ふらつく足元。
曲に合わせて揺れる照明が酷く眩しい。
乗り切れると思った。甘かった。自分の番が来た途端に酷くなる頭痛。カメラに映らぬところで小さく舌打ちをかました。
息を吸い込んで、詩を紡ぐ。愛しい彼女と作り上げた、愛しい音楽。一字一句に想いを乗せて。
刹那。一際大きい脈動。息苦しさのようなものも込み上げて、思わず眉根を寄せて奥歯を噛む。
自分の身体ではないように感じる。言うことを聞かない。指令信号が何処かで遮断でもされているのだろうか。否。司令塔である脳がおかしくなっている。
ぐらり。目眩を覚えて傾いた身体は思い切り床へと転がる。叩き付けられた痛みなど感じない。頭の中を抉られるような感覚が他の痛覚を忘れさせているようだ。

音楽が消える。ざわつく声がする。その中に翔の声が混じっていたことに、不安定な思考の中気付いた。

そして。

薄れゆく意識の端で捕えたのは自分の名を呼ぶ声。此処にいるはずのない、春歌の声だった。









You belong with me. 12











考えるより先に身体が動いていた。
何も持たずに玄関へと駆け出す春歌の腕を鋤かさず掴んで制止をかける。離してください。声を張って抵抗を示した。そのまま何も持たずに如何にして病院へ向かおうと言うのか。友千香は片手に車の鍵を、片手に春歌の腕を引っ付かんで部屋を飛び出した。
車内でミラー越しに後部座席を見やった。震える背を丸めて祈るように手を組み、小さく泣いている。声をかけるでもなく、一秒でも早く病院へ向かうこと。それが先決だと思った。

エントランスを抜けて、伝えられた病室へ。扉の前に来たところで、春歌の足が止まる。一度大きく息を吸い込み肺を満たした。それから早急な所作で手を掛け、滑らすようにして開け放った。その先は、白い世界。そこには寝台がひとつだけ。どうやら個室のようだ。つまり、目先に見えるそれに寝ているのはトキヤということになる。入り口からは、少しばかり引かれたカーテンの所為で顔までは確認できない。どくん、どくん。心臓が早鐘を打つ。今までで一番不快な心音を、春歌は感じていた。


「…!春歌!」


来訪者に気付いた男が目を丸くする。立ちすくむ春歌の元まで小走りでやってきた。


「翔くん…」

「お前、連絡取れなかったから…どうやってトキヤの事知らせようかって思ってて…よかった、届いて」

「翔、くん!…トキヤくんは…!」


翔の服の袖を掴むようにして縋る。その手はかたかたと震え、指先は冷え切っていた。


「栄養失調、睡眠不足、過労。…今は、眠ってる」


普段のトーンより少し低い声で。翔は目線を逸らせつつ、答えた。

トキヤ、翔、そして何組かのアーティストが出演していた音楽番組。短いトークを終えたトキヤは、歌い始める。鳴り響く音楽。煌めくライト。観覧客の歓声。その真ん中で、トキヤは倒れた。辺りはざわめき立った。テレビ上ではどういった処置がなされたのだろうか。出演した翔にも、話をしていた二人にもわからないことだ。
全貌を聞いて愕然とした。春歌の膝は、地に墜ちる。


「私の所為で…」


床にぺたりと座り込んでしまった。丸まった背を支えるように友千香の手が優しく春歌をあやす。ほら、春歌。小さくそう言うと細い腕を取って立ち上がらせた。小さな赤い靴が僅かな音を立てながら、覚束無い足取りでベッドに近付く。一歩一歩。まるで歩行を覚えたばかりの子供の様だ。
まず見えたのは布団から覗いた、腕。細い管が通い、傍らの点滴へと繋がっていた。染みひとつないカーテンに恐る恐る手をかけた。シャッとレールが軽い音が鳴らす。その先にはベッドに横になっている、トキヤの姿があった。元より白い肌は更に白い。痩せた、というよりは窶れた印象だった。メイクで巧妙に隠されているが、春歌には判った。彼の外見にまで現れた、異変。思わず息を忘れる。


「トキヤくん…」


名前を呼んでみるも、伏した睫毛が持ち上がることはなかった。ぱたり、ぱたりと落ちた雫は白いシーツに丸い染みを作る。ベッドの傍で啜り泣いていた春歌は、目の前の現状で精一杯だった。だから。背中よりももっと後ろで扉が開いたことには気付かなかった。


「おい…どうした?」

「帰んのよ。あんたまだ仕事、あるんじゃないの?」

「…まあ、この後一本あるっちゃあるけど…」

「大丈夫よ。春歌がいるから。…春歌はもう、逃げないから」


程無くして。二人を残して、扉は閉まった。









うすら寒い、真っ暗闇の世界で。真っ白い何かがが見えた。それは真っ直ぐに自分に向かって伸びる、手。不思議と不安はなかった。自らの腕を夢中になって伸ばした。あと5cm、あと1cm、そして、指を絡めるようにしっかりと、繋いだ。冷え切った総てが、じわり、じわりとあたたかい。
そして、


「…トキヤくん?トキヤくん!」


暗闇に、月明かり。朦朧とする意識の中。聞こえたのは、愛しい彼女の声。見えたのは愛しい彼女。
無意識に握っていた手は、きつく握り返されていた。否。ずっと握っていてくれていたのかもしれない。左手だけが異様なまでにあたたかい。


「……春歌…?」


掠れた小さい声も春歌は拾って、涙ながらに、はい、と返事をした。
起き上がろうとすれば、厳しい制止が春歌から、自らの身体からかかる。それを振り切って、思わず華奢な身体を引き寄せていた。懇願にも似た声で幾度となく名前を呼んで。肩口に顔を埋めれば身体いっぱいに香りが満ちた。

夢か、現か。寝てか覚めてか。
そんなことは、今はいい。今自分の傍に、確かに彼女がいる。それだけで。

少しの距離ももどかしくて。繋いだ手を離して両腕で慈しむように抱きしめる。身を固めていた腕の中の身体はゆっくりと弛緩して、トキヤの背中に確かな感触を与えた。細い腕が、背に回ったのだ。

何故、君は。どうして、此処に。トキヤは聞きたかったが、上手く脳が回らない。
こうして腕の中に最愛の人を抱いている幸せ。それだけが、彼女の名を呟く度に溢れ出る。この気持ちが。余すところなく届けばいいと。

そんな気持ちを受けてか、否か、


「……ごめ、なさ…っ…」


漏れた謝罪の言葉。

小さな身体は震えていた。時折すんと鼻を啜る音がする。


(ねえ、春歌…)

(それは、何に対する、)

(謝罪ですか…)



疲れからか、目蓋が下がって目元に影が落ちる。話したいことは山ほどあるというのに。抗いたい。抗えない。トキヤは夢の世界へと引きずり込まれる。しかしながら、その先はただの暗闇ではない。先ほどのような寒さは感じない。
広い背中に回された小さな手が、心地いい別の世界を構築した。

どうか、逃げていかないで。
手離したくないと、思った。






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