夢の名残を / 1









自分の胸に突き刺さった刃が、鈍く白銀に光っている。


そこから伝う鮮血。水中にいるかのごとく、
傷口を確かめる首の動きはもどかしかった。痛みはない。

引きぬかれる刀。一瞬傾いだ体を立て直し、
力を込め手の中の柄を握り直すと、耳元で自分の鼓動が響いた。
どく、とまだ規則的なそれは間もなく徐々に間隔を開け、いずれ止まるのだろう。
それまでの時間は。許されるのは――今残された力で、放てるのはあと何太刀。
斎藤は歯を食いしばると、冷静に冴えていく頭の奥で計算を繰り返す。
その傍らでまだだ、と念じた。こんなところで終わってたまるか。

まだ足りない。時間も、力も。


一太刀、二太刀、繰り出すうちにつく息は荒くなっていく。踏みしめる足元がぬるりと滑った。
足をとるぬかるみは、自身の体からの血だまりなのだろう。けれど確かめもせず、
顔を上げたまま斎藤は敵の急所に狙いを定めた。重さを増していく左腕を振り上げる。
もう何人を斬ったのかも、あと何人が向かって来るのかもわからない。
どさり、と倒れていく人間の体ががたてる無造作な音。それだけを確かめながら前に進んだ。
顔もはっきりとわからない人影を、ひたすら無心に打ち払う。



最後のひとりを倒したその時、急に視界は眩しく開けた。その先には何もない。
静まりかえった中には人の気配すらなく
真白く光が射す世界が無限に広がっている、ただそれだけだった。
音もなく左手から滑り落ちる刀。





ああ、これで終わる。






けれど、もう――






























うす山吹の朝日が、部屋を柔らかく照らしている。
耳に届くのは軽やかな雀の鳴き声。斎藤は見開いた目を二、三度瞬かせて
見慣れた天井を確かめた。まだ鼓動は速いままだ。
振り切るように床から身を起こし、額に手を当て深く息をつく。
吸い込んだ空気は秋口の涼やかさを運ぶものだというのに、体中には冷たい汗が滲んでいた。

――またあの夢か。




もう何度目なのかわからない。それは繰り返し同じ場所から始まり、
決まって最期を迎える寸前で目が覚める夢だった。
敵も、自分がいる場所すらも判然としない。ただ致命傷の一撃を喰らい、
そこから最後の最後まで、刀を振るい続ける夢。そしていつしか力尽きる。

縁起が悪い、どころではない。武士としてこのような夢を何度も見るなど。
そう自分を責めたこともあった。が、数えきれぬほど繰り返すうち、
抵抗できない慣れと諦めとをもって、いつしか割り切る術を身に付けた。
これは現実でも願望でもない。ただの夢だ。そう何度も言い聞かせて。
――だというのに。

もうとうに、ひとつふたつのため息で終わらせられるはずのものが、
今日に限ってはまったく治まる気配がなかった。続く鼓動の早鐘。

夢の中の感情はいつでも、
脳天から突然水を浴びせられるような生々しさをもって迫ってくる。
まだ肌に貼りついたままの感覚に呆然としたまま、
ここがどこかを確かめるように強く布団の端を掴んで、
斎藤はそろりと、目の端を指先で確かめる。そこに涙の跡はなかった。

そんなはずはない。

そう思う自分を嗤うことすらできなかった。

乾いたままの指先を握りしめて強く思う。
昨夜初めて、夢の終わる間際に胸をよぎったもの。


これで終わる。終わることができる。

けれどもう――もう会えない。絶対に。









 総司。











なにもかもがぼんやりと霞がかった世界の中。

最後に胸を占めたのは、紅を刷いたように鮮やかな
――それは一面の悲しみだった。





































「あ、まーたやっちまった」



湯気を立てる鍋のその横で、平助は苦々しく言う。

「三人分少なくするのってまだ慣れねーなー……多分、味噌汁ちょっと余っちまうけど」
「問題ない。新八あたりが空にするだろう」
「そりゃそうだけど、でも下手に半端な量が残ってると、本気の取り合いになるからさー…
……もうだいぶ経つのに、なんかまだいる気がしちまって」
「……わからなくはない」

答えながらも手は止めず、斎藤は手元の沢庵を切り終えると皿に移す。

近藤、島田、そして総司の三人分を減らした朝餉を、平助と支度するのは三度目になる。
一度目は平助も、めんどくせえなと笑っていた。
けれど二度目には声からわずかに覇気が消え、もう今日に至っては。
平助の顔色は、降り出しそうな雨をはらんだ雲のごとくに重く曇っている。

「……総司、元気にしてっかな」

つぶやきは、聞こえるか聞こえないかの小さなもの。
普段はおもちゃにされているほどだというのに、総司の不在は割合こたえているようだ。
こうして飯の支度をしているとき、皆で酒を開けるとき、
不意に平助の表情にははっきりと陰がさす。それをいつも横目で見ながら、
そういうものか、と斎藤は、どこか他人事のように思っていた。――今ですら。

かたかたと、釜の立てる音が軽いものに変わった。はたと顔を上げる。
火から下ろし蓋を開ければほの甘い匂いのする湯気が上がって、飯の炊け具合もどうやら上々だ。
特に問題はない。気にしている暇など。
まだぼんやりと味噌汁の鍋を見つめている平助に、
斎藤は静かな声で口にした。

「大丈夫だ」

目を見開いた平助は、自分の弱音が聞こえたらしいことに気づいて
ばつの悪そうな顔をする。
けれどすぐに、確かめるように繰り返した。

「……そうだよ、な。近藤さんも、島田さんもいるんだしな」
「ああ」
「もうこっちに向かってるころとか」
「そうかもしれぬな」

言いながら、斎藤は椀を鍋横に積み上げる。隣の声は少しだけ明るさを取り戻して、
それにほっとしながら竃の火を始末した。
あとは焼けた魚を運べば――それは最後でもかまわないだろう。

味噌汁をよそい始めた斎藤を見て、平助は慌てて戸棚に向かうと
盆を手にして戻ってきた。それから斎藤の隣に立つ。
に、と笑う顔が視界の端に映った。

「まあな、人数が少ねえってことは
食える飯の量が増えるんだからいーってことか」
「そうとも言えぬが」
「……ま、新八っつぁんがいる限りは変わんねーけど、な……」

平助の手は規則正しく、よそい終わった椀を順に盆に載せていく。
と、突然それがぴたりと止まった。じっと盆の上を見つめたあと、
あれ、と声が上げる。

「はじめくん、一つ多いよ」
「……あ、ああ」

一瞬目を丸くした平助は、すぐに目を細めて「だよな」と苦笑した。
それきりなにも言わずに広間へ向かう。

遠ざかる足音を背で聞きながら、
ひとり残された斎藤はたすきを取ると、ふうと小さく息をついた。
目の前には一人分の椀。
――不在に慣れていないのは、一体どちらのほうなのか。

肩を落としている平助のその横で、素知らぬふりをしていたのは。
そうしながら自分は平気だと、大丈夫だと無意識に繰り返していたのは、
それは自覚したとたん、不安が溢れ出す予感がとうにしていたからだ。

もしも総司がここにいたなら。ほんとに心配性なんだから、と
呆れるように笑うだろう。もしくは怒る。
任された仕事もこなせないと思うなんて失礼じゃない、と言う。
そこまで考えて、こんなことだからいけないのだと肩で息をついた。

もしも、などとおかしなことを考えるなどどうかしている。
そう思えば、わかりやすく寂し気な顔をしている平助のほうがよほど健全だった。




今朝のあの夢。
涙の跡を探した自分の指の感触まで、まだはっきりと覚えている。














事の始まりは十日前。
近藤がこれまで世話になった道場へ、挨拶と隊士募集を兼ねて顔を見せに行くために
しばらくの間屯所を空ける。それは以前から決まっていた。
ゆえに出立前日となったその夜も、幹部たちは皆
あとは任せろと近藤を見送るために広間に集まったようなものだった。
「留守を頼む」と微笑む局長の、穏やかな一声を予想しながら。
――けれど。


「厄介なことになりやがった」



まず口を開いたのは土方で、吐き捨てるようなその言葉に
全員が息を呑んだ。部屋に満ちるひりついた空気。

うつむき眉間を押さえたまま、土方は続けた。

「これが届いた」

そう言って、皆の前に一通の文を掲げる。
表には「近藤局長殿」と整った文字で書かれていた。

「……んだ、そりゃ。別に、ただの文じゃねえのか?」

拍子抜けした顔で言う新八を、土方は眉を寄せたまま睨み上げる。

「……これでもか」

そう言って中を広げる。もう一度掲げられた紙面に書かれていたのは
大きく書かれた「天誅」の二文字だった。

灯りに浮かぶ黒々とした墨の走り。全員が、目を見張りごくりと喉を鳴らした。


「見ての通りだ。どこのどいつか知らねえが、
わざわざ俺たちに斬られてえやつがいるらしい。
……ま、んなことでいちいち騒ぐほどでもないんだが――」

土方は一度言葉を区切る。続く声はさらに低くなった。

「――よりによって今かって話でな。
それにこれが初めてじゃねえ。……今だから言うが、
近藤さんの出立が決まった日から今朝まで、毎日来てやがる」
「……な……!」
「どういうことだよ、土方さん」

身を乗り出す原田と平助を、土方は視線で制する。

「どうもこうもねえ。……ただの嫌がらせか悪戯か、
大したことだとは思わねえが時期が合いすぎだ。
隊の中に間者でもいんのか――それに紙も墨も、安物には見えねえからな。
どこからか金が出てる可能性がある」

資金力があるということはつまり、人数が相当数いる、
もしくは大きな後ろ立てがあるということだ。
心当たりなどありすぎて見当もつかない。
山崎がその先を引き取るように続けた。

「文は毎日夕刻に届けられており、
届けに来る者は大人から子どもまで、男女も問わず毎日違います。
聞けば大通りで男に頼まれたのだと、皆口を揃えてそう――
――手掛かりを追ってはいますが、今のところはまだ何も」


土方は心配そうな目をもの言いたげに隣の近藤に向けた。

「……トシ」

人の良い笑顔のまま、困ったように近藤は眉を寄せる。
それを見て、土方ははあと大きなため息をついた。

「止めたってきかねえだろうとは思うけどな」
「心配するな、大丈夫だ。それにただの悪戯かもしれんだろう」
「……でもな近藤さん。もうあんたは局長の身なんだ、何かあってからじゃ」
「だからこそというものだ。食いつめるかどうかという頃に世話になったのだ、
お上から名をいただいた途端、手のひらを返すようなことはできん」

きっぱりと言うその声に、土方は二度目のため息をついた。
とりなすように原田が「警護の人数を増やすってのは無理なのか」と声を上げる。

「俺もそう言ったんだが……島田はともかく、腕が立つといっても
連れて行くのが平隊士だけってのは。せめて幹部をもう何人か」
「あまり大勢で行っては、あちらにも御迷惑だ。それに、その方が人目に付くだろう。
隊の中に何者かいるかもしれんというのに、そうそう戦力を連れて行くようなことをするのも」
「そりゃそうだけどよ近藤さん」
「まったく。心配性だな、トシは」

大丈夫だ、と近藤はもう一度、歯を見せて大きく笑う。
あえて明るく振る舞い親しい呼び名を繰り返すのは、
少しでも安心させようという近藤なりの気遣いなのだろう。
けれどそれが、楽観的すぎると土方にさらなるため息をつかせる――ことに、
全員が気づいているからこそ誰もが黙りこむしかなかった。
と、不意に明るい声が上がる。

「僕が行きますよ」

「……総司」

土方は眉を上げる。
有無を言わさぬ笑顔で、総司は続けた。

「僕ひとりいれば警護には十分だと思いますけど。いいでしょ、土方さん」

言い終わるやいなや、楽し気とも言える総司の視線と
土方の鋭い目線が睨み合う。
もの言わぬやりとりがしばらく続き、土方は観念したように目を伏せた。

「…………くそ、仕方ねえか」

ある程度予想していたのか、自身もそれが妥当な手だと考えていたのか。土方は息をついてそう言った。
近藤が出立すると最初に話が出た時から「自分も行く」と言いつのる総司を、
お前には部下がいるだろうと止めてきたのは土方だった。それはきっとこの先のことを考えれば、
近藤と名が出るたびに目の色を変える総司を少しでも
おとなしくさせておこうという意図なのだろう。
が、今回ばかりは折れたようだ。

「……わかった。総司は島田と一緒に近藤さんの警護を頼む。
一番組の者はしばらく斎藤に預ける。何かあったら言ってくれ」

「承知しました」

「それから間者の件もだ。隊の中におかしな動きがあったら報告するように。以上」

全員が頷いて立ち上がる。
満足そうな顔で振り向いた総司の目が一瞬斎藤をとらえて、
けれど何も言わずに部屋を出ていく。
後を追って来るのはわかっている。そう言いたげな背中だった。


















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1Pがえらく長くなってしまいました。
見辛かったらすみません…。続きます。






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