつまで食べ物の好き嫌いなど」
「やなものはやなんだよ」
「それから好きなものばかり食い過ぎだ。
バランスというものがあるだろう。さっきも菓子を」
「だってケーキの前に食べとかないと食べられないから」
「……また意味のわからんことを……」
「大丈夫だよ。一くんの作ったのはちゃんと全部食べるからさ」
「そういうことではない」


即座に強い調子の言葉が返ってくる。べつに、そのまま正直に言ってるだけなんだけどな、と、
思いながらまたこまごまとよく動いている、斎藤の白い手をに視線を落とした。
マヨネーズとなにかとなにか、小さなボウルに合わせてあった調味料が混ぜこまれて、
慣れた手つきで棚のこしょう曳きに手は移る。それが回されるととたんに
食欲を誘う香りがふわりと立ち上った。曇りのない気持ちで、おいしそうだな、とシンプルに思う。
子どもがお菓子の家を見て、わあって思うのにちょっと似ているような気持ちで。


それはたぶん、この手が作ったものだから、っていうのとか、
いろいろ細かく言うくせに、ちゃんと生の玉ねぎは抜いてくれてるからだとか、
そういうのが全部一緒になってるからなんだろう。

もう一回、頬擦りしたいような気持ちを抑えながら口にする。


「一くんの料理はなんでもおいしいから」
「…………あんたはすぐにそうやって」


じわりとまた、腕の中が温かくなったように思えるのは
希望のこもった錯覚、ってやつだったりするんだろうか。
早く食べたい、と耳元でつぶやくと、ひくりと肩がかすかに震えた。……こういうところが。
たまらなくなってくすりと笑う。
すると遮るように、とにかく、と斎藤は声を荒げた。


「あんたはもう少し、改善する努力というものを」
「もう。……だってさ、一回の食事で食べられる量は決まってるでしょ。
じゃあ嫌いなのよりは、好きなものを嫌いになりそうなくらいまで食べたいなって思わない?」
「……総司……」
「続けてれば、ちょっと別のも食べてみようかなって、いつか思うかもしれないしさ。
まあでも僕って一途だから、そういうことが残念ながら今までぜんぜんないだけで」
「……わかった、もういい」


はあ、とため息をついて斎藤はコンロの火を止める。


「ちょうどできたぞ。運ぶからあんたは向こうの準備を」


ちらりとこちらを見る視線は、だから離れろ、と言っている。

睨むようなその目を受け止めた一拍のあと。
はーい、と笑顔で返事をして、するりとすぐに体を離せば、
斎藤の顔はほんの一瞬、拍子抜けしたような表情に変わった。けれどもすぐに、ほっとしたように息をつく。
見届けて、沖田は言われたとおり、リビングのテーブルに向かう。それからそれを通り越して、奥の部屋に。









「……総司?」


クローゼットに頭を突っ込んでいると、不安そうな斎藤の声がドア越しに聞こえてきた。
食器がテーブルに置かれる音に続いて、しばらく部屋をさまよっていた足音が
徐々にこちらに近づいてくる。すぐにドアが開き、
足を止めた斎藤は目を丸くしてこちらを見ている。


「……総司、あんた一体」
「一くん、替えのシーツってこっちだっけ」
「は?」
「あ、べつにいらないならいいんだけど」
「?……なんだそれは」
「え、準備しろっていうから」
「……なんの話を」
「だからさ」


早く食べたい、って言ったじゃない。さっき。


何秒かの後、目の前の斎藤の顔は真っ赤に染まる。それを今度こそ正面から抱きしめて、
ほんと、好きなものだけおもいっきり食べたいんだよね、と沖田はにっこり笑う。
食べ飽きる日なんてきっと来ないと思うんだけど。明日も明後日も確かめるけど、
これはきっと変わらないから。おいしいごはんには、もうちょっとだけ待っててもらって。

少しだけ覚悟していた肘鉄は不思議とやって来ることはなく、
だからもう一度、ほの赤い首筋で体温を確かめる。
移される熱に、鼓動は少しずつ早くなる。







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前に書いたクリスマス話の何年後か、みたいになってしまいました。(結果として)

台所でいちゃつく新婚さんをめざして。







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