「君、は、」


白い、白い指。それがすっと伸びてきて、春色の髪を掬った。声に、指先に、呼ばれるように春歌が顔を上げれば。同時に、レコーディングルームに溢れていた音楽がふっ、と途切れて。部屋に残された音は霧散する。
空よりも澄んだ瞳と交わった。その色は…。


「…どうして、」


――どうして、そんなに。

掬った髪が指の間からすり抜けていき、


「美風、せんぱ、い…?」

「……いや。何でもない」


最後の一本が逃げていった。

藍は春歌に背を向ける。白い服の裾が揺れた。そのままレコーディングルームを後にしようとするものだから。思わず服の上から捕まえた華奢な腕。離したなら、放してしまったのならば、何処かに消えてしまうような気すらして。


「……、…何?」

忘れられない、色。それはすっかり姿を隠して。その眼は。普段の表情を取り戻していた。


「…今、何を言いかけたんですか?」

「だから、何もないってば」

「いいえ、そんな訳ありません!何もないなら、どうしてあんな眼をするんですか…」


ぴくり。藍の肩が揺れる。


「……どんな?」

「え?」

「ボクが、どんな眼をしていたって言うのさ」


眼から感じる色は、また違う色。きっとそれは、困惑。


「……何と言いますか…寂しそうで、哀しそう、でした」


そう。藍はそれだけ云って視線を落とす。目蓋を縁取った長い睫毛が柔らかな影を作った。人間とは思えないくらいに、美しいその様。CGのようだ。世間ではそんな印象を持たれているが、正解のようなものだ。人間ではない。彼は精密なロボット。

軈て藍はレコーディングルーム内の簡易椅子に腰を下ろすと足を組み、その腿に肘をやって頬杖をついた。


「……君の音楽はどんどん進化していくな、って、思った。…ナツキも、ショウだって……。すごいね、人間っていうのは」


――…ねえ。努力するって、どんな感じ?

春歌は何も答えずに、否、答えられずに、ただ息を詰める。


「物になったときの喜びって、報われなかった時の哀しみって、どんなものなの」


春歌は思い出していた。USBに保存されたデータ。それを取り込む藍の姿。
データが、プログラムが彼の総て。
何か新しい事をするとなれば、完成したデータをインストールすればいい。経過などない。結果だけだ。

春歌は何も言えなかった。藍もそれを理解していた。だから強要を求めなかった。ただ、レコーディングルームに扉の閉まる音がする。そこに残された春歌は、暫く立ち尽くしていた。


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