固く、抱き締めた。華奢な背中が僅かに反り返る。驚きで涙はとうに上がっていた。


「え、っと…」


肩口に埋まるようにしていた頭。傍の白い首筋に頬を擦り付けるように動いた。女が息を詰め、小さく、短く、上がる高い声。小さな手が非力な力で肩を押した。


「…ああ、ごめんね…」

「………いえ、」


レンが顔を上げる。形のいい眉を歪めていた。ゆっくりと、抱き締めていた腕を解く。
大きな手が女の方に伸びる。一度溢れそうなほど瞳が見開かれ、落ち着かせるように日だまり色が瞼の向こうに消えた。静かに、その手を享受する。レンが甘い色の髪を緩慢な動きで撫でた。


「……ねえ、…君、は、」


暫くして聞こえた声に、再び瞼が持ち上がる。真っ直ぐに目の前の男を映した。


「はい」


ただ、真っ直ぐに。その眼と同じくらい、真っ直ぐに。
レンは目を見開いた。そして、気付いた。否、感じ取ったという方が正しいだろうか。女が、自分が言いたいことを、既に理解しているということに。


「私は、殺されることでしょう」


身を縮めるように生活していた女は、人の表情から様々なことを、嫌でも、読み取れるようになってしまっていた。


「次はないと、言われたんです」


ああ、やっぱり。レンは思った。


「今日御相手するはずだった方のことを抵抗の拍子に怪我をさせてしまいました。…それに、貴方のことも」

「…俺?」

「はい。…あ、勘違いはされないでください。貴方の所為という訳ではないんです。今日最初の一件で、私の運命は決まっていましたから」


女は、笑った。
まだ若い、少女が。死というものを受け止めるしかない。そんな、酷い現実。
その表情は、残酷なほど大人びた、覚悟を決めたようなものだった。


(何故この子は、)


「…生きたいとは、思わないのかい?」


(こんなにも、)


「……死にたくはないです。けれど、私は…もう、生きていたくないんです」


(凛としていられるんだ)


女は緩慢な動きで立ち上がり、その足は窓へと向かう。細い指先が障子を開け放つ。射し込む、夕陽。程無くすれば月が辺りを照らすだろう。
レンは思わず手を伸ばしそうになる。今にも、夕陽に溶けて消え入りそうだったから。けれども、直ぐに指先を曲げて引っ込める。


「…貴方のお陰です」

「……え?」

「さっきも言いましたが、貴方のお陰で、私は、…」


窓枠に乗せられた手が、握られる。軈てくるりと振り返って、夕陽を背にした。


「……有難うございます…レン、さん」


どくり。レンの胸が大きく鳴った。

この郭の人間でレンを知らない者は中々いない。この郭一番の御得意様。だから、彼女がレンの名前を知っていても不思議ではない。
ただ名前を呼ばれた。其れだけのことが…。


「……」

「あの、」

「…ん?」

「我が儘だって、解っています。だけど……ひとつ、私のお願いを聞いてはいただけませんか?」


指先をもたつかせて、視線を一度下に落とした。
レンは立ち上がり、二歩分距離を取って女の前に立った。じっ、と見つめてくる視線に答えるように口許を緩めて微笑んだ。


「いいよ。…その代わり、俺のお願いも聞いてくれるかい?」


そう言えば瞳に驚きの色が差す。ことりと首を傾けて、不思議そうにレンを見上げた。


「あ、あの………する、とか、ですか?」


少々怯えた様子を見せ、自分の身体を抱き締めるように細腕が、これまた細い身体に巻き付いた。
「君の目には、俺がそんな風に映ってる?」そう聞けば。少しして、首を横に振った。ごめんなさい。小さく溢れたのは、謝罪。


「名前を、教えて欲しいんだ」

「…名前、ですか?」

「そう。…ああ、此処での名前じゃなくて、本当の名前を」


女は、おずおずと一歩近付く。


「……春歌、です」

「春、歌」

「!…はい」


言葉を交わせるようになってから。よく、笑う子だと、そう思った。でも、本当の笑顔ではないと気付いていた。表面だけ貼り付けたような笑顔。裏側には諦めや、死への覚悟や、何より、哀しみが仮面の下に潜んでいた。でも、確かに。今、この瞬間。春歌は、この日一番の笑顔で笑った。年相応の、心からの、笑顔。
そして、レンの二度目の大きな鼓動。


(ああ、まずいな)


心の内は、


(…抱き締めたい)


必死に隠して。


「有難う。…さあ、今度は君の番だ。君の、願いは?」

「私の、願いは…」


――もう一度、抱き締めてはいただけませんか。

春歌特有の、あの、真っ直ぐな眼だった。


「……え、」

「…お願いします。一度で…一瞬でもいいんです、――!」


ふわり。一歩近付いたレンがか細い身体を抱き締めた。触れ合ったところから、じわじわ、じわじわ。滲み出るように溢れるのは、互いの熱だとか、心地よさだとか…彼に至っては、愛しさだとか。


「…これで、いい?」


春歌の頭と、腰に腕を回して、ぴたりとくっ付く。射し込む夕陽が作った二人の陰は、ひとつだけ。


「…有難う、ございます…。やっぱり、あたたかいです…」


控えめに背中へ回された小さな手。緩くレンの着物を握った。
白く、丸みを帯びた頬は甘えるようにレンの胸へと擦り寄り、目を細める。


「春歌…」

「すご、く……あったか…くて……」


細い声が震える。目の奥が熱くなって、大粒の雫が溢れ出す。ひとつも残らずレンの着物がそれを吸い取った。それに気付いた春歌は、汚してしまうと離れようとするが、レンは許さなかった。












時間は過ぎていった。夕陽は沈み込んで月と星が空を彩っていた。会話はなかった。泣きじゃくる背中を優しく擦ってやった。涙は止まることはなかった。身体の震えは増すばかりだった。感じているのはきっとこの先にある恐怖だとレンは思った。

二人の時間は、終わりに近付いていた。


「っ、…今日は、…本当、に…有難う、ござい、ました……」


――然様なら。


最後の言葉に、レンは何も答えなかった。






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