「もういいのか?」

「ああ。悪かったね、リューヤさん」


部屋の外の壁に背を預ける日向。彼にひらりと手を振って背を向ける。


(離れなきゃいけない、か…)


泣きながらの春歌の言葉が脳内を反復する。同時に。あの日のトキヤの言葉も蘇った。別れよう。大切な人が出来た。そう、言われたと。レンは違和感を感じた。二人の話がどうにも噛み合わない。泣くほどつらいのに。泣くほど愛しているのに。大切な人が出来た。…レンには簡単なロジックだ。


「言葉が足りなさすぎるよね…レディは」


呆れるような息が溢れる。
わざとそうしたのであろうが、これでは酷だ。トキヤにも、春歌自身にも。







You belong with me. 9








部屋がより一層静寂に満ちた気がした。音也の右手にある代物。その数グラムが今は、とても重く感じる。少しばかり渇いた咽を潤すように音也は一度唾液を嚥下した。
音也の紅い瞳に射ぬかれ友千香はゆっくりと頷く。


「やっぱり…トキヤとの…」


一ノ瀬トキヤといえば。今やトップアイドルと呼称しても大袈裟ではない。歌は勿論のこと、演技にも注目されている。子役出身の経歴、そして、HAYATOとしての芸歴の賜物だ。
女性ファン中心の彼に今までスキャンダラスな話はなかった。だが、子供となれば。その事実は世間に露見するだろう。二人の関係を密とすると、社長である早乙女との約束も破ることになる。トキヤの地位も様々な面から、危うい。


「突き放されちゃったのかな…」


溢れた小さな呟きに、音也の眉がぴくりと動く。


「…どういうこと?」

「あたし、言ったのよ。春歌に。一ノ瀬さんに話しなよって」


――一ノ瀬さんならきっと、ちゃんと受け入れてくれる、って。

でも、と。視線を下にさ迷わせる。いつも明るく笑顔の友千香の顔が影っている。眉は下がり、哀しそうな顔だった。


「春歌がこんな状態で来たってことは、さ…」

「トキヤが見放したって?そんなわけ――」


ない。と、強く断言する前に、


「ない!解ってる…一ノ瀬さんは、そんな人じゃない。解ってる、けど…」


友千香が遮るように声を大にする。だがしかし、言葉尻に向けて段々と弱くなっていく。最後には。消えていった。紅が引かれた唇は暫しの間閉じられていた。が。再び、開く。その動きは重い。


「ねえ…音也なら、」


――どうする?

長い睫毛に縁取られた瞳が真っ直ぐに音也を映す。
紅玉のような瞳が、ゆらりと揺れた。浮かべた色は困惑。感じる強い視線は、酷く痛い。


「…今の俺にだったら、何とでも言える」


はっきりと答えはしなかった。友千香は問い詰めるわけでもなかった。


「そう、よね」


納得したように小さく呟く。
当事者でない自分たちには、どうとでも言える。どちらかを選んだとしても、そんなものは意味のない第三者の意見に過ぎないのだ。窮地に立たされないとわからないこともある。
先程より重く、長い沈黙が一室を支配した。息苦しいような、そんな錯覚すら覚える。


「待つほか、ないよ。…七海が、起きるの」


――トキヤには、言うわけにいかないし。

困った様子でそう漏らした。
本当ならば。言うべきだ。わかっている。けれど頑ななまでの春歌の懇願がそれを拒んだ。たった一言。たった一言なのに、重い。感じた強い意志には歯向かえなかった。
ただ。
そのままにもして置けなかった。音也にしてみても、友千香にしてみても、親友の一大事だからだ。放って置けるはずがなかった。

いつの間にか音也の手から滑り落ちた母子手帳がこの部屋の中で、異彩を放っていた。


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