シークレットシークレット









「仕事と私どっちが大事なの、って」

こないだついに言っちゃったんだよね。と、
手すりの向こうから意気込んだ声が耳に届く。


その手すりのすぐ隣、角の座席に座っている総司は
イヤホンがないとこれだから、と小さくため息をついて、
今朝プレイヤーごとベッドに忘れてきた自分を呪う。
目は閉じられても耳は塞げない。
窓越しにはもう、黄色く熱をもった日射しが照っていて、
夏休みまであと何日だっけ、とぼんやり思いながら
総司はせめて手元の小さな四角い液晶画面に触れる。
けれど直前で、カレンダーを開くその手を止めた。
――まだ遠いって確かめたら、このまま帰りたくなっちゃうし。



朝8時半の車内は大半が学生だ。それも(今の時間に乗っていたら、
高校なんて普通は遅刻に決まっているので)ほとんどは大学生だろう。
目の端にうつる花柄の短いスカートは、どうやら長く付き合っている
社会人の彼氏でもいるような会話をさっきから甲高い声で繰り広げていた。
その隣で、黒のワンピースがこぼれる不満を毎回拾い上げている。
今もまた、「でも彼にそんなこと言ったら余計嫌われない?」と引き取れば、
そうそう、わかってるんだけど、でもさあ!と、
油を注がれた不満の言葉が溢れ出した。こちらのほうが本音だと、一瞬でわかる声の高さ。

いつまで続くんだろこれ、と、おさまらない不満だらけの会話を締め出すように目を閉じて、
でもなんかこれってどっかで聞いたような話、と総司はそのまま眉を寄せる。


ほんと、どこかできいたような。













「一くーん」
「………」
「一くんてば」
「……総司」
「なに?」
「ペンを」

手元の書類から目も上げずに斎藤は言う。
たぶんテーブルの反対側にある、あの黄色いののことだとは思うんだけど。

「総司?」
「……はいはい」

なんか召使いみたいだな、と思いながらしぶしぶ手を伸ばす。
礼もなくあたりまえのように斎藤はそれを受け取って、
視線は変わらず紙の上をたどるだけだ。
えーっと、あの、ここ僕の部屋なんですけど。

ここのところ斎藤は2週間近くずっと、
月末にある職員会議にかける予定の書類を作るため、
歴代の校則とか委員日誌とかPTAに配ったあれこれとか、
よくわからない書類たちを開いては延々それとにらめっこを続けている。
もちろん合間に授業の予習復習は欠かさないし、部活だって変わらず熱心に出ていて、
昼休みもいつだって似たような資料を読んでいる。
普段は成績が良いわりに、予習復習以外で勉強なんてしないのだから
(授業で十分、なんだそうだ)なにかしら本を読んでいたとしても
一応相手はしてくれる。けれど本当にこのところは。

一緒にいる間中、きちんとこちらを向いてくれたことが果たして何回あっただろうかと、
思い返しながら指折り数えて、そしてちょっとむなしくなったので途中でやめる。
だから帰りがけに部屋に来てくれるだけ、まだいいのだとわかってはいても。
……半分自分に言い聞かせているような気になるのは知らないふりで。

「……まだあるの、仕事」
「ああ」
「忙しいんだね風紀委員って」
「ああ」

返ってくるのは生返事ばかりだ。ほんとに、
このまま忍び足で出ていったって気づかないんじゃないの。
総司は頬を膨らませる。

「なにこれ」

気のなさにふうと息をついて、隣から手元の紙をのぞきこめば
やけに古めかしい校舎が目に入った。輪郭のにじんた色の濃い、
アナログのカメラで撮ったんだろうな、という風合いの写真のその下には
今から20年前の年号。

「こんな昔のから見てるの?」
「必要だとは思わないがな。念のため、頭にだけ入れておかねば」
「ふーん」

と、忙しく紙をめくっていた手をぴたりと止めて。
珍しくしっかり顔をこちらに向け、斎藤は「総司」と神妙に言う。

「……な、に」

どきりとするほどまっすぐな目で見つめられて、ようやく、と思ったところで。

「付箋はあるか」
「…………」


だと思いました。


返事はしないまま、深々と息をついて立ち上がる。
机の引き出しからいつ買ったのかもわからないものを
適当にいくつか取り出して、はい、と斎藤の前に転がした。

「悪いな」

そんな思ってもないことをさ、と、噛みついたところで不毛なだけだ。
今朝のあの、仕事と私とどっちが、という台詞が不意に頭に浮かんで、
ちいさく息をつくと総司は目を閉じる。

好きだから待ってる、というのはきっと、
待てる程度の好きさ加減、と正反対の翻訳をされてきっと向こうに届いている。
そうじゃないんだと、むきになって言えば言うほど
返ってくる結果は希望と反比例するだけだ。
ここで怒ったりしたらきっと、もう部屋にも来てくれない――どころか顔も合わせてくれないかも。
心の中でパズルのように、最低限の欲しいものと手に入りそうなものと
それから踏んだらまずい地雷を、あちこち動かしてみて結論を出す。
とりあえずはもう、ここにいてくれればいい。ことにしないと。
そう思えば、ずるずる悩むよりも体が動いた。









「はい」

言ってテーブルの端から、かき集めてきたものを並べる。

ホチキスとか色ペンとか、とりあえずまたリクエストされそうな文房具と、
ペットボトルのお茶に、スナック菓子に、エアコンとテレビのリモコン。

「全部おいとくから好きに使って」

続けるにしろ休憩するにしろ好きにして、という状態にして、
そうして自分は斎藤の後ろ、ベッドとの隙間に座り込む。

「総司?」
「……だからしばらく充電させてよ」

顔だけで不思議そうにこちらをちらと見る、その視線も無視して
総司は斎藤の背中に顔を埋める。ぎゅうと腰に腕を回して抱きしめながら、
なんかかなり久しぶりな気がするなと目を閉じた。部屋に来てくれるのも
忙しくし出してからは初めてだし、学校の中じゃ、なかなかここまでできないし。
なにしろ隣に座れたとして、それも長くて15分?――そんなんじゃ全然足りない。

すぐに一瞬びくりと斎藤の肩が上がって、しばらくの後にまた
なにごともなかったかのようにページをめくる軽い音が部屋に響く。
ほらやっぱり変わらない。
白いシャツのその背から簡単に腕が回って余る細い腰に、
この布の下の肌を連想する。正直むらっとこないわけじゃないけど、
それよりもこの体温にとにかく落ち着くと思うのは、おあずけが長すぎたせいなんだろうか。
このままベッドに引きずりこんで、抱き枕にして眠れたらとは思うけれど。



そんなことを思ったせいか、いつしか意識はところどころぽつぽつと白く穴があき、
アラームにしてはかすかなピピ、という電子音に目を開けた。
斎藤の腕が動く気配と、ちらりと投げるように向けられた視線。

「起きたか」
「……あれ、僕寝てた?」
「ああ」

重かったからな、と斎藤はしれっと続ける。……ほんとにさあ。

顔を上げれば並べてあったお茶だけが半分くらい減っていて、ほかに手をつけた様子はなかった。
テーブルの上はやけにきれいなままだ。5分くらいのことだったのかな、と思いながら
時計を見れば、あれから1時間が過ぎている。

「……わ。一くん、そろそろ時間じゃ」
「そうだな」

何事もなかったような調子のその言葉はきっと、
家に帰ったからといって、やることはなにも変わらないという証拠だろう。
自習室程度なのかな、やっぱり。
思いながら立ち上がると、鞄を手にした斎藤を部屋から送り出す。
駅まで行くよ、と言ったのを「いい」とまたぞんざいに断って。来たときとなにも変わらず、
迷いのないさくさくとした足取りで斎藤は玄関を出る。
なんかなあ、なんか。

仕事をないがしろにする姿が見たいわけじゃなくて、
かといって、弱音を吐いて頼ってくる姿が見たいわけじゃない。
でもどうして、こんなに「そうじゃなくて」って思うんだろうか。
納得のいかない思いをぐるぐる持て余して階段を上り、
戻ってきた部屋のドアを開ければ、空気はぬるく変わっていた。
見ればエアコンの電源は切れている。

あれ。

すぐに何も考えずに、もう一度スイッチをオンにしてベッドに倒れこむ。
ほんとだったらせめてこっちに連れ込みたい、っていうか
そりゃあ恋人っていうんだったら当たり前じゃない?

「……あーもう」

身代わりにはもの足りない枕にがしがしと顔を埋めて、ため息をついたあとに
ん、と首筋に冷気を感じて顔を上げる。……なんかやけに寒いような。
エアコンこんなに効いたっけ、と
体を起こすとリモコンを手に取った。

「え」

液晶画面には19度、という見慣れない数字。
暑がりな自覚はあっても、さすがにそこまで下げた覚えはない。
そこで目を覚ます前の、あの電子音を思い出した。
―――アラームじゃなくてあれは、
温度とか電源とか、きっと多分一くんが変えて。

「……でもそんなに暑かったなんて」

とこぼすように言ってから、はたと目を泳がせる。




「暑い」って―――だから離れろ、って、どうして言わなかったのかな。

















胸ポケットからひょろりと飛び出したイヤホンの片方を、
そっか今日は持ってたんだった、と思い出しながら総司は見つめる。
電車の揺れに合わせて振り子のように動くそれの向こう側には、
相変わらず紙束に視線を落としている斎藤が座っている。
まだぎらつきを残した午後5時半の太陽が、
影と交互にその紺の髪を撫でていく。
聞こえてくるぱらぱらと紙をめくる音は相変わらずで、
でもだから、イヤホンはまだポケットに入ったままだ。
乗ってからずっと、こちらに顔も上げない斎藤を横目で見ながら総司は言う。

「……まだ続くのそれ」
「明後日までだ」
「ふうん」

がたん、と列車の揺れに合わせるふりで、手元のその書類を覗き込む。
またよくわかんないもの見て、と思いながら目にした
そこには、見覚えのある古い校舎の写真。に、総司は眉を上げる。

「あれ。ねえこれ、昨日も読んでたやつ?」
「……」
「僕の部屋で」
「……!」

ほんのわずかにぎゅ、と、紙の端を握る指先に力がこもったのがわかった。
同時に視線が一瞬ゆれる。


あ。



頭に入れないといけないからもう一回読んでるの、とか――
――頭に入らなかったからもう一回読んでるの、とか。
喉元まで出かかった言葉は飲み込んで、
ごまかすようにひとつ咳払いをする。主に斎藤のために。

黙ったまま、もう一度座席に背を預け直すと、
総司はイヤホンと一緒にポケットに入れてあるスマートフォンを手に取った。
しばらくの後、隣からはまた、何事もなかったかのようにぱらりと紙をめくる音。



「……一くん、寄ってく?今日も」


画面から顔を上げずに尋ねれば、ああ、とまた気のない返事が返ってくる。
それにふうん、と、総司は少しだけ口の端を上げた。
















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紺藍のイサオさまからいただきました、
「こっそりちゃんと好きなサインを出している斎藤」という
リクエストで書かせていただきました♪
こういうテーマすごく好きなので、とにかくとても楽しかったです(笑)
ありがとうございました!!

ちょっと総司が良い子すぎな感じもしますが、こうなるまでに何度も
「ちょっといいかげんにしてよ」的なケンカをしています、ということで。
勉強した結果と言うことで。笑。
(題は某香りダンスユニットより…歌はちょっと可愛いすぎますが)





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