かけらをちょうだい





きっとここだろうな、と、あたりをつけて向かったのは、普段なら絶対に寄りつかない場所だった。
人気のない放課後の廊下に、ぺたぺたと自分ひとりの軽い足音が響く。
クリーム色のリノリウムの床からは、しんしんと冷気が染み出しているようだった。
これだから1階って。そう呟きながらちいさくつくため息すら白く変わってしまいそうだ。
両手をポケットに入れたまま、沖田はさむ、と肩を上げる。

教室のある棟とは反対側のこの場所は、それでなくてもあまり日当たりがよくない。
こんなところに毎日来るのっておっくうじゃないんだろうか。
「風紀委員室」と書かれた、プラスチックのプレートを見上げながら思う。
扉の前に立つと中からはかつん、と筆記用具を置くかすかな音。ああ、やっぱりいた。

「一くん」

がらんとした教室には、引き戸を開ける音もよく響く。人影は思ったとおりひとつだけだ。
机で書きものをしていたらしい斎藤が顔を上げる。

「総司」
「ここじゃないかと思って」

沖田の姿を認めると、斎藤は一瞬、目元を柔らかく細める。
けれどその表情はすぐにしたたかな笑みに変わった。

「……あんたの方からやってくるとは良い心がけだな」
「え、なんの話?」
「とぼけるな。重役出勤が過ぎる」
「あはは」
「結局いつ着いたんだ」
「えーっと、昼休みが終わる10分前くらいには来たよ。ちゃんと」

ふう、と額に手を当てて、斎藤は深く息をついた。
その先に続く言葉は聞き飽きている。遮るように音を立てて椅子を引きずり寄せると、斎藤の机の向かいに座った。前髪の向こうにある俯き顔は、いつもよりもどこか影が濃い。

「あれ、なんか疲れてる?」

頬杖をついたまま上目遣いでちらとこちらを見る目は「あんたが言うのか」と言いたげだ。そこはもちろん満面の笑みでスルー。
斎藤はさっきよりもさらに深いため息をつくと、諦めたように机から顔を上げた。

「……今日はさすがに」

少し疲れた、と、伸びをして目頭を押さえる。
書きかけらしい、斎藤の手元の紙を覗き込めば、そこにはずらりと生徒の名前が並んでいた。
一番上には、「2月14日」の日付。

「さっきまで指導してたの?お客さん多かったみたいだね」
「普段の倍だ。昨日まで何もなかったというのに、
今日に限ってどうして皆、髪を立てたりシャツの色を変えたり……意味がわからん」

ぶつぶつ言いながら斎藤は、真剣な顔つきで手元の名簿を睨んでいる。

「っはは」
「……何がおかしい」
「一くん、バレンタインって興味ないの」
「……興味もなにも」

向けられたのは、自分に関係があるなど考えたこともない、という顔。
斎藤の住んでいる清く正しい国には、通じない世の言葉がいくつかあるらしい。

「もしかしたらチョコもらえるかも、って、期待するんじゃないの、みんな」

放り投げるように言いながら、書きかけのその紙を覗き込むと、ぞんざいに指でなぞる。でもこんなにとはね。ふうん、まあ、ご苦労さま。
そんな世間一般男子の気持ちなど露ほどもわからないだろう目の前の端正な顔の持ち主は、
今日も普段通り、襟元のネクタイ位置まで1ミリも変わらぬほど隙のない制服姿だ。
ま、わかってもらったところでそれはそれで困るんだけど。
こちらの思惑などどこ吹く風で、斎藤はますます深く眉間に皺を寄せる。

「大体校内に私的な菓子類は持込み禁止だ。
それに女子など雪村以外にいないだろう。そのようなことが皆に起きる機会など」
「そりゃそうだけど。でも学校以外にだってそういうチャンスがないわけじゃ――」

と、人の気配すらなかった廊下をだだだ、と走る足音が近づいてきた。
すぐに遠慮のない音を立てて、勢いよく扉が開かれる。

「斎藤、土方先生知らねえか?!」
「……廊下は走らないでください永倉先生」
「あ、わりぃわりぃ。で、職員室行ったらこっちだって言われたんだけどよ」
「先程までみえましたが、指導も終わったのでもう職員室へ戻られたのでは」
「なんだよ、入れ違いかよー!」

相も変わらずのジャージ姿で、真冬だというのに頭にタオル。息を切らせている永倉を、
このひとはバレンタインどころか盆正月もこの格好なんだろうな、と冷ややかな目で眺める。
その空気の読めなさゆえか、慣れるまでは威圧感すら感じさせる斎藤の口調も気にならない様子で、斎藤と土方の話で盛り上がっている(ように見える)のもなんだか癪に障るし。
目についたボールペンをくるくるともてあそびながら、早く出て行かないかなと横目で念じてみる。その思いが違う意味で通じたのだろうか。
ようやく話を終えた永倉は、背を向けかけてはたと沖田を振り返った。片眉を上げ、にやりと笑う。

「おう沖田、結局昼のあれ、もらったのか?」
「……関係ないでしょ」
「照れんなよー!逃げ隠れしなきゃなんねえほどもらえるたあ
男冥利に尽きるってもんだろ?そりゃ俺だって若いときゃ……おっといけね、じゃあな!」

来たときと変わらぬ騒がしさで、またばたばたと永倉は廊下を駆けていく。
あれで教師って、ねえ、と、自分のことは棚に上げて斎藤に向かい直すと案の定、
じっとりとした視線が頬に刺さった。
……永倉が姿を見せたときから、嫌な予感はしないでもなかったけれど。

「あれ、とはなんだ」
「え」
「逃げ隠れとは」
「……ん?」
「答えろ」

声のトーンは低い。まるで折れ線グラフががくんと下がったようなわかりやすさ。
がしがしと頭を掻いて沖田は目を伏せた。

「校門の前で他の学校の子につかまったんだよ。
……昼過ぎなら大丈夫と思ったんだけどなあ。それに永倉先生に見られるなんて最悪」

なにがなんでも隠すつもりなどなかったけれど。
でもやっぱり、あまり知られたくはなかった。

「では今日の遅刻もわざとか。……どれだけ渡される心当たりがあるのか知らぬが、
あんたはもらう機会に期待するのではなく備えるということなのだな。結構なことだ」

視線を手元の名簿に落とすと、嫌味たっぷりに斎藤は言った。

「これからは、昼休みの風紀委員業務も追加せねば」
「もう、そんなに怒らないでよ。
……面倒くさいのが嫌なだけ、いろいろ」

目だけで天井を仰ぎながら答える。本当に、理由なんてそれだけだ。
大体、よく知りもしない女の子に「ずっと見てました」とか言われたところで、好意を抱くどころか後ずさりしたいような気持ちのほうが大きい。
パステルカラーで包装されて、べたりと押しつけられるいくつもの甘さのかたまりたち。

「――とにかく、もらってないから」

語尾を強めてそう言うと、つり上がった斎藤の眉がほんのわずかに下がった。たぶん、自分にしかわからない分量で。
ああ、これは。「風紀委員」じゃなくて「一くん」のほうで怒ってる、と、
そう思ったとたんに自然と頬が緩む。可愛い。言うときっと、もっと怒るけど。

「ほっとした?」
「うるさい」
「それに、もう本命はいるんだしさ」

机の上に腕を組んで身を乗り出す。あと10センチ、の距離まで額を近づけると、目の前の白い頬にかっと赤みが差した。

「一くん、チョコちょうだい?」
「は?!」
「そのためにわざわざここまで来たんだけど」
「な、……そのようなもの、あるわけが」
「そっかー残念ー」

平坦な声で言いながら、ポケットからごく小さな包みを取り出す。
よくコンビニのレジ横に積んである、正方形の1粒チョコ。不思議そうに見ている斎藤の前で、ぺりぺりとその包装フィルムを剥がす。

「ねえねえ一くん」
「……なん、だ――」

開いた口に、ひょいとその小さな茶色のかけらを放り込む。
蓋をするように自分の唇を上から重ねた。

「――っ!」

机の上の斎藤の手を上から包みながら口づける。口内の深くまでを舌で探りながら。
ふたり分の熱で溶けていくチョコの味は、食べ慣れているはずなのに今まで知らなかったものだ。こんなに甘いなんて。

すっかりその形がなくなっても、唇を離すのが惜しかった。

「……ん、んっ、……っ」

逃げる斎藤の舌先を追いかけ吸い上げる。
鼻にかかった声が上がるたび、もっと、と熱が上がるのを止められない。
と、片肘で体重をかけた机が、咎めるようにぎしりと大きく軋んだ。

「――っ、は」

ようやく唇を解放すると、目元を染めて息をつく斎藤の、その目はとろりと濡れている。
きっちりと着こまれた制服が逆になんか、もう、と、ごくりと喉を鳴らすと本気で睨まれた。

「……あんたは、本当に…!!」

手の甲で口元を覆ってわなわなと震えだす、その怒った様子とは反対に顔は真っ赤だ。

「ごちそうさま」

べ、と舌を出すと斎藤はついに声を荒げた。

「遅刻といい、いい加減にしろ!……そもそも、ほかに言うべきことがあるだろう!!」
「えっとこのチョコ、あと2個あるんだけど」
「総司!!」
「来月のお返し楽しみにしてて」
「知らん!」

ばん、と机を叩いて斎藤は立ち上がる。帰り支度を始めるその手つきは、それでもどこかおぼつかない。
肩で息をしながらがちゃがちゃと筆記用具をかき集めるその様子を、わざと手を出さずににやにやと眺めながら、口に残ったわずかな甘さの名残を惜しむ。
言われてみれば、期待するんじゃなくて備えてるってのは本当なのかも、と、斎藤の言葉を思い出して少し笑った。
だってもらえないなら、取りに行けばいいだけのこと。

これから家に着くまでにあと2つ、どこでもらおっかな、と、頭の中で帰り道を辿る。
ポケットの中で小さな四角形を転がした。







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遅れましたがバレンタイン話を。
総司はチ○ルの味に詳しそうだなとか。



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