あきはゆうぐれ







太鼓の音色が胸のうしろから近づいてくる。
骨を直接叩くように響くそれに細い笛の音がかぶさり、徐々に人のざわめきが大きくなった。
すぐ横を、朱の帯を高く結んだ子どもたちが駆けていく。
さっきからちらちらと視界の端をかすめる赤とんぼが、そのまま大きくなったようだ。

「なーなー、祭りだって!」

その子どもたちと何ら変わらぬ目で平助は振り返った。

「……巡察中だぞ、平助」
「さっき左之さんたちとすれ違っただろー?もう帰っていいって言ってたしさ、交代ってことで」

言うが早いが、音のする人混みに向かって小走りで駆け出した。
ふう、と、説得するのは諦めたという顔で斎藤は息をつく。
あれを追いかけて引き止める、などという選択肢は総司にも毛頭ない。横目で隣をちらと見て言う。

「土方さんには黙っておいてあげるから、一くんも行っていいよ」
「……俺は興味はない」
「ふうん。まあそうかとは思ったけどさ」

街中から少し外れた川沿いの道。いつもは人通りもまばらだというのに、
今日はどこにこんなに隠れていたのかと思うほどの人がひしめいていた。
すれ違う者たちの話し声から察するに、どうやら近くの神社の秋祭りらしい。
普段は目にもつかないような細い道の入り口が、今日はやけに賑やかだ。よくよく見れば遠くに小さく赤い鳥居も見える。

集まっているのは地元の老人と子どもが多かった。安っぽい屋台に威勢の良い若い男の呼び込みの声。
京の雅さはかけらもないが、物騒な騒ぎとはほど遠いだろう和やかな空気が満ちている。
まあ、わかりやすくお役御免なのはまったくもって結構なことで。

「……む」

と、人を避けつつ歩いていた斎藤の足が止まる。

「なに」
「平助が」
「あ」

人混みの間からひょこひょこと見えていた束ねた髪が、鳥居に向かう路地へ吸い込まれていくのが見える。

「これは、しばらくかかるな」
「先に帰る?」
「……そうするか」

子どもたちと変わらぬ程度に浮かれ騒ぎには目はなくとも一応大の大人なのだ。
ひとり置いていったところで屯所に戻れなくなったりすることはないだろう。
新八たちと違い、酒を飲んで絡まれたり騒ぎを起こしたりすることについても、きっと平助ならば心配ない――というかむしろ
子どもたちの輪に馴染みすぎるほどなので、せいぜい金を借りる相手がいなくて困る程度だろう。飴や煎餅を手にしている姿が目に浮かぶ。
それに普段は新八や左之助のお守りをしているように見えて、そもそも皆で騒ぐのが好きな性分なのだ。あの後ろ頭が振り返ったらもうやすやすと帰れなくなるのは目に見えている。
斎藤も同じようなことを考えたのか、騒ぎに背を向けるとすぐに歩き出した。

傾いた日が橙に川面を染めている。
水面にはびいどろの欠片を落としたような光がさざめいていて、きれいだと思うのにどこか息苦しい。

「……少し、意外だった」
「なにが?」
「いや、あんたも行くのかと」
「ああ、お祭り?僕はあんまり。人多いの嫌いだし」
「そうか」
「っていうか、楽しそうなのは好きじゃないんだ。……楽しいのも嫌」
ふと、斎藤が視線を向けた。珍しく眉が上がる。
「なんだ、それは」
「楽しいと、終わったときのこと考えて悲しくなるから。だから嫌い」

きっと、今ここでなかったらこんなことは言わないんだろう、と、頭のどこかで思った。
落ちる寸前の橙は燃えるような赤に変わって、隣を歩く斎藤の横顔もきっときれいに染めている。
ほんとうに錦絵のような夕暮れで、ああだからか、と、思った。
こんなに足元からすうと骨だけ抜かれるような、息のできないような気持ちになるのは。

「楽しいことがあるたびに、近藤さんのところに初めて来たときの、あのころに比べたらなんて楽しいんだろう、って思って、
それで思い出すんだ結局。全部あのときが基準になってて、忘れることはできないんだってことを。
……なにがあったって、どんなに楽しくっても」


あのときもこんな、大きくて燃えるような夕日だった。
からすが鳴きながら、影を連ねて夕日を横切っていく。
どこに行くんだろうと見つめながら、行き場所のない自分を思った。
からすにも帰る巣があるのに、僕は。

歯を食いしばって落ちる陽を睨みながら、どうして、と、やっぱり、と、
叫びだしたいような泣きじゃくりたいような気持ちをただ飲み込んで、
でも胸の中にあるのは足元に伸びる濃い影に似たぽっかりとした闇だった。
身の内から滲むそれに呑まれるようで、暮れる日が連れてくるものにただ怯えていた。
どんなに踏みしめても足元はただ頼りなくて。

「……この先もそうなんだろうなって思うんだ、幸せなことがあるたびに思い出すんだって。
近藤さんに会えたことは本当に、本当に良かったと思ってるけど、……こうじゃなかったらどうなってたのかなと、ほんの一瞬思うこともないわけじゃなくて」


たまらなく嫌だった。そう思ってしまうことが。


「……変な話になっちゃった」

あーあ、と目を伏せて笑う。
足元の影は祭りの騒ぎに引っ張られでもしているように後ろへ長く伸びていた。
ただ黙っている斎藤の方を見ることができないのは、喋りすぎたのがわかっているからだ。
早く話題を変えようと思案したとき、斎藤が口を開いた。

「……総司」

静かな、でも真面目な声に、わざと茶化すように言った。

「まあ、それだけ。なんてことない話」

目に着いた、足元の小石を蹴る。ゆるく転がり、それはすぐに川べりから水面に吸い込まれた。
ぽちゃん、と軽い音と、小さな波紋。それもまた広がって波に消える。なにか話を、と、口を開きかけてやめた。
何も言わずに隣を歩く斎藤の髪が、熱も冷たさも含まない、からりとした今の季節だけの風に吹かれて柔らかく揺れる。
視界の端にそれを感じるだけでよかった。






屯所の灯りが見えるころには日もすっかり暮れ落ち、空は濃紺から漆黒へ変わろうとしていた。
あれきり互いに口もきかず、けれど気まずいわけでもなく、たた豆粒のような灯を目にして浮かんだのは、ああ着いてしまった、と、ようやく着いた、の中間のような気持ちで。

「着いたね」
「ああ」
「……さっきのはほんとに」

忘れて、と、言おうとしたのを、静かな声が遮った。

「――先程の話は」
「……ちょっと口が滑っただけ」

ふ、と笑いながら言う。

「だから忘れて。気のきいたことなんて一くんに言われたらそれこそ困るからさ。思い出し笑いで眠れなくなりそう」
「……」

あんたはまた、とむっとして、それで終わり。
のはずだった、のに。

なんの反応もないことに、先んじたつくり笑いの口の端を下げる。
少しの揺らぎもない、でも静かな声で斎藤は言った。

「そのようなことは言えぬが……――ここまでの道中、ずっと」

盗み見る横顔は薄闇に埋もれている。
けれど目を凝らさなくても、真剣な眼差しが見えるようだった。

「昔の――その頃のあんたに会えていたらと、思いながら歩いていた。…………それこそ、詮なき話だ」


総司は一瞬目を見開くと、闇に消えかけた足元の影を見つめた。見つめながら思う。
聞こえたかな、と。
届いただろうか。あの小さな、小さかった子どもに。




君が、あのとき隣にいてくれたら。
きっと何が変わるわけではない。けれどあの夕陽をもう少しだけ、素直に美しいと思えたのかもしれない。
出口のない、袋小路のような毎日を過ごしながらも、心強くいられたのかもしれない。並んで隣に立つ今のように。


そう思えるだけで信じられる気がした。出会えたのだから。


ああそうだ、間違ってなどいなかった。
今、ここまでの道はなにも。








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秋っていうかもう冬ですねという頃に
ゆきさくらで無料配布した小話です。
黎明録の子総司に引きずられてつい。
楽しくないことほど、口に出さなくても通じるといいなと思いますこのふたりは。




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