夢の名残を / 2










「最初から、そのつもりだったのだろう」



振り返りもしない背中を追って、向かったのは総司の部屋。
障子を開ければ普段は畳に積まれたままになっている、洗濯し終えた着物や手拭いも
今日は姿を消している。心なしか普段よりも片付いているような。
後ろ手をつき、だらりと座ったままの総司は
部屋の様子に目を走らせている斎藤には気づかぬふりのまま、え、ととぼけた声を返した。


「なんのことかな」
「……もういい」
「なに、拗ねてるの」
「馬鹿を言え」

はは、と楽し気に、声を上げて総司は笑う。

「……まあね、全然思いもしなかった、って言ったら嘘になるけど。
土方さんの眉間の皺が最近どんどん増えてくから、何かあるのかなって、さ。
でもまあ、別にそれだけだよ」


その割には嬉しそうに見える――などと口にすれば、
さらに喜ばせることになるのだろうから黙っておく。
諦めて息をつくと斎藤は腰を下ろした。


少なくはない人数の部下を引き継ぐことも、
総司の分の巡察や隊務を皆と分担することも、
特に憂鬱になるほどのことはない。と、いうのに。
無意識についたほんの小さなため息を、総司は見逃さなかったようだ。
急に穏やかな声で「会えなくなるね、しばらく」と口にする。


「行って帰ってきて、二十日くらいだと思うけど」
「……そうだな」
「心配してくれないの」
「俺以外に斬られる腑抜けならば斬る」
「……その理屈ってさ……ていうか、一くんってほんとに」


素直じゃないんだから、と続けて、肩に手が回される。
そのまま胸元に引き寄せられた。


「心配だって言えばいいのに」


斎藤はおとなしく肩口に額を預けたまま、小さくつぶやく。


「……誰が」
「あと寂しいとか」
「あんたとは違う」
「はいはい」
「聞いているのか」
「はいはい」
「……大体、どこにいても変わらぬだろう。そんなものは」



会えなくなる瞬間など、京の日常の中のどこにだって転がっている。
それをいちいち気にかけたところで。


「まあね。……でもそれって、一くんはいつでも僕のこと心配してくれてるって」
「そんなわけがない」
「……ちょっと傷つくくらい速いよね返事」
「そんなわけ、が……」


それきり斎藤は口を閉ざす。視線を感じて顔を上げれば、
眉の下がった穏やかな顔で総司はこちらを見つめている。
続きを促すようなその表情に、いたたまれなくなって目を逸らした。


「……背を預ける相手がいないのは、不便なだけだ」


ふうん、と笑みを含んだ声。



「そういうことにしといてあげるよ」



覆いかぶさる影。すぐに唇に、総司のそれが触れてくる。
一度軽く触れるとすぐに離れ、二度目はより深くなった。

「――っ、ん、ぅ……っ」

じんと痺れる刺激に、意識が遠ざかるのをどうにか堪える。
腰を抱えようとする腕から逃れるため、
斎藤は総司の胸に慌てて腕を立てた。
は、とまだおさまらぬ息をつきながら。

「……っ、駄目、だ」
「なんで」
「なんでもなにも、明日は早いのだろう」
「いつもとそんなに変わらないよ」
「……長旅になるのだから、大事をとらねば」
「大丈夫だってば」
「しかし体に障るようなことがあっては」
「もう、さあ」


くすくすと笑いながら、総司は一旦体を離した。


「なんなのその、生娘の子の初夜みたいな言い訳」
「きっ……!っ、な……!!」
「初夜はすんでるはずなんだけどなあ。
 ……べつに、気になるならこれからちゃんと布団も敷くし灯りも消すけど」
「そうではない!!」
「もう。なに、しばらく会えないから嫌になった?」
「ちが、」
「でもさ」


そう言って、逸らした斎藤の顔を悠然と覗き込む。


「しばらく会えないならなおさらでしょ」
「……しかし」
「忘れないように、覚えときたいんだけどな僕は」
「…………」

斎藤が黙り込むのを了承の合図と取ったのか、
総司は今度こそ、肩に回した腕に力を込めた。
するりと腰に腕が回る。

「っ、総、司」

あっけなく体は倒されて、束ねた髪が畳を払い、ぱさりと乾いた音を立てる。
背が畳に押し付けられれば、そのあとは。首筋に総司の唇が埋められた。
斎藤は慌てて、その肩を押し返す。

「やめ、ろ」

しばらくは本気になどしていなかったのだろう。対抗するように
背に回した腕に力を込めていた総司は、
腕の中から逃れようと本気でもがく斎藤に、怪訝な顔で半身を上げた。
みるみるうちに眉が寄せられていくその顔。

「……そんなに嫌?」
「………っ、」
「なんで」

いよいよ不満気な総司の視線に、斎藤はふいと目を逸らす。

「……言ってよ」

いつしか余裕たっぷりだった総司の笑みは消え果てている。
代わりに鋭いほどの怒りの気配が見え隠れしていて、
今言ったところでもはや手遅れではと、思わなくもない。
けれど。




肩に触れたままの総司の手はひどく熱い。
明日にはもう、この距離で触れることもない、と
そう思い出して斎藤は目を伏せた。


こうして喧嘩したまま別れるなど。



観念して、ごく小さな声でつぶやく。



「……明日の朝が辛い。その後もだ」



これ以上ないほどに近づいた体温を引き離すのは、
今このときの比ではない。きっと。



「そのままあんたをずっと待つのは、」

嫌だ、と。
小さく口にした直後。ぴたりと総司の動きは止まった。
そのまま、返事すらない。おそるおそる顔を覗き込めば、
なにかを思い出しているかのように、その目はぼんやりと宙を見つめていた。


「……総司?」


と、離れていた体がもう一度重ねられる。


「っ、総、司…!」

跳ねのけようともがく間もない。深々と抱きすくめられれば
腕の自由はきかなかった。
「そんなの知らないよ」とあっけなく、言われたところでおかしくない。
そう息を詰めたところで。


「……」
「総、司、……どうした」
「……」


総司は黙り込んだままだ。抱きしめる、腕の力だけが強くなる。
抵抗も問いかけも諦めると、斎藤は総司の胸元に顔を埋めたまま目を閉じた。
慣れ親しんだ匂いにほっと息をつく。
同時に鼓動が速くなる、理由も自分ではわからないというのに。
――ただ離れたくない。

近づいた分、気持ちが届く気がするのは、ただの自分の願望なのだろうか。
同じく名残を惜しむように、背の腕がするりと髪を撫でる。
それから頬にちゅ、と音を立てて総司の唇が触れた。
重なっていた体温がわずかに遠ざかる。


目を開ければ、見上げた総司は何事もなかったかのように
穏やかに笑っていた。



「……しょうがないなぁ」

帰ってきたらひと晩ですむと思わないでよ、とそう言って、総司は体を起こす。
とたんにさらりとした空気が肌を撫でた。茫然としたまま斎藤は、こんなに冷えただろうか、と思う。
まだ夏も終わったばかりだというのに。

すぐにふと、胸に浮かんだもの思いを知られる前に打ち消した。
馬鹿なことを。





これはなにかに、

寂しいという感情に似ている、などと。

















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なるべくべたべたさせたいのですが。続きます。






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